時を忘れる音
CDは、上の引き出しにつまっていたはずだ。開けると、やはり手前の三枚がXENONだった。
好奇心で奥のCDを見てみた。ケースに小さな傷もあったりする、洋楽のCDばかりだ。そういえば、梨羽さんが聴くのも洋楽ばかりだ。梨羽さんがいらなくなったものをここに押しこんでいくのかもしれない。
僕はXENONのアルバムを丁寧に取り出すと、引き出しを閉めた。
三枚のアルバムのジャケットを、再び観賞する。天使のような女の子、銃自殺、死体の山。僕はこのみっつのタイトルの意味を、まだひとつも知らない。今度訊いてみようか。昨日の要さんの話を思い出し、“エピレプシー”と“ファントムリム”という曲名を探してみた。それらしきもの──片仮名でなく英文字で綴ってあった──は、どちらも『MADHOUSE』にあった。
順番からもいって、『MADHOUSE』をかけようと思った。が、起きたときにふとんを干す聖樹さんとした会話が思い返って、手を止める。
最近の梨羽さんは自分を歌うことが多い、という話だ。つまり、外部への攻撃よりも内部をさらほうが多いということだ。
夕べ暗がりで震えていた梨羽さんに、僕の興味は一番新しい『MORGUE』にかたむいた。別に順番通りという決まりもない。僕は『MORGUE』を開いた。
以前、悠紗に教えてもらった操作は憶えていた。ヘッドホンは下の引き出しで、開けるとちゃんとあった。それを装着するとコンポにCDをすべりこませて、再生ボタンを押す。
ひかえめなシンバルが取るリズムが聴こえた。葉月さんだよな、と思った。ギターやベースが絡む前に、それに低いヴォーカルがかぶさる。
左胸のあたりにある
軆を司る
ちっぽけな肉の塊
誰もが
これを高鳴らせて生きてるって
じゃあ俺は死んでんのか
何にも聴こえない
止まってるらしいな
俺の心には
虫けら程度の
うごめきもない
俺は動かない
隙もなく二曲目に入って、ギターが爆発した。打って変わってドラムが楽器と化し、うなるベースが音を引っ張る。音のイメージをこちらの耳に早急に溶かしたところで、喉を引き裂くヴォーカルが絡み合う音に君臨する。
ああちきしょう
息ができねえ
苦しくてたまらない
いっそ止まっちまえよ
もう嫌なんだ
こんな命はえぐりぬいて捨てて
触れるもの全部
じめついてやりきれない
短くギターが挿入され、すぐに歌が始まる。今度は端正な声だった。
息を吐き、反射的に萎縮していた心臓をやわらげる。相変わらずだ。強い衝撃の音に、詩も突き刺さってくる。XENONだ、と思った。あの四人だ、とは思わなかった。
音と演奏者を引き合わせてみる。ギターは紫苑さんで、ベースは要さんで、ドラムスは葉月さんだ。
つながらない。この凶暴なゆがみをあの無口な人が生み出すのは信じがたいし、へらへらとやりあうふたりがこんな深いうねりや激しいショットを弾き出すのにもびっくりする。何とか納得できるのは、要さんと葉月さんの息がよく合っていることだ。
一番不可解なのは、やっぱり梨羽さんだ。絶対に信じられない。あんなに閉じこもって、他人を拒み、果ては路地裏にしゃがんで弱く震えていた人が、何でこんなに鮮烈な声を発せるのか。
詩も容赦ないし、甘ったるい言葉はひとつもない。他者への憎しみか、さもなくば自己嫌悪だ。
昨夜の帰りの車でのおののきや、聖樹さんに向けた不安げな目の梨羽さんを追想する。ついで、人にぶつかられたときの憎しみや拒絶反応、噛みしめられた唇も。
梨羽さんの歌の動力は、後者であるようだ。ああした刹那的な情動をかきあつめ、詩に結晶させるのかもしれない。
手元のケースを見おろし、ブックレットを取った。本にはなっていなくて、左右に開くかたちだ。
ジャケットの裏に曲目がある。一番最初は『冷たい鼓動』で、二曲目は『呼吸困難』という曲名だった。
“THANKS”にある名前は“MISAGI AND YUUSA”限りで、あとは社交辞令だ。
歌詞はなく、代わりにあのかわいらしい文字で数行の文章があった。
生の世界とは胎内です。生まれ落ちたその瞬間こそが死であり、地獄だと思います。この世には死体があふれています。ここにその腐臭が表現されていますように。りわ。
他には歌詞や断章もなく、それっきりだ。このそっけない文章が、全体の内容紹介になっているらしい。深長、というか不気味だ。でも、笑い飛ばせない。このジャケットは、この文章を元に描かれたのかもしれない。
聖樹さんの話を想い、梨羽さんの歌に耳をかたむける。攻撃より内攻を歌っている。詩については、その印象は希薄だった。やっぱり梨羽さんが拾う言葉は、きつくて汚くて、めいっぱいに唾棄している。
“ZOMBIE”なんて歌もあって、これはゾンビの物語をたどってこの世の崩壊を望む歌だ。自分を掘り下げている歌もあった。そして内外どちらにせよ、歌い方には聖樹さんの話が当てはまった。『EIRONEIA』に較べて咬みつく感じが減り、不安定な精神に気休めを言い聞かせるような、病みつく覚醒性がある。“死体置場”という曲は、何回目かの展開で呪術じみた錯綜が現れる。
ぐるぐると錯乱し、ときおり牙を剥く曲もさしいれながら、最後に残ったのはまとわりつくだるさだった。
ヘッドホンが無音になって、液晶部分には総曲数と総演奏時間が表示された。僕は時計を見あげる。十三時半をまわっていた。
何だか、怖い。完全に惹きこまれ、時間の感覚が消えていた。
すごいなあ、と思った。音楽に知識がなくても、この音がすごいのは分かる。全神経を奪って、はっきり現実に疲れも与えてくる。今回も聴く相手に対しての媚も配慮もなかったが、不快感はない。
梨羽さんは身勝手にぶちまけるだけで、ある種の人間を動かせるのだろう。そういう才能があるのだ。紫苑さんたちの音が檻になっているから、という部分もあるのだろうけど。
部屋を振り返って、あの音を生み出した人たちがここにいたのを思い出す。
信じられなかった。僕はこの音を作った人たちと話をして、昨日は一日一緒にいて、心を許してもらった。
脇の部屋の片隅を向く。ここに小さくおさまっていたあの人が、こんな痛みを秘め、それをこう鮮烈に表現できる才があるのにも驚く。
手の中のブックレットをしまった。
何というか、僕はかなり選ばれた人たちと知り合えたのかもしれない。
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