美しい人【2】
もう一通のメールは、小波からだった。こっちは興味がなくて、流し読みでスマホを投げた。
チーズバーガーの包みを取ると、素早く涼が俺のスマホを手に取る。表示させたままのメールに目を通した涼は、「返事しないのか」と指についたソースを舐める。「したらラリーになるんでうざい」と俺は開いた包みからあふれた匂いに唾液を感じる。
「小波って、絶対有栖に気があるよな」
「俺は興味ないし」
「仲いいじゃん」
「友達な」
「何か、有栖の恋愛の話って聞かないよなー」
「涼もやり捨てばっかじゃん」
「好きになったらちゃんとつきあうよ」
温かいチーズバーガーを食いちぎって、肉汁を噛んで飲みこむ。
小波は涼と一緒で、一年のときから同じクラスの女子だ。去年のクリスマスは涼と小波と俺の三人で過ごしたくらい、仲はいい。でも、それだけだ。寝ようと誘われたら断らないと思うけど、こちらから誘うことはない。
あっという間にチキンバーガーを食べ終えた涼は、自分のスマホをチェックしながら、フライドポテトを口に投げる。
「んー、ナオミからメール来てる」
「誰?」
「春休みに逆ナンされて、やったあと小遣いくれたから、連絡先登録した女」
「お前、そんなんばっかだな」
「だから、好きになったらちゃんとするって。今日ヒマなんだって。どうする? ナンパだと金出してもらえるか分かんなくね? こいつに適当に友達連れてきてもらったほうが、効率いいよ」
「俺は金はどうでもいいよ。ただ、デブスはきつい」
「決まり、ここに来てもらお。えーと、友達用にかわいい友達をひとり連れてきてほしい、っと……」
口にするのとほぼ同時に、フリック入力した涼は、すぐそれを送信した。ほんとおとなしそうな顔してんのになあ、と涼を眺めていると、彼はすぐその女と話をまとめてしまった。
俺たちはトレイの上の食べ物を片づけ、制服を私服に着替えて、女を待った。
俺と涼は、高校からのつきあいだ。だから詳しくは知らないが、涼は中学生のときから、しょっちゅうこんなふうに金をくれる女とやっては、お小遣いをもらっているみたいだ。
「涼って、女とつきあったことある?」
「あるよ、それくらい。有栖は?」
「俺は……本命とつきあえたことはない」
「本命なんているんだ。現在進行形?」
「まあな」
「告らないのか? 有栖ならいけんじゃね」
「いや、たぶん相手にされない」
「そうかなー」
「でも、ほかの女とか無理……」
トレイごと片づけたテーブルに突っ伏すと、涼は楽しげに笑って、俺の頭をぽんぽんとした。
スマホをたぐりよせると、時刻は二十時半が近い。萌香の仕事が始まる。この時間帯は、いつも息が苦しい。今から午前三時まで、金と引き換えに、おっさんが萌香の軆に触りはじめる。
「お酒の相手だけよ」と萌香は言うけど、現実はそんなもんじゃないだろう。
俺だって萌香の白い肌に触れたい。スカートの中の熱に触れたい。指を絡めて、耳に口を寄せて、あの匂いを吸いこみたい。
どこかのおっさんにはそれが許されて、何で俺はダメなのだろう。俺のほうが萌香に近いのに、俺のほうが萌香に遠いのを思い知らされる。
俺はこのまま、二度と、死ぬまで、萌香の肌に指を這わせられないのだろうか。そんなの死にたい。萌香が手に入らない未来しかないのが現実なら、生きている意味なんてない。
あの頃、萌香は確かに俺のものだった。俺も萌香のものだった。吐きそうな悪夢だった。けれどそれが気持ちよかった俺は、きっとひどい奴なのだろう。
涼が呼んだ女とその連れが来て、俺たちは店を出た。スクールタウンにホテルなんかあるわけがないので、電車で少し移動して、駅で二組になって別れた。
涼と女を見送って、俺は隣にいる女を見た。カールしたナチュラルブラウンの髪やピンク系の化粧がふんわりした感じでかわいかったけど、俺の好みじゃなかった。
彼女も俺を見ると、一応、微笑んでくる。俺はそれに何となく咲い返し、まあいいか、と彼女の手を取って歩き出した。かつん、と彼女のヒールが音を立てる。
この駅は、すぐそばにホテル街があって、すぐにほの暗いピンクやオレンジの明かりがちらちら降ってくる。俺たちは大して物色せずにホテルに入り、一番質素で安い部屋を選んで、無人機から鍵を受け取った。
「私、会社に好きな人がいるんだけど」
部屋に入ると、並んでベッドに座り、二十代半ばくらいに見える彼女はそう言って息をついた。
「つきあってんの?」
「ううん。その人には、ほかにいるから」
「そうなんだ」
「君、ぜんぜん彼に似てないけど。彼だと思っていいかな?」
俺は彼女を見た。
「じゃあ、俺も好きな女だと思っていいよな」
「いいよ。てか、君なら、基本的に落とせるでしょ」
言いながら、彼女は正面に来てひざまずき、俺のジッパーを下ろす。
「相手、普通は恋愛対象じゃないから」
彼女は含み笑って、深く追求せずに俺の性器を取り出し、これは何とかくんのとか何とかつぶやいてから頬張った。
セックスより、フェラのほうが女の愛情を測れる気がする。セックスは、女は感じているふりをするからよく分からない。俺が抱いた女で、いったいどれだけが本当に感じていたのだろう。
フェラは舌の粘り気とか、睫毛の角度とか、喉の締めつけとか、何よりうまそうにしゃぶっているかどうかで、どれだけ俺を受け入れているか分かる。
俺はシーツに手をついて、天井を仰いだ。萌香。これは萌香。萌香が俺をしゃぶっている。赤い唇を大きく開いて、細い喉の奥まで飲みこんで、熱い唾液を絡みつけて──
視界が虚ろになって、自分の血管が集中していくのが分かる。舌が快感をなぞって、水音が卑猥に跳ねて、指も使って刺激してくる。取り留めのない息がもれて、どんどん硬くなっていく。小さかったいくつかの火種が、じわりと灯って、触れあって同化して、ひとつになって強くなっていく。
シーツを握って、唇を噛んで、だらしない声はこらえる。そうしないと、萌香の名前がこぼれてしまいそうだ。頭の芯が白くほてって、視線がゆらゆらして、糸を編んでいくように太くなっていく神経に意識をそそぐ。
腰が崩れそうな感覚がして、やばい、と息を切らした。
「……出そう、」
「いいよ」
「飲むのは、嫌だろ」
「平気だよ。出して」
ああ、くそ。もう遠慮して突き放すことなんかできない。
舌が根元から舐め上げて射精をうながす。俺は目をつぶって彼女の肩をつかみ、一瞬、上擦った声が出た。
それと同時に、溜まっていた快感が脊髄を突き抜け、爆ぜて吐き出したのが分かった。
それでも、まだ俺は硬さを残していて、下着を脱いだ彼女も濡れていて、服もちゃんと脱がないまま、俺たちは軆を重ねた。彼女の中は、格別に締まるとかはなくても、熱く湿っていて、そのぬめりにこすりつけるとぞくりと気持ちよかった。
服の上から乳房をつかみ、布越しに硬くなった乳首を噛む。彼女も俺の首に腕をまわし、喘ぐリズムに合わせて腰をよじり、揺さぶる。内壁が俺を包みこんで、そこに伝う痙攣が徐々に増えるほど、彼女はもどかしい切ない声を出して俺にしがみいた。
抱きしめる軆がわなないて、その震えを何度も突き上げる。快感の波が大きくうねり、激しくなって、彼女のうわごとに、いく、とか、だめ、とかが混ざって、構わず俺は彼女を奥深くつらぬいた。
その強い動きが響いたように、突然、狭くないと思っていた彼女の膣の入口がびくっと俺を締めあげた。絞り上げるような刺激に、やば、と俺は急いで自分を引き抜き、ぎりぎりで体内でなく内腿に濃く白い液をかけた。
それから、俺たちは服を脱いでシャワーを浴びた。「妄想エッチよかったね」とか彼女は笑っていて、俺はうなずきながらも、やっぱ萌香とやりたいなあと、いったあとの虚脱でぼんやり思った。
ベッドに入って、明け方まで眠って、俺のほうが先に起きた。
これから一度家に帰って、教科書を入れ替えないといけない。スマホを見ても、萌香からのメールはなくて、ちょっとへこむ。たぶん、家にいるのに。俺が外泊しても平気なのか。俺はきっと、萌香が帰っていない朝なんてあったら発狂する。
始発の時刻が近いのを調べて、揺り起こした彼女は、「はらっておくからまだ寝る」と丸い肩に毛布をかぶりなおした。俺は肩をすくめて、お言葉に甘えて先にホテルを出た。
あたりの空気はまだ蒼さに浸り、羽ばたいていく鳥が、空でさえずっていた。
でも、たどりついた駅はすでにざわついている。ホームに電車が滑りこんできた風で、髪からホテルの安いシャンプーの匂いがこぼれる。何でこんな時間から座席空いてねえんだよ、と思いつつ吊り革につながって、一度路線を乗り換え、地元の駅に朝六時半に帰りついた。
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