幼い本音
聖樹さんに味方が増えるのはいいことだ。そう思う反面、増えたら僕はどうなるのかな、とかすめなくもなかった。取りまく人間に理解してくれる人が増えたら、そばにいると厄介な僕はいらなくなるのではないか。
だが、僕の私情を絡め、まさか否定して引きずりおとすことではない。救われるなら救われたほうがいい。そこで僕は、聖樹さんがかえって無理しないのは言っておきたくなる。
「聖樹さん」
『ん』
「一気に話そうとは、しないでくださいね。それができなくても、おかしくないですから」
『……うん』
「ゆっくり話すほうが、ご両親にもいいと思います」
『そう、だね。ありがとう。ふふ、沙霧に話して疲れてはいるんだよね。でも、一気にしておいたほうがいいかなと思う。後延ばしにしたら逃げそう』
聖樹さんはわりと柔らかに咲い、大丈夫かもなと僕は思った。
僕の家は壊れていたけど、壊れていたからこそ、最低限のものさえあったらどんなにマシだったか僕は痛感している。
僕の家庭にはなかったものが、聖樹さんの家庭にはあるのは確かだ。何だかんだ言って家に帰っている沙霧さんからも、それは窺える。
「じゃあ、悠紗とここで待ってますね」
『うん』
「分かってくれるように祈ってます」
『ダメだったら、なぐさめてね』
僕が咲って承諾すると、聖樹さんも咲う。そのあと夕食や戸締まりのことを言われ、悠紗とふたり放っておく詫びもされると、「じゃあ」と僕たちは共に受話器を置いた。ため息をついた僕は、悠紗をかえりみる。
悠紗は勉強の手を止めて、こちらを見ていた。「何?」と問うと、悠紗は視線を強くする。僕は当惑しながらも、悠紗に歩み寄る。
「どうかした?」
「おとうさん、沙霧くんにお話したんだね」
「えっ。あ、ああ。分かった?」
「うん。おじいちゃんたちにも話すの」
「みたい」
「……そお」
悠紗は複雑そうにうつむき、僕はそのそばに座った。
そうか、と思う。悠紗としては、つらいところだ。何やら、仲間外れのようなことになってしまう。
「萌梨くん」
「ん」
「僕、子供だからおとうさんのこと教えてもらえないの」
「え。まあ──そうかな」
「ほんとに」
「うん」
「おとうさん、僕に話したくないだけなんじゃないの」
どきりとして悠紗を見る。悠紗がそんな邪推を思い、かつ、口にするなんて慮外だった。
悠紗は唇を噛んで肩を震わせている。悠紗も、ついそう思ってしまう心に自己嫌悪があるようだ。
「そんなことないよ」と僕が言うと、「分かんないよ」と悠紗は泣きそうなのを突っ張ってこらえる声を発する。
「悠紗にそんなふうに疑われたら、聖樹さん、哀しいと思うよ」
「だって、おとうさんが話してくれないんだもん。ずるいよ。みんな教えてもらえて」
適切な言葉がなくてだんまりになっていると、悠紗は頬に水滴をこぼした。僕は悠紗の肩をさする。さいわい、振りはらったりされずに、むしろ抱きつかれた。
「悠紗──」
「僕、おとうさんに嫌われてるのかな」
「え」
「おとうさん、僕のこと分かってないんだよ。話しても分かるって思ってないの。僕が何でも分かりたいって思ってるの、見てくれてないんだ。分かってあげられなくても、でも、分かるようにされたら分かるかもしれないでしょ」
悠紗の背中を撫でる。悠紗のどくどく流れる涙に、僕の服が濡れていく。
「僕が嫌いなんだ。かもしれないだから、分かろうとしてくれないの。おとうさんは僕なんかいらないんだよ」
僕は困惑していた。こんなに自嘲する悠紗は初めてだ。
が、冷静になれば、その気持ちは容易につかめる。今までのほうが、何でそんなに強いのだろうと思えていた。
悠紗も聖樹さんの闇が気になってしょうがなくはあるのだ。教えてもらえないことに不安もあって、でもかきみだしたくなくて、精一杯の演技を張っていた。頼りにならない自分を責め、果ては聖樹さんの心まで曲解して──すごく苦しんでいた。
六歳だもんなあ、と思う。すべてを理性で処理していける年齢ではない。悠紗が大人びて弁別が利いているのは確かでも、かといって、幼さを無視しようとませているのでもない。わけが分からなくて、その分からないところを感情で埋めてしまうこともある。
