本命の相手
結局、私と長川くんがメッセをやりとりしたのは数回だった。さらに、バレンタインにはきっぱり振られた。長川くん本人にも、好きな人がいると言われたのだ。
受け取ってもらえることすらなかったチョコは、その場に居合わせた蒼樹に「供養する」と言われてばりばり食べられてしまった。確かに、ゴミ箱に投げたり、自分で食べたりするよりは、「供養」かもしれないけど。
長川くんへの本命チョコを食べたあと、蒼樹は私の明らかな義理チョコももぐもぐ食べていた。そんな蒼樹だけど、思いのほか女の子たちにチョコレートをもらっていたようで、でもそれを食べたのかは分からなかった。
長川くんへの気持ちは、想いが届かなかったとか、彼に好きな人がいるとかでは落ち着かず、三年生に進級するあたりまでは心にまとわりついた。うつむいて、ため息をつくことが多い私の頭をはたいて、「お前にもらい手がなきゃ、もらってやってもいいぜ」とかげらげら笑いながら言うのが蒼樹で、「うるさいっ」と私は彼をきっと睨む。そんなやりとりのうち、別に蒼樹とは言わなくても、私を見てくれる人もいるのかなと心は上向きになっていった。
ずっと同じ幼稚園、小学校、中学校だった私と蒼樹だけど、高校でついに進路が別れた。蒼樹は長川くんと同じ近場の高校に進み、私は快速電車通学でも一時間かかる進学校に進んだ。勉強に追いつくのが大変で、蒼樹の家を訪ねる機会も減った。それでも、たまに顔を合わせたら相変わらず軽口をたたいていた。
大学受験への意識が高まっていく高校二年生の夏、最寄りの駅前で久々に長川くんに遭遇した。
長川くんの軆つきは、だいぶ男の子らしくなって、蒼樹が一緒じゃないから人違いかなとも思った。でも、確か蒼樹が着ていたのと同じ、ブレザーの制服を着ている──思わずまじまじとしていると、長川くんも私に気づいて、まばたきをして、「美坂さん」と私の名字を呼んだ。
「長川くん……だよね?」
駆け寄ってから、そう確認すると長川くんは柔らかく微笑んだ。
「うん。久しぶり」
「久しぶり。蒼樹は一緒じゃないの?」
「蒼樹、生活指導の先生につかまっちゃって。今日はひとりで帰ってきた」
「ああ……高校になると厳しいもんね」
「美坂さんも学校帰り?」
「うん。このあと塾もあるから、急がなきゃ」
「そうなんだ。僕も夏休みからは塾行くように言われてる」
私はうなずきつつ、思ったより心臓がざわめくことなく話せていることにほっとする。長川くんを意識していたことは、ちゃんと過去にできているみたいだ。
「そうだ、長川くん」
「うん?」
「ちょっとね、訊きたいんだけど」
「何?」
「今、その──好きな人とは、おつきあいできてる?」
「えっ」と長川くんはぱっと頬を染めて、「ええと」と視線を迷わせる。
「い、一応……つきあってるかな」
恥ずかしそうな長川くんに私は笑みをこぼし、「おめでとう」と伝えると長川くんははにかみながらこくんとした。
「蒼樹には聞いてなかったの?」
「別に、あいつから聞く話でもないし」
「そ、そっか……。何か、つきあえてるの、いまだに夢みたいなんだけどね」
「ふふ。私も頑張って彼氏作らないとなあ」
「美坂さんは、蒼樹とはどうなの?」
「あいつはないし」
「蒼樹、いい奴なんだけどなあ」
「どうせ蒼樹も、私のこと小姑みたいに思ってるでしょ」
「そんなことは──」
長川くんが言いかけたとき、「ナオっ」という元気な声がして、私も長川くんもそちらを見た。長い髪をアップでまとめた、かわいらしい感じの女の人が駆け寄ってきている。「おねえちゃん」と長川くんの表情もぱあっと明るくなって、その人に手を振る。
女の人は私たちのもとで足を止めると、「ん」とこちらを目を止める。「あ、中学時代のクラスメイトの子でね」と長川くんが説明する。
「蒼樹の幼なじみの女の子なんだ」
「あの不良の? すごい優等生女子に見えるけど」
「でも、生まれたぐらいから一緒なんだよね」
「あー……まあ、同じマンションに住んでる腐れ縁です」
「そうなんだ。ナオが親友なのもそうだけど、あの子って周りはまともだよね」
「おねえちゃん、仕事は終わったの?」
「終わって帰宅したのに、ナオがまだ帰ってないんだもん」
「ごめん。もう帰ろうとしてたよ」
「じゃ、一緒に帰ろ。おかあさん、今夜はハンバーグカレーだって言ってた」
「おいしいやつだ」
「うん。じゃあ、ええと──蒼樹って子に、またよろしくって言っておいてください」
女の人はにっこりして、長川くんは自然と姉であるその人の手を取った。え、と思っても口を出せずにいるうち、ふたりは手をつないで人波に混じっていく。
つきあってる、って言ってた。長川くんのあの人を見つめる瞳。だとしたら、長川くんの好きな人って──
塾の授業も、上の空になってしまった。ちなみに帰りは二十二時くらいになるので、親が車で迎えにきてくれる。私はリアシートでスマホを取り出し、蒼樹のトークルームを開いて『長川くんの好きな人って、お姉さんなのかな?』と送信した。
なかなか既読がつかずにいるうちに家に到着して、私は夕ごはんを軽く食べたりシャワーを浴びたりした。そして乾かしたストレートの黒髪を指先で梳きながら部屋に戻ると、スマホのランプが明滅していた。手に取ってみると、蒼樹のメッセで『そうだけど、何か文句あんの?』とあった。
文句、はないけど──姉弟で?
その後、蒼樹に説明してもらったところによると、ふたりに血のつながりはないらしかった。「何かドラマみたい」とつぶやくと、「尚里を支えてきたのはあの姉貴なんだよ」と蒼樹は肩をすくめた。
「蒼樹はびっくりしないんだね」
「尚里が気持ちを押し殺してた頃から知ってるしな」
蒼樹は苦笑したあと、「お前は偏見するか?」と問うてくる。私は考えて、「私が偏見してもしなくても、揺らぐことはなさそうだよ」と言い、「そうだろうな」と蒼樹はおかしそうにくすくす笑った。
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