不謹慎な奴ら
紫苑さんが音もなく帰ってきて、梨羽さんに託していたギターを回収すると、今度は要さんがシャワーを浴びた。
その躊躇のなさは、まるで家族だ。他人が使った直後の風呂って、躊躇わないだろうか。
しかし、僕もどうこう言えない。鈴城家では僕も他人だ。聖樹さんたちは僕が入った後のバスルームを嫌がらないし、僕もそうだ。僕は、家で風呂に入るときのほうがよほど緊張していた。
家か、と心で繰り返す。スティックまわしをして悠紗に賞賛される葉月さん、ギターを寄り添わせる紫苑さん、沈みこむ梨羽さん、要さんが入っていったバスルームへの引き戸をたどり見て、みんな家には帰らないんだなと思った。そんなそぶりもない。
不安定は否めない音楽に進み、反対されたまま勘当同然になっているとかなのだろうか。それとも、帰りたくない理由があるか──
禁断に触れた気がして、どきんとする。
視線は、つい梨羽さんに向いた。依然かたくなに外部を拒絶し、孤立を守っている。
あの人の書く詩は強烈に濃厚で、歌手なのにそれを歌い放つのが嫌いだ。そんな孤独の中枢に、家での問題があるとしたら。みんなして実家に帰らないのも、家に帰れない梨羽さんについておかなくてはならないためだとしたら。
僕はポップコーンのふくろを握る。違う。妄想だ。幸せな家庭が多くないのは知っているけれど、全家庭が崩壊しているわけでもない。僕が気にすることでもない。この四人が、ここが実家だというのなら、それでいい。
くだらない詮索をそうくくったとき、突然頬をつねられた。驚いて顔を上げると、葉月さんだ。
「そういう聖樹みたいな顔、構ってやりたくなるなあ」
聖樹さんみたいな顔──それが、あのおっとりした微笑ではないのは明らかだ。葉月さんは手を引くと、「何?」と言った。僕は首をかたむける。
「聖樹がそういう顔するときはさ、決まって何か訊きたがってんだよね」
「………、あの、別に」
「構わないよ。俺は、自分が秘密主義にするほどおもしろいもんじゃないの知ってるもん。わざわざ語るもんでもないか。訊かれりゃ焦らさないよ」
葉月さんは体勢を直し、手にするスティックを悠紗に渡した。悠紗は再びスティックをもてあそぶ。
「さあ、何かな」
ぎこちなく座りなおすと、「家には帰らないんですか」とこわごわ訊いてみた。葉月さんは拍子抜けし、「ここじゃん」と即答する。
「いえ、その、ここというか──」
うまく続けられない僕を見つめ、「ああ」と笑って葉月さんは脚を崩す。
「実家のこと」
「聖樹さんに、みんな近くの中学を卒業したって聞いて」
「そっか。うん、そうだね。答えましょう。俺と要は、家族にめちゃくちゃ嫌われてんの。で、ここにはたまに俺たちが帰ってくるんで、向こうが遠くに引っ越してる。梨羽はいるけど、あのざまにとまどい気味でうまくいってない。紫苑は家がない。はい、おしまい」
「え、な、ないって」
「本人に訊こう」
しめされた紫苑さんを盗み見る。紫苑さんに変化はなく、話しかける隙もなかった。
葉月さんは僕が手にしていたポップコーンを奪い、口に投げこんでいる。この人は、家族にめちゃくちゃ嫌われている、のか。
「あの」
「ん」
「嫌われてる、んですか」
「俺?」
僕がうなずくと、「嫌われてるよお」と葉月さんは笑う。
「つうか、拒否されてんの。俺、まあ要もね、人間のクズがやることをやってきたんだ。で、親もそう感じて、『あんなの自分たちの息子じゃない』って縁を切った。俺は懺悔しないし、家族はかばうのが怖かったんだ。まともだよ。俺をかばえば、同じクズになる。しょうがなかったんじゃないの」
葉月さんの口調は軽い。悠紗は僕の隣でスティックまわしに励んでいる。
親にも背かれる、人間のクズがやること──って、何だろう。
問おうとしたとき、ドアフォンが鳴った。葉月さんはぱっと立ち上がり、あっさり僕との会話を捨てていってしまう。
視線が床に落ちる。悠紗が語っていた。音楽を始める前、この四人はたくさん悪いことをした。読みあさった雑誌にも、隔離教室にされていたと記してあった。
この四人は、加害者だった。その、人間のクズがやる害悪で、隔離されていたのだろうか。
「お待ち」と葉月さんが食べ物をかかえてくる。六人ぶんの大量の昼食は、床の荷物のすきまに雑多に広げられた。
別種のピザが二枚、フライドチキン、フライやグラタン、サラダ、片っ端に注文したような取りあわせだ。「飲み物は早い者勝ち」と言われ、僕はゆいいつ飲めそうな烏龍茶をもらった。
不意に、ぬっと手が伸びてきた。犯人は、すぐ後ろに来た梨羽さんで、その白い手はグラタンを奪う。それとオレンジジュース、破ったピザのふたに何切れかのピザを乗せると、梨羽さんはごそごそと隅っこに帰っていった。
僕は硬直していた。梨羽さんのヘッドホンがもらしていた激しい音が、耳に染みつく。梨羽さんはグラタンを開き、使い捨てスプーンでうつむきがちに食べはじめた。