聖樹さんや僕は、悠紗が賢いことに甘えすぎていた。悠紗はやはりたった六歳で、子供で、第六感は優れていても、分からないことのほうが歴然と多い。
「悠紗」
「ん」
「悠紗が『教えて』って言ったら、聖樹さんは教えてくれると思うよ」
「え」と悠紗は濡れた瞳を上げる。
「聖樹さんが悠紗を嫌いってことはないよ。聖樹さんは死にたいぐらいつらいんだけど、悠紗がいるから生きてられてるんだよ」
「僕がいるから死ねないって思ってるかも」
「そんなの、絶対にないよ。聖樹さんも悠紗に支えられてるって言ってた。もし、悠紗が言うみたいな理由で聖樹さんが悠紗のこと信じられてないんだったら、悠紗が聖樹さんに信じさせてあげないと」
悠紗は眉をゆがめ、涙に濡れた僕の服を見つめる。僕は悠紗の頭を撫でた。
「聖樹さんが、そういう理由で悠紗に黙ってるんだったら、悠紗が大切だからだよ。分からないから、安全なほうを取ってる。嫌われて失くしたくないんだよ」
「そんなん、ならないよっ。何で分かんな──」
「そう言って、聖樹さんに分からせてあげなきゃ。悠紗が何にも言わないから、聖樹さんは不安なのかもしれないよ」
悠紗は僕を見上げる。僕も見返した。「ほんと?」と悠紗は震えそうな声で言う。
「うん。悠紗が悪いんじゃないよ。悠紗も聖樹さんのこと想って、知らないふりしてるんだよね」
悠紗はこくんとする。
「聖樹さんもそれを分かってるから、悠紗に、気持ち出していいよってもっと言えなくなってるんじゃないかな」
悠紗はびっしょりした睫毛を、ゆっくりと上下させた。
独断ででしゃばりすぎかな、とは思っていても、今の悠紗にはずうずうしいぐらいがちょうどよさそうだ。悠紗が聖樹さんを猜疑しているのなんて見たくない。
「教えて、って言ってもいいのかな」
悠紗に視線を下げ、「うん」と言う。
「おとうさん、嫌がらない?」
「うん」
「ほんとに」
「聖樹さんだって、ほんとは悠紗に全部受け入れてもらいたいんだよ」
悠紗は眉を寄せて考え、素直にこくんとした。「言ってみる」と悠紗は決断し、僕は悠紗の頭をぽんぽんとする。
聖樹さんには悪いことしたかな、と思わなくもなかった。聖樹さんが悠紗に告白するのはいいことだと思う。ただ、沙霧さん、両親と記憶を掘り返したあとで、次は悠紗となると、さすがに疲れてしまうのではないか。
まあ、悠紗も聖樹さんが立て続けに傷を語っているのは承知している。疲れてるから今度にして、と言われてもひがんだりはしない。そういうところには悠紗は賢い。
「萌梨くん」
「うん」
「すぐ訊いてもいいのかな」
「え」
「おとうさん、いっぱい話してたあとでしょ。疲れてないかな」
僕は咲ってしまった。「何?」と首をかしげる悠紗に、「同じこと考えてた」と説く。「そっか」と悠紗も咲う。
「一回訊いて、今度にしてって言われたら今度にすればいいよ」
「今度に、話してくれる? 忘れないかな」
「悠紗がまた訊けばいいよ」
「うん。何かね、全部話さなくてもいいけど、適当には話してほしくないの」
「そう言ったらいいよ」
悠紗はうなずいてにっこりする。僕も咲い返しつつ、聖樹さんは恵まれてるよなと思う。
聖樹さんにしたら、すんなり受け入れられない言葉かもしれなくても、聖樹さんは周囲には恵まれている。悠紗も沙霧さんも、あの四人もいる。その恵みが聖樹さんの傷口に追いつけるかは別問題でも、聖樹さんはひとりぼっちではない。この悠紗がいれば、ひとりぼっちにはなれない。
僕には誰もいなかった。向こうではひたすらひとりぼっちだった。誰もいなくて、打ち明けも分かち合いもできなくて、意思など以前に溜めておくしかない。ここに来てだいぶ解消されたけれど、ひるがえって見れば、ここを失ったらしょせん逆戻りだ。
そして、ここは僕の本来の場所ではなく、向こうに連れ戻される恐れはたっぷりある──。
そう思うと、たまらない恐怖が湧き起こる。でも、目をそらすほかに落ち着く方法はなかった。
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