カラーサークル-17

ハートのチョコレート【2】

 中学生になって、南と司の関係はひび割れはじめた。司が急にいろんな女の子とつきあうようになったのだ。南を邪慳にすることはなかったけど、「今日はふたりで帰って」とか、女子との約束を優先するのが増えた。
 あたしは南と帰り道を歩いた。交わす言葉はほとんどなかった。
 南は急に泣き出すときがあった。司の名前が嗚咽に混じった。あたしはどうしたらいいのか分からなくて、ただ南の手を握った。司の無神経がいらついて、南の繊細がもどかしかった。「このまま」と南は別れ際に痛々しく腫れた目を向けてきた。
「司は僕のことなんかどうでもよくなって、僕と話すこともなくなって、他人になるのかな。せめて友達でいられるならいいと思ってた。でも、もう友達でもいられないのかもしれない」
 司。何だっていうのよ。あんただって、南が好きなくせに。いまさら女の子なんて、日和ってんじゃないよ。
 でも、だからといって、あたしが司に南の気持ちを伝えるのはずうずうしい。司の気持ちを南に言い切るのも出しゃばっている。だけど、南と司がばらばらになるのをただ見ているのも嫌だ。
 どうしたもんかなあ、と悩んでいたら、なぜか司に呼び出しを食らった。「次は久賀かあ」なんて言うクラスメイトに、あたしは露骨に嫌な顔をして司の元に行った。
 学ランの司はなぜかガンなんかつけてきた。ガンをつけたいのはこっちだ。「ちょっと離れるぞ」と司は歩き出し、あたしはうんざりと息をつきながらついていった。
「お前、南とつきあってるらしいな」
 屋上への鍵は開かないから、その手前であたしと司は向かい合った。「何だよ」とぞんざいな口調で眇目をしたあたしに、司はいきなりそんなことを言ってきた。
「は?」
「別にそれは構わねえけど。つか、……祝福するけど」
「………、」
「でも、その……」
 言い澱む司に、唖然としてしまった。
 つきあってるって。あたしと南が。いや、確かに毎日一緒に帰っているけれど。それは、司があたしたちをほったらかして女遊びをしているからだ。お前が勝手に離脱しておいて、「構わない」とか、何様だこいつ。南のほうは、今でも昔のように司と──。
 ふと、突然司はあたしを強い目で見た。
「見たんだ。お前、南を泣かせてるだろ」
「はあ?」
「何言って南を困らせてんのか知らねえけど、あいつを泣かせるなら俺は反対するぞ」
「あんたねえ、」
「南が泣いてても、俺は……」
 あたしは目を開いた。司の頬に、ひと筋だけど伝うものがあったのだ。
「俺は、そばにいられない……」
「……司」
「南が泣いてるのに、俺じゃないんだ」
 司は涙をはらって、それでもあふれるものに「くそっ」と舌打ちする。あたしは自分のセーラー服のえんじのリボンを見つめた。
「そばに、いたらいいじゃない」
「つきあってるなら、邪魔できねえだろうがっ」
「つきあってねえよ、よりによってあたしが邪魔するかっ」
「は……?」
「あんたが最低なだけなんだよっ。南が泣く理由だって、分かるでしょ!? 南の一番近くにいたくせに」
 司はぽかんとあたしを見た。言いたい。言っちゃいけない。言わなきゃこいつ理解しない。あたしがひと言言えば、もしかしたら──
「南と……、話をして」
「え……」
「あたしが好きなのはねえっ、南じゃないよ、司でもないよ、南と司なんだからっ」
 司のかたわらを通りすぎて、階段を降りようとしたあたしは、足を止めて息を飲んだ。踊り場に南がいた。また、泣いている。
 もう嫌だ。友達がいつも泣いている。友達のせいで泣いている。あたしは階段を降りると、「お願い」と南の腕をつかんだ。
「司の前で泣いてやって」
「巴……」
 南の細い声に物音がした。南がそちらを見て、あたしを見る。あたしはうなずいて手を離した。南は一度深呼吸すると、階段を駆けあがっていった。
 ふたりのつながりは、穏やかだった。テーブルの下で隠れて握り合った手。南の髪を撫でる司。幸せそうに咲う南。そんなふたりが好きで、あたしもそろそろ恋をしたくなった。
 高校二年生の終わり、バレンタインが切っかけでつきあうようになった男の子が現れた。大学に進学して、さすがにあたしも南も司もばらばらになって、しばらく連絡が途絶えがちになった。あたしは彼氏とうまくいっていて、大学三年生の年明け、ついに「卒業したら結婚しよう」と言われた。あたしはすでに卒業後はスタイリストのアシスタントとして働くことになっていた。それでも、もちろんバレンタインにOKするつもりだった。そして、結婚といえば、南と司はもちろんするだろう、どうしているだろうと久々に連絡を取ってみた。
 スマホなんてまだなかった。南はひとり暮らしを始めていて、なかなか電話で捕まらなかった。司は実家だったはずだと連絡してみて、おばさんの嬉しそうな声に愕然とした。
『司ねえ、二十歳のときにおとうさんになって結婚したのよー。紫ちゃんっていってね、すごくいい子なの。司ってしばらく南くんと親しすぎる気がしたから心配してたんだけど、本当に良か──
 ユカリ? まさか、ユカリって青木あおきゆかり
 青木紫は……あたしの、親友だ。高校時代からの親友で、司と南のことも知っている。ふたりがつきあっていることはさすがに知らないはずだけど──いや、分からない。そうだ、まさか。
 あたしは紫に連絡を取った。紫はすぐ電話に出て、「ああ、巴かあ」と気まずいようにも聞こえる声で言った。向こうで、幼い子供の声がしてめまいがした。
『高校卒業したときに、実は司くんに告白してみたの。友達ならって振られたけど、しばらくして「よかったら」って逆に告白されてね。巴は司くんの友達だから、恥ずかしくてどう言ったらいいのか分からなくて』
 住所のメモだけもらっていた南の部屋に行った。ドアフォンを鳴らしても返事がなくて、ドアノブを動かしてみると開いていて、一瞬ぞっとした。それでも部屋に踏みこむと、酒と煙草の臭いがひどく燻っていて、信じられなかった。南以外の誰かがいるなんて思いたくなくても、こんな中毒じみた臭い、そうであってほしい。でも、床に倒れて虚ろに酒に溺れていたのは、間違くなく南だった。
「バレンタインに返事する」なんて言ったから、もうとっくにチョコだって用意していたのに。普通のチョコの中に、ひとつだけ、いちごのハートのチョコが混じったチョコだった。でも、あたしはそれを彼に渡すことも、何か伝えることも、もうろくな連絡すらしなかった。南はいつも、優しさのない犯すようなセックスしかしなかった。気づいたときには、そういえばあの人に返事しなかったと思った程度で、南の子供を妊娠していた。
 南はバイトをしながら絵の仕事も重ねて、あたしもアシスタントなんて勉強させてもらっているくらいだから収入にならなくて。しばらく、かなりきつい生活が続いた。長男の響にだけは何か食べさせて、あたしと南は何も食べない日もあった。けれど、あたしの仕事がさいわい早く軌道に乗ったので、育児と家事は南に任せた。
 あたしはときどき、司に会っていた。隣には紫がいた。築が例の子供で、授ももう生まれていた。司は家族といるとき、ひどく不機嫌そうに当たっていて、たまに紫が何か言うと「うるせえ」といびつな目で彼女を黙らせた。
 ある日、またそれで場が沈黙になったので、あたしは司とふたりで話したいと紫に言った。紫はうなずいて子供たちと離れたところに行った。三人のすがたが見えなくなった途端、あたしは真っ先に司を引っぱたいた。
 そのへんのファーストフードだったから、周りがぎょっとこちらを見た。司は、睨み返してきたりしなかった。むしろ、今にも泣きそうに唇を噛んだ。「そんなに弱いくせに」とあたしは言った。
「南がいなきゃ生きていけないくせに。あんたたち、お互いがいなきゃぜんぜんダメじゃない。何なの? 何であたし、南の介護みたいなことやってんの? 南が泣くときは、あんたがそばにいるんじゃなかったの!?」
 司は、何も言わなかった。泣いていたのかもしれない。もう、わけが分からない。何のために、南と司は離れているの。法律? 常識? 外聞?

第十八章へ

error: