白日の少年-11

立ち向かって

 そうしていると、すぐに冬休みが迫ってきた。
 いつも僕は、誰にも遭わないように、生徒がはけてから保健室をやっと出て帰っていく。その日もそうだった。だから、靴箱で「あのっ」と背後から声をかけられたときには、びくっと硬直してしまった。
「香河先輩、ですよね……?」
 先、輩。同級生じゃないのかな、とおそるおそる振り返ると、ネクタイが赤で一年生だと分かる男子生徒がいた。さらさらした髪、切れ長の目、骨格がしっかりしている。知らない顔だ。
 誰だろう。ほとんどの生徒が下校してしまっているのに──その男子生徒はけっこう身長があり、歩み寄ってくると僕を見下ろしてきた。下級生にビビるのも情けないけれど、居すくまって彼を見上げる。
「な、何?」
 どもった、と恥ずかしくなって視線を落とすと、その男子生徒はあたりを見まわしてから言った。
「迷惑だったら、気にしなくていいんですけど」
「えっ、はあ」
 変な受け答えをしつつ、とっさに誰かの悪戯が軆にくっついているのかとか考えてしまう。
「俺、その……好きな奴がいて」
 が、思いがけない話の運びに彼を見直す。何? 好きな人?
「男なんです」
「えっ」
「いや、仲間とかそういうずうずうしいのじゃなくて。ただ、先輩がひとりじゃないのは知っててほしくて」
「あ……、」
「それだけっす。いきなりすみませんでした」
 男。好きな人が男。
「じゃあ──」
「ま、待って」
 身を返そうとした彼を慌てて引き止める。彼は僕をかえりみてくれたのに、僕はどう言葉を続ければいいのかに迷う。
 男でありつつ、好きな人が男。ひとりじゃない。そんな人が、この高校に──……。
 堅苦しかった胸が急激にほどけて、息を吐いてしまった。彼は僕を見つめて、「やっぱ驚きますよね」とあやふやに咲う。
「君は、みんなにそのこと──」
「隠してます」
「……そっか」
「言いたくなるときもあるんです。彼女作らないのかとか言われると」
「ん、分かる」
「俺の好きな奴、中学からの親友なんで。けっこう、そいつ自身にも言われるんですよね」
「あ、僕も……親友が好きなんだ」
「そうなんですか。告った相手に言い触らされたみたいに聞きましたけど」
「言い触らしたというか……」
 どう説明すればいいのかうつむくと、「このあとすぐ帰りますか?」と彼が訊いてくる。
「うん。どうして」
「先輩とは、話せるなら話したかったので。どっか寄れるなら」
「僕といると、人に知られるかもしれないよ」
「………、何か最近、知られたほうが楽かなって」
 そんなことないよ、と言おうとした。けれど、飲みこんだ。
 僕もそう思った。そして鈴里に告白した。今、みんなに知られてつらいけど、みんなを騙していたときのつらさも僕は知っている。一概に隠せばいいとは言えなかった。
「えと、名前──」
「深実です。深実みさね信哉しんや
「深実くんが嫌じゃなかったら、僕も君と話してみたい」
「いいんですか」
「うん。ほんとに、いいの?」
「俺も、自分のこと隠さずに誰かと話してみたかったので」
「そっか。じゃあ、駅前でどっかの店に入ろうか」
「時間、大丈夫ですか?」
「僕は平気。深実くんは?」
「俺も大丈夫っす。あ、じゃあ上履き、履き替えてきます」
「うん。昇降口にいる」
「分かりました。あの、ありがとうございます、先輩」
 深実くんは安堵を混ぜた笑顔を向けてから、自分の靴箱があるほうに行ってしまった。僕もスニーカーを取り出して上履きを脱ぐ。
 僕以外にもゲイがこの高校にいたのか、と改めて感慨深く思った。ゲイがそんなに少なくないのはネットを見ていて感じていたけど、なぜか身の周りには絶対いないなんて思っていた。いるんだな、とスニーカーを履いて昇降口に出ると、すぐに深実くんがやってきて、早くも夕暮れが始まりかけて冷えこむ空の下を歩いていった。
「先輩、今は保健室登校なんですよね」
「教室にいたら嫌がられるから」
「イジメとかあったんでしたっけ」
「うん、まあ……受け入れてくれる人はいなかった」
「……そうですか。その親友の人のこと、今でも好きですか?」
「分からない。でも、応えてほしいとは思ってないよ」
「軽蔑されなかったら、それだけで救われますよね」
「うん。ほんと」
 そんなことを話しながら、下校生徒もまばらになった通学路を駅前までたどっていく。よく鈴里たちと寄り道したファーストフードはちょっとつらかったから、駅構内を歩いて、ファミレスがあったのでそこに入った。
 僕はこのあと家で夕食があるから、サラダのみにしておいたけど、深実くんはトマトクリームのパスタとドリンクバーを注文する。
 店内は寄り道している学生で賑わっていた。暖かい店内にコートを脱いでいると、「あっちにいるのクラスメイトだ」とドリンクバーでジュースを取ってきた深実くんは、気まずそうにテーブルに顔を伏せる。
「えっ、あ──店変える?」
「いえ、注文しちゃったんで」
「僕だけ先に帰れば──」
「いやっ、そんな、いいですよ。話したいです」
 僕は深実くんを見つめて、「何かごめんね」とか言ってしまう。深実くんは首を横に振り、「先輩はつらい想いしてるから」と優しい声で言う。
「俺と話すのもつらいかなって、拒否られるのも覚悟してました」
「それは、深実くんが話をしようってきちんと声をかけてくれたから」
「ずうずうしくなかったですか?」
「ぜんぜん。僕もほっとした。いるんだね、ほかにも」
「俺たち以外にもいると思うんですけどね」
「そんな一箇所に集まらないよ」
「いや、集まるんじゃなくて、比率でいると思いますよ。一クラスに何人かはいるって聞いたことあります」
「クラスに」
「はい。それくらい普通ですよ、ゲイとかビアンって」
「……そうなんだ」
 でも少なくとも僕のクラスにはいない気がする、と頑固に思っていると、ウェイトレスがサラダを持ってきた。いそがしい時間帯のせいか、野菜は盛られたというより重ねただけで、それに白いドレッシングをかけて適当に仕上げてある。
「といっても」と深実くんはストローをグラスに刺した。
「全部、ネットの知識ですけどね。一時期、スマホで検索ばっかりしてた」
「はは、僕も。でも、引っかかるの、怪しいSNSとか掲示板ばっかりで」
「ネットは怖いですよね。発展場とかも怖いけど」
「出会いがどこにあるのか分からないよね」
「そうなんです。だから、よく知ってる親友とか、いい奴だって分かってるから余計に惹かれたり」
「中学からの親友ってことは、高校は同じ?」
「はい。クラスは違いますけど。今んとこ彼女はいないです。でもモテますね。何だろ、中性的というか」
「かわいい感じ?」
「美人って感じですね。頭もいいし、運動もそこそこ。マラソンとか耐久系は苦手らしいですけど」
「そっか。どうやって仲良くなったの?」
「前後の席になったんです。でも、ほんとに仲良くなったのは、次の席替えでまた前後になって」
「え、すごい」
「はい。それで、お互いに完全に懐きましたね。ふたりでまた別の男子のグループに属すより、ふたりで行動するほうが多くて」
「今は──あ、クラスが違うのか」
「最初は心配が二倍でした。俺クラスになじめるかなっていうのと、あいつクラスで浮かないかなとか。あいつもそうだったみたいですけど、お互い取り越し苦労でしたね」
 深実くんはストローをまわし、から、ころ、と氷が響く。
「中学時代は、『お前らデキてんの?』って揶揄われるくらい一緒だったんで。それに対して、『ふざけんな』っていうのは俺でしたけど──ほんとは、そういう奴らのノリに任せて、『つきあってみようか』とか言ってもいいんじゃないかとか考えました。でも、ダメだ、本気の話にしたらこいつの笑顔凍る、って必死で抑えて。あいつからそういう冗談もなかったし、ほんと、調子乗らなくてよかったです」
「……そっか」
「高校生になって、あいつにはあいつの友達とかもできて。遠くなりたくないけど、近くてすごくどきどきするのがつらかったのもあるから、よかったのかなとか……でも、好きだって俺の気持ちはいまだに勝手に育ってて。やっぱ、振られないと消えていかないのかなあとか思って、告白とかも考えるんです。どっかでは、両想いはなくても嫌悪はされないよなって甘えた期待があって、何か……」
 深実くんの声が消え入って、そのまま口ごもってしまう。僕は酸っぱいドレッシングがかかった冷たいレタスを噛みしめ、分かるな、と思った。
 僕も、僕たちなりに、強い絆があった。鈴里は僕を守ってくれる。堅くそう信じていた。まさか鈴里から攻撃が来るなんて、思いもよらなかった。だから、ついそのとき我慢すればよかった苦痛に負けて、想いを打ち明けてしまった。
 鈴里なら分かってくれる。ましてや吹聴するなんて。そう思っていたのに──
「深実くん」
「……はい」
「僕は、個人的にはゲイがストレートに告白するのは勧められない。でも、ゲイは気持ちを抑えるべきだなんて意見は、偏見だとも思うんだ」
 深実くんが顔を上げて、驚きの走った瞳で僕を見る。僕は曖昧に咲って、「人にそう言ってもらったんだけどね」とつけくわえる。
「だから、深実くんがすごくその親友の子を信じてるなら、打ち明けるのも友情かもしれないよ」
「友情……なんでしょうか」
「応えてほしい告白というより、自分を知っててほしいんだよね。それは、友達なら秘密は少ないほうがいいと思うし」
「………、先輩は、親友の人を信じてましたか?」
「うん。でも、裏切ったんじゃなくて、彼には同性愛っていうのが重すぎたんだ。ひとりで受け止められなくて、人に相談して。そこからたくさんの人に知られちゃったんだよ」
 深実くんが視線を下ろしたとき、「お待たせしました」とトマトの匂いが立ちのぼるパスタがやってきた。深実くんは何度かまばたきをしてから、「食べていいですか」なんて確認して、僕は咲ってうなずく。深実くんはフォークを手にして、赤いクリームがほかほかするパスタを巻きつける。
「先輩」
「うん」
「また、こうやって話とかできますか」
「えっ」
「告白とか、考えるけど、まだ考えるだけで。そんな勇気は結局ないし。先輩にしか、ほんとのこと話せないから」
「そっ……か。いいよ、もちろん」
「俺も先輩の話、聞きます。話してくれるなら」
「ありがとう。また、ゆっくり話していくね」
「はい。あ、連絡先いいですか」
「そうだね。通信でいい?」
「IDあれば検索しますよ」
「あー……」
 そのアプリは、事の発端で退会して削除したままなのだ。でも、いい機会だから新しいアカウントを取ろうか。家族との連絡がメールなのが、やっぱりまどろっこしくなってきていた。僕は深実くんにそれを説明しながら、その場でアカウントを作った。IDはゆっくり家で考えたかったので、僕が深実くんのIDを検索してつながっておく。
「いきなりメッセ飛ばしたりしたらすみません」
「ううん、いつでもどうぞ」
「先輩、今は保健室登校でしたっけ」
「うん」
「じゃあ、放課後に保健室寄ったりしてもいいですか」
「いいよ。下校時間過ぎて人減らないと帰れないから、先に帰ってるってこともないと思うし」
「分かりました。ほんとありがとうございます。先輩と話できないかなあってずっと思ってて、やっと叶った。嬉しいっす」
「はは、そっか。僕でよければ」
「ひとりで抱えこんでたことだから、話せて楽になりました。また話したいです」
「僕も、深実くんみたいな後輩がいてほっとした。頼りにならないけど、よろしくね」
 僕たちはなごやかな笑みを交わすと、手元の料理を食べはじめた。
 学校にまた来てよかった。そう思った。頑張って登校したから、少なくとも僕は深実くんの味方になることができた。自分に通じるこの後輩を、ひとりぼっちにせずに済んだ。全部、勇気を絞って再び登校を始めたからだ。
 このまま、しっかり卒業まで学校に通おう。深実くんの先輩でいよう。壱野くんの友人でいよう。理解してくれる先生たちの生徒でいよう。
 僕はひとりじゃない。一番そばにいてほしかった人はいないけれど、でも、その人ともいつか面と向かって話し合えるように。
 僕は学校に行く。負けずに立ち向かっていく。

第十二章へ

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