紫苑さんも、同じく欲しいものを取って身を引いていった。「愛想ないねえ」と葉月さんがフライドチキンを食いちぎったところで、足で引き戸をあけた要さんも帰ってくる。
要さんは肩にかけたタオルを荷物のあたりに放ると、僕と葉月さんのあいだに腰を下ろした。要さんも同じシャンプー、石けんの匂いがした。
「帰ってきて飯があるっていいよなあ」
「俺はさっき、その幸せをお前に求めたんだけどね」
「ふん。わざとしたんだよ」
要さんもフライドチキンの包みをあけた。ピザを食べる悠紗は、蕩けるチーズに慌てふためいている。僕はミートソースのかかったピザをかじった。
「で」と葉月さんはこちらを向く。
「何だっけ」
「はい?」
「話してたじゃん」
「あ、いえ、いいですよ。一応分かりました」
「そお」
「何だよ、話って」
やりとりに挟まれる要さんは、葉月さんと僕を交互に見る。僕はどう説明すればいいのか分からず、コーラを飲みこんだ葉月さんが口を開いた。
「俺たちの話」
「俺たちっつうと」
「君も入ってる」
「何だよ、俺は自分のことは自分で語るぜ」
「やだねえ、自己顕示って」
葉月さんは眉を顰め、フライドチキンの皮を歯ではぎとっている。
「そんなんじゃねえよ。おいぽち、こいつの言うことを丸ごと信じるなよ」
「……萌梨です」
「萌梨。いいな」
「はあ」
「人聞き悪いなあ。俺は嘘は言わないよ」
「お前を物を率直に言いすぎんだよ」
「嘘よっかいいじゃん。なあ」
同意を求められても、曖昧に咲ってしまう。
悠紗はオレンジジュースのプルリングを開けようと苦戦していた。僕は悠紗を制し、その缶を取る。
「で、何話してたんだよ」
「えー、俺たちが実家に帰ってないことだよな」
こくんとして、代わりにプルリングを開けたオレンジジュースを悠紗に渡す。悠紗は照れ咲いして、缶に口をつける。
「ほら、俺たち、野郎四人でここですし詰めになってんじゃん。怪しみますよ、誰だって」
「話したのか」
「だいたい」
「………、萌梨、どう聞いたかを言え」
「あ、信じてない」
「え、と、要さんも葉月さんも家族はうまくいってないって。似た感じ、みたいな」
うまく言えない。要さんは案の定渋い顔つきをして、フライドチキンを飲みこむと葉月さんを向く。
「似てるか、俺たち」
「梨羽と紫苑に較べりゃ近いっしょ。あ、それで俺と要が親に嫌われてる理由になったんだよな。人間のクズの行為をやって、親にも拒絶されたと。うむ」
「お前はクズと認めたか」
「クズならクズで、それが俺のご身分なの」
「あっそ」と言った要さんの飲みものはジンジャーエールだ。長い指で缶をつまみあげ、刺激の強そうな液体を喉に流しこむ。炭酸が飲めない僕には信じられない。
「クズ、か。そうだよな。ちょうど萌梨の歳の頃か、クズ真っ盛りの俺たちが逢ったの。十三、四だろ」
「十四です」
「十四ねえ。俺は十四のとき、自分がベースやってるとは思ってなかった」
「俺も要が言い出すまで、ドラムに触るとは思ってなかった」
「音楽なんか興味なかったもんなー」
要さんはポテトを何本か口に放る。僕は音楽に愛着がないのかを質問してみた。要さんはたやすく肯定する。
「俺がベース弾いてんの、梨羽のためだし。あいつがいなきゃ、捨ててもいいや」
「俺も梨羽のためにたたいてんの。梨羽は、俺たちの音でしか歌わないんだよね」
「梨羽──紫苑もだけど、あのふたりには引き抜きのお声がかかりまくってるんだよ。梨羽たちは、聞きもせずに全部蹴ってるけど」
「引き抜き、って」
「このバンド抜けろってこと。そんなテクニックかぶれの土台でやらずに、もっといい環境でやりませんかって。褒めてんだか、けなしてんだか。後者だな、音楽だと」
「テクニック……かぶれ」
「俺と葉月は、演奏に感情をこめないんだよ。計算なんだぜ。俺たちもあのどぎついふたりみたくしてたら、いよいよ千摺りショウの始まりになっちまう」
「せんずりって何」と外周のパンをかじる悠紗は質問を欠かさない。「君は今知ってもしょうがない」と返した要さんに、「えー」と悠紗は抗議する。
「ま、中和なんだよね」
葉月さんはフライドチキンを骨にすると、骨は包みにくるんで箱に捨てる。
「ほかのやり方があるのも知ってるよ。あっちを立てるように、感情出すのもさ。俺たち、そんなんできないの。俺たちを結びつけてんのって、音楽じゃなくて精神的なもんなんだ。それが分かんない奴は、俺たちの音楽も絶対分かんないね。話持ってくる奴も、分かってないんだよ」
要さんに説明されるのをあきらめた悠紗は、こちらに睫毛をぱちぱちとさせている。
「俺たちはさ」と要さんが葉月さんを継いだ。
「音楽やりたくて集まったんじゃないんだ。一緒にいたんで、何かやるかってなっただけ。本気でやってる奴には、不謹慎ではあるよ」
「聖樹さんに、ヒマつぶしで始めた、って聞きましたけど」
葉月さんは噴き出し、「チクったな」という要さんももちろん怒らずに笑う。
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