風切り羽-141

みんながいる

 僕はどんな顔をすればいいのか、上目になってしまう。「聞きましたよ」と葉月さんはおもしろそうにしてくる。
「鈴城さんちに入るんだよな」
「まあ、はい」
「俺、萌梨に血族者の家あるって考えてなかったんでびっくりさ。しかも修旅で逃げ出してきたとは。おとなしそうでやることやってたんだね」
「……はあ」
「縁切りかあ。いやはや。って、実は俺もです。同士です」
 葉月さんを見つめ、そういえば、と思った。法的にはどうか知らなくても、精神的には葉月さんは家族と縁を切っている。
 壊れてしまった家庭なんて、昨今そうめずらしくもないのだろうか。
「血のつながりって、冷めてたらくだらんのよね。ぬくぬくしてこそ、血は循環できて意味があるのさ。冷めてんならふっつりいけると思うよ」
「そう、でしょうか」
「そうそう。で、萌梨は聖樹の息子に。いいなあ、聖樹が父親。いいなあ。聖樹、俺、息子にいらない?」
「いらない」
「ケチ」
「ケチって。葉月は友達だし」
 葉月さんは聖樹さんを見ると、嬉しそうににんまりした。
 そのとき、「聖樹」と声がして僕たちは振り返る。要さんだ。紫苑さんと梨羽さんもいる。
 梨羽さんは今日もヘッドホンをしていて、タオルにくるまれた何か──おそらくすずめを抱えている。
「よかった、間にあった──んだよな。出るの何時?」
「予定は五十分」
「いま四十分──か。ぎりぎり」
 駅の構内をばたばたして眠気はほどけたようで、要さんに眠たそうな影はない。「すずめ」と言った悠紗に、葉月さんは紫苑さんの隣の梨羽さんの近くに行き、梨羽さんもタオルの中を悠紗に見せている。
 大切にしているようでも、飛べるようになったら逃がすだろう。飛ぶのを損なった何かを救ったのも、梨羽さんにはある種の懺悔だったのだろうから。
 沙霧さんは苦笑して肩をすくめ、僕と顔を合わせている。やはり四人といると気が張ってしまうようだ。
 鬱陶しそうに前髪をかきあげる要さんと聖樹さんは、年相応の会話をしている。
「っかし、紫苑に話聞いてビビったぜ。いつも俺たちの行動は突然だっつってるくせに、そっちこそ唐突」
「はは、ごめん」
「これでお別れになっちまうな。俺たち、月曜には発つんだ」
「そうなんだ。ごめんね、時間取らなくて」
「お前がへこんでなきゃいいよ。また来るし。そういや、親とかにも話したんだってな」
「あ、うん。話してよかったと思ってる。要たちのことも話したよ」
「俺たち」
「いろいろ支えてもらったって。僕に近寄るなって顔はもうされないよ」
 要さんは笑い、「嫌われてたっているぜ」と言う。
「しかし、それにしろこれにしろ、いきなりだな。急に思い立ったのか」
「まさか。考えてはいたんだ。ただ僕が自分の中に留めてたんで。このことも、話がかたまってきたあとで、萌梨くんに初めて話した。驚かせちゃったよね」
 聖樹さんにこちらを向かれ、僕は曖昧に咲った。要さんも僕に視線をくれ、にやにやとしてくる。
「聞いてた?」
「……まあ」
「そういうこと。今日でおいとまだな。家のこと、うまくいくと思うよ」
「そう、でしょうか」
「今度会うときは、鈴城ぽちだ」
「……萌梨です」
 要さんはからからとして、「鈴城萌梨な」と言い直す。そして、「結婚みたいだな」とまた笑い出し、聖樹さんと僕は顔を合わせる。
「ま、萌梨が聖樹たちといると落ち着くならそうしたのがいいよ。誰かいなきゃいけないのに、誰もいない奴って多いしさ。奇跡はありがたくもらっとくんだな」
 僕はこっくりとした。奇跡はありがたくもらっておく。そうだ。僕は今まで、誰かいなくてはならないのに誰もいなくて、ここでやっと聖樹さんたちを見つけた。仕向けられた奇跡のように。神様がそう言っているのなら、物にして大切にすべきだ。
 そうこうしていると、周りには人が増えてきて、聖樹さんと僕が乗る電車の放送も流れた。それで悠紗は今の状況を思い出したようで、僕たちに不安げな目を向けてくる。
 髪をいじる沙霧さんもこちらを向き、安心はしきれない瞳をする。
 要さんと葉月さんは、いたって普通に次回のライヴをぶつぶつして、紫苑さんも相変わらず興味がなさそうで、すずめを抱く梨羽さんだけ怯える目を向けてきていた。聖樹さんがその梨羽さんをあやしている。
 やはりただならぬ想いではある僕に、葉月さんの腕を降りた悠紗が駆け寄ってきた。
「萌梨くん」
 僕は悠紗を見て、「なあに」とその目の高さにしゃがみこむ。
「大丈夫」
「ん。……うん。怖い、かな」
「怖い」
「向こうの人に、会わなきゃいけないし。みんな、には会わなくていいのかな。でも、すれちがうかも。おとうさんには会わなきゃいけないよね。もう、顔見たくなかったのに。怖いよ」
「………、怖かったら、いっぱい怖がったらいいよ」
「え」
「怖いの隠してたら、みんな、萌梨くんはそのおとうさんといても平気って勘違いするかもよ。怖いことされたって知ってもらわなきゃ」
 悠紗と瞳を通わせ、「そっか」と笑んだ。そう、僕は怖がっていい。聖樹さんがいるのだから、怖がってもそこに襲いかかられはしない。押し殺したほうが不利だ。
 僕はあの人に父親とは思いがたいことをされてきた。そこを理解してもらえなければ、和解などという何も分かっていない方向になってしまうかもしれない。
 僕が望むのは絶縁だ。あの人が怖い。隠さなくてもいい。うんと怯えて、嫌悪していいのだ。僕は素直になっていればいい。
 僕としてはそれでひとまず落ち着いたけれど、悠紗はそわそわしている。僕の中での真っ先の恐怖は、あの街に再び足を踏みいれなくてはならない感情的なものだ。悠紗の中では、事が悪くなって、僕が帰ってこなかったときが最も恐ろしいらしい。
 無論、僕だってそれは怖い。が、怖いというより不安といったほうが正確でもある。悠紗がそうして僕の帰宅を望んでくれているのなら、帰ってこないわけにはいかない。そう思えばマシになる。
「帰ってくるよ」と僕は悠紗の頭を撫でた。
「えっ」
「僕にも悠紗たちがいなきゃダメなんだ。だから帰ってくる」
「萌梨くん──」
「悠紗が待っててくれたら、帰ってこなきゃって怖くなくなる。待っててくれる?」
 悠紗は僕を見つめ、強くうなずいた。僕は微笑み、「帰ってきて悠紗のギターも聴かなきゃね」と言う。これには悠紗は咲って、「萌梨くんに一番に聴かせる」と言ってくれた。うなずいて顔を上げると、みんなが見下ろしてきていて、何となくおもはゆくなる。
「萌梨と悠は兄弟になるんだよなあ。兄弟、兄弟っつうか──何だろうな、君たちは」
「家族だよ」と悠紗は腕組みをする葉月さんに断言する。
「うーん、兄弟はしっくり来んのに、家族だとしっくり来るのはなぜじゃ。聖樹と萌梨が、父親と息子っつうのもなあ。でも、家族だよなあ」
「そういや、萌梨って聖樹を何て呼ぶようになんだろ」
「えっ」
 腰をあげていた僕は、思わず聖樹さんと見合う。何と呼ぶようになるか。聖樹さん、は、聖樹さんだ。おとうさん、とは呼べそうにない。それを言うと、「だよな」と要さんも首肯している。
「ま、親と子供っていうのだけが家族じゃないか。今みたいな関係がいいなら、無理に変えねえのがいいんだろうな」
「そしたら、俺たちも四人家族みたいなもんだよねえ。つうか王室。女王とその家来。紫苑はナイト、要は乳母──」
「乳母!?」
「乳母じゃん。俺は国をよりよくする大臣」
「おまえはフールでいいと思う」
「フールって何?」
「宮廷がかかえるピエロ」
「ムカつくー。で、そこの女王とナイト、いっとき会えないんだから、お前らも何か言えよ」
 葉月さんがたたずむ紫苑さんの肩をたたいたとき、『特急電車が参ります』と放送がかかった。不安に荷物を抱きしめる僕の前に、紫苑さんが押し出される。
 紫苑さんの暗い瞳が僕にそそぎ、この人も親にひどいひとされてたんだよな、とあの火傷が脳裏をかすめた。やっと二桁になったという年齢で家族を散り散りにさせたほど、家庭を憎むしかなくなってしまった。
 紫苑さんは細い息をつくと、静かに口を開く。
「聖樹の家族になって、元の家とはっきりケリをつけるのはいいことだと思う」
「……はい」
「もう目の前に来れないように、きちんとしてきて。最後にしたかったら」
 うなずく。そう、紫苑さんはきちんとせずにおかあさんを逃がし、案の定、また心を引っぱたかれた。怖いからといってさっさとやっただけでは、忘れた頃におとうさんがやってくるかもしれない。いや、やってくるに違いない。
 おとうさんたちに会うのは怖い。だが、それで最後になって永遠に他人になれるのなら、その苦しさは以前のように虚しくはない。「きちんとしてきます」というと、紫苑さんもうなずいた。
 ベルが鳴って、速度を緩めていく特急がホームに舞いこんでくる。梨羽さんのそばにいた聖樹さんは僕の隣に戻ってきて、地面に置いていた荷物を取る。
 僕は悪くなる心臓に唇を噛んだ。
 大丈夫だ、と心に言い聞かせる。きっとうまくいく。あそこで苦しんでいるのを分かってもらえたら。ここにいたらやすらぐのを分かってもらえたら。そしたらきっと、僕はここにいるべき人間だと認めてもらえる。
 僕はあそこでは、自尊心も何もない人形だった。もしあそこにいるべきだという人がいたら、そちらがおかしい。僕は何も間違っていない。自信を持っていい。僕だって感情を持った人間なのだから。
 特急がなめらかに正面に停まり、僕はほどいた唇で息を吐いた。
 みんなを一度見まわすと、僕は聖樹さんに肩を押されて開いたドアに歩き出した。すると、突然服をつかまれてどきっとした。

第百四十二章へ

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