角砂糖をちょうだい-9

好きって言っていいのかな

 そこでは、えんじのブレザーをきた高校生くらいの女の子が店内を見まわしていた。あ、と思って立ち上がりかけた私に、その子もこちらに気づく。彼女は案内しようとしていたウェイトレスに頭を下げると、私のいる席に駆け寄ってきた。
「悠海さんですか?」
 凛とした声は茉莉紗さんに似ていた。それでも、「絵梨紗ちゃんですよね?」と私も確認すると、「はいっ」と彼女はぱあっと笑顔になり、そういう笑顔は、茉莉紗さんは見せないなと思う。けれど、しっとり白い肌や切り揃えたような黒髪は同じだ。絵梨紗ちゃんの髪は、肩くらいの長さだけれど。
「すみません、けっこう遅くなっちゃって」
「大丈夫ですよ。日も長くなってきましたし」
「暑っついですよね! 夏か。もう夏ですよ」
「熱中症とか聞きますもんね。ドリンクバー頼んでください、私がはらうので」
「え、でも──いいんですか?」
「はい。お腹空いてるなら何か頼んでも」
「お腹は、空いてるんですけど。家で夕ごはんできてるかも」
「あ、もちろん無理はしなくても」
「何かすみません。ドリンクバーだけにしときますっ」
 絵梨紗ちゃんはベルを押し、やってきたウェイトレスにドリンクバーを注文した。そして、「ちょっと待っててくださいね」と断ってドリンクバーコーナーに向かい、炭酸のオレンジジュースを持ってくるとストローに口をつける。
 そのあいだに、私は閉じた本をバッグにしまった。
 一気に半分くらい飲んだ絵梨紗ちゃんは、大きな息をつく。
「はーっ、すっごい喉渇いてた。というか、ごめんなさい。ほぼ初対面でおごってもらうとか」
「いえいえ。茉莉紗さんの妹さんですし」
「あ、おねえちゃんのことは知ってるんですね」
「友達ってほどではなくても、顔見知りです」
「そうなんですね。あ、敬語やめていいですよ。何か変な感じ」
「そ、そうですか? じゃあ、ええと──何から話したらいいのかな。蒼磨くんのこと、でいい?」
「う……はい。改めて話すとなると照れますね」
 ちょっともじもじとした絵梨紗ちゃんについ咲いつつも、「蒼磨くんからは、よく絵梨紗ちゃんのこと聞いてて」と私は切り出す。
「え、蒼磨、何か言ってるんですか」
「いや、まあ絵梨紗ちゃんが好きだ好きだと」
 絵梨紗ちゃんは爆発を食らったように目を開いて、テーブルに伏せるとどんどんとこぶしを打ちつける。
「あいつ、何っ……えっ? 恥ずかしくないの!?」
「えと、絵梨紗ちゃんのほうは、蒼磨くんのことって……」
 私の問いに、絵梨紗ちゃんは顔を上げるとふうっと息をつき、白い頬をほんのり染めて「……好きです」とぼそりと言った。
「そ、そっか。うん、紫磨ちゃんもそう言ってたんだけどね」
「紫磨ちゃ……ええっ、やだもう、恥ずかしいっ。バカみたいですよね、年下で弟みたいな奴にこんな……」
「いや、そこは私は人のこと言えないので」
 絵梨紗ちゃんは私を見て、「だから悠海さんと話したくてー」と泣きそうな声ですがってくる。私はうなずきながら、「大丈夫だから」と絵梨紗ちゃんをなだめる。
「私も、紅磨くんのこと好きだって自覚したとき、犯罪とか思ったから。というか、紅磨くん高校生だったから犯罪だったんだけど」
「紅磨にいちゃんが高校生のときからなんですか」
「うん。ヒイちゃうでしょ」
「そんなことないですっ。あたしだって、ポスト弟だから。犯罪みたいなもんです」
「大丈夫。蒼磨くんだって絵梨紗ちゃんのことが好きなんだし、合意なんだから」
「うう……ありがとうございます。友達とかには、めちゃくちゃ笑われるから。年下とかありえないって」
 私は首をかたむけて、「それで蒼磨くんのこと、告白されても振っちゃってるの?」と訊いてみる。
「いや、振ってるつもりはないんです。けど、はぐらかして応えてないというか」
「なるほど」
「だって、ずっと弟だったんですよ。それがマジな顔して告ってくるんですよ。どうしたらいいか分からないじゃないですか。嬉しいとか以前に、パニックですよ」
「まあ、確かに……」
 紅磨くんに想いを打ち明けられたときを思い出し、私もついそう答えてしまう。
「嬉しいんですよ。ほんとに。けど、年下……だし。友達に相談しても、年下はありえないよって言われるし。悠海さんは、紅磨にいちゃんとつきあおうって決めた切っかけとかありますか」
「私、は……いったん、ほかの人に自分の気持ちを向けようとしたの。けど、ぜんぜんダメで。キスされそうになっても、どきどきしないの。ただ、紅磨くんを思い出す。紅磨くんとは、デートしてるだけで幸せになれたのに」
「ほかの人かあ……なるほど」
 絵梨紗ちゃんはオレンジジュースをすすり、そういえば、と私は思い出す。
「絵梨紗ちゃんにも、告白してきた男の子がいるんだよね。そのとき、蒼磨くん私と紅磨くんの部屋に来たから、聞いたんだけど」
「あっ、あのとき悠海さんのとこ行ったんですか、あいつ」
「うん。蒼磨くん、すごく泣いてて」
「……そうなんですか。泣いたのか。あいつすぐ泣くからな……何かすみません」
「ううん。その男の子には、返事したの?」
「いえ。そいつのことは、友達だと思ってたんですよね。中学時代、ずっとクラスが一緒で。同じ高校に行って。蒼磨のことも相談してたんです。なのに、何で『好き』とか……。だから、返事するの気まずいなあって。断ったら、友達ではいられなくなる気がして」
「友達ではいたいんだ」
「悪い奴じゃないんで」
「そっか。それでも、絵梨紗ちゃんの気持ちが蒼磨くんで決まってるなら、お断りはしておいたほうがその子も吹っ切れてむしろ友達になってくれるかもしれないよ」
「そうでしょうか」
「蒼磨くんに勘違いされてるのも嫌でしょ? その子が彼氏じゃないかって言ってたから」
「彼氏っ……何でそうなんの!? 蒼磨のバカあ」
「蒼磨くんにも、その子とのことは説明したほうがいいかな。それから、好きなのは蒼磨くんだよって」
「あたしから告るのかあ……ああ、何か自分がめっちゃ笑い飛ばしてきたから、今度はあいつにそうされないかなあ。『騙されて本気にしたー』とか笑ってこないですかね」
「それは……ないと思うよ。まあ、蒼磨くん、また気持ち伝えてくると思うし、そのとき受け入れるのでもいいかと」
「ほんとにつきあっていいんですかね……?」
「私も、紅磨くんとは七歳離れてるからすごく悩んだけど。やっぱり、好きになっちゃったから」
「そうですよね。好きなんだよなー。やっぱ、蒼磨しか無理なんだよなー」
 絵梨紗ちゃんはストローでオレンジジュースを飲んだあと、少し表情を陰らせ、「笑われないかなあ」とつぶやく。
「笑う?」
「友達、どうせそのうち年下の子に取られるよとか言うんです。年上なんか、すぐ捨てられちゃうって」
「うーん、友達っていうのが、絵梨紗ちゃんと蒼磨くんのことどれだけ知ってるか私は分からないけど、私は蒼磨くん見てて、絵梨紗ちゃんを幸せにしたいんだろうし、傷つけたりはしないなって感じるよ」
「蒼磨はあたしを裏切らない、とかうぬぼれじゃないですか?」
「そんなことないよ。私も蒼磨くんは絵梨紗ちゃんを大切するだろうなって思う」
「そっ、かあ……。じゃあ、えと……今度、蒼磨が好きだって言ってきたら、ちゃんと話してみようかな……」
「蒼磨くんも、きっとそうしてもらえたら喜ぶよ」
 絵梨紗ちゃんはストローで氷をからころとかきまぜ、「蒼磨かあ……」と改めて考えるようにつぶやく。
「蒼磨とつきあうって、何か、いまさら恥ずかしい気持ちもあるんです。恋人になるんですよね? うわー」
 絵梨紗ちゃんは目をつぶり、両手で頬を覆って息を吐く。私は少し咲って、「蒼磨くん、いい子だから」となくなりかけたアイスティーをストローで飲む。
「狙ってる子もいるかもしれないよ?」
「えっ、あんなのをですか」
「人懐っこいし、けっこう女の子に期待持たせてそう」
「………、それは、やだ。蒼磨が誰かとつきあったら、あたしその子にすごく意地悪しそう」
「じゃあ、早めに蒼磨くんに素直になろう。きっと、蒼磨くんもそれを待ってるよ」
 オレンジジュースを飲み干した絵梨紗ちゃんは、こくりとして「分かりました」と私と視線を重ねた。
「今度こそ、ごまかさずに蒼磨と話してみます」
「もちろん、できるなら絵梨紗ちゃんから伝えてもいいと思うけど」
「えっ、いや、それは──まあ、検討します」
 私が咲ってしまいつつうなずくと、「じゃあ、あたしと蒼磨のことはまたご報告するとして」と絵梨紗ちゃんは話題を脇に置く。
「悠海さんと紅磨にいちゃんの馴れ初めとか、あたしすっごい知りたいんです。告白したのどっちですか? デートはどこに行くんですか? やっぱ、もう結婚前提ですか?」
 一気に質問されてまばたいてしまったものの、「告白はまず紅磨くんにされたかな」と私はゆっくり回想する。絵梨紗ちゃんは、そういう年代なのか、恋の話がすごく楽しいらしい。どんどん質問されるままいろんなことを思い出していると、「いいなあ」と絵梨紗ちゃんはうっとりため息をついた。
「紅磨にいちゃん、いつもおねえちゃんとつきあってるとか言われて、それにうんざりしてたからなあ。悠海さんとはそんなふうにラブラブにやってるのかあ」
「絵梨紗ちゃんとしては、紅磨くんと茉莉紗さんが、その──何もなくてよかったの?」
「あのふたりがくっつくと、あたしと蒼磨が姉弟になっちゃうんで、何もないのを祈ってましたよね」
「あ、そっか」
「ふふっ、蒼磨とつきあって、紅磨にいちゃんと悠海さんが結婚したら、ほんとに姉妹になれますね。おねえちゃんはクールだから、悠海さんのほうが話しやすいです」
「茉莉紗さんは紫磨ちゃんと気が合いそうだよね」
「あー、紫磨ちゃんはおねえちゃんに憧れてますね。あたしには分かんない」
 ドリンクバーをおかわりしつつ、そんな話を続けていると、あっという間に時間は過ぎていった。

第十章へ

error: