Honey Marry-12

取られたくない【3】

 おねえちゃんがお風呂に行っているあいだ、僕の連絡を受け取ったおとうさんとおかあさんが、代わりにケーキとチキンを持って一緒に帰宅した。
 僕は迷ったものの、おねえちゃんに笑顔を強いたくなくて、「おねえちゃん帰ってきて泣いてたから、チカちゃんと何があったか訊かないであげて」と頼んだ。ふたりは顔を合わせ、もちろん心配を見せたけれど、僕のお願いを聞いてくれた。ルームウェアになって現れたおねえちゃんに、「今日は疲れただろうから、ケーキもチキンも明日ね」とふたりはさりげなく休むことを勧めてくれる。
 おねえちゃんはほっとした様子でうなずき、「ナオ、おやすみ」と僕にも声をかけて、二階に上がっていった。僕はそれを見送ってから、誓にいちゃんにメッセージを送った。
『帰ってきたら、お姉ちゃん泣いてたよ。
 チカちゃん何かしたの?』
 しばらく反応がなかったものの、着信音が鳴って、スマホの画面に表示されたポップアップをタップする。
『ナオは気にしなくていいよ。
 俺とミキでまた話すから。』
 眉を寄せて、いらっとしてしまう。僕が部外者みたいに。おねえちゃんを泣かせるなら、僕は弟だとしても放っておけない。
『おねえちゃんが嫌がることをしたなら、もう近づかないで。』
 そんな文章を入力したものの、送信しようか迷っていると誓にいちゃんからの新着メッセージが表示された。
『別れ際につきあいたいって言ったら、家の中に逃げられた。
 だから、嫌だったのか、恥ずかしいのか分からないんだ。』
 つきあいたい。……恥ずかしい。ふと、お姉ちゃんの頬に残っていた赤みを思い出した。
 ついで、ぱちん、とピースが重なっていく。僕に謝ったのは、彼氏は作らないと言ったのに誓にいちゃんに揺れたから? 待っててよかったという言葉は、まだ僕に裏切りを知られていないと思ったから? おねえちゃんは、誓にいちゃんとつきあいたくて心が動いているのか。
 そんな。そんなの嫌だ。おねえちゃんが誰かとつきあうなんて、そんなの──
「おねえちゃん」
 誓にいちゃんに『分かった。もう寝るね。』と送ってメッセージを止めると、おとうさんとおかあさんにおやすみを言って、僕は二階に上がった。そして、おねえちゃんの部屋の前で立ち止まって、小さくノックして声をかけてみた。返事はないけど、おねえちゃんが起きているのは明かりが暗い廊下にもれているから分かる。
「おねえちゃんは、チカちゃんとつきあうの……?」
 かすかに、物音がした。でも、おねえちゃんはドアを開けてくれない。僕が勝手に開けるのも何となくできない。ドア一枚がひどく遠くて、僕は泣きそうになってくる。
 けれど、僕が泣いたらおねえちゃんはもっと困る? 誓にいちゃんとつきあいたいのに、僕が邪魔? 喉に杭が刺さったように苦しくなって、息ができなくて、冷たい廊下を進んで僕は自分の部屋に入った。
 つくえに歩み寄って、椅子に腰かけるとそのままにしていた美坂さんのプレゼントをたぐりよせた。歯磨きはしてきたのに、クッキーを一枚食べてみた。チョコチップクッキーで、チョコレートがなぜか苦く感じられた。
 メッセージカードを手に取ってみて、美坂さんの連絡先を眺める。三学期になって、連絡先を教えなかったことをしこりにされたら面倒臭い。僕は美坂さんの連絡先を検索して、『つばめ』という名前が一致するのも確認して連絡先を登録した。そして、『長川です。連絡遅れてごめんなさい。登録しました。』と事務的なメッセージを送信した。すぐに反応があって、メッセージが表示される。
『長川くん、登録ありがとう!
 やっぱり迷惑だったかなって思ってたから嬉しいです。
 これから、ここでもよろしくね。』
 別に美坂さんと話したいことも、話すこともないし、登録したところでメッセージを使うのか分からないけれど。クッキーありがとうとか送ったほうがいいかな、と思ったけど、やりとりがチャットになって切りにくくなったら嫌だなとやめておいた。
 もう一枚クッキーを食べてから、また封をしてベッドに移り、スマホを充電につなぐ。ベッドサイドに腰かけると息をついて、シーツに上体を倒した。天井の白い電気を見つめる。うざったいなあ、とぼんやり感じて、早くも美坂さんに連絡先をつなげてしまったことを後悔する。
 こんなことをしたって、何にもならない。何の意味もない抵抗だ。僕が女の子と連絡先を交換したぐらいが、おねえちゃんにとって何だというのだ。嫉妬なんかしてもらえない。おねえちゃんは誓にいちゃんのことを考えている。嫉妬しているのは僕だ。
 次の日、おねえちゃんは両親の前で普通に咲っていて、僕からの泣いていたという話が気になるようでも、おとうさんもおかあさんも何も問いたださなかった。でも、両親には普通にしようとしているのに、おねえちゃんは僕に対しては何だかぎこちない。僕もおねえちゃんに素直になれない。
 そんな気まずさの中、年を越して年が明けて、お正月になった。僕はいつも年の一番初めに話すのはおねえちゃんがいいから、真夜中におねえちゃんの部屋をノックして「あけましておめでとう」を言ってもらうのだけど、今年はそれができずにいるうちに美坂さんから一番初めにメッセージが届いた。それにうんざりしてしまって、トークルームを開いてチェックすることもせず、暗闇でふとんを頭にかぶった。
 おねえちゃんは、誓にいちゃんに返事をしたのだろうか。冬休みで会っている様子はなくても、スマホで連絡ぐらい取れる。僕はこのまま誓にいちゃんにおねえちゃんを奪われてしまうのか。
 嫌だ。そんなの嫌なのに。何もすることができない。
 シーツにぽたぽたと涙が落ちる。おねえちゃんが隣に来て、「大丈夫」と手を握ってくれたら、それだけで救われるのに。おねえちゃんは僕の目も見てくれない。
 そして訪れた元日の朝、家族四人でおせちを朝食にして、「あけましておめでとう」と言葉を交わした。お年玉をもらって、おねえちゃんは「ありがとー」と咲っても、僕はうまく咲えない。
 最近ずっと食欲もなくて、おせちに箸が伸びずに、お雑煮の味噌汁ばっかりすすっていた。おねえちゃんはだしまきたまごばっかり食べて、「ほかのも食べてよ」とおかあさんに文句を言われている。
「初詣は昼から行くか?」
 おとうさんがそう言うと、「今日行ったら混んでるよ」とおかあさんが黒豆を器用につまむ。
「どうせ四日から仕事で、三箇日に行かなきゃいけないから一緒だろう」
「そうかなあ」
「ミキとナオも初詣は行くだろ」
「うーん、あたしチカに誘われてるんだよね。朝起きたら何か来てた」
 どきっと僕はおねえちゃんを見たけど、おねえちゃんは平静で話を続ける。
「でも、おとうさんとおかあさんが今日行くなら、チカは断って──」
「ううん、ミキちゃんがチカくんと行きたいなら、私たちは明日でもいいんだよ」
「そうだな。いや、家族でも行くのは面倒か?」
「そんなことはないけど。じゃあ、チカとはさっさと行ってこようかなー」
 僕はお餅を食べながら、やっぱり誓にいちゃんとスマホで連絡は取っていたのかと落ちこむ。しかも、今日初詣に行くなら、もちろんまたふたりだろう。僕のことなんか、おねえちゃんはもうどうでもいいのだ。
 息苦しさに味噌の味を噛みしめたとき、「ナオはどうする?」と突然おねえちゃんが話しかけてきた。僕はびくっとおねえちゃんを見る。
「えっ……」
「チカとの初詣、ナオも一緒に行く?」
「……え、」
「ミキちゃん、チカくんはミキちゃんを誘ってるんでしょう」
「んー、でも、ふたりきりだとまたデートみたいだしなー」
「初詣デートじゃないのか?」
「何でよ。違うよ。ナオが良かったら、一緒に行ってくれるほうがあたしは気が楽」
 僕はおねえちゃんを見つめた。おねえちゃんも僕を見て、「嫌かな」とあやふやに咲った。僕は急いで首を横に振ると、「一緒に行く」と答えた。
「いいの?」
「おねえちゃんが、僕のこと邪魔じゃなかったら」
「邪魔なわけないでしょ。ナオのほうが、あたしみたいな姉は鬱陶しいかなって──」
「な、何で? 僕、そんなこと言ってないよ」
「言ってはないけど。何かなー、弟離れーとか考えてたけど、やっぱナオがかわいいんだわ」
 おねえちゃんはそう言って息をつき、僕はぽかんとして、おとうさんとおかあさんは急に笑い出す。「そんなこと考えてナオに冷たかったのか」とおとうさんが栗きんとんを食べながら言う。
「えっ、別に冷たくはしてないよ」
「ナオは落ちこんでたよなあ」
「そうだよ、ミキちゃん。ナオくん悩んでたよねえ」
「う、……うん」
 正直に肯定すると、「そうなの?」とおねえちゃんはお雑煮を食べようとしていた手を止めて、「ごめん、ナオ」と僕の頭を撫でた。それだけで嬉しくて泣きそうになると、「ナオー」とおねえちゃんは困ったように僕を覗きこんだ。瞳におねえちゃんの瞳が触れる。「ごめんね」と優しく言われて、僕はこくんとした。
「よし、じゃあナオも一緒に初詣行こうね。あたしもチカに言われたこと気にするのやめた」
「何か言われたのか?」
「いやー、ナオはあたしに依存してるとか言われたのがショックだった」
「それでクリスマス泣いてたの?」
「え……えっ? 何でおかあさん知ってるの」
「あ、……まあ、ナオくんがミキちゃんを詮索しないであげてって言ってね」
 おねえちゃんが僕を見る。僕が頬を染めてうつむくと、おねえちゃんはにっこりして「やっぱりナオはかわいい!」と僕の頭をくしゃくしゃにした。
 軆の奥から、安堵にも似た喜びが湧いてくる。おねえちゃん。おねえちゃんはちゃんと、僕のことを想ってくれていた。僕を大事にしてくれる。一番。そうだ。おねえちゃんの一番はやっぱり僕だ。
 初詣では、ここしばらくおねえちゃんと気まずかったのをぬぐい去りたくて、いっぱい甘えて、寒いからとくっついた。誓にいちゃんもいたのだけど、ちくちくと敵愾心があって、おねえちゃんになるべく触れられないようにした。
 混みあう電車で神社の最寄りまで出て、歩行者も車も乱れる中を歩いていく。鳥居をくぐると、ぎゅうぎゅうの列に並んで、やっとお賽銭を投げて神様に挨拶する。出店も楽しげに並び、僕はカスタードの回転焼きを買って食べた。
 おねえちゃんがおみくじを引きたいと言って、僕はあんまり興味がなかったのだけど、誓にいちゃんも同じく興味がなさそうで、ふたり残されるのが嫌でおねえちゃんについていこうとした。でも、そしたら「占いは女だけで楽しんでこい」と誓にいちゃんが僕を引き留めて、ふくれっ面になったおねえちゃんをひとりでおみくじに行かせてしまった。
 僕は誓にいちゃんを見上げた。怖い、と急に思ってすくんでしまう。誓にいちゃんは僕を睨んできたりしなかったものの、まじまじと見つめてきて、「変な質問かもしれないけど」と騒々しい周りに紛れそうな声で問いかけてきた。
「ナオは、ミキの……弟、だよな?」
 冷たい風が抜けて、髪が乱れる。僕は誓にいちゃんを見つめた。どくん、と心臓が響き、搏動がこみあげてきた。弟。僕は、おねえちゃんの──
「ねえ、あたし大吉!」
 ふとおねえちゃんの声が聞こえてきて、誓にいちゃんのほうが目をそらした。僕もはっとしておねえちゃんを振り返る。おねえちゃんは僕たちのところに戻ってくると、「ほら」とおみくじを広げて見せた。
 本当に、大吉だった。僕は何の気なしに「恋愛」と書かれているところに気づき、続きを読んだ。
『永年の思いが報われる。』
 僕はおねえちゃんを盗み見た。おねえちゃんの好きな人なんて聞いたことがないと思った。僕はおねえちゃんが好き。誓にいちゃんもおねえちゃんが好き。じゃあ、おねえちゃんは誰が好きなの?
 僕だったら、いいのに。でも、僕はやっぱり弟なのだろうか。僕はどうしても、おねえちゃんには「かわいい弟」止まりなのだろうか。
 そうだとしても僕は、誓にいちゃんにも誰にも負けたくない。誰にもおねえちゃんを取られたくない。そう、思っていた。

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