血まみれの月
かけはなれていた私と有栖は、何度も交わって、繰り返し愛しあって、再び強いつながりを結い直していった。
初めは、ちょっと行為に焦っていた。けれど、徐々にゆっくり長くつながっていられるようになり、有栖は私の快感をほぐして蕩かし、白波が来るように満たしてくれた。有栖に抱かれて、愛する人に愛されることが、こんなに恵まれていることだとようやく思い出すことができた。
有栖は学校に行かず、私も仕事に行かず、しばらくは家に引きこもって、ただ求めあって過ごした。でもさすがに一週間も経たないうちに食料がなくなって、買い物に行かなくてはならなくなった。料理するのは私なので、私が行かないわけにもいかず、そしたら有栖は「ついていく」と言って聞かなかった。
「ほんとは、ねえさんのことは家に閉じこめておきたいのに」
少しふくれた有栖に私は咲ってしまって、「私も有栖をここに縛りつけておきたい」と言った。すると有栖も咲い、「やっぱ姉弟だから似るな」と私の髪を撫でた。
そんなわけで、私と有栖は一緒に買い物に出かけた。よく晴れた夕暮れ時だった。九月の半ばにさしかかったけど、まだ暑さが名残っている。抜ける風は涼しさを帯びて、虫の声がたなびいていた。
ふたりで持てるだけの買い物をした。今はまだ貯金があっても、切り崩しの生活ではあとがない。働かないとねと話しながら、家に帰ろうとしていたときだった。
「有栖」
前方から感情を抑えた声が聞こえて、私のほうがその声に敏感に立ち止まった。有栖も私じゃないその声をたどり、眉を寄せた。
影を伸ばし、私たちの前に立ちふさがっていたのは、制服すがたの小波さんだった。
「……何だよ」
有栖は少し前に出て私を隠した。それさえ気に障るように、小波さんは口元を引き攣らせた。
「学校にも来なくて、あんた、何してんの」
「高校は辞める。お前とももう関係ない」
「何でっ、」
「どうせ、卒業したら他人だった程度の仲だろ。それが早くなっただけだ」
「あたしは有栖とはもっと──」
「『もっと』、何だよ?」
有栖の声はいらだっていて、何で小波さんは有栖のこんな声を聞いていられるのだろうと思った。私に向かっていなくても不安になるほど、その声は冷めきっている。
「俺、お前の言うこと聞いてやったよな。処女奪ってやったよな。それでいいだろ」
「そしたら友達だって言ったのに、」
「友達が待ち伏せてストーカーかよ。いい加減にしろ」
「有栖のほうがいい加減にして! 正気なの? その女、おねえさんだよ?」
私は有栖を見上げた。有栖は声だけでなく、私に向けるときとはまったく違う、冷ややかな目を小波さんに向けている。
「だから何だよ?」
「だからって……頭おかしいんじゃないの!? もうっ、ねえ! 姉ならあんたのほうがしっかりしてよっ、有栖のことおかしくさせたのはあんたでしょ!?」
「ねえさんに話しかけんなっ。それに先に好きになったのも、引きずりこんだのも俺のほうだ。悪いか?」
「そんな、の……」
「俺は、ねえさんしか考えられないんだ。ねえさんのことが好きなんだよ」
「有栖……やめてよ、そんなの聞きたくない。ねえ──」
「聞きたくないなら、来るんじゃねえよ。俺だって未練がましい泣き言なんか聞きたくない。俺はお前に興味ないんだ。だから、とっとと別の男のことでも考えてろよ」
「っ……、最っ低……」
小波さんは肩を震わせてこぶしを握り締める。そして唐突にそのこぶしを振り上げてきたけれど、有栖があっさりと止めてしまう。でも、間近で小波さんの目が私の目に突き刺さって、そこにある黒い嫉妬と赤い憎悪にぞっとした。
有栖に軽く押し退けられた小波さんはよろめき、「絶対許さないっ!」と叫ぶ。
「あんたたちみたいな変態、絶対許されないんだからっ。まともじゃない、気持ち悪すぎるよ!」
小波さんは、有栖でなく私をきっと睨みつけると、脇をすりぬけて駅のほうに走っていった。私がうつむくと、有栖は荷物を下ろして熱を測るように私の額を撫で、軽く唇にキスしてくれた。私は睫毛を陰らせてつぶやく。
「私たち、そんなに気持ち悪いのかしら」
「あいつのことなんか気にしなくていいよ」
「……でも」
「人の目がどんなでも、俺にはねえさんしかいないから」
とん、と有栖の胸に頬を当てた。歩道に伸びている影も重なる。私たちの匂いと、汗ばんだ匂いがこころよく混じっている。
「小波さん、また来るの?」
「どうだか。きつく言ったつもりだけど──何かマジでストーカーだな、あれ」
「……私、あの子、好きじゃない」
「俺も疲れた。告ってきたあたりから面倒になったな、あいつ」
「友達だったのよね」
「そう思ってたけど、あいつは違ったんだよな。そう思うと、それまでのあいつも全部気持ち悪くなってくる」
「私も、有栖以外の人は気持ち悪いわ」
「ねえさんは、萌花さんとかさくっと理解してくれて、かっこよかったじゃん」
「そう、ね。萌花は。静も分かってくれたわ」
「あのふたりは嬉しいんだけどな」
有栖はそう言い、少し考えてから、「また萌花さんと静には会ったりしたい?」と訊いてくる。その質問のしめすところは分かった。また会う。そのためには、この土地にいなくてはならない。それはどうかと尋ねられたら、私は──
有栖に頭を抱かれながら、マンションの並ぶ夕景をぼんやり見つめてみた。二十年暮らした町だ。でも、そういえば愛着なんてぜんぜんないことに気づく。
「……遠くに、行きたい」
「え」
「ふたりで、私と有栖を誰も知らないところに行きたい」
「……ねえさん」
「普通の町でいいの。海外がいいなんて言わないわ。ただ、誰も私と有栖に干渉しないの。そんな場所で、有栖とふたりきりで死ぬまで暮らしたい」
「死ぬまで」
「私が愛してるのは、一生有栖だけよ」
「……うん」
「だから、ここを離れたい。小波さんに逢いたくない。いろんなことも忘れたい」
「うん──」
「萌花と静に会えなくなっても、有栖がいればいい。あのふたりなら、私たちの選択を分かってくれると思う」
「じゃあ、ふたりでこの町、出ようか」
有栖の胸から顔を上げた。有栖はまじめに私を見つめてくる。
あれこれ理想を言っておきながら、私は少し躊躇って、うなずく前に「おかあさん……」と言った。有栖はややあきれた息をつく。
「あっちのほうが俺たちを捨ててるようなもんだろ」
「………、おとうさんは、おかあさんがあんなだから哀しかったのかな」
「さあな。でも、とうさんは“あいつ”みたいではなかったんじゃない?」
私は有栖を見て、小さくうなずくと、「家に帰ろ」と言った。有栖は道路に下ろした荷物を持ち上げる。私たちは、薄暗くなって月が浮かびはじめる道を一緒に歩いていく。
有栖。有栖は知らないよね。私ね、見たの。“あの人”が撮影した私のデータを、おとうさんが受け取っているところ。だから私、一生懸命カメラに向かっておとうさんを呼んだ。でも、おとうさんは来てくれなかったね。
だから私は、有栖、あなたには絶対に離れていってほしくなかった。おかあさん。おとうさん。みんな私を捨てていく。だから私は、恋慕でもいいから、あなたの気持ちにつけこんで、離れない呪縛をかけたのよ。
「有栖」
「ん?」
私を見つめるとき、私に応えるとき、有栖は瞳も声も優しくなる。それが愛おしくて、私は有栖の肩に寄り添う。
「ずっと有栖と一緒にいるためなら、私は、どこにだって行けるわ」
有栖は私を見つめて、闇の一瞬手前の赤に染まる夕映えの中で微笑んだ。返り血を浴びた殺人鬼のように、ぞっとするほど綺麗で、骨が蕩けるように感じる。
有栖とふたりきりになる。誰も私たちを知らない町に行く。私と有栖はそこで、最期のときまで抱き合って過ごす。
夕暮れは一瞬で夜に飲まれる。その闇に私と有栖は隠れ、家族として共に育ったこの町を去ることにした。新しい巣を見つけて、姉弟という殻を捨て、血の通う繭の中に閉じこもる。
地図をめくって、飛び移る街を選んだ。ふたりともそこで仕事を見つけて、暮らしていく部屋も決めた。引っ越し業者は雇わなくていい。連れていけるだけの荷物をまとめ、私と有栖は手をつないで家を出た。
すべて捨てよう。おかあさんも捨てる。家も捨てる。閉塞したゆりかごから飛び立つのだ。そしてつないだ手は一生離れないように駆け落ちて、やっと私と有栖は、血塗られながらもついに男女になる。
新しい部屋に暮らしはじめた私たちは、夜はいつも一緒のふとんで眠った。別々のふとんなんて、我慢できない。もう我慢しなくていい。昼間はお互い仕事だから、一緒にいるときは触れ合っていたい。有栖も同じ気持ちで、私をじっと暗闇から見つめてくる。
私は有栖の頬を愛撫し、そっと唇を重ねて深く舌をさしこんだ。すぐに有栖の舌は応えて、飛び散るような水音を響かせながら、焦れったく手をつなぐ。指先が、お互いの手を性的に握りしめる。頭の中が痺れてきて、有栖の匂い、味、息遣いが私の性衝動を駆り立てる。
ふと有栖が起き上がって、手を離すと上半身の服を脱いだ。力仕事もある仕事を始めたせいか、有栖はさらに引き締まって美しい軆つきになった。その軆が私の白い軆に重なる艶めかしい瞬間にうっとりしていると、有栖は私の軆を起こし、私の上体の服も脱がせる。するりとブラジャーまで外してしまうと、抱きしめてお互いの体温を同化させた。
私のうなじに歯を立てながらキスをして、手のひらは背中を這って背骨を確かめる。「有栖」とかすれた声で名前を呼ぶと、有栖は愛おしくて仕方ない、悩むような視線を私に向ける。
「有栖──」
それ以上言う前に、有栖は私の唇を奪った。私も有栖の膝に身を乗り出して首に腕をまわし、舌を絡めあう。脚のあいだが切なく疼き、濡れてくるのを感じた。内腿に当たる有栖も張りつめているのがジーンズのデニム生地越しに分かる。
口づけながらそこに手を這わせると、有栖は少し声をもらした。私はジーンズのジッパーを下ろして、下着の上から有栖のかたちを撫でる。触っていると、口の中を犯してほしくなって、私は唇をちぎると有栖の脚のあいだに顔をうずめた。
下着をずらして現れたものに何度もキスをして、喉の奥まで飲みこむ。有栖のうめき声がかわいい。唾液がしたたる音を立ててきゅっと有栖を吸いこみ、するとそれはびくんと反応する。浮いた血管を舌先でなぞって、先端を口の中で転がす。愛おしくくわえているあいだにも、私の軆は熱くほてって愛液がこぼれていく。
早く中に欲しい。そう思った私は、有栖をしゃぶりながら下半身の衣服を脱ぎ捨てた。有栖も手伝ってくれて、私ははだかになると、顔を上げて有栖の腰にまたがる。
しっとり湿った入口を指で開くと、そこに有栖の先端をあてがった。有栖は腰を落としていく私を抱きしめ、飲まれるほどに震えるため息をついた。私も満たされていく体内に声をもらし、すっかり受け止めると有栖にしがみついた。
