男の娘でした。-13

夏の海に行こう【1】

 きっかけは、聖生が彼氏の板前さんに会いにいく旅行の計画を立てたことだった。
 しかし、八月に突入して旅館はかきいれ時だ。あまり聖生との時間が取れなかったらと心配した彼氏さんが、「楽しいように、友達も連れておいでよ」と言った。
 この時点で、聖生の中で僕の参加が決まった。そして、今度は僕が伊鞠、そして姫亜と飛紀を誘った。「人は多くていいの?」と訊いてきた伊鞠に、「いんじゃないかな」と僕が答えると、桜音さんと旦那さんも来ることになった。
 というわけで、七名の団体で、聖生の彼氏さんが働く旅館で一泊二日することになった。
 新幹線で向かうので、当日の朝、新幹線が通っている駅に集合する。僕は昨夜に荷物はばっちりまとめていたし、着ていく服も決めていた。姫亜も同じだったみたいだけど、「この旅行では、姫亜は飛紀とカップル設定だからね」と僕が釘を刺すと、がぜん姫亜は着ていく服が気になりはじめた。
「ほんとにこれでいいかな?」「こっちのほうがかわいい?」と姿見の前で混乱しはじめて、「清純に決めて白コーデだよね」と僕が言うと、急いで白いチューブトップを探り出した。
「ボトムスは?」とめずらしく僕を頼ってくれるのが嬉しくて、「デニムのパンツとかロンスカとか」と答えると、「持ってないよ」と言うのでスカートを貸してあげた。ついでに黒のシースルーカーデも貸した。
「日に焼けたらいけないからね」と僕がそれを着せると、「こういうとき、おにいちゃんも役に立つんだなあ」と姫亜はのたまった。うん、その言い草、もしかしてダサコーデを教えてあげてもいいのかな。そう思ったけど、ぐっとこらえて、かわいい妹の髪を櫛で梳いてあげた。
 午前九時過ぎ、姫亜と共に目的の駅の中央改札に向かうと、メインの聖生は来ていなかった。飛紀もまだのようだ。新幹線の時間まで三十分くらいあるので、遅刻ではない。
 伊鞠と桜音さん、そして桜音さんの旦那さんらしき男の人のすがたはあった。「伊鞠ーっ」と夏休みの騒がしい人混みをかきわけてその場にたどりつくと、「おはよう、癒」とパンツルックの伊鞠は相変わらずクールに応える。
「おはようっ。早いね、まだ三十分くらいあるよ」
「私は今来たところ。桜音と悟さんが一番」
「あっ、桜音さんもおはようです」
 そう挨拶すると、「おはよう、癒くん」と桜音さんはふわりと微笑む。そして、「この人がこないだ話した人」と旦那さん──悟さんを紹介してくれた。眼鏡をかけていて、ふっくらした体格、何というか、大きなくまのぬいぐるみみたいにのんびりした感じの人だ。桜音さんと並ぶと、夫婦で癒し系オーラがすごい。
「初めまして」と僕が会釈すると、「こちらこそ、おうわさは伺ってます」と悟さんはにっこりとした。
「伊鞠ちゃんが話してた通り、かわいい彼氏さんですね」
「ありがとうございます! えへへ、伊鞠、僕のことかわいいって話してるんだー」
「癒の特徴って、まずそれだから」
「待って、それ僕がかわいいだけみたいじゃん」
「ふふ、私と悟さんは癒くんの話いろいろ聞いてるけど、それは秘密だよね」
 桜音さんが悪戯っぽく言って、「えー! えー!」と僕がじたばたすると、「おにいちゃん、大人げない」と姫亜が突っ込んでくる。くっ、妹の前で見せる態度ではなかったか。
 でも伊鞠が僕をどんなふうに話しているのかは気になるなあ──とアイコンタクトを送ってみたものの、「姫亜さん、おはよう」と伊鞠はまったく気づかずに姫亜に笑みを向けた。
「おはようございます、伊鞠さん。何か、私だけ子供で緊張しますね」
「そんなことないよ。制服じゃないし、大人っぽく見える」
「そ、そうですか? 似合ってるかな」
「うん。かわいい」
