夏の海に行こう【3】
宿屋街を抜けて、海岸沿いに出るとまだまだ海はにぎわっていた。家族連れ、友達同士、カップル、燦然とした太陽の下で、いろんな人がはじけるみたいに笑ったり、叫んだり。
前を歩く聖生のマキシスカートを潮風が広げて、スリットから綺麗な生足が覗いて、エロいなあと僕は改めて思う。
そりゃ、彼氏さんも聖生を自分だけのものにできるならしたいよな。自分の恋人を男優さんが抱くのも、それを見てどっかの見知らぬ男がしこるのも複雑かも。
聖生は砂浜を見やって、「あれが海の家だな」と二階建てのプレハブを指さした。
「桜音と悟さんはどこだろう」と伊鞠はスマホを取り出して、その場で通話をかけた。僕もはしゃぐ人たちの中に、姫亜と飛紀のすがたがないか目を凝らす。
「瑛瑠」
「ん?」
「俺の家族は、たぶん俺がAV出てるの知っても、きっともう縁を切る口実にするだけでさ」
「………、」
「でも、なっちゃんは俺を手放したくないと思うから、『辞めてほしい』って言ったんだよな」
「んー……けど、彼氏さんは聖生が『料理をほかの人に食べさせないで』って板前辞めるように頼んだら、辞めてくれるの?」
聖生ははっとしたように僕を見て、「聖生にとってはそういうことでしょ?」と僕は聖生を見返す。
「彼氏さん、めちゃくちゃ複雑だろうなあとは思うけど。それも分かるけど。聖生がやりたいことは、聖生のものだと思う」
僕が真剣な面持ちで述べると、ふと聖生は噴き出して「瑛瑠にしてはまじめな答えだなあ」なんて笑いを噛む。「『僕にしては』って何」とつい眉間を寄せると、「今夜、きちんとなっちゃんと話すよ」と聖生は言った。
それを見計らって、「桜音と悟さん、海の家の食堂で涼んでるみたい」と伊鞠は通話を終えたスマホをバッグにしまう。
「よし、水着で男の視線を楽しむか!」と聖生は背伸びをして、「収納するテープ持ってきた?」と僕が訊くと「もちろん!」と得意げに笑った。
そんなわけで、まずは海の家の二階で水着に着替えた。僕は白地にピンクやオレンジの花柄、聖生は黒地に青や紫の花柄のビキニだった。更衣室は個室ではなく男女で別れているだけだったから、僕たちは早くも周りから五度見くらいされた。
更衣室を出ると、水着を露出させずに薄手のパーカーを羽織ってしまった伊鞠がいた。「えー、水着見たい!」と僕が抗議しても、「恥ずかしいから」と伊鞠はさっさと階段を降りていく。それでも、伊鞠の脚がすらりと長いのは確認できたので、一応納得しておいた。
一階には焼きそばやフランクフルト、かき氷もドリンクもあつかう食堂があって、テーブルはぎゅうぎゅうだったけど、確かに桜音さんと悟さんがいた。
「姫亜と飛紀は戻ってきました?」
マジで交代してないのかなと気になって訊くと、「一度戻ってきて、かき氷食べてから、また行っちゃったよ」とラベンダー色の水着の桜音さんはにっこりする。
「何かすみません、留守番だけさせてて」
「いいのいいの」
「癒くんたちも、遠慮せずに海行っておいで」
何この夫婦優しい、と思いつつ、「伊鞠がパーカーを脱がないのです」と僕は頬をふくらませると、「あ、ほんとだ」と桜音さんが伊鞠に目を向ける。
「伊鞠、照れなくていいじゃないの」
「でも私は、」
「一緒に選んだでしょ。似合ってるから」
伊鞠は僕を見る。僕は飛紀を見つめる姫亜みたいに目をきらきらさせる。伊鞠は息をつくと、観念してパーカーを脱いだ。
白と紺の水着で、「かーわーいーいー」と僕がにやにやしてしまうと、「今の瑛瑠がそう言っても、森沢さん複雑じゃね」と聖生が失笑する。
「えー、そんなことないよ。ねー、伊鞠」
「……複雑」
「そうなの!? え、ほんとにかわいいよ?」
パーカーを桜音さんに預けながら伊鞠は変な顔をして、「胸が」とぼそっと言う。
「胸?」
「胸が、ないから……」
僕はきょとんとしたあと、耐えられないくらい伊鞠が愛おしくなって、「僕は伊鞠のおっぱいはかたちだと思ってるから!」と力説した。「そういうこと大声で言わないで」と伊鞠は僕をじろりとして、僕はちょっとしゅんとしたけど、「伊鞠はほんとにかわいいよ。綺麗だよ」と繰り返した。
すると、伊鞠も仕方なさそうに笑んで、「海入ろうか」と僕の手を取った。僕はぱあっと笑顔になってこくんとした。「じゃあ、俺は外で何か食うかな」と聖生はカウンターのほうに行ってしまった。
人混みを縫って渚に行き着くと、こころよい音を立てる白波が素足にじゃれついてくる。その水温は心地よく冷たい。
「伊鞠ってけっこう泳げる?」と訊くと、「泳ぐのは好き」と返ってきた。
僕は家族で海に来たときは、泳ぐより浮き輪でぼーっと浮かんでいる。そしてそのまま足がつかないところに流されて、泣きながら波を掻いて何とか岸に戻ったことがある。それを言うと、「じゃあ、足がつくところまで入ってみようか」と伊鞠は僕の手を握りなおし、この熱射を浴びているのにひんやりした海水の中に踏み出した。
僕と伊鞠は同じくらいの身長なので、水際が肩に届く前に立ち止まった。波がゆらりと重心を揺蕩わせる。周りは海岸のような混雑もなく静かで、僕は軆が揺らめいた拍子に伊鞠にくっついた。
「大丈夫?」と心配されてうなずき、「えへへ」と伊鞠とつながっている手に力をこめる。
「何か、世界が僕と伊鞠だけのものになったみたい」
「静かだもんね」
「波の音は気持ちいい」
「うん」
「僕には、伊鞠が一番だから。伊鞠が僕の幸せだって思うから。……ほかはいらないや」
伊鞠も僕の軆に抱きついて、海と共に優しく包んでくれる。海面がきらきらしていて、潤った波音も潮の匂いも、すごく気持ちいい。海の中で抱き合っていると、ひとつに溶けあってしまえたような気持ちになった。
空の色がうっすらとオレンジ色にかたむきはじめて、僕と伊鞠は浜辺に戻った。引き上げはじめている人たちの中、何だかいい感じの姫亜と飛紀を見かけて、あえて声をかけるのはこらえて海の家に向かった。
食堂にいたのは聖生で、男にナンパされている。僕と伊鞠に気づくと、男をあしらってひらひら手を振ってきた。「桜音と悟さんは」と伊鞠が問うと、夕焼けの写真を撮りにいったのだそうだ。姫亜と飛紀もここに来るだろうし、と僕と伊鞠は聖生と同じテーブルの椅子に座った。「水中エッチした?」とだいぶ普段のノリで聖生が訊いてきて、「秘密ー」と僕はにやりとしかえした。
やがて七人が揃い、海の家のシャワーで海水を落とすと、夕食が部屋に運ばれてくる十九時になる前に旅館に戻った。夕食は聖生も一緒に大部屋で食べるようだ。
海鮮メインの料理を仲居さんが持ってきて、座卓が一瞬にしておいしそうな彩りと匂いで華やかになる。お刺身、てんぷら、茶碗蒸し、釜飯にお吸い物。どれもおいしくて、これは確かに作ってくれた板前さんにことづけたくなるかもと思った。
なかなか仲良くなっている姫亜と飛紀を茶化している聖生をちらりとして、別れてほしくないけどなあ、と思った。
夕食が終わると、温泉が引いてある浴場があるらしいのでお風呂に入った。入浴中は浴場を貸し切れるらしく、飛紀と悟さん、伊鞠と姫亜と桜音さん、そして僕と聖生の順に湯船に浸かった。
落ち着いた香りのひのき造りの浴場で、ほかほかと湯気が湧き起こる中、「彼氏さんの料理おいしかったね」と僕が言うと、「でしょー」と聖生は自分が褒められたみたいに咲う。
「なっちゃんも、男が料理が好きだっていうの、親にあれこれ言われてきたらしくてさ」
「そうなんだ」
「俺が男だけど女装するっていうのは、何か、何となく、分かってくれるんだよね」
「そっか」
「でも、それをエロにして売り物にするのは、やっぱ理解しんどいかなあ」
「聖生がさ、愛されてるなあ、愛してるなあって思いながらセックスするのは、彼氏さんだけなんでしょ」
「そりゃあね」
「それが伝わればなあ」
僕は浴槽の中で手足を伸ばし、聖生は湯船に頬杖をついている。引かれてきたお湯が勢いよく浴槽にそそがれ、あふれて洗い場の床をゆすぎながら排水溝に消えていく。
僕たちはいったんお風呂を出て軆を洗い、また湯船で温まって頬まで上気させた。じゅうぶん軆がぽかぽかになると、ざばっとお湯からあがって、脱衣所で浴衣に着替えた。
このまま、聖生は彼氏さんの部屋に向かうらしい。「何かあれば大部屋来ていいからね」と僕が言うと、聖生は「うん」と微笑んだ。
明日は、朝食のあとに九時くらいには旅館を出て、おみやげをあさったあとにお昼の新幹線で地元に帰る予定だ。けっこうばたばたするわけで、そのぶん今は白いふかふかのふとんでくつろぐ。
こうしてふとんをならべて、同じ浴衣で、それぞれ寝そべったり髪を梳いたりしていると、修学旅行みたいで楽しい。
ちなみに、今回は僕と伊鞠は隣り合えた。伊鞠の向かいに桜音さん、僕の向かいに悟さん、隣り合わなかったけど向かい合うのは姫亜と飛紀だ。姫亜はややむくれたものの、実際に飛紀の隣で眠るのはハードルが高いと判断したのか、不機嫌にまではならなかった。
「今日楽しめましたか」と悟さんに問われ、うなずいた飛紀は「楽しかったよなー」と姫亜ににっこりして「はいっ」と姫亜は喜色満面だ。「あとひと息な感じだね」と桜音さんは伊鞠と僕にささやき、「このままさくっといってほしいとこですね」と僕は静かにうなずいた。
夜も更けて就寝する前、スマホを見ると聖生からメッセが来ていた。『心配かけてごめん。なっちゃんとは仲直りできたっぽい』とあって、「おっ」と思わず声が出た。そのいきさつは──気になるものの、まあ後日聞かせてもらうとしますか。今度こそ、エッチの最中かもしれないし。
それでもにまにましてしまう僕に、「癒?」と伊鞠が不思議そうに問うてくる。「んーん、何でもない」と僕は首を振ると、スマホを携帯充電器につないだ。
「じゃあ、明かり消すねー」と桜音さんがリモコンで電気を消し、真っ暗になった室内の中、僕は慣れない匂いのふとんの中でおとなしく目を閉じた。
──あとで聞いた話だと、彼氏さんは風呂上がりの聖生を抱いたあと、聖生がセックスで気持ちよくなると、AVの中では「いく」と口走るのに対し、自分のときは「すき」と口走っていることに気づいたらしい。
「さとちゃんが、セックスで愛情を表してるのは、俺だけなんだなって思った」
彼氏さんはそう言って涙目で謝ってきて、それで仲直りしたのだそうだ。「エローい」と僕はけらけら笑って、「俺も初めて、自分のそんな口ぐせ気づいたわ」と聖生はめずらしく照れながら、僕が作ったかき氷を頬張る。ともあれ、この件が一件落着したのは何よりだ。
そして、そんな安心をしたりしているうちに、カレンダーは八月も半ば、お盆の時期に入ろうとしていた。
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