ただの遊び
人と違うのが気持ちいいだけだ。本気じゃない。本気なわけないだろ。
俺だって、いつかはまともに女とつきあう。今は遊んでるんだ。ファッションだよ、俺が男と寝るのは。
照明が落とされて、音楽が空気を震わせるいつものミックスバーには、まだ仲間の顔がなかった。二十時半。早すぎたな、と思いながら、カウンターでドリンクチケットをビールに変える。
ボックス席のひとつを占領すると、それを飲みながら、ケータイで着信やTLをチェックする。
梅雨入りしたのに、雨が少ない六月だった。その熱気をビールで癒していると、「待ち合わせしてるの?」という男の声がかかった。顔を上げると、知らない男がグラス片手に通りかかっている。
「別に誰も待ってないよ」
そう答えて、俺はにっこりした。彼はカクテルに口をつけ、「じゃあ、隣いい?」と腰をかがめてくる。「どうぞ」と言うと、彼は俺の隣に腰を下ろし、「ここ、よく来るの?」と首をかしげた。その動作に、前髪のグリーンのメッシュが流れる。
「まあね」とそのメッシュに触れながら、「君も?」と俺は彼の瞳を覗きこんだ。「たまにね」と彼は俺を見つめ返して、顔を近づけてくる。
「キスしていい?」
「うん」
彼はグラスをテーブルに置き、身を乗り出して俺の頭に手をまわした。顔を向かい合わせて、キス。口の中に入ってきた舌は、酒の味がした。俺もその舌に舌を絡ませ、むさぼりながら彼の軆を手のひらでたどった。
彼はくすぐったそうに身をよじり、「ホテル行く?」とささやいてきた。発展場ではないここで、これ以上いちゃついても迷惑だ。「近くにいいとこあるから」と俺は彼の手を取った。
近場のモーテルで休憩を取って、部屋のドアを閉めた途端、彼は俺にキスをして首に腕をまわしてきた。二十歳の俺より、やや年上に見える。キスもわりとリードしてくる。
俺は彼の腰をつかんで、腰をこすりつけた。
「まだキスしかしてないよ」
窃笑した彼に、「でも、もうこんな硬いよ」と俺はささやく。
「君のも硬い」
「口でしてくれる?」
「うん」
安価なぶん質素な、やるためだけの部屋だ。俺はドアから離れていないベッドサイドに腰を下ろし、ベッドスタンドのコンドームを手に取る。「ん」と彼に渡すと、俺のジーンズの前開きを緩めていた彼は受け取り、俺の勃起を取り出してかぶせる。
「まじめだね」
「いや、中で出すとそっちが大変じゃね」
「はは。病気は心配じゃない?」
「それもあるけど」
「俺は正直よく分かんないから、してたほうがいいよ」
「俺も分かんねえや」
彼は咲い、唇を唾液でたっぷり濡らしてから俺を口に含んだ。ゴム一枚で過敏なほどには受け取れなくても、それでも刺激が走って、じんと血が集まるのを感じた。神経が剥き出しになったように、舌の動きや吸いつきを感じ、勃起がさらに硬く膨らむ。
彼は俺を喉の奥まで飲みこみ、根元からすすりあげて何度もこみあげさせる。うめき声をこらえながら、うまいな、と思って彼の頭を撫でた。すると彼は上目遣いで微笑み、頬張った俺のものを音を立ててしゃぶり、舌で舐め上げる。
「やばい……おっきい。欲しい」
彼は立ち上がって、ジーンズと下着を脱いだ。俺は彼のものを少し手でしごく。彼は俺に抱きついて、俺の耳を食みながら喘ぎ声をもらした。そうしながら、俺の腰にまたがって、自分で体内に俺の勃起を導いていく。
ため息が艶っぽく崩れる。俺は彼の先端を濡らすものを指に絡め取り、そのぬめりでさらに彼をしごいた。彼の中にぎゅうっと締めつけられるほど、俺もうめきをこぼす。彼は俺の腰に腰を落とし終えると、軆を揺すって息を吐きながら、俺と視線を重ねた。
「気持ちいい?」
「うん。動きたい」
「いいよ。突いて」
俺は彼の上半身を抱きしめ、快感がじわじわ広がる腰を浮かすと、彼の奥を突き上げた。俺の動きに合わせて彼はびくんと反応し、同時に俺の手の中の勃起も痙攣する。中を突きながら勃起をこすると、彼はしどけない声を出して、気を失わないようにするみたいに俺にしがみついた。
俺はそれに構わず腰を揺さぶり、彼の体内で自分をこすりあげて、くらくら立ちのぼる快感に息を切らした。彼はちょっとずつ意識を取り戻し、腰を使いはじめる。重みが俺の勃起を締め上げ、絶頂に達しそうな糸口が、ちらちら見えてくる。
「い……く、っあ」
彼の喘ぎにも、そんな言葉が混じりはじめる。「いきそう?」と訊くと、彼はこくこくとうなずいた。「俺も」と言った俺は、彼の唇を塞いで、口の中の上顎をなぞる。
途端、彼は大きくのけぞって、キスに応えることもできずに涎を垂らした。俺は指先で唾液をぬぐって、彼の耳元で「いっていいよ」とささやいた。その吐息だけでも彼はわななき、俺の背中に爪を立てて天井を向く。
「や、……ダメ、いくっ……いく、」
取り留めなく吐きながら、彼は激しく腰を振り、俺に勃起をしごかれ、ついにびくんと大きく震えると俺の手の中に射精した。その瞬間、俺もこらえていた糸を離し、彼をひと突きした刺激で全部出した。
俺はベッドに仰向けに倒れ、彼はその上に重なってくる。荒い呼吸で、お互いの胸板が上下する。無意識に閉じていた目をやっと開けると、俺は彼のグリーンのメッシュが入った髪を撫でた。
彼はぴくんと動き、俺に視線を向ける。まだ余韻のある表情で微笑まれて、俺は咲い返した。
「いきそうになってキスとか、君、エロすぎだし」
「口の中って、感じるから」
「んー……ほんとエロい。えーと……あ、名前知らないや」
「知らないままでいいんじゃね」
「そだね。あー、すっきりしたっ。このあとの仕事、集中できそう」
そう言った彼は身を起こし、俺のものを軆から出すと背伸びした。俺も起き上がり、右の手の甲に店の入場スタンプが残っているのを確認する。これが消えたらまた入場料とワンドリンク代だから、シャワーは浴びれない。
「俺は店戻るけど」と言うと、「俺は会社」と彼はベッドを降りた。
「残業をちょっと離脱してきただけだし」
「お疲れ。シャワー浴びてく?」
「うん。ちょっと待ってて、一緒に出よ」
彼は俺のこめかみにキスをすると、服を拾って浴室に行った。俺は脱いでいた下半身の服を身につけ、無造作にケータイを手にする。
ランプが明滅している。画面を起こして着信をチェックすると、凛那からだった。店に来ているらしい。凛那が来たということは、琴生も一緒だろう。
ほんとあのふたり仲いいからな、と思いつつ、今から店に行く旨を送信しておく。ほかにも着信はあるけれど、特にすぐ返すべきものはない。SNSを見ると、凛那と琴生のアカウントが同じドリンクの写真を投稿していた。
やっぱ一緒か、と思っていると、シャワーを浴びて服も着た彼が戻ってきた。「出れる?」と訊かれてうなずくと、俺たちは一緒に部屋を出て料金は割り勘で出し、モーテルをあとにした。
通りには、夜の匂いが濃厚にただよっている。道端でいちゃつくカップルも多い。ゲイバー、ビアンバー、ミックスバー、そういう店が集まる通りだから、カップルは男同士だったり女同士だったりする。
彼は店の前まで俺を送って、「じゃあね」と手を振って後腐れなく闇に溶けていった。俺はその背中を見送り、地下のさっきまでビールを飲んでいた店に戻る。スタンプで再入場をパスすると、音楽が響き渡る暗い店に踏みこんだ。
さっきより客が増えて、話しこんだりキスを交わしたりする奴らが多い。それを縫って店内を進んでいると、「美晴」と俺の名前が聞こえて立ち止まった。
「こっち。奥」
視線を向けると、一番奥のボックス席から凛那が手を振っていた。重そうなまぶたで、相変わらずかったるい感じの面だ。俺は人をよけてその席に向かい、凛那の膝に頭を乗せて椅子に仰向けに引っくり返る琴生も認める。
「よ。行きずりエッチどうだった?」
「どこから聞いたんだよ」
「マスター」
「よかったですが何か」
「よかったならよかったな」
「美晴もさあ、行きずりなんて愛がないことはやめて、パートナー持てばいいのに」
口を挟んだ琴生は、「キスー」と凛那の首に白い手を伸ばす。凛那は琴生の頬をさすり、身をかがめて人工呼吸のようにキスをする。俺は肩をすくめると、ふたりの向かいの椅子にどさっと腰を下ろした。
「そういうことって、部屋でやっとこうとは思わねえの? 同棲してんだろ」
凛那が顔を上げ、「そんなもん、」と琴生の髪を撫でる。
「ふたりきりでこんなキスしたら、やりたくなるだろ」
「だよー。男同士でルームシェアしてるという体の部屋から、そういう声出せねえじゃん」
「……っそ」
そんなことは気にしそうにないバカップルだが、一応気にするのか。
凛那と琴生。しょっちゅうこの店で会って、無駄話するふたりだ。茶髪でピアスの凛那は二十三歳のタチ。しっとりした美形の琴生は二十五歳のネコ。出逢った二年前から、すでにいちゃいちゃと仲が良かった。
都市のレインボーパレードで知り合ったそうで、マイノリティの仲間の前ではあけすけにつきあっていても、ふたりとも親や友人にはいっさいカムしていないそうだ。
「お前らって、結婚とかしないの?」
背もたれに寄りかかって、脚を組みながら訊くと、「ああ、パートナーシップとかできたよねえ」と琴生は膝の上から凛那の頬に触れる。「まともに暮らしてるならするけど」と凛那は琴生の手に口づける。
「今の俺たちは、法律に関して困るほどきちんとした同棲じゃないし」
「フリーターとニートだもんねえ」
「琴生、まだ働いてねえのかよ」
「面接に受かりませーん」
「受かっても、すぐに辞めるしな」と凛那が笑い、「俺は結婚したいなあ」と琴生は身を返して凛那の膝にうつぶせる。
「家事はやるからー。ごはん作って待ってるからー」
「よしよし。じゃあ、俺が社員になれたら結婚しような」
「えへへー。プロポーズごちそうさま」
「……今のがプロポーズでいいのかよ」と俺が臆すると、琴生はにやにやする。
「プロポーズするもされるもいない美晴には、この何気ない感じが分からないんだよー」
「美晴って、夜景観ながらプロポーズしたりすんの?」
「……女は、そういうの好きだろ」
「そういや、美晴はバイだった」
「バイなのか? いつか女とつきあうって話はするけど、いつもホテル行ってんの男じゃん」
「男とも遊んだことあるぐらいがちょうどいいだろ」
「遊びねえ……」
凛那はにやつきながらグラスのカクテルを飲み、琴生の後頭部を愛撫している。琴生は凛那の膝の上でごろごろして猫のようで、行儀悪く半分椅子からずり落ちながら甘えている。
「俺には、男なんて全部遊びだし」
「本気になった女いるのかよ」
「そんな女が見つかるまで、男はつなぎなんだよ」
「なかなか不愉快な感覚だなあ。ね、凛那」
「俺たちは男が本気対象だからな」
「それはそれでいいと思うけど。俺はそうじゃないから。もっと……普通だよ」
「俺たちも普通ですけどねー」と琴生は仰向けになってくすくす笑い、「美晴の好きにやってりゃいいよ」と凛那は琴生の額を撫でて口づける。俺は何となくむすっとしたあと、「ドリンクもらってくる」と席を立ち上がった。
人混みをくぐってバーカウンターに着き、空いている席からドリンクメニューを眺める。そうしていると、横から同じくドリンクメニューを覗きこんだ男がいて、俺は身を引いて「どうぞ」と言った。
そいつはこちらを見て、「これって全部酒?」といきなり訊いてきた。俺もそいつを見て、けっこうかわいいな、と思いつつ「ソフトドリンクはここ」とメニューの端を指さした。
【第二章へ】