Honey Marry-19

結ばれたい相手【1】

 幼い頃から一緒に育って、意識なんてしていなかった。そんな男の子に好きだと告白されるのは、誓だけでもわけが分からなくなっていたのに。
 三月十四日深夜、尚里の誕生日、あたしはベッドに倒れこんだまま死体みたいに動けなくなっていた。尚里が。尚里が、あたしのこと、好き、って──
 それはかわいい弟だし。甘えられるのも嫌いじゃないし。ぶっちゃけ大好きだけども。そういう「好き」なのかと問われたら、分からない。そのことに、あたしは動揺している。
 分からないって。分かるだろ。「違う」だろ。そういう「好き」ではないと、それだけは言い切らなくてはならないのに。尚里に見つめられて、誰にも取られたくないと言われて、嬉しいような自分がいた。
 だって、あたしだって似たようなことをずっと思ってきたから。尚里に彼女を作ってほしくない。あたしにだけ懐いていてほしい。でも、それは姉としての感情だと思ってきた。違うの? 尚里は違った。じゃあ、あたしも尚里のこと──
 ひとりで唸って、まくらにぎゅっと顔を埋める。尚里と同じシャンプーの匂い。
 どうしよう。彩季が何を吹きこんだか知らないけれど、それでも、あたしと尚里は姉弟ではないか。まずいだろ。つきあうとかはちょっと難があるだろ。彼氏なんてとんでもないと感じていた誓のほうが、まだありうる話だ。尚里とつきあうなんて、そんなの……許してもらえることじゃない。
 でも、もし尚里とつきあったら。尚里のこと、誰にも取られないんだ。あたしだけの尚里にできるんだ。よく分からない女の子を「彼女だよ」とある日突然紹介されることもない。それは、正直、そうできるならそうなりたい……
 尚里を振るなら、誓とつきあいはじめるのが手っ取り早いだろう。でも、そんなことをしたら尚里は確実に傷つく。尚里だって軽々しく告白したわけではないだろう。誓があたしに告白した頃から悩んで、やっとで告白してくれたのに違いない。
 それに、この期に及んで誓とつきあうのを逡巡してしまう。だって、尚里を拒絶するためにつきあうって、それも誓に対して失礼だ。あたしの気持ちは、どうしても誓に宿らない。むしろ、尚里の想いに胸が苦しくなっている。
 困ったな、といよいよ行き止まりにぶち当たって、へたりこんでしまう。誓とつきあいたいとは思わない。でもつきあったら尚里を断れる。しかし、そうしたら尚里は哀しみ、あたしはそれが耐えられない。
 ぐるぐるぐると思考は螺旋に落ちていき、ただひとつ、尚里が泣くのは嫌だと思った。誓はある程度、乱暴にしても何とかなるし。あたし自身の気持ちはどうでもいいし。けれど、尚里はとても繊細で、一途で、純粋で。あの子の心を砕くものは許せない、あたし自身がそうするなんて受け入れられない。
 じゃあ、尚里とつきあう? つきあって……いいのかな。おとうさん。おかあさん。ショックだよな。裏切るようなものだよな。それでも、あたしは温かな家族より危うい恋人を選ぶ? 尚里の笑顔のために、ほかのものは全部捨てる?
 深海に飲まれていくようにゆらゆらと眠りに落ちて、気づくと朝だった。何時、と時計を見たら午前八時半だった。尚里は学校に行ってしまった。まあ、顔を合わせてもどんな表情をすればいいのか分からなかったか。
 それでも、夜には夕食とか一緒だ。尚里のことだから、いきなりオープンに私を好きだ好きだと言い出すことはないだろうけど、それでもアピールは始まるのかな。あたしはそれにどう反応するのだろう。
 嗤う? 嫌がる? 放置? ネガティヴな候補が当たり前のように浮かんでくる。だって姉弟なんだから。弟に恋心をほのめかされて、姉はときめいたりしていいはずがない。
 ルームウェアを着替えて九時頃に一階に降り、今日はオフのおかあさんが作った焼き鮭やたまご焼きの朝食を食べた。おかあさんに尚里の様子を訊こうかと思ったものの、何やら不自然かとやめておく。里芋が柔らかいお味噌汁を平静を装って飲んで、沈黙は沈黙でおかしいのか、と頭ではひとりで焦っていると、「そうだ」とおかあさんが手をたたいて引き出しから封筒を取り出した。
「ミキちゃん、今日用事ある?」
「え? いや、ないよ」
「じゃあ、ケーキ買ってきてよ。ナオくんの」
「あっ、そうか。誕生日だもんね。ホール?」
「もちろん。お金は渡すから。ミキちゃんはプレゼント用意した?」
「スマホカバーにした。全機種対応って書いてあったし」
「そっか。おとうさんとおかあさんは、ナオくんの名前入りのシャーペンとボールペンにした」
「受験生になるもんねー」
「そう。早いね、もう十年近くなるんだよね。ナオくん、まだ五歳だったっけ」
 おかあさんはいったん視線を下げてから、「ミキちゃんとおとうさんには、すごく感謝してる」とふとまじめにあたしを見直した。
「あのまま昔の旦那といたら、おかあさんは、ナオくんにひどいことをする親になってたかもしれない。守るなんて余裕もなかったから」
「おかあさん……」
「おとうさんがおかあさんのこと受け止めてくれて、ナオくんのことはミキちゃんが受け止めてくれた。ほんとにありがとう。これからもよろしくね」
「……うん。あたしも、ありがとう。おとうさん、おかあさんに出逢うまで泣いてばっかりだったからなあ」
「ふふ、そう話してくれたことあるね。素敵な奥さんだったんだろうね」
「うん。でもあたし、今の四人での家族もすごく好き」
「ありがとう。ミキちゃんとナオくんのことは、おかあさんとおとうさんが見守っていくからね」
 あたしはおかあさんの笑顔に微笑み返しながら、ここから尚里と関係がもつれそうなのはやっぱ言いづらいなと思った。
 おとうさんとおかあさんをがっかりさせたくない。いい娘といい息子でいたい。いいおとうさんといいおかあさんだから。尚里とつきあいはじめたら、この家庭のバランスも崩れてしまうのだ。
 午前中のうちに、駅前のケーキ屋さんに尚里のバースデイケーキを探しに出た。ホイップ。チョコ。マロン。いろいろあるけど、男の子だし甘ったるいのも食べないかなあ、と悩んでいると、「スッキリした甘さ」とPOPがついているチーズケーキがあった。蜂蜜のチーズケーキ。四号だから人数もちょうど。きつね色で満月みたいなのも綺麗。よし、とあたしは財布を取り出すと、箱にアイスノンを入れてもらってそれを購入した。
 日中は陽光も日向の匂いもふんわり暖かくなりはじめて、あちこちで彩り豊かに花が咲き始めている。桜もじき開花するだろう。服装はまだ長袖だけど、ぼってりと着こむほどではなくなった。
 春だなあ、と感じながら家までの道を歩いていると、「ミキ」と声をかけられて足を止めた。振り向くと、誓が追いかけて駆け寄ってきている。
「チカ。どうしたの」
「駅前に行ってた。ミキは?」
「ナオのバースデイケーキ」
 そう言ってふくろを見せると、「そうか」と誓も気がついた顔になる。
「十四歳か」
「うん。おかあさんオフだし、今夜はお祝いみたい。チカも来る?」
 言いながら歩き出したあと、尚里が誓を警戒していたことを思い出す。チカちゃんとはつきあってほしくない。誓が来ても喜ばないかな、と思っていると、「ナオは家族で祝ってほしいだろ」とさいわい誓が遠慮した。
「あ、それで──今日はナオの誕生日だけど、ホワイトデーでもあるだろ」
 誓は提げていた小さめの紙ぶくろをあたしにさしだし、少し面食らったあと、「どうも」と素直に受け取る。
「何? クッキー?」
「シルバーアクセ」
「はっ? 何でそんな頑張るの」
「俺が頑張るのは勝手だろ」
「あたし買った奴だったんだよ」
「いいから」
「……いいの?」
「もらうだけだから受け取っとけ」
「……ん」
 どう振るか悩んでるのに悪いな、と思い、ここでこれを突き返して振るとか、と一瞬思ったけどむごいのでやめておいた。
 尚里のことを誰かに相談したいけれど、誓はダメだろう。あたしを想っているのも重なってきっと反対する。ただの幼なじみと思われていても、反対したかもしれない。普通は反対するんだよな、とため息をついてしまうと、「何だよ」と誓が横目をくれる。
「いや……チカもさ、物好きだよね」
「物好き」
「どんだけあたしのかわいくないとこを見てきたんだよ」
「それは──あれこれ考える前から好きだったからな」
「考える前に」
「幼稚園のときくらいからだよ」
「マセガキ」
「気づかなかったミキの鈍さもすごいと思うけど」
「あたし鈍いかなあ」
「鈍いな」
「………、自分の気持ちも分かんないもんね。そうなのかも」
 誓があたしを見て、「何かあった?」と察してきた。だけどもちろん、尚里に告白されたなんて言えないし、言わない。
「つきあうとか、そういうこと、もう考える歳なんだね」
 何となく、そんなことを意味深につぶやいてしまう。そう、あたしも。誓も。尚里だって。男とか女とか、つきあうとか振るとか、そういうことが絡む歳なのだ。
「別に俺は急かさないから」と家の前に着いて、別れ際に誓はそう言った。あたしはうなずきながらも、あたしどうやったら尚里の想いを失わないかばっかり考えてる、と思った。

第二十章へ

error: