にぎやかな夕食
できあがった夕食は、要さんや葉月さんもつまんだ。別々に隅でおとなしくしている梨羽さんと紫苑さんには、聖樹さんが小皿に取り分けたものを渡す。わりと素直に受け取り、素直に食べていた。
僕は座卓のそばに座って夕食を取り、聖樹さんもそうした。悠紗もゲームにキリをつけるとやってくる。
核家族専用である部屋に、七人もの人間がつめこまれると、さすがに狭い。でも、調和する空気に不快感はなかった。
「ほんとにさっき帰ってきたの?」
床に置かれた天ぷらが盛られた皿に手をつける要さんと葉月さんに、聖樹さんはそう訊く。
「えー、いや、今朝かな」
「昼だって。お前寝てただろ。ったく、ひどかったんだぜ。このガキどもは、俺ひとりにずうっと運転させやがってよ」
床をのたうつ要さんを、「しょうがないじゃん」とビールの缶をつかむ葉月さんが一蹴する。
「免許持ってんの、お前ひとりだし」
「そういう問題じゃないんだよ」
「そういう問題だろ」
「お前取れよ」
「今度な」
「それで何年来てると思ってる」
「まあまあ」と聖樹さんがふたりを収める。悠紗は楽しそうにくすくすとして、漫才みたいだなあと僕も思った。
「昼に着いて、今まで何してたの」
「ブッキングの確認とかなー」
「フライヤーばらまいたりもしてた」
「ばらまく必要あったんだ」
「いやあ、ありがたいことに前売りはソールドアウトです」
「良心程度に当日券残してるしな。あ、そういや掃除してくれてたな。ちょっと待ってな」
要さんは起き上がって立ち上がり、音楽を聴いてうずくまる梨羽さんのところに行く。要さんの広い背中が陰になり、何をしているかは窺えなかった。「梨羽ちゃん」と、なだめるような要さんの声は聞こえる。
「今回も、やるのはいつものとこ?」
「恒例行事ですね」
葉月さんは天ぷらをあさり、「えびがない」とぼやく。
「梨羽は大丈夫?」
「さあ。先週までうろちょろしてたしな。エピレプシー直前まで休ませてやろうとは話してる」
「そう」
「こないだすごかったのよ。歌というより悲鳴でさ。病院行ったほうがいいんじゃねえかって、マジで要と相談しちゃった」
「倒れたとか」
「精神的なほうだな。まあ、軆も。ここに来るあいだにマシになったけどさ、その前はがりがりになっちまってた」
「無理させるの、やめてあげてよね」
「ところが、あいつは俺たちの言うことなんて聞いてくれませんの」
葉月さんが安っぽく涙を拭く仕草をしていると、要さんが何かをひらひらとさせて戻ってくる。
「バイト代な」と聖樹さんと悠紗に渡したそれは、現金ではなくライヴチケットだ。三枚ずつある。悠紗のを見せてもらうと、日づけが一枚ずつちがって、どうやら十三日の金曜日から週末へ、三夜連続であるらしい。
「要」
「んー」
要さんは床に転がり、聖樹さんに空目使いをする。
「今回の掃除、萌梨くんも手伝ってくれたんだけど」
どきっと聖樹さんを見た。「そうだよお」と悠紗も同調し、さらに僕は狼狽える。
「ほお」と要さんに眇目で眺められ、別に恩に着せるつもりのなかった僕は、恥ずかしくなって顔を伏せた。すると、葉月さんが噴き出し、要さんはにやにやとした。
「最近のガキにしてはよくできてるな。けっこうけっこう」
顔を上げかねた。褒め言葉だろうか。うつむくままでいると、「いいよ」と要さんは言った。
「聖樹の目にかなった奴だしな。報酬も報酬。今度チケットあげるよ」
「使わないかもしんないけどなー」
「なー。ま、ご招待の意味をこめて」
「しかし、坊やは俺たちが何者か知ってんの」
「えっ、あ、まあ」
「っそ。内容も知ってる? 俺たちはどぎついよ。合わない奴だと虫唾が走るの」
「僕は好き、ですよ」
まじめな発言に、なぜか要さんがげらげらとした。まごつく僕に、「いや、ごめん」と要さんは笑いを収めこむ。
「君、どう見ても、うちのヴォーカルにビビりそうだろ」
「聴いたことあんだね」
「CD、で」
「あ、そっか。そんなん出してたなあ。ライヴ中心なんでどうも」
