男の娘でした。-5

夏に向けて

 五月からすでに真夏日があって、天気予報のアプリにも熱中症警報が表示されていた。
 六月も引き続き暑くて、しかもじんわり梅雨も近づいてくるせいか、空気は肌にまとわりつくようだ。ぬるい空気をかきまわすだけで、かたわらの扇風機の効力も薄くなりつつある。
 スマホをいじりながら、僕は今日も一日、駄菓子屋の店番をしていた。
 店内の古時計がぼーんぼーんと鳴り響き、時刻が十九時になったとき、ちょうど客も途切れているので僕は店の営業を終了した。店を閉めて、居間にいたおじいちゃんに本日の売り上げを渡す。
「お疲れさん」とおじいちゃんは受け取って勘定を始め、Tシャツにハーフスウェットの僕は、貸し切っていた扇風機も居間に戻す。
「ねえ、おじいちゃん」
「何だ」
 おじいちゃんは、顔も上げずに帳簿と向かい合っている。
「アイス、まだ始めないの? けっこう訊かれるんだけど」
「ああ──余裕があるか分からんな」
「余裕ないからこそ、アイスは売り上げにマストでしょ」
「マスト? 横文字は分からん」
「マストは……マストだよ」
「そうか。考えておく」
 マスト分かってないじゃん。と思っても、僕も改めて『マスト』を説明しろと言われたら分からない。
「売り上げは僕のお小遣いに響きますので」とだけちゃっかり言っておき、歩きスマホで居間を出た。
 やっぱり今日は伊鞠からメッセないなあ、と何度も確認しているけどまたスマホを確認する。そりゃあ、おとといにいつもの定食屋でごはんしたばかりではあるけれど。
 僕は店番終わったこと送っとこ、とフリックでしゃしゃっとメッセを入力して送信すると、「あっつい」とつぶやきながら、姫亜とおばあちゃんが用意している夕食の香りがただよう階段をのぼって、部屋に入る。
 一日店番をして空けているここも、空調されていなくて蒸し暑い。スマホをワイヤレス充電器に置いて、シャワー浴びよ、と僕は服をあさるけど、きちんと衣替えをしていないので、まだ長袖とか出てくる。一番最初に出てきたのが、たまに寝間着に使っている女装時代のキャミワンピで、これでいいやとそれをつかんでむしむしした部屋を出た。
 僕のシャワーシーンはさておき、さっぱりしてからやっぱりスカートは涼しいなあと扇風機の前に立っていると、「おにいちゃん、女装辞めるって言ったわりに、しれっとスカート着るよね」と、ゴマダレをかけた冷しゃぶを居間に運んでくる姫亜が眉を寄せた。
「寝間着はこれだよねえ。てか、スカートは女装じゃないよ」
「女装でしょ」
「イギリスでは正装ですー」
「ここ日本だから」
「日本だろうがどこだろうが、スカートは別に男が履いても悪くない」
「……写真撮って、伊鞠さんに送る」
「それはやめて」
「というか、スカートは百歩譲って、脚がいまだにそんなに手入れされてるのは何でなの?」
「手入れというか、僕、永久脱毛しちゃったから」
「男子が永脱」と姫亜が不可解そうな顔をしていると、玄関のほうで物音がして、「ただいまー」と両親の声が重なった。「おっかえりー」と僕はひらりとスカートをひるがえし、居間を出て玄関に向かう。
「一緒に帰宅なんて、らぶらぶですねえ」
 僕がそうにやにやとすると、「電車が一緒だっただけですよ」とおかあさんはさらりと冷たく言う。おとうさんはおとうさんで僕のすがたを見て、息をついて腕組みをした。
「俺はお前を、息子と思えばいいのか? 娘なのか?」
「息子だよ」
「じゃあ、何というか、その格好は違うだろ」
「似合ってるでしょ」
「似合ってるから、困るんだよなあ。プロテイン飲んで筋肉つける話はどうなった」
「伊鞠がそのままでいいって言ってくれたから」
「そういえば癒、その伊鞠さん、いつか私たちがいるときに連れてきなさいね。もうおつきあいも長いでしょう」
「二年半だねー」
「じゃあ、ご挨拶もしないと。ねえ、おとうさん」
「そうだな……。………、いや、何で複雑になるんだ?」
 自分の心境がつかめないらしいおとうさんは首を捻り、僕はからからと笑って居間に舞い戻ると、扇風機の前でスカートをめくって涼む。
 料理が運ばれてくるので、おじいちゃんは帳簿をいったん片づけて、「アイスか」と腕組みをして一応考えてくれているようだ。「かき氷でもいいんじゃないですかねえ」とたまごの優しい匂いがするお味噌汁を持ってきたおばあちゃんが提案する。
「私がお店に出ているときは、かき氷を作って出してましたよ」
「そうだったなあ。癒が言い出して、去年とおととしはアイスをおろしていたが──一日で売りきらないと保存が大変なんだよ」
「かき氷なら、欲しがる子に作ってあげればいいですからねえ。ふふ、あんまり暑い日は氷が足りなくなることもありましたっけ」
「待って」と僕はスカートをおろして、おじいちゃんに近づいた。おばあちゃんは座卓にお味噌汁を並べていく。
「かき氷作るって、ごりごりまわす手動のやつでしょ。せめて自動のやつ買ってよ。時代はふわとろのかき氷だよ」
「わがまま言うんじゃない」
「ふわとろだと絶対売れ行き違いますから!」
「まずはあるものを使っていけ。お前が今でも男用の寝間着も買わずに、スカートを穿いてるようなものだ」
「それとこれは違いますーっ」
 僕がぎゃんぎゃん文句を言っていると、会社勤めのスーツから軽装になった両親も居間に現れ、かき氷の協議が始まる。
「自動で作れるものも今は五千円もしないみたいだから」とおかあさんがスマホで素早くネットショップで確認して、「しばらく手動で様子見て、売れ行きがよければ、自動を導入するのもいいかもしれないね」と結論を出した。おじいちゃんも娘のてきぱきした判断には逆らわず、「……そうだな」とうなずいた。
「普通、孫の意見を尊重して即買いしない?」とまだ僕が言っていると、「おじいちゃんは治子はるこには甘いからねえ」とおばあちゃんはほがらかに咲う。そこに姫亜がほかほかのごはんを運んできて、「おとうさんが甘いのは、私じゃなくておにいちゃんだよね」とじろりとおとうさんを見る。
「そ、そんなことはないぞ。姫亜も大事な娘に決まってるじゃないか」
「私に彼氏できても平気でしょ? 複雑じゃないでしょ?」
 冷しゃぶの下に敷かれたレタスが水滴で光る。
「それは──姫亜には見る目があるからな」
「見る目って……やっぱり、かわいいのはおにいちゃんなんじゃん。心配なのはおにいちゃんなんじゃん」
「でもさー、姫亜は実際見る目あるじゃん。飛紀ひのりでしょ?」
 僕がそう割りこむと、姫亜は僕を見て、ひと息で頬にぼっと火をつける。
「そうそう、飛紀くんだからおとうさんも安心なんだよ」
「飛紀くんなら、確かに安心ね」
「飛紀くんはしっかりした子だ」
「癒の面倒もよく見てくれましたねえ」
「もうっ、家族公式で飛紀さん推してこないでよっ。そんな、ぜんぜん、飛紀さんとは──」
「でも、飛紀は姫亜がかわいいって言ってた」
 姫亜は耐えがたきに手でおおっていた顔を上げ、「ほんとに!?」と僕に瞳を輝かせる。「うん」と僕がうなずくと、「おにいちゃんをさしおいて、かわいいって嬉しすぎる……」と姫亜の瞳はうっとりと夢見心地になる。
 ちょろい、と僕は自分のごはんの前にいざって、したたるゴマダレも香ばしい、柔らかそうな白い豚肉に生唾を飲みこむ。
 飛紀というのは、僕の幼稚園のときからのタメの幼なじみだ。本当に飛紀が姫亜を「かわいい」と明言したことがあったかどうか、正直はっきりしないけど、まあ妹分としてかわいいとは思っているだろう。
 僕は昔から男に想いを告白されてきたけれど、その遍歴は幼稚園にさかのぼり、初めて僕に「癒が好き」と言ってきたのは飛紀だったりする。
 しかし僕は、姫亜が生まれたときから飛紀にとても懐いているのを見ていたので、妹の恋敵にはなりたくないと思って飛紀のことは卒園式で振った。僕はこれでも、けっこう妹想いなのだ。
 飛紀も僕の愛らしさにあてられ、性別のあやふやな幼さゆえに告っただけだ。男とか女とかが分かってきた頃から、僕に告白したことを「黒歴史」と言って聞かない。それはとてもおもしろいので、揶揄うときはあっても、やっぱり僕と飛紀はないなあと思っている。

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