彼女の恋は凪いでいる-4

夏 – 波葉【1】

 紀琴はかわいい。かわいいくせに、わりと意志が強くてかっこいい。
 子供の頃からそういう奴だった。だから、俺が自然と惹かれていたのは、いつのまにか同性である紀琴のほうだった。
 そばには、異性の瑠璃海もいたのに。瑠璃海のことだって、もちろん好きだと思っていたのに。何で、瑠璃海じゃなくて、紀琴といるほうがこんなにどきどきするのだろう。
 そんな疑問も、自然と身についた知識で解き明かされた。どうやら俺は、異性でなく同性に恋をする、ゲイというものなのだ。
 紀琴と瑠璃海は、幼稚園のときからずうっと一緒につるんでいる幼なじみだ。高校生になった今も、みんな同じマンションに住んでいる。
 幼稚園が終わって、家でおやつを食べたあと、マンションの近くにある児童公園で三人集まって、夕暮れにそれぞれの母親が呼びにくるまで遊んだ。小学生になってもそうだった。
 そのうち、瑠璃海は女の子の友達がちらほらできても、俺と紀琴をほったらかすことはなかった。というか、女の子の友達は本命は俺なのか紀琴なのかという質問ばかりするそうで、それが面倒だと瑠璃海は言っていた。
 林間学校だか修学旅行だかの夜、瑠璃海の取り合いにならないのかと、俺と紀琴も同室の奴らに訊かれた。
「なるのかな?」
 紀琴が俺を見て、「ならねえだろ」と俺は肩をすくめた。
「俺がルリとかないからな」
「そうなの?」
 よほど意外だったのか、紀琴はまじろぎ、「キコはあんのかよ」と俺が問うと、紀琴はどぎまぎと視線を狼狽えさせた。
 別に、質問なんてしなくても分かっていた。紀琴は瑠璃海のことが好きなんだろうな、と感じていた。瑠璃海だって、紀琴のことが──。
 だから、俺は紀琴への想いとゲイであることだけは、ずっと誰にも相談できなかった。
 中学生になって、ごく自然に紀琴と瑠璃海はつきあいはじめた。紀琴からその報告を受けた俺は、その場では「おめでと」と笑みを作ったものの、夜になって無性に泣けてきた。
 紀琴のことがずっと好きだったのに。俺なんか、対象として見ることもされず。だからって、瑠璃海を怨むわけにもいかないし。
 ふたりとも、べつだん変わるわけではないだろう。俺をさしおいたつきあいを始めたりはしないだろう。相変わらず、俺たちは三人なのだけど、きっとそれが、一生つらい。
 紀琴への恋心を簡単に忘れることはできそうにないし、ゲイってこともやっぱり誰にも言えない。夜には鬱々と考えて泣いているのに、紀琴と瑠璃海の前では必死に咲っていた。
 そうして、俺たちは高校生になった。三人とも同じ高校に進んだものの、クラスはばらばらになった。紀琴は二組、瑠璃海は三組で、教室が隣り合ってはいる。俺は六組で、少しふたりから離れた廊下奥の教室だ。
 俺は何だか、友達を作る気力もなくなっていた。友達になったって、異性愛者の化けの皮を着ないといけなくて疲れる。
 ひとりでつくえでぼーっとしていると、見兼ねた紀琴と瑠璃海が俺の教室に来て構ってくれた。そういう優しさに甘えて、ふたりきりの時間を邪魔する。我ながらうつわが小さくて嫌になる。
 長年三人組だった俺たちだけど、とある切っかけで、俺の隣の席の女子が会話に混じるようになった。
 高畑舞凪。
 初めは挨拶ていどで、ちょっと澄ましているなという印象だったのだけど、会話するようになってしばらくしたある日、こいつが俺の紀琴への気持ちを見抜いてきた。そして、淡々と自分がアセクシュアルであることも打ち明けてきた。
 アセクシュアル、というのを俺はきちんと分かっていなかったので、あとでスマホで調べた。それで一応、舞凪の性指向はつかめて、俺と同じくセクマイの部類になることも分かった。
 それから、俺は今までよりは舞凪に心を許せた気がする。同類で群れたいわけではなくても、人に理解されづらい一面があるつらさなら、やっぱり分かってしまうから。
「子供の頃に」
 紀琴と瑠璃海が訪ねてこなかった休み時間は、俺と舞凪は席も隣同士だし、周りに聞き取られない声量には気をつけながら話をする。
「というか、今もかもしれないけど」
「んー?」
「好きな人の話ばっかりなのが、すごく嫌だった」
「あー、分かるわ」
 俺は頬杖をついて、空中を眺めるまま答える。
「好きな人なんてほんとにいないのに、『嘘ついてる』とか『何で隠すの』とか言われるの」
