Honey Marry-20

結ばれたい相手【2】

 尚里は少し遅く、夕方くらいに帰ってきた。蒼樹くんの家に少し寄ってきたのだそうだ。おかあさんは、尚里の好きなホワイトソースの煮込みハンバーグを作っていて、リビングにも香ばしく匂いが漂ってきている。「おとうさんも今日は早く帰ってくるからね」とおかあさんに言われて、尚里は嬉しそうにこくんとしていた。あたしはリビングのソファでテレビを見ていて、着替えを済ませた尚里はその足元に座る。
「ソファ代わる?」
「ううん。ここでいい」
「そっか」
「あのね、おねえちゃんのプレゼント見たよ」
「あ、よかったかな」
「うん。かっこよかった」
 あたしの尚里への誕生日プレゼントは、手帳型のスマホカバーだった。デザインのあるものを選びたくなったけれど、尚里も受験生になる男の子だ。シンプルなワンポイントすら、「かわいい」と感じて嫌がるかもしれない。だから表面はブラック一色の代わりに、中身が収納や機能性のしっかりしたものにしてみた。「ほら」と尚里はスマホを取り出して、早速プレゼントを使っているのを見せてくれる。
「おねえちゃん」
「ん?」
「あの……スマホでね、もうひとつ、欲しいのがあるんだけど」
「え、なあに」
 お金あるかな、とかとっさに思ったけれど、尚里はわずかに言葉に迷ったあと「一緒に写真撮りたい」と言ってきた。写真。「あたしと尚里で?」と確認すると、尚里はうなずく。
「そっ、か。そうだね、あんまり撮ったことないね」
「いい?」
「もちろん」とあたしが首肯すると、尚里はぱっと笑顔になる。そしてスマホをいじり、「自分で撮れるかな?」とカメラを起動させる。
「セルフタイマーのほうがいいかな」
「おかあさんに撮ってもらったら」
「え。うーん……僕とおねえちゃんのふたりだけの写真がいいから」
 撮ってもらうならふたりだけなのでは、と思ったものの、よく考えたらおかあさんがその写真を欲しがる可能性があるのか。
 尚里はスマホをインカメラにすると、「くっついていい?」と恥ずかしそうに訊いてきて、あたしのほうが咲って「膝に座る?」とか言ってしまう。「僕が男なのに」とさすがに尚里もそれは渋って、けれど代わりに後ろにまわって、あたしの背後をぎゅっと抱いて顔をくっつけてきた。思わずどきりとしていると、尚里は画面の中にあたしと自分の顔を収め、「よし」とシャッターを切る。かしゃ、と画面にあたしと尚里が切り取られる。
 尚里は腕を引っこめ、「撮れた」と嬉しそうに写真を保存した。ケーキ買いにいくとき化粧しといてよかったな、と思いつつ、「見せて」と言うと尚里はあたしにはその写真を見せてくれる。尚里にくっつかれたところを撮られたので、あたしちょっと視線がキョドってんな、と感じたけれど、「あたしにもちょうだい」と言う。尚里はうなずいて、「おねえちゃんのスマホに送っておくね」と言ってくれた。
 おとうさんが帰ってくると、家族四人揃っての夕食になった。尚里はあたしが選んだケーキを気に入って、おかあさんの料理にも、おとうさんから渡されたプレゼントにも、幸せそうに咲っていた。
 何だろう。尚里がそんなふうに無邪気に咲っているのは久しぶりに見た気がする。いつもはどこかはにかんだ感じなのに。
 やっぱり、あたしのことが気になって、素直に咲うのもむずかしくなっていたのだろうか。そうだ。きっと、尚里もあたしを好きになってしまってすごく悩んだだろう。抑えようという努力は、すでにじゅうぶんやったのだと思う。
 それでもどうしてもあたしが好きだから、誓に取られたら後悔するから、踏み出して告白してくれた。そう思うと、吹っ切れたようにも見えた尚里の昨夜の「つきあってください」が、いじらしく感じられた。
 夜、あたしは部屋で誓にもらったホワイトデーを開封してみた。ちゃんと箱に入った、外国のコイン風ペンダントだった。マジで頑張りやがって、とベッドに腹這いで転がる。
 応えられないのに、こんなの、もらってよかったのかな。と言って、いらないと返しても、一番誓を困らせるのだろうけど。
 尚里にもらった、絵本のような箱に入ったお菓子も広げてみる。素朴な白の蜂蜜のクッキーだった。ぽり、と一枚食べてみると、優しい甘さが広がって、それは尚里そのものに思えた。
 それから、尚里から届いている例の写真をダウンロードして、アプリで加工を始めた。どのフィルターがいいか悩んで、色味やコントラストも調整すると、いったんそれで保存する。そして、またアプリにかけると、文字入力で写真にメッセージを組み込んだ。
『尚里へ
 お誕生日おめでとう
 あたしはずっと尚里のそばにいるからね
 美希音より』
 あたしも尚里が好きだよ、のひと言はまだ責任を持って入れられないけれど。尚里のそばにいる。それは変わらないから、伝えてもいいだろう。最後に今日の日づけのスタンプを入れると、あたしはできあがった画像を日づけが変わる前に尚里に送信した。
 そして、誓からのペンダントを箱にしまい、尚里からのクッキーをぽりぽりと食べていると、こんこん、とノックがした。ん、とドアを見返ると、「おねえちゃん」と尚里の声がする。あたしはベッドを起き上がり、床に降りてドアを開けた。
「ナオ──」
 尚里があたしを見上げてくる。スマホをぎゅっと握りしめて。それで訪ねてきた理由が分かったので、あたしは決まり悪く咲って「加工した奴なら、待ち受けにできるかなって」と言った。尚里はうなずいて、泣きそうに瞳を潤ませる。
「いらなかった?」
「ううんっ。すごく嬉しかった。おねえちゃん……」
「うん」
「僕、ほんとにおねえちゃんが好きだからね」
「うん」
「おねえちゃんが僕を見てくれるまで、頑張るから。一番おねえちゃんを幸せにする男になる」
「……うん。でも、少し、考えさせてね」
「か、考えたあと、僕のこと、嫌になる?」
「それはないと思うけど。ナオのそばにいるって、それにも書いたでしょ。あたしなりに、一番の答え出すから」
「……チカちゃんを、選ぶかもしれない?」
「………、こんなのいけないと思うけど、それは尚里だって分かってることだよね。だから、正直に言うと、尚里の気持ちは嬉しい」
 うつむきそうだった尚里がぱっと顔を上げる。
「おねえちゃん──」
「でも、まだ頭がついていかなくて。おとうさんとおかあさんに何て言うとか、先に考えちゃうし。今は自分がどう答えたいのか分からない」
「そう、だね。ごめんなさい……」
「謝らなくていいの。ねえ、ナオはあたしのこといつ頃から好きだったの?」
「え。えと、子供の頃、僕が怖くて泣くと、おねえちゃん一緒に手をつないで眠ってくれたでしょ。それがすごく嬉しくて、ほっとできるから、好きになった」
「そっか。幼稚園のときからか」
「うん」
 あたしは微笑むと、尚里のことを軽くハグした。尚里の肩がわずかに揺れる。尚里の軆が、いつのまにか思っていたより成長していることに気づく。
「そんな小さい頃から、頑張ったね」
「がんばる……」
「あたしが今、姉なのに弟なのにって混乱してるんだもん。ナオはもっと、ひとりで、そういうことに悩んできたんでしょ?」
「……あ、」
「裏返ってあたしのこと嫌いになってもおかしくないのに。ほんとに頑張った。ありがとうね」
 尚里がきゅっとあたしの服をつかむ。小さく嗚咽が聞こえて、あたしは尚里の頭を撫でた。「おねえちゃんが好きだよ」と尚里は何度も言った。あたしはうなずくことはできなくても、その軆が震えなくなるまで抱きしめていた。

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