Baby, RAG BABY-8

温もりになるように

 文化祭があった日曜日の次の日は代休で、僕は実和の部屋を訪ねていた。
 実和の部屋に来るのは初めてだ。さっぱりした部屋かと何となく思ってたら、マンションであんまり広くない部屋に、たくさんのCDやコンポ、ギターもあったりしてびっくりした。「ギターも弾くの?」と訊くと、「楽器は何でも好きだよ」と実和はベッドサイドに腰を下ろした。
「ベースはないの?」
「とうさんが持ってるから」
「そうなんだ」
 実和のおとうさん──昨日の文化祭を思い返し、何かおもしろい人だったな、と思った。昨日のライヴは、僕と希咲の両親はもちろん、実和の両親も見ていたらしい。ライヴ終了後、控え室代わりの体育準備室で冷たいお茶を飲んでいたら、「広瀬くん、ご両親が来てるよ」とサポートしてくれた生徒会の子が顔を出した。「行きます」と実和はペットボトルを置いて出ていき、「実和ってカミングアウトしてるの?」と差し入れのお菓子を食べる希咲が首をかしげる。どうなんだろ、と言いかけたとき、すぐドアが開いた。
 実和と──実和のおとうさんだった。思わず緊張したものの、希咲は「初めましてー」とか普通に言うので、僕も何とか「初めまして」と顔を上げた。実和がそばに来て、「大丈夫だよ」と微笑む。実和のおとうさんは挨拶にはうなずいただけで、僕と実和のどうこうよりも、まず僕のベースを見にきた。
「え、えと──」
「俺のとうさんもベース弾くんだ。というか、ほかもいろいろ」
「そ、そうなんだ」
「うん。俺が楽器やってるのはとうさんの影響だよ」
「あたしもおばあちゃんの影響だなー」
 希咲がそう麦茶をあおったとき、突然、実和のおとうさんが口を開いた。
「確かに、お嬢さんのギターは年季入ってるみたいだったなあ。少年はまだ青さがあったが」
「希雪はベース歴二ヵ月くらいなんだよ」
「ほう。素人目だが、二ヵ月で実和とお嬢さんに劣ってないのはすごいな」
 とか何とか言いながら、実和のおとうさんは今度は希咲のギターを見にいった。僕は実和と顔を合わせる。「おかあさんは」と訊くと、「かあさんはまだ混乱してて」とひかえめに言われ、僕はちょっと申し訳なくなった。希咲としばらくギターについて語り合った実和のおとうさんは、「なかなかの演奏だったから、痴話喧嘩で解散なんてするなよ」と飄々と言い置いて出ていった。そのおとうさんが実和のおかあさんも諭したらしく、僕に挨拶したいということで、僕は実和の家を訪ねてきたのだった。
 しかし、実和のおとうさんもおかあさんも働いていて、帰宅は十八時過ぎなのだそうだ。お昼を食べたら待ち合わせの校門に行って、ここに来たから、時刻はまだ十三時過ぎだ。早く来すぎたな、と思いながら僕は実和の隣に座る。
「昨日、楽しかったね」
「うん。緊張したけど」
「僕も。でも、またしたいね。希咲も言ってた」
「またって、来年?」
「ライヴハウスとか出たいんだって」
「ああ。そうだね、対バンしてくれるとバンドとか、いるといいんだけど」
「バンドの知り合いなんている?」
「俺は直接はいないけど。とうさんが、まだアングラなバンドを見にいくのが好きだから、そこからたぐっていけるかも」
「そっか。おとうさん、僕たちのこと許してくれてる……よね?」
「はっきり言わないからよく分からないけど。でも、嫌だと思ったら近づかない人だから、受け入れてると思うよ」
「そっか。おかあさんは、大丈夫?」
「うん。かあさんは、俺が幸せならそれが一番だって言ってくれた」
「そっか」とほっとしたあと、シーツにつく実和の手をちらりとして、その手に触れ合いそうな場所にある自分の手を意識する。
「実和」
「ん」
「もうすぐ、三ヵ月だね。僕たち」
「えっ、ああ──そう、だね」
「……実和のこと、幸せにしてあげられてるかな」
 実和は僕を見て、あの優しい笑みを浮かべると、触れそうだった手を持ち上げて僕の頭を自分の肩に抱き寄せた。暖房をつけていない冷たい部屋で、実和の体温が僕の頬を温める。
「希雪、俺のこと好き?」
「えっ。う、うん──……好き」
「だったら、俺はそれで幸せだよ」
「ほんと」
「好きな人が俺のことを好きなんだ。すごいことだと思う」
 ふと、初恋の先生を思い出した。振り向くわけがなかった相手。でも次に恋した実和は、僕を見てくれている。確かにすごく尊くて幸せなことだと思った。
 僕は実和の腕に腕を絡めてしがみついた。
「希雪──」
「……ぎゅって、して」
 言っておいて、恥ずかしくて頬が熱くなる。会うのが主に昼間の学校だから、僕たちはあんまり密着したことがない。ごそ、と衣擦れが響くと、実和は僕の軆を胸の中にぎゅっと抱きしめた。実和の心臓が聞こえる。
「三ヵ月、って──どうなのかな」
「え?」
「俺、誰かとつきあうの初めてだから分からないけど、……その──何か、するのかな」
「えっ」と僕が急に軆をこわばらせると、「変な意味じゃなくてっ」と実和は慌ててつけたす。
「その……いや、……ごめん」
 僕は実和を見上げた。実和の頬も染まっている。
「実和……」
「ごめん。おかしいこと言って」
「おかしくは、ないよ。ただ、その……、」
「気にしないで。日数で決めてすることじゃないし。まだ、……こうするだけでいっぱいだから」
 そう言って、実和はもう一度僕を抱きしめる。実和の早鐘が服越しに鼓膜に響く。僕は何も言わず、実和の背中に腕をまわした。すると、自然に実和の手が僕の頭を包んで撫でてくれる。
 僕は目をつぶった。僕も、だ。僕もこれだけで胸がいっぱいになって、痺れるように指先が溶けるんじゃないかと感じる。実和の体温が優しい。実和の鼓動が愛おしい。実和の軆が柔らかい。
「実和」
「ん」
「僕は……ずっと、ひとりぼっちだと思ってた」
「え」
「誰か好きになっても、それは絶対男で、迷惑だろうなって伝えられなくて、いくら恋しても結ばれなくて、死ぬまでひとりなんだって」
「希雪……」
「でも実和が僕を変えてくれた。『好き』を言わせてくれる。気持ちを受け入れてくれる。実和がいて、僕は……すごく幸せだと思う」
「……うん」
「僕のそばにいて。それだけでいい。いつかは、その先もしていきたいけど。今は実和がそばにいることが一番幸せ。僕も同じだよ。好きな人に好きって思われてることが、幸せ」
 実和はうなずき、僕をぎゅっと抱いた。僕もその温もりを逃さないようにしがみついて実和のシャツを握った。
 叶う恋は来ないと思っていた。もう顔も上げられないと思っていた。僕には誰もいないのだと思っていた。でも僕は確かに実和と恋をしている。その自信が僕に前を向かせる。そしたら、気づく──僕のそばには、たくさんの人がいる。
 そして今度は、音楽を通して、ひとりでも多い誰かに僕のことを届けてみる。
 ふたごの片割れと、ふたりでやってきた大切な遊び。もう手放せない昔からの遊び。ぼろ人形のように、僕たちふたりにしかその重みは分からないと思っていた。だけどこれから、その遊びから生まれたものを、思い切ってたくさんの人に奏でてみる。
 僕はこう思うんだ。僕はこう感じるんだ。そんな気持ちを言葉にして、音にして、声にする。かけがえのないふたりと一緒に。三人で、紡いでいく。
 僕がこの温もりに救われたみたいに、今度は、僕たちの音楽が誰かの温もりになるように。伝えていくんだ。僕たちのこと。僕たちの内緒の遊びは、今から、ステージから人の心に呼びかける大きな声になる。

 FIN


【RAG BABY】
 希雪、希咲、実和によるスリーピースバンド。希雪と希咲はふたごの兄妹であり、ツインヴォーカルを務める。中学時代にバンド結成、すぐにライヴハウスで活動を始め、BazillusやXENONと対バンを重ねる。天海智生監督作品『水空』の主題歌オファーを受け、メジャーデビューを果たす。

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