はらまれた殺意
「ま、何かあってもそのときはそのときで」
「……はあ」
「ライヴ、来るんだよな」
「あ、はい」
「出番は俺たちだけだし。ま、気を楽に」
「ほかの人としたりするんですか」
「そりゃあな。俺たちがうろうろしてんのって、梨羽の心臓に合わせて小さいとこばっかだし。そういうとこは、持ち時間三十分で交代。“EPILEPSY”をやるとこは、何ヶ月も前から俺たちのために週末の夜を空けといてくれるんだ」
「………、すごい、ですよね」
「まあな。週末ってかきいれどきなのになあ。俺たちなんかに構ってくれちゃって。ま、年に二、三回だし捨て石か」
要さんはにやにやとするけれど、実力が認められているということだろう。詳しくは分からなくても、そういう場所で週末に進出できるのがすごいのは僕でも知っている。
「そこは俺たちが初めてライヴをやったとこなわけよ。けっこうみんな顔なじみ。俺たちの音楽も分かってくれてる。分かんないまま、客が入るんでやらせてくれるとこのが多いんだ」
「そうなんですか」
「うん。俺たちって、初めはむちゃくちゃたたかれたんだよ。曲はきついわ、歌詞は聞くに耐えないわ、メンバー半分は愛想ないわ。『何で君たちはバンドをやっているんだ』とまで言われた」
「そしたらこいつが、『ヒマつぶし』って言いやがったんだよな。『ふざけんな』って追い返されたぜ」
「だって、ほんとじゃん。蹴られまくって門前払いもザラだったなあ。半年以上ライヴ活動始められなかったんじゃないかな」
「は、あ」
「あんまこたえなかったよ。分かんないならいいやって、門前退却」
葉月さんはからからとする。音楽の信念を貫き通した、というよりは、そこまで情熱に燃えていなかったという感じだ。よく言えば柔軟でも、正直言ったら適当だ。
「やってる音楽より、あの二匹が問題だったんだ。あの対人拒否が、スタンスじゃなくて本性なのが。音楽だって人間関係でできてるんだしさ。でも、そんなのをふらふら続けてたら、何でそこまであのふたりは人と接するのを拒むんだって突っ込んで考えてきたスタッフがいて、その人に俺たちのバックグラウンド話したんだ。で、理解してくれて、いろいろあって、やっとステージに立てたと」
「それでも、最初は拒否反応しめす奴が多かったよ。梨羽って絶対客を見ないし、話しかけたり唱和させたりもしない。ステージと客席に完全にガラス張るんだ。何つうの、マスターベーションですか。客と一発やるみたいに一体化したりできない。ましてプロみたいに、客に奉仕する娼婦にもなれない」
「なぜかそこは、それでも俺たち見捨てなかったんだよな。ほかのとこでもやれるようになって、そこでは絞られまくったぜ。特に梨羽は、フロントの自覚がなさすぎるとか、歌手失格だとも言われたりした。客には、ふるいにかけられて残った、共感しちまう奴もいたよ。で、だんだん残った奴が増えてって、貶してたくせに梨羽と紫苑に引き抜きの話が来たりするようになって、今の状態に落ち着いたと。いやはや。あー、で、“EPILEPSY”はだいたいそこでやるわけ。一日目はほぼそのハコだな。二日目と三日目は違うときもあるけど、今回は三日間ぶっ通し同じハコ」
「はあ」とほうけた返事をする。大変だったのだ。外れた道でやるには、正道を走っておくより苦労が多いらしい。
「プロにはならないんですね」
「ん、まあな。スカウトの話は来たりするぜ」
「そうなんですか」
「物好きだよな。ま、プロになるには俺たちには音楽に誠実じゃないって断るよ」
「誠実」
「梨羽にとって、音楽はオナニーのセラピーだろ。で、俺たちはそのお手伝いだし。音楽そのものは重要じゃない。手段だから」
「俺たちが突きつめてんのって、梨羽の早漏なんだよね」
葉月さんは哄笑し、煙草を取り出す。「煙たくすると聖樹が怒るぜ」と要さんが言うと、「こわ」と葉月さんはすぐ煙草をしまった。
「俺たちは、稼ぎたいために音楽やってるんじゃないんだ。やりたいからやってるだけで、客商売にする気はない。共感より同調より、お姫様の精神状態」
「梨羽さん」
「プロなんかになったら、梨羽には音楽やる意味自体がなくなっちまうんじゃないかな。プロって制約多いだろ。それに縛られて自分を解放できなくなったら」
うずくまる梨羽さんを見て、確かにと思う。「あとさ」と葉月さんが引き継ぐ。
「単純に、プロって面倒そうじゃん。テレビにラジオに雑誌にシングル、果てはツアー。ひゃー、俺たちはライヴとアルバムでけっこうですわ」
「……はあ」
「いまどき、作品もインディーズで残せますしね。俺たちってプロになる意味ないのよ。プロになったら全部壊れる」
何となくうなずけていると、聖樹さんと悠紗が帰ってきた。「何の話してるの」と髪を濡らす悠紗が駆け寄ってきて、「えらそうな話」と葉月さんは返す。
しばたく悠紗に聖樹さんは苦笑し、梨羽さんのそばに行った。脇に置かれたカップを覗き、「もう飲まないの」と訊いている。梨羽さんはうなずいた。「そう」と聖樹さんは押しつけず、カップをキッチンに持っていく。
僕は静かな紫苑さんを見た。紫苑さんは、どこからか取り出したノートを広げ、何やら書きこんだり眺めたりしていた。何をしているのかは分からなくとも、瞳が暗いのは同じだ。ギターを弾いてるときもあんな目なのかなあ、と思い、そこで僕はおととい聴いてそのままになっている“White Carnation”を思い出した。
聖樹さんがリビングに戻ってきて、「風邪引くよ」と悠紗に髪を乾かすのをうながす。悠紗はおとなしく髪を乾かされはじめ、要さんと葉月さんは、僕が紫苑さんを眺めているのに気づく。
「あいつに何かある?」
「えっ」
慌ててふたりを向いた。要さんはにやにやとしていて、葉月さんは紫苑さんを見やる。
「あれは、ライヴ用に曲いじったとこを整理してるんだよ」
「あ、そう、なんですか」
「それとも、個人的に気が──」
「な、ないです」
言ったあとで、あることになるのかな、と思い直す。あの曲はいったい何なのか。ギタリストの憎しみ。白いカーネーション。あのアルバムに与えられた疲れが取れても、心当たりは見つからない。「あの」と上目をすると、ふたりとも僕に注目する。
「こないだ、二枚目のアルバム初めて聴いたんです」
「誰の」
「あ、XENONの」
「俺たち。二枚目っつうと──」
「精神病院だろ。発狂して殺戮パーティーする奴」
“MADHOUSE”の歌詞には、そんな一節があった。
「あー。それが」
「その終わりのほうに、“White Carnation”っていうのがあって」
「あ、あれね」
葉月さんは全部承知した顔になり、要さんも同様になる。
「よく訊かれるわ。あれは紫苑の曲なんだ。ブックレットに梨羽がどうのって書いてた曲。紫苑の憎しみが渾身つまっているらしい」
「らしい、ですか」
「俺たちはよく分からん。梨羽と紫苑が言うにはそうらしい」
「あの曲聴いた梨羽がさ、この曲に詩はつけられないって言ったんだ。紫苑の感情があるからって。で、紫苑もそれを認めた」
「俺たち、そんなん分かんなかったよなー」
「なー。ほんとだったんだけど」
「感情、っていうのは──」
「憎しみ」
「はい、問題。カーネーションは何の日に誰に贈るでしょうか」
「………、母の日に、おかあさんに」
「大正解。あれは紫苑が母親に向けた曲なのでした」
どきりとした。母親に。悠紗の予想は当たっていたのだ。
「あのタイトルつけたのは梨羽なんだ。よく分かんねえタイトルだろ。白いカーネーション」
「まあ、はい」
「萌梨は、何で母の日にカーネーション贈るか知ってる?」
「え、いえ」
「あれはな、どっかの国のとある女が、死んだ母親を偲んで教会で白いカーネーション配ったのが始まりなんだ」
「しつこいが梨羽の知識な」と要さんはつけたし、「どっから知るんだろうな」と葉月さんは茶々を入れる。
「白い、カーネーション」
「っそ。ホワイトカーネーションだよ。本来母の日は、死んじまった母親のための日なのかもな」
「あ、そうなんですか」
「いや、知らない。ま、でもほら、生きた母親には赤とかピンクの色つき贈るだろ。そのせいかもしれないぜ」
「はあ。え、あれ、でも、偲ぶんだったら憎しみじゃないんじゃ」
「紫苑の母親生きてんだぜ。たぶん。あの曲作ったときには生きてた」
「……家、ないって」
「生んだ奴はいるよ。じゃなきゃあいつそこにいるか。家族はないんだ」
僕は紫苑さんを見た。ドライヤーの音があいだにあって、向こうには聞こえていないのだろうか。紫苑さんはノートと見合うのを続けている。「早い話ね」と葉月さんは言った。
「死んじまえって思うぐらい、憎んでるってことだよ。梨羽はそれを汲み取って、あのタイトルをつけた。さわやかな言葉で想像もつかんだろうが、ま、そこもまた狙い。あと、白いカーネーションの花言葉は“拒絶”でもあるらしいのね」
生きた母親へ、死んだ母親へ贈るものを贈る。
確かに、死ねと思うぐらい憎んでいる行動に取れる。紫苑さんは母親を憎んでいる。渾身で憎悪を抱いている。あの残像するゆがみがやっと理解できた。あれは殺意をはらんだ音だったのだ。
髪を乾かしおえた悠紗は、寝室でなく僕の隣にやってきた。聖樹さんはドライヤーを片づけ、要さんと葉月さんに夕食はどうしたのかを尋ねる。「食ってきた」と要さんが答えると、聖樹さんは縮む梨羽さんの隣に座る。
紫苑さんは自分の世界で音楽と向き合い、要さんと葉月さんは悠紗と軽妙なやりとりをする。僕はそれに加わりながらも、ときたま梨羽さんを見て、紫苑さんの母親への憎悪について心をめぐらせていた。
【第六十六章へ】