風切り羽-7

写真

 朝から家事を片づけてくるせいもあるけど、早めに登校したって何かされそうで怖い。僕は毎日、予鈴直前、遅刻寸前に登校していた。靴箱はがらがらかといえば、そうでもない。同じようにぎりぎりにやってくる、眠たそうだったり慌てたりしている生徒が、校門の先生たちに追い立てられて混雑している。
 初秋のその日もそうで、靴箱を抜けて廊下を歩いていた。すれちがった女の子のふたり連れが、僕を見て、くすくすと笑った。好意的ではない笑い方に、彼女たちを振り向く。ふたりは媚と嫌悪を綯混ぜたような声を上げ、職員室のほうに駆けていった。あのふたりは知っている。うるさくて有名な隣のクラスの女子だ。
 何だろ、と思いつつ階段をのぼっていく最中にも、同級生たちに変な笑いを向けられた。僕は人の顔なんてろくに憶えていなくても、見憶えがある人が多い。教室の並びが同じなのだろう。弱い疑問とさざめく不安の暗雲を抱き、三階にある自分の教室の並びの廊下に踏みこんだ。朝陽が満ちるその廊下で、みんなの様子の理由が分かった。
 校庭が望める廊下の窓に、ぺたぺたと写真が続いていた。ずっと奥まで、写真たちはまぶしい廊下にぽつぽつと影を落としていた。脚を引きずって近づき、写真を見た。このあいだ、クラスメイトたちに家に押しかけられたとき撮られた、僕がズボンと下着をおろされた写真だった。
 一瞬、どう思えばいいのか分からなかった。本当に真っ白になった。感情が今までに味わったあらゆる感情に追いつかなかった。限界を越えた打撃に、まばたきも失って、その場に立ち尽くした。脱力すら忘れ、乾からびた目には光が当たる。横をすりぬけた男子が、僕に憫笑を向けた。途端、頬が真っ赤に燃え上がり、その灼熱に瞳がわっと滲んだ。
 慌てて剥がすのは、これは僕です、と訴えるようなものだ。でも、放っておくのはもっと嫌だ。顔を伏せて、のろのろ歩きながら写真を剥いでいった。どんなものかは、きちんと見たくもなかった。両面テープでしっかり貼りつけられている。テープは放り、写真だけ剥いでいく。廊下を通る人みんなが、僕を嗤笑する。こらえられない涙が頬をすべりおち、廊下に飛び散っていく。
 何で? 痛切な疑問が胸を捻じる。どうして。何で。こんなの。どうして僕なんだろう。あんまりだ。思いきり陰部が写っている。プライバシーが光に暴露されている。僕は何をしてるんだろう。みじめな絶望感が気を遠くさせる。写真はいつまでも続く。また現れるごとに僕を恥辱に突き落とす。自分のしていることが分からなかった。なぜこんな尻拭いをやっているのだろう。
 写真は止まらない。いつまで続くのだろう。僕の写真。いっぱい。何枚も。一番見られたくないところ。晒しものにされて。何で。どうして。もう嫌だ。ひどい。ひどすぎる。何でこんな──
「モデルデビュー、おめでとうっ」
 突如、背後で笑い声が弾けた。びくんと振り返った。そこには、この写真を撮ったとき、部屋にいたクラスメイトたちがいた。
「あれ、何剥がしてんだよ。苦労して貼ってやったのに」
「ん、何か泣いてるぜ」
「嬉しいんだよなあ。これで有名人だぜ」
 ぎゅっと畏縮した細胞に涙も止まり、立ちすくんで息を震わせた。視界が白光して、頭がぐちゃぐちゃになった。どうして。何でそんなふうにするんだろう。できるんだろう。そんなふうにされたら、みんな、これがお遊びだと錯覚してしまう。違う。遊びなんかじゃない。これは──
 そこに、出席簿を持った担任の先生が現れた。若い男の先生だった。最後の望みで先生を見た。この人たちをしかってほしかった。窓に残る写真を一瞥した先生は、僕に向かって言った。
「何だ、お前は露出狂なのか」
 僕の眼界は遠のいて、真っ暗になった。渾身で殴られたような衝撃は、周りの男子のバカ笑いに押しつぶされた。先生も一緒に笑い、事もなげに僕やみんなを教室の中にうながす。入る前、僕は残った写真を力なく剥いだ。教室の黒板にも写真が貼られていた。先生はそれを手早く剥ぐと、前方の席だった僕のつくえに無神経に放った。ついで、教室に聞こえ渡る教師特有の大声で僕を打ちのめした。
「こういうことはな、好きな女子の前だけでやれ」
 みんな底が抜けたようにどっと笑った。生徒の笑いを取れたことに先生も満足げに哄笑した。僕ひとりだけ、椅子に固まり、つくえに散らばった侮辱的な写真に茫然としていた。
 そして、このことは、これで片づけられた。
 あの日、家に帰ると泣きながら写真を細かくちぎった。ゴミ箱に残っているのも嫌で、ゴミの日でもないのにふくろにつめてすぐ出した。
 学校では、先生にさえ屈辱的な軽い感じで揶揄われたり、同級生にはすれちがいざまに嗤われたりした。だが、数日だった。次の週には、みんな、そんなのはさっぱり忘れていた。
 でも、だけど、僕は……

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