腐った性根
翌日の昼過ぎ、邪魔そうだったらすぐ退散しよう、ということで悠紗と僕は四人の部屋に出かけた。
「ここに来て、ろくなもの食べてないんだろうな」と案じた聖樹さんが作ったさしいれも一緒だ。今朝突然作ったのでなく、昨日の夜に四人のところに行くのは話していて、昨夜のうちに僕も手伝って作っていたのだった。
三日も続けてライヴしたからまだ落ち着いてないかなと、エレベーターで悠紗と心配したものの、僕たちを出迎えた要さんはライヴ前と変わりなかった。
「要くんよくなったのー」
「よくなったのー。って、俺は元から病気じゃないぜ」
「そお。疲れてない?」
「三日ぐらい一日寝ればじゅうぶんだよ」
「梨羽くんは」
「あれは三日したら四捨五入で十日はへこんでないとな」
「ししゃごにゅうってー」
「非常にくだらんので知らんでいい」
「ふうん。邪魔じゃないかな」
「平気だろ」と要さんはあくびを噛んだ。
「外には出てきてるし。で、ぽち、そのふくろは何だ」
「……萌梨です。あの、聖樹さんが栄養のあるもの食べてないだろうからって」
「何、食いもん?」
「はい」
「あー、腹減ってたんだよ。持つべきものは気の利く友達だな。お入り」
そんなわけで、悠紗と僕は部屋に通された。梨羽さんはコンポのそばに迷彩柄の毛布と共に横たわっていて、奥の紫苑さんはギターをいじっていた。
ふたりとも悠紗と僕に興味もなさそうにしたけど、「何してるの?」と駆け寄られて紫苑さんは悠紗に目を向けた。葉月さんはいない。シャワーかなと推測して、僕はあとで悠紗が来るだろうテレビの前に座った。
要さんも僕のそばに座り、受け取った弁当を広げる。おにぎりや魚や煮物や、栄養のあるものが詰められている。「家庭料理だ」と要さんは感動して、用意してきた割箸でそれをつつく。
のっそりやってきた梨羽さんは、要さんに紙皿と割箸を渡されて、好きなものを取っていった。あの真っ蒼はだいぶマシになっていた。隅っこに戻った梨羽さんは手料理を噛みしめ、紫苑さんのぶんは悠紗が取りにきて持っていった。
改めて部屋を見まわし、案の定ポルノが散乱しているのを認めた。本やポスター、ビデオやDVDもある。女の人がいやらしいポーズを取ったり、男の人とそのもの絡んでいたりする。僕が嫌悪感に眉を顰めると、要さんが笑って山積みのほうに押しやった。「聖樹も嫌がるんだよな」と言ってかぼちゃを口に放っている。
「おもしろいんですか」
「おもしろいっつうか、愉しい」
「愉しい、ですか」
「俺、生身の女より平面の女のがいいんだ。実際の女ってうるせえだけだし。たまにぶちこみたくなったら買う。俺にはポルノが愉しいことで、セックスは処理なんだ」
「はあ」
普通は反対の気がした。要さんほど綺麗な人だったら、女の人をなびかすのも簡単だと思う。それだけに、負け惜しみでなく本気で愛よりポルノを選んでいる信憑性があった。
ポルノのほかには、食べ物やビールの空き缶、生活用品も散らかっていた。ゴミぶくろは取り替えたのかぺしゃんこだ。現金さえ落ちているのには息をつきたくなる。
バスルームのほうを見た僕は、要さんに向き直る。
「葉月さんはお風呂ですか」
「ん、いや、昨日の夜に出かけて帰ってきてないだけ」
「どこ行ったんですか」
「女買いにいったんじゃないの」
「……女」
「あいつは、全国どこにでも決めた娼婦がいるんだ。ここのはマリコさんってな、美人だぜ。葉月は平面より女の中なんだよ。一晩じゅうやりまくった彼女と朝飯食って、そろそろ帰ってくるんじゃないか」
それが気分転換なのかなあ、とため息が出る。少なくとも僕は、そんなので気分が晴れる男にはなれそうにない。
「そういうのって、写真撮られたりしたら」
「プロじゃあるまいし。ま、そうだとしても女買って何が悪いってとこだな」
「恋人は」
「あー、俺、恋とか愛とか友とか興味ないんだ。うざいし。バカだし。梨羽ちゃんの尻拭いでいっぱいだし」
尻拭い、と梨羽さんを振り返る。梨羽さんは鮭の皮をゆっくり食べている。
「梨羽さんたちとは友達じゃないんですか」
「友達!? ……か、なあ。分からん。保護者のような。紫苑もよく分かんねえな。あ、葉月は友達だなーと思う」