「ライヴはあんなもんじゃないぜ。特に梨羽。ありゃ二重人格だね。ま、来てみ」
「はあ」
僕はいかの天ぷらをかじり、軽いなあと思った。こういう速度の会話には不慣れだ。加わるとつまずきそうでも、聞いている限りではおもしろい。
「梨羽といえば、マジでこないだ来てたぜ」
要さんは真顔になって、聖樹さんを向く。
「葉月も言ってたね」
「っとに。看板失くすかと思ったよ」
「交代でバカやらないか見張りしちゃったもん」
「聖樹、どうにかしてやってくれよ」
「僕」
「梨羽にとっては、お前が一番神様に近いんだよ」
「はあ」
「そのうちあいつは、歌うのに切れて自分で喉かっきるぞ」
怖い逆睹をして、葉月さんは高笑いする。
「ライヴして平気なの?」
「まあ、ここだしな。お前もいるし。どっちにしろ、帰ってこようとは思ってたんだ」
聖樹さんは閉じこもる梨羽さんをかえりみて、「梨羽が嫌がらなければね」と言った。
要さんはうなずき、新しい缶ビールを引っ張り出す。「俺も」と言う葉月さんにも投げてよこし、けれど聖樹さんには勧めない。聖樹さんはお酒は飲まないのだっけ。
えびを欲しがった悠紗と天ぷらのかえっこをしたりしつつ、二重人格か、と反芻していた。聖樹さんも、梨羽さんについて似たことを言っていた。梨羽さんはやはり、そのへんの歌手とは違うようだ。
梨羽さんをちらりとした。ヘッドホンをつけて部屋の角に収まり、抱えた膝に顔を伏せている。
おとなしい、というか、暗い。僕も暗いけれど、別種の暗さだ。暗いといえば、紫苑さんも暗い。紫苑さんは依然ギターを抱き、黒体のような瞳をしている。紫苑さんの暗さも、また別物だ。
梨羽さんと紫苑さんが、バンドなるものに加わったのは驚きだ。あのふたりは、そうした集団性の物事は拒絶しそうなのに。ステージに上がってあの暗さがどう変貌するのか、見物ではある。
天ぷらの皿が空っぽになると、要さんは床に転がって雑誌を読み、葉月さんはゲームを始めた。葉月さんは沙霧さんに並んでゲームに熟練しているようで、悠紗はその隣に座って手捌きを見物する。梨羽さんと紫苑さんは変わらずじっとしていて、聖樹さんと僕は片づけをした。
キッチンから仕切り越しにリビングを覗くと、光景が客観的に映った。いつのまにか、床にはつぶれた空き缶やつまみのふくろが散らかっていて、部屋も酒気してきている。
騒ぎは夜更けに及んだ。悠紗は眠気も忘れ、ふた昔も年齢が違う人たちと対等に話している。要さんと葉月さんは、ゲームをしたり、雑誌を読んだり、酒をあおったり、いい組み合わせであるのを伝えてくる。紫苑さんは隣にギターを従え、膝に顔を伏せて──どうも寝ている。
聖樹さんは、うずくまる梨羽さんの隣に行く。特に話しかけたり態度でしめしたりはしなくても、聖樹さんが隣にいると、梨羽さんの怯えた拒絶はわずかにやわらいだ。
僕は要さんや葉月さんの軽妙な会話に構ってもらう。普段のここの穏やかな空気も、向こうでは知り得なかったこころよいものだ。けれど、この相対する明るい騒がしさも意外とそうで、調和していられた。たぶん、要さんたちが、がさつではあっても無神経ではなかったおかげだと思う。
XENONの面々が部屋に帰っていったのは、日づけが変わって間もない頃だった。悠紗もさすがにあくびを始めて、「しばらくはここにいるしな」と四人はぞろぞろと立ち上がった。目立つゴミは要さんと葉月さんが回収し、聖樹さんと悠紗と僕は玄関まで見送りをした。
梨羽さんと紫苑さんの声は聞かずじまいで、要さんと葉月さんは「いつでも部屋に遊びに来なさい」と悠紗と僕に言った。聖樹さんには何となく歳相応の顔つきになり、「元気そうでよかった」と言う。なぜか聖樹さんはその言葉に少しつらそうに笑み、「そっちも」と返した。紫苑さんの一瞥や梨羽さんの凝視にも聖樹さんはそうやって微笑み、それを見届けると、四人は鈴城家をあとにした。
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