視線が重なって、また口づけをむさぼりながら、緩く腰を動かして溶け合わせる。有栖の硬さが軆の奥まで届き、内壁にこすりつけられて、呼吸と鼓動が乱れていく。有栖の指がさりげなく私の核をさすってきて、私は大きくわなないて有栖をぎゅうっと締め上げた。有栖の指は私の位置と角度をよく知っているから、絶え間なく快感を刺激されて私は喘ぎながら腰を揺すってしまう。
核をいたぶられるほど、入口が痙攣して、さらに有栖に乱暴に突き上げてほしくなる。私は有栖の耳を食んで、舌をさしこみながらそれを伝えた。すると、有栖は私の腰をすくいあげてベッドに押し倒し、上になって私を強くつらぬく。
有栖の名前をうわごとのようにささやいて、私はその軆に抱きついて激しい動きを受け止める。目を閉じる有栖の息遣いも荒っぽくなっていて、その口元がとても淫猥だ。
私はさっき有栖にそうされたように、有栖のうなじに口づけて紫色の花を散らし、歯型を残す。有栖が私の奥を何度も突いて、その刺激は核にまで響いて、自分の中が引き攣って有栖にすがるように絡みついている。頭の中がくらくらと意識を失いかけて、目を開けてさえいられなくなる。
乳房が動きに合わせて揺らめき、有栖が中にいるからお腹まで温かい。もう私は有栖とのこの行為から抜け出せそうにない。頭がおかしくなったように、常にこのことを考えている。有栖に触れてもらうこと、口づけてもらうこと、つらぬいてもらうこと。それで頭がいっぱいだ。そして、考えただけで濡れてきて、内腿までしたたりそうになる。
「俺、バカになったのかもしれない」と有栖も言う。
「ねえさんといやらしいことすることしかもう興味がない。食事も、仕事も、風呂もトイレも、全部ねえさんを抱くときのためにやってるだけだ。ねえさんを抱きながら死にたい。でも、もっと欲しいから生きたい。もう狂ったのかな。ねえさんだけとこうして生きていくことしか考えられない……」
有栖と愛し合った行為が終わると、私は服を着て上着を羽織り、ベランダに出た。すっかり冬で、凛と冷たい空気が肌を引き締める。
満月だった。少し、いつもと色が違う気がする。そういえば、今夜はブラッドムーンだとかニュースが言っていた。血染めの月。私と有栖も、そしてあの行為も、それと同じなのかもしれない。
「ねえさん」
背後でガラス戸が開いて、有栖が顔を出す。「寒いわよ」と私が言うと、「だから来た」と有栖はベランダに降りて、私の背中を抱きこんだ。有栖の体温と匂いが私をふわりと包んで、私は目を閉じてそのたくましい胸板に寄りかかる。
「すごい満月。ほんとに赤いな」
「知ってるの?」
「職場で話してる人がいた」
「そう。私と有栖みたいね」
「あの月が?」
「血で穢れてるわ」
「姉だなんて、今は誰も知らないよ」
「……みんな、夫婦だと思ってるわね」
「俺たちは夫婦だよ。生まれたときから結婚してたんだ」
「そうね……そうかもしれないわ」
「ずっとねえさんのそばにいるよ。愛してる」
私は淡く微笑み、「私も有栖を愛してるわ」とつぶやいた。有栖の腕にぎゅっと力がこもる。薄く目を開けると、睫毛に妖艶なブラッドムーンが霞む。
赤い月のように生きていく。姉弟として不吉に。肉親として血まみれに。恋人同士として妖しく。私たちに白く澄んだ月の夜は来ない。
もう、ただの姉弟ではないから。婚約していたみたいに、ずっと昔からこうなるように、私たちはお互いを想いあってきた。
清めるために私を穢した。
穢れてでも有栖を縛った。
あの頃から、私はこうなることを知っていた。血に濡れた赤い月は、約束のように見通された通りやってくる。この日が来ること、有栖と私が結ばれる日が来ることは、きっと遥か前から分かっていた。
有栖は私のもの。私は有栖のもの。
そうなることは、血まみれの月が現れる夜のような呪縛、定められた運命の糸だった。
FIN