「よかったっ。おにいちゃんにコーデしてもらったんで」
「そうなんだ。癒はやっぱり、女の子の服装のほうが詳しいね」
 伊鞠は笑いを噛み、「男の服装は、Tシャツとジーンズしか分かってませんからね」と姫亜はうなずく。「前よりは分かってきたもん」と僕は口をはさんだけれど、事実、今の服装はTシャツとジーンズだった。「むう」と僕は唸ってから続ける。
「だって、タンクトップとか短パンは色気だだ漏れになるから、あんま着れないわけで」
「自分で色気だだ漏れって」
「お店でもね、高学年くらいになった男子は、ほんと僕にあてられてくるんだよ。だから、もう……最近はスウェットでしょ」
「あれ、男よけなの?」
「そうだよ! 伊鞠以外の人の愛とかいらない」
 真顔で僕が姫亜に語っていると、桜音さんと悟さんが噴き出した。伊鞠は何やら息をついている。
「べた惚れされてるね」と桜音さんにつつかれた伊鞠は、「揶揄わないで」とそれをたしなめてから、「あと来るのは、聖生さんと飛紀くん?」と話を切り替える。
「そう。七人」
「だいぶ押しかけるね。部屋取れたの?」
「大部屋使わせてもらえるみたいで、みんな一緒だよ。あ、聖生は彼氏さんの部屋に泊まるけど」
「そう。ふたつの部屋くらいに分かれるのかと思った」
「カップルのひとつが部屋分かれるじゃん」
「それは私と癒が……」
「何でえ? 僕と伊鞠は一緒だよお」
「二部屋だったら、癒と姫亜さんと飛紀くん、私と桜音と悟さんしかないじゃない」
「えー。てか、みっつ部屋取れてたほうが大変だったよ」
「一番じゃない」
「姫亜と飛紀が相部屋だよ。やばーい」
 僕が言うと、「待ってよ」と姫亜が僕の腕を揺すってくる。
「そこは私と伊鞠さん、おにいちゃんと飛紀さんでしょっ」
「えっ、僕やだよ」
「飛紀さんと相部屋のどこが嫌なの!?」
「伊鞠さしおいて、飛紀って何なの。つまらん」
「えええ……でも、飛紀さんとひと晩同じ部屋って、そんな私……」
「いやまあ、結局ひと部屋なんだから。大丈夫だよ」
「……そっかあ」
 残念そうなこの妹、果たして、どういう部屋割りだったら納得したのか。
「夜は飛紀の隣のふとんで寝なよ」と言うと、「そんなの眠れないよっ」と姫亜は僕の肩をはたいた。そう言いつつ、ちょっと嬉しそうですけど──
 と、内心思いながら肩をさすっていると、「癒、やっと見つけた」という声がして、僕より姫亜がぱっと振り返った。
「飛紀さん! おはようございますっ」
 ご存知姫亜の王子様、飛紀がごった返す混雑の中から現れる。「飛紀おっそ」と僕は言い、「遅刻ではないだろうが」と腕時計を見た飛紀は言い返す。
 それから、飛紀は瞳をきらきらさせている姫亜を向いた。
「姫亜ちゃん、おはよう。晴れてよかったけど、暑いね」
「そうですねっ。あ、何か飲みますか? お茶しか水筒に入ってないですけど」
「うん、新幹線でもらうよ」
「何とお昼ごはんには姫亜のお弁当もありまーす」と僕が宣伝しておくと、「お、楽しみだ」と飛紀はにこっとして、姫亜は嬉しさを噛みしめた笑顔を見せる。「癒くんの妹さん、そういうことなのね」と桜音さんが伊鞠にささやき、「そういうこと」と伊鞠はうなずいた。
 飛紀は、そんな伊鞠にも挨拶する。
「伊鞠さん、何かお久しぶりで。癒とも順調みたいでよかったです」
「久しぶりです。お仕事いそがしいときに癒が誘っちゃって」
「どこかで休み取るのも、決まりなんで。えーっと、そちらは」
 桜音さんと悟さんを窺った飛紀に、伊鞠はてきぱきと紹介をこなし、桜音さん夫婦と飛紀は挨拶を交わす。
 僕はスマホを見て、聖生遅いなあ、と思って『もうみんな揃ったよ』とメッセを飛ばしておいた。すると、まもなく『今タクシー降りたからすぐ行く』という聖生の返信が着信する。
「聖生もう来るって」と僕が言うと、みんな新幹線のチケットを用意しはじめる。
「あ、瑛瑠いたっ。うっわ、もっとお洒落してきなよー」
 そんなことを言いながら現れた聖生は、深いスリットの入った濃紺のマキシワンピに、白のボレロを合わせていた。相変わらずエロいおねえさんだ。「男はお洒落とかそんなしないんだよ」と僕が言うと、「いや、普通にするでしょ」と聖生はキャリーバッグをごろごろ引っ張ってくる。
「今は男も化粧するんだよ。ジェンダーレス男子」
「僕はジェンダーガチ男子だから」
「はははっ」
「笑い方ムカつくなあ。向こう、海あるんでしょ? 海にスーツは変でしょ」
「瑛瑠の中で、男のお洒落ってスーツ一択なの? てか、ビキニ着なよ」
「海パン持ってきたし」
「瑛瑠が乳首出したら由々しいよ。トップレスだよ」
 あんまり否定できずにいると、「おにいちゃんビキニ着るんだ……」と姫亜が面倒くさそうにつぶやく。「いや、着ないよ。そういう目やめて」と僕が言うと、「ビキニ着たほうが、周りは混乱しないかもな」と飛紀が失笑する。
「僕は男だから乳首くらい出すよ! 出せるもん!」
「癒、ここで変なこと宣言しなくていい」と伊鞠に制され、「伊鞠は僕がビキニでいいの?」と僕はその腕をつかむ。
「ビキニでも海パンでも、癒は私にはきちんと男性だから」
 僕ははたと伊鞠の真顔を見て、「ううー」と感涙をこらえたあと、「よしっ」と僕は聖生を振り向く。
「ビキニ着よう!」
「そう来なきゃ!」
 そうしてハイタッチする僕と聖生を眺め、「なかなか愉快な価値観が揃ってるねえ」と桜音さんと悟さんはほのぼのしている。それから、笑い声や話し声が入り乱れる中を、パーティみたいに七人でぞろぞろ歩き、目的の新幹線のホームに向かう。
 聖生が慣れているので、みんなそれを見真似て、ここを始発として待機する新幹線に乗りこんだ。
 車内はさっぱりと清潔で、クーラーも効いていて涼しい。指定された座席では、並ぶ三席が向かい合っていて、聖生がひとりあぶれるようだ。「いいのー?」と僕が気にすると、「俺はなっちゃんに会いに行くときは、いつもひとりだから平気」と返ってきた。
「なっちゃんって彼氏さん?」
「そお。夏瀬なつせっていうの」
「その人にも挨拶したいな」
「できるよ。なっちゃん住みこみだから、部屋も近いし」
「そうなんだ。ふふ、聖生をよろしくーって言わなきゃ」
 僕がにこにこ言っているうち、座席の位置が決まっていた。手前の窓際に姫亜、そして飛紀、通路側に僕。奥の窓際に桜音さん、悟さん、僕と向かい合うのが伊鞠。
「何でナチュラルに僕と伊鞠が隣じゃないの?」と文句を言うと、「仕方ないでしょう」と伊鞠にたしなめられ、「お向かいだからいいだろうが」と飛紀も言う。僕が飛紀に肘鉄を食らわしていると、「代わりましょうか?」と悟さんが気遣ってくれて、「あ、いえいえ」と僕は慌てて遠慮し、荷物を座席の下に詰めこむとシートに腰をおろした。
 九時半過ぎに新幹線が発車して、乗っていたのは三時間くらいだった。車窓の景色が流れる中、十一時くらいに姫亜が用意したお弁当をみんなで食べる。「これすごくおいしい」と主婦でもある桜音さんがいろんなおかずにそう言って、何だかんだで料理好きな姫亜は嬉しそうに隠し味を伝えたりしている。
「いい奥さんになりそうな子ですね」と悟さんが飛紀に言うと、「俺もそう思います」と飛紀は笑顔で答えている。だが、うーん、やっぱりその言葉の含みには気づいてないな。わいわいと過ごしているとあっという間に目的の駅が近づいて、「次だよ」と聖生が僕の背後の席から顔を出して予告した。

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