白日の少年-1

大切な君だから

 鈴里すずりは僕を守ってくれる。無条件にそう信じていた。幼い頃から、僕の一番近くにいてくれた親友だ。
 僕は人を信じるのが得意じゃない。けれど、鈴里のことなら信じられる。僕を裏切らない。僕を傷つけない。鈴里のことだけは、それを疑わなくてよかった。
 ──この想いが芽生えて、自覚するまでは。
 小学校のときから、僕と鈴里は一緒だった。その頃から、思ってみれば予兆はあった。独占欲だと思ったその感情を、僕は恥ずかしくて押し殺していたけど、鈴里が隣の席の女の子と話していたりすると、無性に悔しくなった。
 そんな子と話すより、僕のほうを振り向いてくれたらいいのに。もやもやと黒い感情を紡いで、でもそれを表すことはできなくて。鈴里は何をその子と楽しそうに話しているのだろう。その話を、僕にもあとでしてくれるだろうか。それとも、その子とだけの内緒話にするのだろうか。
 そんなことを思うと、軆が痙攣しそうにこわばって、歯を食い縛らなくてはならなかった。
 帰り道、何も気にしていないように咲わなくてはと焦るほど、表情が硬くなる。鈴里はそんな僕の笑顔を取るために、必死に話題を探して、その中にはいつもさっき女の子と話したことも紛れている。その内容がゲームとか漫画の話題だと判明し、僕はようやくほっと表情をやわらげる。
 鈴里は何が僕の機嫌をなだめたのか分からないまま、とりあえず同様にほっとして僕の頭をくしゃっと撫でてくれた。
 中学生になると、男は軆もたくましくなってくる。蝉の声、青い空、白いシャツ。半袖からの鈴里の腕の筋肉を意識して、あの腕にぎゅっと抱かれたらどんな気持ちになるだろうとか考えた。その妄想はすごくいけない気がして、慌ててかき消すのだけど、夜になるとぶり返してくる。
 こめかみを流れる汗。声変わりで低くなる声。でも、やんちゃな笑顔は変わらない。
 抱きしめてもらえたら。触らせてもらえたら。口づけてもらえたら。
 すき、と思った。そうだ。僕は鈴里が好きなんだ。男だけど。僕も鈴里も、男だけど。それでも好きなんだ。僕の隣にいてくれる鈴里が、どうしようもなく好きなんだ。
 僕の中では、それは自然なことだった。それくらい、僕と鈴里はいつも一緒だった。もしかしたら鈴里も僕が、なんて夢見るずうずうしささえあるほど。だって、いつだって、鈴里は僕の一番近くにいてくれたのだ。
 そのまま、僕たちは高校生になった。同じ高校に進んだ。一年生はクラスが別だったけど、二年生で一緒になれた。
 僕はこれといって親しい友達は作れなくても、鈴里は水内みないという男子生徒と、一年生のクラスから引き継いで仲良くなっていた。そして、水内と席が近かった舞根まいねという男子生徒も、行動を共にしはじめた。
 鈴里以外の人は苦手なんだけどなあ、と思いつつも、それを口にして仲間外れにされるほうがつらい。自然と四人で過ごす時間が増えて、僕も何とかそれに慣れていった。
 放課後はいつも、学校最寄りの駅前のファーストフードで、ハンバーガーを食べる。強気に席を取りに行けない僕は、いつも席取りではなく、みんなの注文を店員さんに伝えてそれを席に運ぶ。店員さんからトレイを受け取った僕は、制服で騒がしい店内をきょろきょろして、鈴里が手を振ってくれているのを見つける。
「すみません」とか「ごめんなさい」とか言いながら、僕はそこにたどりつく。「サンキュー」と比較的軽快なノリの舞根は、自分のハンバーガーを手に取り、「ありがと」とちょっとそっけない冷淡さのある水内は、コーヒーを手元に引き寄せる。「みんなこの店に溜まりすぎだよな」と鈴里は笑って、僕に隣の席をしめし、「僕たちも溜まってるんだけどね」と僕は苦笑して腰を下ろす。
「おっ、金原かなはら瀬戸せとがつきあいはじめたらしいぞ」
 スマホをいじりながら、ぱくぱくとハンバーガーに食らいついていた舞根がごくんと飲みこんで言う。まだ五月を半分も過ぎていなくて不確かだけど、金原さんと瀬戸くんはクラスメイトだったと思う。
「マジか。ソースどこ」
「クラスのグループ」
 舞根の答えに、鈴里もスマホを取り出し、「つきあいはじめたっていちいち報告してるのか」と水内が冷めた声で肩をすくめる。
「金原の友達のリークだな。『みんなで祝ってあげてね』って──スタンプ送っとくか」
「金原と瀬戸が焦って投稿連打してんだけど」
 鈴里は笑って僕にスマホの画面を覗かせ、ふたりの必死な照れ方に僕も笑ってしまう。
「明日は、確実にこのふたりのことで祭りだなー」
「まあ、なるべくそっとしておこうぜ」
「俺たちがそっとしてても、うるさい奴はうるさいけどな」
「金原さんと瀬戸くんって一年生でも同じクラスだったよね。ずっとお互い好きだったのかな」
「いやー、金原がわりとだだ漏れだった感じだよな」
「俺もそう思う。瀬戸が落ちたんだろ」
「……そっか」
 僕はバニラシェイクをすすって、誰と誰がつきあうとか、こういう話のたびに芽生える不安を胸で押しつぶす。
 一年生のあいだ、怖くて仕方なかった。いつ鈴里が「この子とつきあうことにした」と女の子を紹介するか。結局それはなかったものの、二年生になって鈴里はますますかっこよくなった。髪は短くまとめ、でも瞳や口元は屈託なく微笑み、筋骨の線もしっかりと力強い。
 女の子たちが、鈴里をちらちら見ながら話しているのも見かける。そんな子たちのひとりに、鈴里を連れていかれてしまったら。鈴里の隣は、ずっと僕のものだったのに、どうして女の子は異性というだけでそこをあっさり掠奪できるのだろう。
 僕が視線を落として、のろのろとシェイクをすすっていると、「どうかしたか?」と鈴里が覗きこんでくる。
「えっ、あ──」
「もしかして、金原気になってた?」
「ま、まさか。いや、何か──その」
「うん」
「す……鈴里は、気になる子とかいるのかなーとか」
「俺かよ。別にいないよ」
「そうなんだ」
 鈴里はナゲットをひとつ口に放って、「夕絽ゆうろは?」と首をかたむけてくる。
「えっ」
「そういうの、いるのか?」
「あ、……わ、分かんない……」
「分かんないって。ま、いるなら教えてくれよな。応援するし」
 鈴里を見つめた。鈴里はいつも通り僕の頭をくしゃっとして、自分のハンバーガーの包みを開く。てりやきの匂いがした。
 僕もフィッシュバーガーを手にして、タルタルソースが指につかないように包みを開ける。舞根はまだスマホの画面を読んでいて、ときおり水内に見せては「興味ない」と言われている。僕はタルタルソースを噛みしめて、鈴里だよ、と思った。
 僕が好きなのは、鈴里だよ。それでも、教えていい? 認めてくれる? 応えてくれるなんて、そこまでは思い上がらない。ただ、この気持ちを否定されたくない。
 男と男。穢らわしい。気持ち悪い。そんなふうに、僕のことを突き放さないのなら、僕はそれでじゅうぶんだけど──たったそれだけが、きっとすごくむずかしいのもよく分かっている。
 夜は好きじゃない。家族と過ごす時間が息苦しい。僕は家族の前では、自分を偽っていることになる。おとうさんもおかあさんも、大学生のおねえちゃんも、僕が男を好きになるなんて知らない。
 鈴里だから好きになったのかなあ、と思うときもあるけれど、僕はもともとゲイだったと思う。男の筋肉質にどきどきする。女の子の柔らかみに何も感じない。その甘い声や香りは、むしろちょっと苦手だ。しかし、そんなことは誰にも打ち明けられない。
 誰にも言えない。僕の本音を聞いてくれる人はいない。その孤立感が苦しい。誰とも素直な心を共有できないのは、予想以上に神経を圧迫する。話してもいい人、話したい人、話せそうな人、いくら見まわしても見当たらない。
 あの人は眉を顰めるだろう。
 あの人は哀しく顔を背けるだろう。
 あの人は嫌悪感で怒り出すだろう。
 そんな人ばかりで、心を開こうと掛け合ってみる相手もいない。僕の周りには誰もいなくて、怖くてたまらない。鈴里がいると思ってきたけど、僕はその鈴里に恋をしてしまっている。もちろん、鈴里に告白して、おまけにつきあえるなんて思っていない。
 僕のこのまま一生ひとりなのだろうか。女の子と偽装結婚するのは嫌だ。将来、僕はどうなるのだろう。仮に就職まで行けたとして、いつまでも結婚しなかったら、疑われたりするのだろうか。
 分かってくれる人が欲しかった。恋人がいいなんて贅沢は言わない。心からの味方が欲しい。
 鈴里だったらなあ、と思う。この想いを伝える、ましてや応えてもらうなんて大それた夢じゃなくて、僕がゲイだということを、鈴里が分かってくれたら心強いのに。でも、気持ち悪い、と一番思ってほしくないのも鈴里だから、言えない。

第二章へ

error: