Fade out
いくつか考えた構図を出版社にFAXで送ると、その中から採用が決まり、ほっとしたら眠たくなってきた。下描きはいったん休んでから始めたほうがよさそうだ。司もそうしたほうがいいとうなずいたので、僕たちは暖房をつけていた寝室に移って、ダブルベッドにもぐりこんだ。
スマホのアラームをセットするとき時刻を見たら、午前二時が近かった。僕はやろうと思えば昼寝もできるけど、司は明日も出勤だ。司本人より、僕がその軆を心配してしまうと、「大丈夫だよ」と司は暗闇でも上手に僕の頭を撫でた。
「南こそ、あんまり無理するなよ。売れてきたのはいいけどさ、こんな時間に採用決まるとか、出版社って休んでないのか?」
「仕方ないよ。作家さんも、みんないつも締め切りまでにとはいかないからね」
そう言いながら、司の体温にしがみつく。冬のベッドの中はまだひんやりしていて、お互いの体温が頼りだ。司も僕を抱きしめて、同じ柔軟剤の匂いをなじませる。
司に抱きしめられると、それだけで嬉しくて軆も温まってくる。今でも、夢みたいだ。何度も弾けた現実だから、余計に白昼夢のように感じる。いつから、この腕に抱かれたいと思いはじめたのかは憶えていない。司がたくましくなっていくのを見ながら、その軆にぎゅっとされたらどんなに幸せだろうと夢を見た。
叶わないと思っていた。僕は男で。司も男で。親友だった。学校は男同士なんてかたちも教えてくれなかった。
みんないつかは異性と結婚します。性教育で言い切った先生に、僕は自分の気持ちが怖くなって、苦しくなって、哀しくなった。僕は司とずっと一緒にいたい。女の子なんかいらない。僕が好きになっているのは、司だから──
司の鼓動が聴こえる。初めて抱きしめられたときのような早鐘ではなくても、とても穏やかに温もりを刻んでいる。
「南」
「うん」
「何か、こうやって毎日が一緒に始まって、一緒に終わるのっていいよな」
僕はくすりとして、「そうだね」と司のパジャマに頬を寄せる。
「昔と逆だけどな」
「逆?」
「昔は、朝になったら南に会えた。学校が終わったら別れた。今は、朝が来たら別々に生活しなきゃいけない」
「寂しい?」
「……いつも南といたい。南のそばにいたい」
司を見上げた。闇に慣れた瞳に、司の瞳が切なくそそがれる。
「南をたくさん突き放した。何回も、ひとりぼっちにした」
「司──」
「俺のいないところで泣かせた」
背中にまわる司の腕に力がこもる。冬服の分厚さ越しにも、司の筋肉の弾力が分かる。
「俺がいない昼間に、泣いたりしてないよな」
小さく咲って、「大丈夫」と僕も司の背中に腕をまわした。
「司はいつも、僕のところに帰ってきてくれる。夜になったら、この家で会える」
「……うん」
「幸せだよ。司が毎日、『ただいま』って言ってくれるんだ。僕と同じ家に帰ってくる」
名前を呼ばれて顔を上げると、唇に柔らかさが触れた。そして、今度は優しい瞳が僕の瞳にそそぐ。
「俺も、幸せだ。帰ってきたら、南がいる。一緒に飯も食えて、こうやって同じベッドで眠れる」
結ばれる瞳に僕は微笑み、少し考えてから、「カラーサークルって知ってる?」と訊いてみる。
「カラー……いや、知らない」
「一応、学生時代に美術で習うよ?」
「もう俺は受験生じゃないから憶えてなくていいんだよ」
「はは。あのね、じゃあ、虹の七色は分かるよね」
「んー、大体」
「虹の色を赤から始めて、紫まで並べて、赤紫でつないでリングにするんだ。そしたら、綺麗に色がつながる。青になっても、黄色になっても、きちんと色はつながる」
「あー、確かに、虹の色って段々になってるよな」
「うん。僕たちも、それと同じだよ」
「同じ」
「どんなことがあっても、同じところに戻ってくる。黄色で始まった日は黄色に。紫で始まった日は紫に。僕たちは帰る場所が同じだから、もう離れたりしない」
「どんなことがあっても」と司はつぶやいた。「そう」と僕は司の胸の上で睫毛を伏せる。
「今までだって、そうだった。どんなことがあっても、僕たちは僕たちに還った。これからも、そうなんだよ」
「……つらいときもあった?」
「うん」
「哀しいときも?」
「幸せなときがある。僕たちはいつもそのときに戻る」
「……ん」
「司と一緒に眠る。死ぬときだって、きっと僕たちは一緒だよ。そして、生まれ変わってまた幸せになるんだ」
司は僕を抱きしめた。ふとんの中は、ふたりの体温で暖かい。むずかしい話をしてみて、いっそう眠くなった。それを言うと、「俺も少し」と司は咲った。
「でも、南の言いたいことは何となく分かる」
「そっか」
「明日、またいつも通り『おはよう』って言うよ。だから──おやすみ」
司の吐息が耳にかかる。僕は目を伏せるまま小さくこくんとして、「おやすみ」とささやき返した。司はもう何も言わずに、僕の頭を撫でた。
毎日、こんなふうに一日が終わる。楽しかった日も。哀しかった日も。喜んだ日も。怒った日も。司と、世界で一番大切な、かけがえのない、愛している人と、意識は夜へと更けていく。
今まで、いろんなことがあった。これからも、いろんなことがある。それでも僕たちは、一緒にいる。
失われることのない循環の中で毎日が重なる。心臓が吐いて心臓に還る血のように温かく過ぎていく。そう、心臓が途切れる最期のときまで。僕は司のそばにいる。司の腕で眠る。
ここは僕だけの愛おしい居場所だから。ただいま。おやすみ。また明日。その約束に満たされて、柔らかな体温に溶けて、僕たちはやすらかな夢へとさらわれていく。
FIN
