君は壊れやすいから-6

冬が舞い降りて

 けれども、地元が同じなだけあって、それ以来やけにちらほらふたりのすがたが目に入るようになった。見たらいらいらするから、視界に入れたくないのに。
 紗由里ちゃんが蒼樹に向けるきらきらした笑顔や、そんな紗由里ちゃんを小突いたり抱き寄せたりする蒼樹の手が、なぜだか私を息苦しいほどの黒い感情で蝕む。ふたりが写った写真があったら、細切れに引き裂いてしまいたいような、いちいち癇に障る感覚が心にこびりついて落ちなくなる。
 熱帯夜や台風を繰り返して長引いた夏が、すうっと青空へと収束していく。さわやかな秋晴れとひんやりした秋雨が、交互に空を染めていった。夜には虫の声が澄み切って、やがて、落ち葉がひらひらとアスファルトをひるがえるようになる。夏はあんなにむせかえっていた季節の匂いが乾燥して、冬の冷たい香りだけほのかに感じるようになった。
 クリスマスイヴは、もちろん文喜くんと過ごした。茉優と蓮菜に協力してもらって、親には「今日は友達の家に集まったまま、泊まるかも」と言い置いてきた。クリスマスのイルミネーションやメロディがにぎやかな街を歩きながら、そろそろ帰宅の話になりそうな雰囲気の中、「今日帰らなくてもいいんだけど、どうする?」と恥ずかしさをこらえて文喜くんに伝えた。
「えっ」と文喜くんは、つないだ手に変な力をこめるくらいびっくりしていた。何か、がっついてたかな。そんな後悔も覚えて上目遣いをすると、かちりと瞳が合って、文喜くんは私の手を握りなおした。
「それは、その……いいの?」
 私はまだ動揺を残す文喜くんを見つめ、こくんとした。文喜くんは白い息を小さくこぼしながら、照れたように顔をうつむける。私も恥ずかしくて睫毛を下げ、でも、文喜くんの手をきゅっとつかんだ。
 大丈夫。この人となら後悔しない。だって、この感覚が痺れそうな寒さの中で、こんなに温かくなるほどの手で、私をつないでくれている。
 私はその夜、文喜くんのひとり暮らしの部屋に初めてお邪魔した。「散らかっててごめん」と言われて首を横に振る。ベッド、テレビ、ノートPCと教科書が載ったローテーブル、閉じられたクローゼットと、ベランダに行けるらしい青いカーテン。キッチンはかなり狭く、ドアの数から見てお風呂はユニットバスだ。
 ディナーはレストランで食べたけど、駅からの道のりにあったコンビニで少しお菓子を買ってきた。暖房を入れてテレビをつけて、フローリングに並んで座る。どきどきして、内容が頭に入ってこないままテレビを観ていると、そっと右手の指先に体温が触れた。
 文喜くんをちらりとすると、文喜くんも同じように私を見て、はにかんだ笑みがもつれる。文喜くんの手が私の手を握って、それを握り返したのを合図に、文喜くんは身を乗り出して私にキスをした。
 文喜くんの指が私の長い黒髪を梳いて、お菓子を食べた甘い舌を味わうような、深い口づけを交わす。そんなキスは初めてだったから、頭の中ではこれでいいのかな、間違ってないかなとかばかり考えてしまう。
 文喜くんは思ったより慣れていて、そういえば高校時代には彼女とかいたりしたのかなあと思った。そして、ほかの女の子とこういうことをしたのだろうか。蒼樹も──きっと、紗由里ちゃんと、してるんだろうな。そう思った途端、胸がじくりときしんで、私は振りはらうように文喜くんに応えた。
 ベッドにあがると、後ろから抱きしめられて、耳たぶから首筋をつうっと舌でたどられる。思わず声がもれると、「かわいい」と文喜くんはささやいて、服の上から胸の感触も確かめる。軆の奥をくすぐられているような、焦れったいものが背筋に絡みついてくる。文喜くんは私のスカートをめくり、少し脚を開かせると下着とタイツの上からそこに触れてきた。恥ずかしくて頬が熱を持ち、手で顔を覆ってしまうと、文喜くんはくすりとして、胸も揉みながら微妙な力加減で私の脚のあいだをこすった。
 じわじわと広がっていく敏感さに私の力が抜けてくると、文喜くんは私をシーツに横たわらせて服を脱がせた。白にオレンジの刺繍が入った下着に、「何かつばめらしくて好き」と文喜くんは咲って、みずからも服を脱いだ。細身だと思っていたけど、思ったよりしなやかな筋肉がついている。
 私たちは軆を重ねると、お互いのあちこちに口づけをした。そうして心身をほぐすと、ふと入口にそれを当てられて、「いい?」と訊かれた。私がうなずくと、文喜くんは私の中にゆっくりと分け入ってくる。
「壁薄いから、声出させてあげられなくてごめん」
 文喜くんは動きながら言って、私は息を切らしながら「平気」と何とか言った。文喜くんが奥を突くたび、さっきまで指でいじられていた核に響いて、私は唇を噛んで文喜くんの首にしがみつく。
 初めは緩やかだった文喜くんの動きが、少しずつ荒々しくなって、私の中でいっぱいになる。文喜くんも私の上体を抱きしめて、ふたりで丸くなってつながりを溶け合わせた。頭の中がくらくらと白くさらわれていく。
 文喜くんの呼吸が一度大きく弾んで、「いきそう」という言葉がかすれがちに聞こえた。そしてその瞬間、文喜くんは引き抜いて私の内腿に吐き出した。
「……あ、ごめん」
「えっ?」
「何か……こんなふうになるとは、思ってなかったから。この部屋にゴムとかなくて」
「………、えっ」
「いや、もちろん中に出したわけじゃないけど。やばい日だった?」
「え、ええと……待って、どう、だったかな。スマホ見ていい?」
「うん」
 え、ちょっと待って。ほんとに、ちょっと待って。やばい日ってどの日? 排卵日になるの?
 自分の出血も放って、混乱しながらバックからスマホを取り出して、生理の記録アプリを開いた。生理は一週間前に来て、昨日終わったところだ。そう、だからこの出血も生理ではなく、破瓜のものだろう。周期のところに、妊娠確率は低いと表示されていて、一応ほっとした。
「大丈夫だと思う」と私が顔をあげると、「そっか」と文喜くんも安心した顔になって、「ごめんね」ともう一度言う。私は心臓をこぼしそうな深い安堵の中でうなずきながらも、何とも言えない薄霧がただよってくるような、言い知れない不安を感じた。
 ──そしてそれから、ときおり私は文喜くんの部屋にお邪魔して、軆を交わした。あのクリスマスイヴの次のときは、コンドームが部屋にあって、文喜くんはちゃんとつけてくれた。けれど、雰囲気に流されるまま行為に及ぶので、いったん中断してつけるのがもどかしいのか、そのあとも文喜くんはつけてくれないときがあった。さすがに中では出さなかったけど、私の中では、小さな恐怖にも似た霧がだんだん濃くなっていった。
 彼氏がたまに、コンドームをつけてくれないんだけど。そんなこと、誰に相談したらいいのかも分からなくて、ひとりで抱えこんで心が息づまっていった。後期の試験が終わって春休みが始まった二月、その日は何の用事もなくて部屋のベッドでごろごろして、大丈夫だよね、と何となくお腹に触れたりしていた。
 バレンタインも文喜くんと過ごした。チョコをすごく喜んでもらえたのは、とても嬉しかった。なのに、そのあとまた何もつけずに軆を突き上げられて、何だか哀しくなった。
 大事にしてくれる、ってつきあう前に茉優か蓮菜に言われたっけ。私、本当に大事にされてるのかな。私の軆のこと、考えてくれてるのかな。心のこと、思いやってもらえてるのかな……。
『つばめさんにバレンタインをスルーされた。』
 お昼ごはんも食べる気になれないままでいると、不意にまくらもとのスマホが着信音を鳴らした。のろのろと手を伸ばし、通知欄を見ると蒼樹からのメッセだったので、思わず身を起こしてトークルームを開く。すると、そこにはそんな新着メッセがあったので、思わず笑ってしまった。
『今年はさゆりちゃんからもらえるでしょ?』
 そんな返信をすると、すぐに既読がついてメッセが続く。
『もらったけど、あいつ料理はダメな感じだわ。』
『そうなんだ。』
『口直しにお前のいつもの義理チョコ待ってたんだけど、来ねえのかよ。』
『私のチョコ欲しいの?』
『味は悪くないからな。』
 私は小さく噴き出して、『作るのは面倒だから、コンビニで何か買ってきてあげる。』と送信した。すると『何でもいい。』と返ってきたので、よし、と私は少し元気を出して、オリーブのコートを羽織って白いマフラーを巻き、昼下がりの陽射しだけはほんのり温かな外に出た。
 コンビニには、バレンタインチョコレートはやはり残っていなかった。代わりに、ホワイトデーのお菓子が並んでいて、ただのお菓子よりはまあいいかもしれないと思ったので、ラッピングされたラングドシャクッキーの箱を手に取った。あとは、うすしおのポテチと五百ミリリットルペットボトルのコーラも買って、私は風に身をすくめながらマンションに帰る。
 そして、久しぶりに蒼樹の家がある階まで階段をのぼり、四つ目のドアのチャイムを鳴らした。
「お遣いご苦労」
 顔を出した蒼樹はそんなことを言ったけど、私がむくれた顔をすると、「施しありがとうございます」と言い直した。私は咲って、「はい」とコンビニのふくろをさしだす。それを受け取った蒼樹は「あがってけば」とドアを大きく開き、私は素直にお邪魔させてもらうことにした。

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