「俺はそのうち、適当な女子言っとくようになったかなー」
「そういう話のときって、紀琴くんもいた?」
「あいつは中学くらいから開き直って、はっきりルリだって」
「瑠璃海さんは?」
「キコって言ってたんじゃね。周りに両想いとか言われて、そのままつきあいはじめたわけだし」
「ふうん」
 俺は首を捻じって舞凪を見ると、「舞凪ってさ」と訊いてみる。
「男が気持ち悪いわけじゃないよな」
「女に『好き』って言われるのも嫌だからね」
「俺は絶対、舞凪にそういうのないけど」
「だろうね」
「だったら、俺のことは気持ち悪くないの?」
「わざわざ触れてくることもないよね」
「だな」
「波葉くんは平気な感じする」
「そっか」
「何か、初めて誰かとちゃんと友達になれそう」
「俺もそう思う」
 舞凪がちょっと咲い、俺もつい噴き出してしまう。変な感じだ。友達になれそうと言い合って友達になるなんて、本当にガキみたいじゃないか。
 でも、言葉で確認してしまうほど、舞凪もずっと孤独だったのだろう。
 紀琴が好きで、今も好きで、本当は抱きしめたいとか思ってしまうこと。それを知ってくれている人がずっと欲しかった。だから、俺にとって舞凪は貴重な存在になるのだろう。
 しかし、恋愛にならない安心感がいいのに、こういう状態だと、なぜか周りはつきあいはじめたのかと色めいてくる。放課後、駅の改札で舞凪と別れ、三人でホームで電車を待っていると、「ナミ、舞凪ちゃんと仲良くなったね」と瑠璃海がにやりとして、「僕もそう思う」と紀琴までそんなことを言ってくる。
「やっぱり、舞凪ちゃんのこと好きになった?」
 俺は瑠璃海の頭を小突き、「違げえよ」と否定もしておいた。「でも」と紀琴は話を続ける。
「ナミが舞凪さんとつきあったら安心なんだけどな」
「何が安心なんだよ」
「彼氏ができたって言えるなら、危ない男も寄ってこないかと」
「キコ、まだ舞凪ちゃんの中学時代の人を心配してるの?」
 おもしろくなさそうに瑠璃海が言うと、「あのとき、ほんとに舞凪さん怯えてたから」と紀琴は愁眉を見せる。怯えてたというか嫌悪してたんだろうけどな、と思っても、俺は黙っている。
「ナミ、ほんとに舞凪さんのこと考えられないの?」
 紀琴が長い睫毛の奥から俺を見つめてきて、思わずどきっとしてしまった俺は目をそらし、「ないない。無理」と早口に答えた。
「どうしても心配なら、キコが自分で彼氏のふりとかしてやればいいだろ」
「えっ、何それ。それはあたしが嫌なんだけど」
「ふりだよ、ふり。彼氏になれとは言ってねえ」
「うーん、舞凪さん、どっちかというとやっぱりナミと仲がいいし」
 そりゃあ、仲はいい。やっと見つけた自分の本音をさらせる友達だ。だからこそ、俺と舞凪のあいだに恋愛感情はありえない。
「てか、舞凪の同級生ってそんなにやばい奴なのか」
「強引な感じだった」
「まあ、そいつもそれだけ舞凪が好きなんだろ」
「そうなのかな。僕はルリにああいう態度は取りたくないけど」
「キコは優しいよね」
 瑠璃海はにっこりして、それは舞凪も言ってたなと俺は思う。紀琴くんは優しい人だと。
 舞凪が無性愛者というのを疑うわけではないし、実際、舞凪は無性愛者だと思う。が、紀琴に少なからず関心はあるのかなと思うときはある。
 やはり、助けてくれた恩で好意的には見ているようだ。そこに恋愛感情は確かに見取れなくても、本当は紀琴とも気軽にしゃべってみたいのかなと感じる。というか、正確には瑠璃海に遠慮しているというか──
「舞凪が心配なら」
 電車がまもなくやってくる放送がかかる中で、俺がそう言うと紀琴はこちらを見た。
「気をつけろよって伝えとくだけで、あいつは嬉しいんじゃね」
「そう、かな」
「俺はそう思うけど」
「けどさ、舞凪ちゃん、キコのこと好きにならないかな?」
「そこは嫁として自信持っとけ」
「嫁って」
「似たようなもんだろ」
 そう言う俺に照れている瑠璃海の隣で、紀琴は少し考えている。
 電車がホームにすべりこんできて、ドアが開いた。乗客が降りたのち、俺たちは近隣高校の制服で混みあう車両に乗りこむ。
 紀琴の肩が近い、というか触れあっている。でも引くのも嫌な感じだよなとそのまま体温を感じていて、高まる鼓動の気恥ずかしさに俺は顔を伏せた。

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