選びたいのは【1】
去年の暮れ、クリスマスイヴに幼なじみの誓とデートした。誓と一緒に遊びに行ったことはあるけれど、それにはいつも弟の尚里がいたし、ふたりきりなのは思えば初めてだ。
当日、めかしこむ基準もよく分からなかった。いちいち服を買うのは気合いが入りすぎているし、でもカジュアルなのも失礼だろうし。考えた挙句、手持ちで精一杯女の子っぽくしておいた。朝から一緒に家を出て、「どこ行くの?」と訊くと、「夜には帰りたいって言ってたよな」と誓はあたしを見下ろす。誓も誓で、髪型や服装がいつもと雰囲気が違う。
「ちょっと心配なので」
「ナオですか」
「いや、まあ──というか、あの子、今日家でひとりなんだよ? できれば今日連れてきたかったよ」
「友達と適当に遊ぶだろ……」
「ナオは、あの不良みたいなのとクリスマスなの?」
「夜には帰すよ。おかげで行くとこ絞られたけど。泊まっていいなら温泉とかよかったんだけど、」
「混浴しないのに?」
「………、普通にプレゼントの買い物でも行くか。欲しいもの買ってやるよ」
「電気膝掛け欲しい」
「家電かよ」
「課題やってて足元冷えるんだもん」
「じゃあ、とりあえず市内出ますか。電気屋のよりかわいい奴がいいんだろ」
うなずいたあたしは、かくして電車に乗って誓と市内に出た。そして百貨店を見てまわったり、高めのランチをおごってもらったり、あれこれ心配があったわりに緊張せずに楽しむことができた。
欲しかった電気膝掛けは、赤いタータンチェック柄のひとり用カーペットなるものを見つけて、無事それを買ってもらった。膝にかけてもいいし、お尻に敷いてもいいし、足元をポケットにさしこむこともできる優れものだ。
買ってもらってから、「あたしも一応用意はしてきた」とバッグから取り出した青いラッピングを誓に渡した。デートするならいらないとは言われていたものの、本気で用意しないのもさすがにひどい気がした。「百均ですか」と言われたのであたしは誓の肩をはたき、「ブランドの石鹸」と言った。
「石鹸」
「分かんないから、あたしの好きな香りにしといた。あ、スーパーの薬用とかそういうのじゃないからね。ちゃんとハンドメイドだよ」
「……一瞬、スーパーのお徳用を想像した」
「そんなのプレゼントしたら、むしろ嫌がらせでしょ」
「嫌がらせかと」
「するか。あたし、自分のは普通にスーパーだからね。ちょっと店入るの頑張ったからね」
「そっか。じゃあ、うん、ありがと」
あたしは誓を見上げてから、嬉しそうにするなあ、と思った。彩季に相談して決めてもらったのは黙っておこう。家族のぶんはちゃんと自分で選べたけど、誓のぶんは、告白してきてデートする男の子に渡すもの、と考えるとわけが分からなくなってしまった。
尚里も年頃の男の子なんだよなあと悩んだけど、あの子のプレゼントを考えるのは何だか楽しかった。尚里も誓もプレゼント使ってくれるといいな、とか思いつつ、けっこう歩いてひと休みのカフェに入る頃には、空が暗くなりかけていた。
「そろそろ帰るか」
あたしが言い出す前に、誓は素直に切り出してくれた。あたしがうなずくと、一緒に駅に向かった。昼間以上に街は混み合いはじめていて、みんなリア充か、と思ったものの、あたしもはたから見たらリア充か。
自分を好きだと言ってくれる男の子。あたしも嫌いじゃない男の子。「はぐれるぞ」と手をつかまれて、そのままつないでも嫌じゃない人と、クリスマスイヴにデート。
今日一日、楽しかった。けれどなぜか、自分が充実している女の子に感じられない。クリスマスにこんな気持ちになったこともない。いつも、クリスマスは──
『寂しい』
ふとそんな声が残っている鼓膜に気づく。
『早く、帰ってきて』
そう──いつも、クリスマスは尚里と一緒だった。おとうさんもおかあさんもいる穏やかな家で、尚里と祝って、あたしのクリスマスは満たされていた。尚里がいない。今頃、尚里は家にひとりぼっち。
それを改めて思い出すと、胸の奥が絞られるように痛んだ。寂しいって、朝、言われたのに。それを忘れて、誓と楽しんで、あたしは尚里を傷つけなかったかな……。
「ミキ?」
混雑する電車の中で誓に覗きこまれて、あたしははっとして笑顔を作った。尚里が心配になっちゃって。そう言おうとしたものの、またそれかと言われる気がして、心にもないことを言った。
「もう一日終わっちゃったと思って」
誓はあたしを見つめて、ふと優しく微笑んだ。
「楽しかったならよかった。俺が一方的に誘ったから」
「ん、まあ。ありがとね、プレゼントもランチも」
「ああ」
誓はうなずいて、わずかに躊躇ってから言葉をつなぐ。
「たまに──」
「うん?」
「たまに、また、こうやってふたりで出かけてくれる?」
あたしはまばたきをして、あやふやに咲うと、目をそらしてから「そうだね」と言った。つないだままの誓の手に力がこもる。その力に何だか緊張して、軆が硬くなる。「ミキ」と名前を呼ばれて上目遣いをすると、誓と視線が重なった。がたんごとん、とリズミカルに電車が走る。夜景が流れていく窓にあたしを押し当て、誓はゆらりと顔を近づけてきた。
あ、違う。
とっさに感じて、あたしは顔を背けた。誓の視線が当たる。けれど見返せない。どうしよう。電車の中だ、ふざけるなと言って笑う? だけどそうしたら、ひと気がないところでそういうことになるかもしれない。
違う。やっぱり違うよ。誓のことは嫌いじゃないけど、あたしは──
そのときふと浮かんだ顔があって、あたしは提げている荷物を握りしめた。
……何で。どうして。変だよ。
あたしからのプレゼントを抱きしめて、あたしをじっと見つめてきて、家にひとりで寂しいと言って。あたしに一番嬉しいプレゼントくれた。あの子のことが無性によみがえって、尚里がいないクリスマスイヴを過ごしていることに泣きそうなほど哀しくなる。
「ミキ」
地元の駅まで無言のままで、到着したホームに降りる。相変わらずたくさんの人が降車する。改札に向かおうとすると、つないだ手を握られ、誓の真剣な声に呼び止められた。冷えこんだ風が強くて、駅の外に広がるベッドタウンは暗い。あたしは誓を見つめ返そうとしたけれど、やっぱりできずに視線が彷徨う。
「その……電車の中で、何か、ごめん」
「……ううん」
「でも、俺……ほんとに、ミキが好きだよ」
「………」
「ほんとはミキと夜まで過ごしたい」
「……それは、」
「今夜すぐとは言わないから、いつかは無理かな」
「え」
「いつか、ナオに彼女ができてからでもいい、俺とつきあってくれないかな」
「彼……女」
「ナオにもそういうのできるんだよ。あいつ、美少年だし。いつまでもナオの心配ばっかしてても、ミキが傷つくんだぜ」
「あたしは……」
「言っただろ、依存なんだよ。ミキもナオも、姉弟なんだからそんなの抜け出さないと」
「っ……」
「俺ならミキのこと傷つけない。ずっとそばにいる。依存だってしていいよ、俺はミキから離れたりしないから」
「……あたし、」
「俺とつきあって、ミキを幸せにしたいんだ」
あたしの幸せ。あたしの幸せは。
涙がこぼれそうになって、あたしは誓と手を離して目をこすった。自分が最低だと思った。
だって、あたしの幸せは、尚里に、彼女なんかできないことだ。
「チカ……」
「うん」
「……あたし、恥ずかしい」
「えっ」
「こんなの恥ずかしいよっ」
それだけ言い捨てて、あたしは身を返してホームを一気に駆け出した。誓に名前を呼ばれたのは聞こえたけど、追いつかれないように走って、改札を抜けて、そのまま家まで立ち止まらなかった。
家の前に着いて、明かりがリビングにだけぽつんと灯っているのを認める。走ってはずんだ息を抑えて、それでもほてった頬は鎮まらないまま、あたしは家の中に入った。
荷物をおろして、何とか涙をごまかして、冷静になろうとした。落ちそうな涙をこらえるのに必死で、ぼんやりリビングに入ったら、尚里が駆け寄ってきた。
柔らかい黒髪。大きな瞳。暖かい部屋にいたせいか、白い肌はほんのり赤い。「おねえちゃん」と呼んでくれる声はまだ甘くて、かわいくて──
こんなにかわいい子が、あたしを捨て置いて、ほかの女とつきあう日が来るっていうの? 何でそんなむごいことになるの? 尚里は、あたしの……あたしの、大切な──
何だか、自分の気持ちがよこしまに思えて、尚里と顔を合わせづらくてお正月まで部屋にこもってしまった。誓の着信も無視していた。年が明けて、いつも尚里は零時にあたしの部屋を訪ねてくる。「今年も一番最初に話したのはおねえちゃん」と咲ってくれる。でも、今年は訪ねてきてくれなかった。
それがショックで、やっぱり尚里のことほったらかすなんて無理だなあ、と思った。朝が来たら、今日はちゃんと一階に降りよう。そして尚里に謝ろう。彼女ができるまではそばにいよう。誓もそのあとでいいとは言っていたし。
それから考える。今は尚里のそばにいたい。
心の整理がついて、やっと誓のメッセージにも目が通すことができた。一番最後のメッセージはさっきで、初詣に一緒に行かないか、尚里も一緒でいいから、というものだった。『朝、尚里に聞いてから決める。』と返すと、『了解。返信来てほっとした。無理はしなくていいから。』と誓はひかえめに返してくれた。
眠れないまま朝が来て、尚里と普通に話そう、自然に話しかけよう、と思っても、何だか尚里のほうもあたしに気を遣っている様子で、なかなか切っかけがなかった。
でも、おとうさんが初詣の話をしたのを切っかけに、ようやく尚里のほうを見て初詣に誘うことができた。尚里はびっくりしていたけど、一緒に行きたいと言ってくれた。あたしみたいな姉は鬱陶しいだろうなんてメンヘラみたいなことをつい言ってしまったら、そんなことはないと否定もしてくれた。両親があたしの様子が変で尚里も落ちこんでいたとも話してくれて、やっぱりこの子が、今のあたしの一番大事な存在だと思った。
誓に尚里と一緒に初詣に行くと伝えて、三人で神社に出向いた。尚里はあたしにくっついて嬉しそうに咲っていて、かわいいなあ、と改めて思った。ずっと甘えさせてあげられなかったから、尚里の笑顔が嬉しかった。
「チカ」
「ん」
「あたし、とりあえず、今は尚里だわ」
尚里が回転焼きを買いに少し離れたとき、あたしは誓にそう言った。それがあたしなりの精一杯の答えだった。誓はあたしを見て、「そうだな」と微笑んだ。尚里はすぐ戻ってきて、一口ちぎってあたしにカスタードの回転焼きをくれる。「ありがと」とあたしは素直にそれを受け取って食べて、尚里の頭を撫でた。
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