隔離された教室で【1】
「切っかけはな。そう、それが萌梨の歳の頃。昼間っから煙草吸いながら、ポルノ雑誌見てんのに飽きて、適当なヒマつぶしに思いついたのが音楽だった。すでに梨羽はいつもCD聴いてて、紫苑はギター背負ってたからな。つっても、そんときは、あのふたりは俺たちに警戒してたぜ。こっちは遠巻きに見物しててさ。同じ部屋につめこまれてても、口もきかなかった。バンドには、無理やり引きこんだんだ。音楽始めてこうなって、こんなに続いてんのはマジで偶然」
「中学生のとき、ですよね」
「あ、授業どうしたって思ってる? 思うよなーっ」
「……隔離教室って」
「ありゃ、知ってんの。聖樹か」
「いえ、何かの雑誌で」
「そっか。そう、そうなの。俺たちってなんでも更生、順応、同列にしたがる個性搾取施設にも見離され、隔離されてたの」
「お前の言い方だと、あのあつかいが誇らしく聞こえる」
「誇らしいじゃん。俺たちは選ばれたんだよ」
要さんは考え、「俺たちの感覚じゃあな」と肩をすくめる。
「別室登校とは違うんですよね」
「あれは、教室にいたくないっつう自分の意思だし」
「普通の教室にいさせたら厄介なんで、学校側が隔離するんだよ。しばらくそこにいさせて、一般教室に戻すってなってたけど、建前だな。俺は、結局戻らずに卒業したし」
「俺も。そしてあのお二方も」
梨羽さんはピザをのそのそと食べ、紫苑さんは僕と同じ烏龍茶を飲んでいる。
隔離教室。僕の通っていた中学校には、そんなのはなかった、と思う。
厄介な生徒を、一般教室から隔離する。悪い制度だとは思わなくても、教室という場所ではキリがないのではないだろうか。僕は教室でさんざん傷ついていた。だが、最終的に教室を離れたのは、向こうではなく僕だった。
「厄介っつっても、校則違反とか、先公に楯突くとかではないぜ。もっと道徳的なことを損なう奴。俺はそれだよ。で、教室をはねられた」
フライドチキンを平らげた要さんは、ピザをひと切れ取ると、僕ににやにやとする。
「萌梨はイジメって知ってる」
「えっ、あ、はあ」
「俺はあれをしてたんだよ」
「は?」
「俺はイジメをやってた。クラスの醜男を蹴って殴ってゴミあつかい。同級生も矛先が怖くて俺にへつらい、果ては相手は屋上から投身自殺」
「自──」
「俺はイジメって感覚なかったけどな」
すらすらと並べられ、動揺するヒマもなかった。要さんがピザに口をつけて言葉を切り、やっと茫然とする。
イジメ。イジメを、していた。されていた、ではなく、していた。蹴って殴って──自殺。
ピザを飲みこんだ要さんは、僕に笑んだ。拒否より畏怖が来る。
「………、な、何とも、思わないんですか」
かろうじて発せた僕の問いを、「思わない」と要さんはひと蹴りした。
「いつかそうなるの分かってたし。こんなのむごく聞こえると思うけど、俺にはそいつにそう当たるのが当たり前だったんだ」
「あたり、まえ」
「合わなかったんだよ。殴ってんのが面倒なくらい鬱陶しかった。でも、やらなきゃいけなかった。友達のふりで仲良くやるより、『消えてくれ』って頼みこむあつかいをやるほうがマシだった」
閉口した。要さんはピザの面積を削らせる。口を挟まない葉月さんもピザを食し、悠紗は要さんをじっと見ている。
「分かんなくていいよ」と要さんは少し優しく言った。
「それが普通なんだ。そいつが死んで、理解できないって奴をたくさん見てきた。親には引っぱたかれて、先公には睨まれて、相手の親には恥知らずだって言われた。それが正しいのは分かってる」
要さんを見る。要さんは不謹慎な笑みを絶やしていない。
「でも残念ながら、これが俺なんだ。正しいことができない。傷つけるむごさが分からないクズなんだ」
どう受け止めるかとまどっていると、悠紗が僕の膝に手を当てた。悠紗の瞳は不安げだ。僕が要さんを嫌いにならないか案じている。
悠紗は、要さんを怖がったり憎んだりしていない。あの厳しい目を持つ悠紗が。軽蔑も憎悪もなく、要さんを親愛している。
まだそうした悪感情を知らないから、というのは悠紗には成り立たない。悠紗はきちんと要さんを識別し、心を許したのだ。
けれど、悠紗は聖域を破壊される絶望感を知らない。悠紗は、破壊する人間ははなから拒むだろうから。
聖樹さんはどうだろう。聖樹さんは心に傷の沼地を持つ人だ。でも侮蔑したりせず、要さんを友人として見ていた。許したのだろうか。許せたのだろうか。まさか知らないとか──まさか。
「あの」
「ん」
「聖樹さんは、知ってるんですか」
「………、知ってるよ。もっと詳しく」
「理解、してるんですか」
要さんは笑って、「するわけないだろ」と言った。
「そうだな、うん、悩んでたよ。もう俺を、友達にしちまったあとだったしな。でも、過去では俺を決めつけられないって、この輪にいるのを選んだ。悠もそうだよな」
オレンジジュースを飲む悠紗は、こっくりとした。
「僕の要くんと、死んだ人の要くんは、入口が違うんだよ。僕、その死んだ人がすごく苦しくたって、関係ないもん」
悠紗は僕を見上げ、にっこりとした。僕は咲い返せなかった。
「僕がその人を分かって、一緒になって要くんを嫌がるほうがおかしいよ。死んだ人だって、僕が苦しい気持ち分かるよって言っても信じない。要くんが、おとうさんとか萌梨くんを苦しくさせたら、怒るよ。でもね、その人は僕の中にいないの。気持ち分かんないのに、分かったみたいに要くんを嫌いになるのは、周りの人にいい人って思われたいからだよ」
ゆったりとしてる悠紗に、初めて分かった。
これだ。悠紗には残酷な面がある。聖樹さんが語っていたその悠紗は、きっとこれだ。
「ひと言で言っちまうと、偽善的な先入観ってとこだな。聖樹の台詞だが」
僕は要さんに向き直る。
「俺も自分で自分を、そうやって分裂させてる。あの俺は俺だけど、この俺とは別なんだ。俺が好きな奴は、俺をあっちにいかせない。葉月も悠も、萌梨もな。その自殺野郎は、あっちを刺激してきたんだ。暴力が一番マシな関係って、うざったくてたまんねえんだぜ。できればこのまま、“あっち”には眠っててほしいね」
「今は俺たちがいてあげますわよ」
葉月さんの言葉に要さんはにっとして、その笑みにイジメという陰湿な行為をやった影はない。
けれど、僕は知っている。僕を辱めたあとのみんなもそうだった。行った行為をさっぱり忘れ、僕に残った喉を詰める麻痺も察さず、明るく笑っていた。刃物は、傷口ほど流れる血を気にしない。
信じられなかった。そして、それがまた、信じられなかった。それはつまり、要さんを唾棄するのを阻む表れだ。
聖樹さんもこんな気持ちになったのだろうか。僕もまた、このXENONがすでに好きになっている。一応、梨羽さんも紫苑さんも、当然葉月さんも──
そこで僕は、ここで圧倒されている場合ではないのに気づく。葉月さんもいる。梨羽さんも紫苑さんも。三人は、いったい何をしたのか。要さんと比してはマシなのか、さらにひどいことなのか。
錯乱にかたまっていると、頭を小突かれた。顔をあげると、要さんだ。
「萌梨は聖樹とそっくりだな」
「えっ」
「反応。聖樹もそうやって硬直してたぜ。悠のが反応落ち着いてる」
「あ、あの、でも」
「責めてんじゃないよ。萌梨と聖樹には、俺たちにはないもんがあるんだろ。俺たちにとっちゃ邪魔臭いもんが」
「………、偽善、ですか」
「違う。そりゃ無神経な奴。萌梨たちは繊細すぎるんだよ」
「名前、教えてあげようか。“優しさ”っていうのよ。ひゃー」
葉月さんはからからとして、ピザを口に投げこんでいる。
繊細。優しさ。そうなのだろうか。
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