男の娘でした。-12

僕も君と永遠に

「もしかして、結婚ですかっ」
 乗り出したような僕に、桜音さんはにっこりとした。
「当たりです。このたび、笹野ささの桜音さくねになりました」
「えーっ、おめでとうございます! よかったですねえ。って、僕、結婚式呼ばれなかった!」
「あ、式はまだ挙げてないの。来年くらいにと思って。まずは籍だけ入れたんだ」
「そうなんですか。式は呼んでくださいねっ」
「もちろん。伊鞠と癒くんには来てほしい」
 桜音さんはふんわりと笑顔になって、結婚かあ、と僕はどきどきしながら伊鞠を盗み見る。僕も伊鞠とは結婚までいきたい。でも、いつだか飛紀に語った通り、さすがに駄菓子屋の手伝いじゃもらわれてくれないよなと思うので、仕事しなきゃなあ、なんて改めて感じる。
「桜音さんの彼氏さん──旦那さんか、その人のこと、僕あんまり知らないや」
 僕がそんなことをつぶやくと、「会ったことないものね」と伊鞠が言い、「なかったっけ?」と桜音さんはきょとんとする。
「ないですよー。挨拶してみたいな」
「じゃあ、今度機会作ってみるね」
「おつきあいは、去年くらいからですよね」
「そう。私の作品のリピーターさん」
 桜音さんはアクセサリーショップで働くかたわら、自分でもハンドメイドのアクセサリーを作り、フリマアプリやバザーで売っているクリエイターさんだ。作品を見せてもらったことがあるけれど、ピアスもコサージュもブレスレットも、手作りというのがびっくりするクオリティだった。
「妹さんの誕生日に、私の作品をプレゼントしてくれたんだって。そしたら妹さんが私のファンになってくれて」
「ほう」
「でも、妹さんはまだ高校生だから、彼が立て替えて買ってあげてるみたい」
「ネットで知り合った感じですか」
「うん。でも、おつきあいは彼がバザーまで来てくれて、実際に会ってからかな。妹さんも一緒だった」
「それまで桜音、妹さんって言いつつ、プレゼントの相手は彼女さんじゃないかって心配してたね」
 伊鞠が言うと、「だって、一応そう思っておかないと」と桜音さんは小さくむくれる。
「メッセージいつも本当に丁寧に応えてくれるし、いい人だなあってどんどんふくらみそうで。最近はメッセージなんて機械的な人が多いから」
「確かに僕も男の娘のとき、オクとかで服を競り落としたときは、あんまり突っ込まれないように淡白だったかも。そういうの感じ悪いです?」
「ううん、ぜんぜん。気楽といえば気楽。今はやりとり抜きで取引できるところも増えたし、それが普通なのかもしれない。ちょっと昔は、情報開示して直接やりとりすることも多かったんだけどね」
さとるさん、ネットでの交遊広いって言ってたから、しっかりしてるのかもね」
「三十二歳だから、定額始まってパケ死しなくなったとか言う年代」
「ぱけし」
 謎の言葉に僕が首をかしげると、伊鞠も桜音さんも噴き出して、「癒くらいだとそうなるね」と伊鞠が言った。
「私でも、言葉知ってるくらいで経験したことないから」
「え、経験するものなの? 何なのそれ」
「癒くんの歳なら、ギガ数足りなくなるって言うと分かるかな。それと似たようなものだよ」
 僕は眉を寄せて考えたものの、ぜんぜんピンと来なくて、「悟さんって旦那さん?」と置いてきぼりになる話題を切り替える。
「そう。笹野悟さん」
 伊鞠がうなずき、「三十二歳で高校生の妹」と僕はつぶやく。僕は二十二歳で高校生の妹だから、ずいぶんの年齢差に感じる。「私も、そこけっこう引っかかって」と桜音さんは咲った。
「これは絶対に、妹じゃなくて彼女だぞって自分に言い聞かせた」
「ほんとに妹さんだったんですか?」
「うん。アラサーの男の人が女子高生を連れて会いにくるって、逆にできないでしょ?」
「確かに」
「妹さん、その日は私の作品を身につけてきてくれてたし、悟さんとおつきあいすることをたくさん応援もしてくれたの」
「そっかあ。僕の妹も、もうちょいそんなふうに優しかったらなあ」
「姫亜さん、優しい妹さんじゃない。癒のわがまま、聞いてくれてるほうだし」
「そうだけど、たまに僕への態度が雑っていうかね……」
「そう?」
「そうだよ」
「じゃあ、私からそれ伝えておく?」
「いややめてお願いマジで」
 僕が早口で言うと、伊鞠と桜音さんはまた笑い出す。
 姫亜は今日も僕の代わりに店番に出てくれているし、かわいい妹ではあるのだけど──やっぱり、僕のほうが『姫』であることについてのときは、怖い。
 ほっこりした雰囲気で三人で話していると、不意に伊鞠のスマホが鳴った。伊鞠はスマホを手にして、何やらため息をついた。「どしたの?」と僕もその画面を覗くと、『君嶋きみじま達央たつお』と明らかに男の名前が表示された通話着信画面だったので、どきりとする。
「い、伊鞠、それは」
「仕事のことかもしれない。ちょっとはずすね」
「また後輩くん?」
 桜音さんに訊かれると、「そう」と伊鞠は肩をすくめてから僕を向く。
「ごめん、癒。君嶋の面倒見てるの、まだ私だから」
 後輩。面倒。そういえば、僕と同い年の新人の話はされたことがある。そう、酒を酌み交わしつつ、伊鞠が相談に乗ったとか──
 伊鞠は通話に応えながら、カフェの外に出ていってしまった。僕があんまり茫然としているので、「癒くん?」と桜音さんが心配そうに声をかけてくれる。
「えっ、あ──」
「伊鞠、癒くんに後輩くんの話はしてないの?」
「……何か、たぶん、聞いたことはあります。僕とタメの人ですかね」
「今年の新卒って言ってたから、たぶんそうだね」
「桜音さん、その人のこと聞いてるんですか?」
「仕事中は、よく一緒に行動するみたいだから、多少手がかかる子だってことは聞いてる」
「手がかかるとは」
 気になって身を乗り出すと、桜音さんはやや臆しつつも答えてくれる。
「ごはん誘ってきたり、今みたいにいきなり電話かけてきたり、そういうのが多いみたいな」
 僕は名状しがたい声を出し、「明らかに伊鞠に気があるじゃないですかっ」と泣きそうに突っ込む。「そうだね……」と桜音さんも考えこむ。
「伊鞠はその気がまったくないから、そういうのを厄介に思ってるみたいだけど」
 桜音さんを見て、「その気、ない……ですよね」と僕は心許ない声音を出す。それには桜音さんは軽く咲った。
「それはないでしょ。癒くんがいるんだから」
「でも、でも、そんな、だったら今は拒否しません? せめて出ないとか」
「癒くんとふたりのときも、電話かかってきたら出てるの?」
「……僕といるときは、スマホ確認するのも見たことないです」
「じゃあ、今出たのは私もいるからだよ。そこは大丈夫」
「そう、でしょうか」
「そうだよ」
「……うー」
「安心して。伊鞠にはただの後輩だから」
「でもー……」
 もっと言いたくても、不安を吐くのは伊鞠を信じていないみたいで、僕は飲みこむ。けれど、桜音さんは僕の落ち着かない気持ちを察して、「大丈夫だよ」と繰り返してくれた。
「伊鞠、あれでも癒くんにぞっこんなんだから」
「そお……ですか?」
「うん。普段あんまり飲まない子だけどね、たまに酔ったりするとのろけてくれるんだよ。『癒がかわいくてつらい』とか」
「マジですか」と僕が思わず真顔になると、「マジですよ」と桜音さんは咲う。
「『声聴けるだけで生きられる』とも言ってたなあ」
「うそっ。うわー、うわー、え、僕本人にそれ言ってほしいんですけど」
「酔わせてみるといいよ」
「伊鞠、僕とお酒飲んでくれないんですよっ」
「あ、じゃあ本音聞かれるの照れてるね、それ」
「照れてるんですか?」
「うん。私もいつも、翌日になって癒くんに伝えないように言われるもん」
「伝えちゃった」
「だね。だから、これは伊鞠には内緒ね」
「はいっ。えへへ、そっかあ。伊鞠もかわいいんだけどなあ」
 僕がすっかり機嫌を良くして、にこにことミルクセーキを飲んでいると、伊鞠はすぐに戻ってきた。
「どうだった?」と桜音さんに問われた伊鞠は、「相変わらず」と応じてから、僕の異様なほどの笑顔に気づく。少し外にいただけで汗ばむ伊鞠に、「どうしたの」と言われた僕は、「何でもなーい」と桜音さんとの約束は守る。
「何……?」
 それでも伊鞠は怪訝そうに桜音さんを向き、「何だろうね」と桜音さんは笑いを噛んだ。
 伊鞠には親友がいる。桜音さんという彼女は、すごく素敵な親友さんで、僕たちのことも応援してくれている。だから僕も、桜音さんと旦那さんがいつまでも幸せだといいなと願う。
 そして、僕も伊鞠といつか──。

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