男の娘でした。-11

ベストフレンズ

 伊鞠には親友がいる。桜音さくねさんというその人は、高校生のときから伊鞠と親しく過ごしてきたらしい。
 桃色や水色のパステルカラーが似合う、ふんわりした優しそうなおねえさんという感じの人だ。クールなイケメンの伊鞠と並ぶと、理想のカップルに見えなくもない。
「癒のこと、友達に紹介していい?」
 いつもの定食屋での食事中、伊鞠にそう切り出されたときには、「してくれるの?」と僕はびっくりしてしまった。二年前の夏、まだつきあって半年過ぎたくらいのときだったから、男として信頼されているのかきちんと自信もなかった。
「癒もこないだ、飛紀くんに会わせてくれたから」
「あれは、まあ、僕が飛紀に自慢したかったし」
「私も癒のこと自慢したい」
 僕は伊鞠を見つめてぱちぱちとまばたく。ああ、もう、さらりとそういうかわいいことを。
 しょうが焼き定食を噛みしめた僕は、鯖の味噌煮定食の伊鞠に「僕でよかったらどんどん自慢して」と言った。伊鞠はくすりとして、「私は友達が多いわけじゃないけど」と箸で鯖をひと口にほぐす。
「ひとり、すごく仲のいい子がいるから、その子には癒のこと知っていてほしいなと思って」
「そうなんだ。うん、僕も伊鞠の友達会いたい!」
「じゃあ、今度、その子の都合訊いておく」
 かくしてその日からしばらく、僕は桜音さんと顔を合わせた。
 待ち合わせのカフェには、すでに伊鞠と桜音さんが揃っていて、そのお似合いな雰囲気に正直動揺した。いや、でも僕は伊鞠に、自分は男性を愛するからと言われたのだ。それで僕は男の娘もやめたわけで。だから、まさか伊鞠に限って女の子と一線を超えるようなことは──。
 どきどきしながらそのテーブルに近づくと、伊鞠がこちらに気づいて「あ、来た。この人」と僕をしめした。そして、桜音さんは僕に顔を向けて──「えっ」と僕に負けず劣らず動揺した声をもらした。
「お、女の子……?」
 言っておくけれど、このとき僕はけして女装していなかった。というか、白いワイシャツにスラックスという、本番デートみたいな格好を意識してきた。
 でも、僕は、やっぱりかわいかったのだ。
「男だよ、桜音。確かに驚くと思うけど」
「そ、そうだよね。すみません、あんまり……その、ええと」
 僕をどう形容すべきかとまどっているようなので、「大丈夫ですっ」と慌てて僕はそれをさえぎった。
「自分がかわいいの知ってますんで。あの、有元癒です」
 頭を下げると、「あ、村崎むらさき桜音さくねです」と彼女も頭を下げた。「村崎さん」と僕が反復すると、「桜音でいいですよ」と桜音さんはふわりと微笑んだ。春風みたいな笑顔だ。
「私も、癒くんでいいでしょうか」
「はいっ。あ、ええと、──僕、座ってもいい?」
 訊かれた伊鞠は奥に詰めて隣を空けつつ、「飲み物取ってこないの?」と訊いてくる。確かに、駅から七月の青空の元を歩いてきたので、喉は渇いていた。
「何か飲みたい」と僕が言うと、「ここはテイクアウトだから、自分で取りに行きなさい」と伊鞠は店員さんがいるカウンターを指した。僕は素直にアイスロイヤルミルクティーを買ってくると、伊鞠の隣に腰をおろした。
 桜音さんはダークブラウンのロングヘアをゆったりひとつに束ね、淡いピンクに白い小花がプリントされたワンピースを着ていた。化粧は濃くない感じなのに、目元はぱっちりして輪郭も柔らかく、唇もほんのりした桃色だ。
「優しそう」と僕が伊鞠に言うと、「怒ったら怖いかも」と伊鞠が笑って、「適当に言わないでよ」と桜音さんは少しだけふくれる。
「癒くん、信じちゃうじゃない」
「ごめん。うん、桜音は優しい子だよ」
 僕はこくんとして、「いつから仲良しなの?」と首をかしげる。「高校から」と答えた伊鞠はコーヒーを、桜音さんはココアフロートを飲んでいる。
「そっかあ。伊鞠も女子高生だったんだよね」
「写真あるよ。癒くん、見る?」
「見たいです!」
「え、別に写真とか……というか、何であるの? あの頃から機種変したでしょ」
「クラウドで見れるから。えーっと、待ってね──」
 桜音さんは長い指ですいすいとスマホをいじって、「こんな感じ」と僕に画面を見せた。
 そこにいた伊鞠は、ショートカットでなくボブくらいの髪の長さで、胸元にリボンがあるブレザーの制服を着ていた。「わあっ」と僕は思わず声を上げ、「伊鞠、すごくかわいい」と笑顔になってしまう。
「別に、今とあまり変わらないでしょう」
「確かに内面は今でもかわいいけどー」
「……かわいくなんて」
「えー、伊鞠かわいいですよね」
 僕が無邪気に問うと、桜音さんはなぜかくすくす咲っていて、「伊鞠は『かわいい』は言われ慣れてないよね」とスマホを引っこめる。
「昔から、『かっこいい』はよく言われるから受け流すんだけど」
「確かにかっこいいですけど。笑顔とかかわいいと思います」
「癒、もう言わなくていいから」
「えー、かわいいー。伊鞠かわいいー」
 僕と伊鞠がそんなやりとりをしていると、桜音さんは噴き出して「いい彼氏、見つけたじゃない」と伊鞠に言った。
「ん、まあ。だから、きちんと桜音には紹介しようと」
「そっか。ふふ、ありがとう。癒くん、伊鞠のことよろしくお願いしますね」
「はいっ。大切にします!」
 僕が元気よく約束すると、桜音さんはにっこり微笑んでくれた。うん、さすが伊鞠の親友さんだ。いい人。僕もこの人を好きになれる気がした。
 それ以降、伊鞠と桜音さんがお茶するとき、僕もたまに誘ってもらえたりした。僕が伊鞠の学生時代について質問すると、桜音さんはいろいろと教えてくれる。
「彼氏とかいたんですか」と伊鞠は絶対に教えてくれないことを尋ねると、「大学時代の人は長かったよね」と桜音さんは言って、「昔のことだし」と伊鞠ははぐらかす。やっぱり、伊鞠にも元彼とかいるのか。僕が初彼だと思っていたわけではないけれど。
「でも」と桜音さんは僕に微笑んで、つけくわえてくれる。
「伊鞠は、クールで動じない人として想われることが多かったと思うから。笑顔がかわいいとか、そういう理由で伊鞠とつきあってる男の子は癒くんが初めてじゃないかな」
 僕はまばたきをしたあと、ついついにんまりとしてしまって、「そっかあ」と隣にいる伊鞠を見る。伊鞠はちょっと照れてふてくされたような顔をしている。
「伊鞠が主張したり、感情的になったりすると、あっさり『幻滅した』とか言った人もいたよ」
「え、何それ。ムカつく」
「私もムカつく。そのたび、伊鞠、落ちこんでたから。だけど、癒くんなら、そんな心配もなさそう」
「もちです! 伊鞠はもっと気持ち出していいよ、僕に遠慮しなくていいからね」
 僕に腕を揺すられると、「分かったから」と伊鞠は苦笑する。「僕は伊鞠のどんなところも知っていきたい」と言うと、伊鞠は僕を見つめて、「ありがとう」と微笑してくれた。
 そんなふうに、僕は伊鞠を通して桜音さんともけっこう仲良くさせてもらえた。僕と伊鞠の出逢いも語って、僕の女装すがたの写真も見せると、「これは完全に女の子だね」と桜音さんは笑っていた。
 そんな桜音さんにも、恋人がいるらしい。しかし、伊鞠は挨拶したことがあるみたいだけど、僕はまだ会ったことはなかった。
 駄菓子屋でかき氷を始めて、もうじきひと月の七月末、その日曜日は伊鞠と桜音さんのお茶に僕も招かれていた。僕は朝から支度をしていて、店番は姫亜がやってくれている。
「いってきますっ」と僕はぎらぎらの真夏の快晴の下に飛び出して、蝉時雨が降りしきる中を駅まで駆けた。蒸した匂いの空気で、全身に汗が浮かんでくる。
 電車にさらわれて、待ち合わせのいつものカフェにたどりつくと、相変わらず伊鞠と桜音さんはすでにドリンクで涼んでいる。天国に思えるクーラーのきいた店内で、僕はミルクセーキをテイクアウトして、ふたりのいるテーブルに向かった。
「癒くんにも報告しないとね」
 何やら桜音さんがそう言って、「びっくりするかも」と伊鞠とくすりとする。桜音さんと話すときの伊鞠は、普段より砕けている感じがある。
「何?」
 伊鞠の隣に座って、ストローでミルクセーキをすすった僕は首をかたむける。すると、桜音さんが不意に左手を持ち上げてみせてくれる。左薬指が、きらりと光る。
 あれ。恋人の話は聞いていたけど、特に今まで指輪まではつけていなかった──ということは。

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