カラーサークル-29

双葉の頃から【2】

「おじさんとおばさんは、もう来てるみたいだけど」
「別行動よ。一緒に暮らしてもないんだし」
「大学どう?」
「鬱陶しいわね」
「俺も進路考えなきゃいけねえんだよな。高校って進路のこと言い出すの早い」
 あたしは築を見上げた。築もあたしを見下ろす。
「何」
「嬉しいの?」
「はっ?」
「あんたは昔から分かりやすいわよね。気に食わなかったら無口。機嫌よかったらおしゃべり」
「べ、別に、お前が来て喜ぶのは授とかだろ。俺は──」
「あたしが来たことが嬉しいのかとは言ってないけど」
 築は露骨に眉間に皺を寄せ、そっぽを向いた。やっぱり分かりやすい。あたしはちょっと咲って、「司さんと南さんに会いたいから」と築の家のひとつ手前の、おじいちゃんとおばあちゃんの家の前で立ち止まる。
「あとで挨拶に行くわ」
「今、うちうるさいぜ。奏もいるし」
「巴さんは?」
「撮影で南の島」
「すごいな。まあ、奏にも会いたいし、ちょうどいいわよ。明日の夜には帰るしね」
「大学ってそんな休みないのか」
「いろいろあるのよ。じゃあ、あとで」
「ああ」と答えた築は、当たり前に自分の家へと歩いていき、門扉のかんぬきに手をかける。あたしがそれを眺めていると、「何だよ」と怪訝そうにされる。「別に」と肩をすくめてあたしはドアフォンを鳴らした。
 築はさっさと家に帰っていく。ちゃんと帰るようになったな、と秘かにほっとして、インターホンから聞こえたおばあちゃんの声にあたしは「ただいま」と応えた。
「──雪姉、にいちゃん知らない?」
 幼い頃、築はしょっちゅう家出の真似事をしていた。小学生だから、そんなに大したものではない。せいぜい、駅前に紛れこんでいるぐらいだ。それでも、弟の授は心配して、築をよく捜しにいっていた。
「またいなくなったの?」
 あたしが来ているときは、授はあたしの協力を仰いだ。築と授は司さんの子供で、南さんの子供である響にあたしは本を読んでやっていた。あれは、あたしが十歳くらいのときだろうか。冬の昼下がりだった。あきれて顔を上げると、まだ幼稚園だった響があたしにしがみついたことがある。
「ん、どうしたの」
「……僕のせいかも」
「え」
「お前、にいちゃんに何かしたのか」
 少し声を大きくした授に響がびくんとしたから、「授」となだめてから響を覗きこむ。
「何? 響は人が嫌がることはしないでしょ?」
「お、……おにいちゃんって、呼んでいいですかって、……訊いた」
 声を震わせる響の言葉に、あたしは息をついた。不安そうにこちらを見た響に、「響のせいじゃないよ」とあたしは微笑んでその頭をぽんぽんとしてやった。それから謝って本を置くと、授に駆け寄る。
「響を責めるんじゃないよ。築が悪い」
「うー、分かってるよ」
「おとといも消えてたじゃない。あたしがいないとき、どうしてんの」
「頑張ってる」
 よく分からない返答に苦笑して、「大丈夫だよ」と響に言い置くと、あたしと授はマフラーや手ぶくろでもこもこになって家を出た。
 とはいえ、築も当時まだ八歳のガキだ。駅すらまだひとりで行ききれず、三十分くらい探せばすぐ見つかった。捕獲したのはあたしで、小学校のそばの人気のない公園だった。
「こんなとこにいたら誘拐されるよ」
 揺れないブランコに座ってうつむいていた築は顔を上げ、あの初めて会ったときみたいな捻くれた目をした。
「誘拐されたほうがいい」
「ふざけんな。帰るよ」
「ほっとけよ、あんたうざい」
「響にもそんなこと言ったんじゃないよね?」
 築は口ごもった。あたしはつかつかと築に歩み寄ると、乱暴に腕をつかんで立ち上がらせた。
「響に謝れ」
「嫌だ、何であいつに──」
「兄貴だろうが、あんたは」
「違うっ」
「響がどんだけ気を遣ったか分かんないの? あの子だって、あんたのこと『にいちゃん』なんてほんとは呼びたくないよ」
 そう言われると、かちんと来たらしい。築はあたしの手を振りはらい、その場に踏ん張って顔を背けた。あたしは白く色づく息を吐いた。
「あんたなんか兄貴として見たくないだろうけど、響は南さんと南さんの好きな人を思いやったんだよ。あんたは司さんと司さんの好きな人の気持ちを考えられないの?」
「何で男が好きなんだよ、気持ち悪い」
「いつまでそんなこと言ってんの。バカなの?」
「お前らのほうが、とうさんも南って奴も、みんなが頭おかしいだろっ」
「自分の家族を、そうやって認めないほうがおかしいよ」
「家族だから認めないんだ。変態みたいなことしなきゃ、……かあさんだって泣かなかった」
「おかあさんを言い訳に使って満足?」
 築がきっとこちらを睨んだとき、背後で授の声がした。あたしはもう一度ため息をつくと、かたわらに来た授の手をつかんだ。
「雪姉──」
「帰ろ」
「え、ああ、にいちゃんも、」
「こいつはどっかのおっさんに悪戯されたいらしいから、ほっとくよ」
「は?」
「お、おっさんって何だよっ。俺は、」
「誘拐されるって意味分かってんの? そういうことだよ。殺してもらえるとでも思ってるの?」
 築は眉を寄せて唇を噛んでいたけど、急に歩き出してあたしたちを追い抜いていった。「にいちゃん」と授が追いかけようとして、あたしは素直に手を離す。
「お前うざい」と築は授にも言っている。でも授は気にせず、あたしを振り返って「雪姉ありがと!」とあっけらかんとした笑顔で言った。あいつはほんと、築にめげないなあ──よくそう思った。
 おじいちゃんとおばあちゃん、そしておとうさんとおかあさんに迎えられて、軆の冷え切っていたあたしは、ひとまずこたつで味噌味の染みたお雑煮を食べた。「雪ちゃん、色っぽくなったねえ」とおばあちゃんは目を細め、「彼氏でもできたか」と相変わらずおじいちゃんは豪快に笑う。その発言にちょっと慌てた表情になる両親に噴き出しながら、温かい匂いに軆の端々がゆっくり溶けて生き返っていくのを感じた。柔らかに甘いお餅を味わい、おせちも食べさせてもらう。
 ひとり暮らしを始めて、インスタントかコンビニのお弁当ばかりだったから、手料理がありがたい。それから、熟睡していないのもあって、お正月番組を聴きながら微睡んだ。やっとはっきり目覚めて、「ちょっと隣行ってくる」と家を出たときには夕暮れになっていた。
 築たち四人へのお年玉を預かったあたしは、十歩も行かずに到着するお隣のチャイムを鳴らした。少し間があったあと、『どちら様ですか』とインターホンで南さんの声が聞こえた。「お隣の雪です」と名乗ると、「雪ちゃん?」と南さんの声が弾んだ。
『帰ってきたの?』
「はい。あけましておめでとうございます」
『あけましておめでとう。あ、すぐ玄関開けるよ。入ってきて』
「はあい」とあたしは門扉を開けて踏みこみ、玄関への短い階段をのぼる。中からすでに騒がしい音や声がしている。玄関に足がついたとき、門燈がぱっと灯ってドアが開く。
 顔を覗かせるのは南さんかと思ったら、「雪姉!」と笑顔を咲かせてきたのは授だった。
「授。あけましておめでとう」
「おめでと! 帰ってきてたんだなっ」
「え、築から聞いてない?」
「何と。にいちゃんだけには教えてたんですか」
「何でよ。朝、そこで会ったんだけど」
「にいちゃんは朝帰ってきてすぐ寝たなー。まだ降りてこないなー」
「ご立派な朝帰りね」
 あたしが息をついていると、「授、早く入れてあげなよ」と落ち着いた声がした。「お、確かに寒い」と授が身を引いたのであたしは玄関に入り、すると、そこに立っていたのは響だ。

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