彼の来ない部屋
あたしは、現れた熱の破片に茫然としている。この心には冷めゆくひと雫が伝っている。それは終わったときにはじけて現れた、あたしと彼の関係の証だ。
事実の先には真実がある。あたしたちは引き裂かれた。終わったという事実になんて泣かない。ただ、ふたりのあいだに引き裂けるものがあったという真実に、確かに水が生まれている。
あたしたちの関係は、まるで水素だった。無臭、無色、軽く、つかみどころがない。そして、燃え尽きてそれがそれでなくなったとき──つまり終わったとき、“それ”は忽然とすがたを現した。
そう、あたしたちは水素だった。水素でなくなったとき、“それ”は水となって、いまさらかたちを現した。そして、その発生した元水素の液体を、あたしは瞳から生んでいる。
あたしは裂けた傷口に溺れている。忌ま忌ましく澄んだ血の中で、あたしたちの関係は傷口を作れるものだったのだと驚きながら、真っ赤な傷口に飲みこまれそうになっている。
彼はあたしを愛していた。命をかけて大切にしていた。今になってあたしは断言する。
でなければ、彼は平然とあたしの血に血をしたたらせ、破滅に道連れにし、生きることを放棄させていた。彼の愛はあたしを殺せず、彼は自分からあたしを守った。
分からない。このやりきれなさはどうしたらいい? 思い余って、彼のあたしへの愛を憎む。
あたしと彼を引き裂いたのは、病気ではない。
あたしと彼は水素で、つなぐ糸の証明は水だった。
では酸素は?
病気じゃない。無鉄砲のなさじゃない。燃えあがる恋でもない。
あたしたちを引き裂いた酸素は、引き裂く炎をあおったのは、凪のように揺るぎなくあたしの生を願う、彼の愛だったのだ。
あたしは現れた液体に沈みこんでいる。彼の愛を、息をできないほど全身に感じている。発生したときは熱かった雫も、ぬるくなりはじめている。あたしの呼吸の気泡は、かすかになっていくばかりだ。
目を閉じた。あたしには何も残らない。ただ喉を絞めるぬるま湯が、冷たい水になっていく。
FIN