「……信頼はしてますよね」
「ああ、それはな。うん。友達、友達なあ」
繰り返しているうちに要さんは噴き出し、食事に戻ってしまった。
友達。まあ、自分で質問しておいて何だけど、四人にはそんな空気はない。
「要さんは、どうして恋愛とかを鬱陶しいって思うんですか」
「え、何だろな。俺ってどうせ気に入る奴少ないし、こんだけいて満足してるし、もう接するだけ無駄というか。下手な奴に当たって、中学時代を繰り返すのもやだし」
考えれば、要さんは癪な相手には暴力を振るう人なのだった。許してもらえた僕としては、いまだに信じられない。
「葉月さんは女の人と接していいんですね。その、感情は抜きにしても」
「だな。あいつは人間を“物”にできるんだ」
「物」
「頭ん中がそうなってる。ほら、学級崩壊させてクラスメイト奴隷にしてただろ。それもそのせい。あいつ軽く話してたけど、かなり逆らえない王様だったらしいぜ」
「そう、なんですか」
「あいつは、気に入った奴以外は、人間とも思わないんだ。思えない、かもしれない。興味なければ、相手の顔も人格も自尊心も無。好きじゃなければ、平気で人権無視なんだ。先公を罠にハメるのも、狡猾なの思いついてただろ。俺たちの中で一番冷めてんのって、実は葉月なんだよ。そうやって切り替えられるの、俺はうらやましいよ。俺は気に入らなかったら消さなきゃ気が済まない。実は直情で熱血。あいつは自分の感情操って、嫌いな相手のことは、人権侵害で利用してやるとか嫌がらせにこじつけられる。だからあいつは、嫌いな奴にもにこにこできる。平気で『好きだ』とも言う。それで利益吸い尽くして笑顔のまま裏切る。そういう奴」
葉月さんを思い返す。そんな人だったかなと感じるのは、僕が葉月さんのそういう面とは直接接したことがないせいだろう。
何となく納得はできる。葉月さんはあの明るい無邪気さで、冷徹な世渡りを飄々としていると紛らしている。
「昔の話してくれたときも、楽しそうでしたね」
「はは。悪いことって思ってないんだよな。あいつは、自分が気持ちよかったら、周りにどんな迷惑かけても主観でいいことに分類できるんだ。長生きするぜー」
要さんは笑い、梨羽さんも食べていた鮭を、あんがいひと口大に切り分けて食べている。
「俺は、あいつが周りにどんなに残酷だろうが興味ないよ。俺の中の葉月は、梨羽様のためにドラムやってる底抜けに明るいポルノバカだからな」
「はあ」と気抜けする僕に、「萌梨は気にするか?」と要さんはにやにやする。
「あ、いえ、僕のことは分かってくれますし」
「うん。萌梨、気に入られてるもんな。お気に入り。あいつは好きな奴には情深いよ。恥も罪悪感もある。あいつにとって、好きな奴ってのは、道具にしなくても人間のままで接する価値があるってことなのかもな」
要さんはひとりうなずき、箸でおにぎりをひと口にちぎる。梨羽さんも紫苑さん──というか悠紗もそれなりに取っていったし、要さんも旺盛に食べている。葉月さんのぶんは残しておかないようだ。外で食べてくるのが暗黙の了解なのだろう。
「ま、気に入ってもらった奴は、安心していいんじゃないか。一回好きになったら、あいつは食らいついて離れないし。好かれてたらおもしろい奴だろ。飽きないし」
「そう、ですね」
「あいつも、俺と一緒なんだよ。人間のクズって呼ばれることが生まれつき含まれてる。言い訳に聞こえるかもしれなくても、ほんとそうなんだよ。性根が腐ってる。だからもう受け入れて、『クズでーす』って言うしかない。俺は恥知らずで、あいつは卑劣」
「それでいいんですか」
「俺は構わないよ。認めてる。あいつ──自殺した奴な、を殺したのは一生忘れない。葉月もそうじゃないか。あいつは授業つぶしたのを勝利だと思ってるからな」
何だかなあと思ってしまった。いい傾向なのか、悪い傾向なのか。忘れないのはいいことでも、それで後悔にさいなまれないのなら複雑だ。
開き直っているという形容が一番近いだろうか。僕はどうしても傷つけられた側の視点を入れてしまうので、要さんや葉月さんの解釈が時に奇妙だったりする。
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