君は壊れやすいから-1

幼い頃から

 いつまでも腐れ縁が続くなんて、お断り。だけど、結局はずっと近くにいるんだろうな。私に恋人ができても、彼が結婚しても。顔を合わせれば、憎まれ口をたたきあう。
 私にはそんな、縁がもつれたような幼なじみの男の子がいる。
「蒼樹くん、今日はお絵描きじゃなくて、みんなとかくれんぼしようね」
 幼稚園のときから、その幼なじみ──浅間蒼樹は群れるタイプではなかった。かくれんぼや鬼ごっこでみんなと走りまわることはせず、教室でお絵描きや積み木をしている。
 ある日の休み時間、落書き帳を抱えた蒼樹は、先生にそんな声をかけられて、露骨に嫌な顔をした。その先生はまだ若く、蒼樹の一匹狼にはよく手を焼いていた。そのときも、先生は蒼樹の表情に心が折れた泣きそうな目をしたから、教室をあとにしかけていた私は、「蒼樹っ」とその場に駆け寄った。
「先生困ってるでしょ。かくれんぼしなさい」
 教室の中でむすっとしていた蒼樹は、私を一瞥してから、「つばめは関係ないだろ」と拗ねた目をそらす。「関係あります!」と私は腰に手を当てて、リボンを結った制服の胸を張った。
「蒼樹はしょーがないからつばめちゃんが面倒見てねって、おばさんに言われてるもん」
「つばめちゃん、あの、先生が蒼樹くん連れていくから、大丈夫だよ」
「先生ももっとびしっと言わなきゃダメです! 蒼樹はしょーがないから、弱く言っても聞こえてないし、」
「あー、もうっ、うるさいなあ」
 蒼樹は急にそうぼやくと、落書き帳とクレヨンを自分のロッカーに投げこみ、「混ざればいいんだろ」と私のかたわらをすれちがっていった。廊下を行ってしまう突慳貪な背中に、私はふくれっ面を見せつつも、内心では蒼樹が言うことを聞いて満足していた。「じゃあ、私もかくれんぼしてきます」と先生には言い置き、靴箱へと小走りに向かう。
「またつばめちゃんに助けてもらってたの?」とその先生が、年配の先生につかまっているのには気づかなかった。
 小学校の六年間では、中学年と高学年で蒼樹と同じクラスだった。新しい教室でお互いのすがたを見つけると、同時に「げっ」「うわっ」という声がもれた。
 高学年になると、蒼樹は染めた髪を伸ばしっぱなしにして、「だらしないからやめたら?」と私はしょっちゅう進言した。でも蒼樹は、「優等生様は、不良を更生してまで点数稼いで大変ですねー」とか言い返す。私はその嫌味にかちんと来て、いつかその髪にはさみを入れてやると誓っていた。
 けれど、中学校に進学したら、蒼樹はピアスまで刺しはじめる始末だった。
 中学生になって、蒼樹にようやくきちんとした友達ができた。長川尚里くんという子で、すげなく無愛想な蒼樹とは正反対の、ふんわりと優しい男の子だ。みんな秘かに、蒼樹は陰で長川くんをイジメてるんじゃないかとか、恐喝や脅迫を行なってるんじゃないかとかうわさしていた。
 蒼樹はグレているけど、そういうことはしない。分かっていても、ふたりがあまりにかけはなれているので、正直私もちょっと心配だった。
 けれど、蒼樹と長川くんは普通に友達だった。そして、アンバランスなふたりを盗み見ているうち、私は長川くんの繊細な容姿に、よく視線を惹きつけられるようになっていた。
「あー、何か尚里から来てるわ。すぐ戻る」
 その頃の蒼樹の家は、ご両親は仕事がいそがしく、兄の暮樹くれきさんも遊び歩いて、蒼樹ひとりになることが多かった。蒼樹はインスタントでも食っておけばいいと言うけども、私はときおり簡単な料理を作りに浅間家に向かった。同じマンションのひとつ上の部屋なので、気軽に訪ねることができる。
 十二月、世間がきらきらとクラスマスで彩られる季節、暖房がきくダイニングのテーブルで、私が作ったホワイトシチューを蒼樹とふたりで食べていた。すると、不意に着信したスマホを手にした蒼樹は、そう言って席を立つ。
「食事中に行儀悪いよ」
「いいだろ、いるのお前だし」
 言いながら蒼樹は廊下に出て、何やらスマホをいじる。私はガラス張りのドアに透ける蒼樹の背中を見つめ、いいなあ、とほくほくのじゃがいもを頬張った。
 長川くんからスマホに連絡が来る。私には夢みたいな話だ。もちろん、連絡先を交換してもらえるならしたいけど、いきなりそんな話を持ちかける勇気は出ない。そもそも、長川くんと連絡先を交換してつながりたいとは思うものの、特に話したいことがあるかと訊かれたら何もない。
 がたんと音がして、はたと顔をあげると、蒼樹が正面の椅子に戻ってきていた。「長川くん、何かあったの?」と訊いてみると、「別に」としか言わずに、蒼樹はクリームソースをたっぷりまぶしてからブロッコリーを食べる。私は副菜のエビピラフを口に含んで、飲みこんでから「もうすぐクリスマスだよね」とつぶやいた。
「お前、いまだにクリスマスで浮かれんのかよ」
「浮かれてはないけど。プレゼントとかあげるのは普通だよね」
「何かくれんの?」
「何で蒼樹にあげるの? ……その──な、長川くんってお菓子とか好きかな」
 蒼樹は、鋭利な目元の瞳で私を見た。私は顔を伏せがちにして頬が熱っぽいのを隠す。
「尚里は、お前には無理だろ」
「無理って、何でよ」
「あいつ、好きな奴いるぞ」
 蒼樹を見た。蒼樹は無頓着な表情のまま、たまごとマヨネーズで和えたパスタサラダをすする。
「そ、それでも……プレゼント、あげるくらいなら」
「あげたいなら好きに渡して玉砕しろ」
「好きな人って、クラスの子? つきあってるの?」
「どうだろうなー」
「……連絡先交換だけでも、迷惑かなあ」
「お前、興味ない奴の連絡先が登録されてても平気なほう?」
「あんまり、連絡取るわけじゃない子とつながったりはしてるけど。委員会つながりとか」
「あー、クラス委員様だもんな」
「長川くんと話したいことがあるとか、そういうのは分からないけど、つながりたいって思うのは変かな」
「さあな。俺は応援しないけど、お前の勝手だと思うぜ」
 私もパスタのサラダをフォークに巻きつけて、口に入れる。味が濃くて、何か、マヨネーズが多かったかもしれない。でも蒼樹はそういうことは指摘せず、お皿が空になるまで食べてくれて、スマホをつかむとリビングのカウチに寝転がってしまった。
 クリスマスより少し前の終業式、私は悩んだ挙句、長川くんにメモを添えた手作りのクッキーを渡した。長川くんはびっくりしつつも受け取ってくれたし、クリスマスイヴの夜、メモに書いた私のIDを検索してくれたみたいで連絡先もつないでくれた。
 私はどきどきしながら長川くんに返事を書いたあと、蒼樹に通話をかけて、思ったよりうまくいったことを報告した。
『よかったですねー』
 蒼樹の声は普段通り億劫そうで、私はむくれたくなったものの、それでも機嫌がよかったので「今から、あまったクッキー持っていっていい?」と訊いた。『どうせ、かたちが悪い訳有りクッキーだろ』と言われ、確かにそうだったので「いらないなら親が食べる」と返すと『まあ、もらっとくわ』と蒼樹はやっぱり興味なさそうに答えた。
 長川くんは既読をつけてくれていたけど、返信まではさすがになかった。欲張っちゃいけないよね、と自制するとスマホは充電につないで、私は腹這いになっていたベッドを降りて部屋を出る。
 ダイニングテーブルでお皿に盛っていたクッキーはまだ残っていて、「これ、蒼樹にあげちゃうね」と両親に断ってふくろ詰めする。それから部屋で、白いマフラーとターコイズのダッフルコートをまとい、早くも寒気が染みこんでいる玄関のドアを開けた。
 息が色づいて、ふわりと舞う。全身が冷気に包まれて萎縮する。「寒い」とついひとりごとなんて言ってしまいながら、私は階段へと足を向ける。
 ひとつ階を上がると、私と同じ、階段から四つ目の家、蒼樹の家のドアフォンを鳴らした。顔を出したのは蒼樹で、「これ」と私がふくろをさしだすと、「詰めただけかよ」と苦笑しつつも蒼樹は受け取ってくれた。
「あのね」
「ん」
「長川くんと、連絡先交換したんだけど」
「聞いた」
「何を話せばいいのかな。おはようとか、そういうの送ってもうざくない?」
「うざいだろうな」
「うざいんだ……」
「向こうから何か来たときに答える程度にしとけば」
「来るのかな」
「来ないだろうけど」
「ダメじゃない」
「お前、そもそも尚里の眼中にいないんだから贅沢言うな」
 私は、むうっとふくれてしまう。蒼樹はふくろからつまんだクッキーを口に投げこみ、「味は悪くない」と述べた。
「蒼樹」
「ん?」
「蒼樹はクリスマス、誰かに何かもらったりしたの?」
「兄貴がエロDVDくれた」
「最っ低……。おじさんとおばさんは?」
「仕事じゃね? まあ、うちはばらばらに過ごす感じ。つばめは?」
「私は両親とディナーに行ってきた」
「っそ。ディナーねえ。お前んちらしいわ」
 そんなことを言いつつ、蒼樹はむしゃむしゃとクッキーを食べている。「お腹空いてるの?」と訊くと「カップ麺すら作るのがめんどい」と返ってきた。
 私は息をつくと、「何か作るよ」と筋骨がしっかりしてきた蒼樹の肩を押して、蒼樹家に踏みこむ。冷蔵庫を覗かせてもらって、「鍋焼きうどんでいい?」と訊くと、「食えたらいい」と言われたので、私は準備に取り掛かった。

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