男の娘でした。-7

妹君の王子様

 午前十一時をまわると、おじいちゃんが仕入れから帰ってきて、棚の駄菓子の補充を始める。それを合図に、洗濯を終わらせたおばあちゃんがお昼ごはんを作りはじめる。
 何か昔話みたいだけど、いつものうちの光景だ。
 盗み食いのおやつを買っていく子がいるから、なぜか僕は朝八時から店番をしている。ゆっくり寝坊できるように、「盗み食いの推奨は良くないのでは」とかおじいちゃんに申し立てるけれど、おじいちゃんが言うには、朝の営業は盗み食いのガキのためでなく、仏壇にお供え物として毎朝お菓子を買っていくお客さんがいるからなのだそうだ。
 悔しい、一理ある。そんなわけで、僕は現在は遅くとも七時半には起きて働いている。
 今日も古時計が十一回鳴って、おじいちゃんが段ボールを抱えて帰ってきた。いつもなら「おかえりー」とスマホ片手に緩く迎える僕だけど、先日のかき氷の可決で、最近は毎日かき氷を作る練習をさせられている。
 古き良きペンギンのかき氷機、「何でこんなの練習?」と言ったら、かき氷みっつぶんくらいを空まわししてみたところで、腕がくたっくたになった。
「何これ、肉体労働なの?」と僕が息を切らしていると、「一日三食限定程度なら、自動は買ってやらんぞ」とおじいちゃんは鬼畜なことを言う。むごい、と思いながら、僕はマスターベーションのやりすぎみたいに異様に疲れた肩と腕になっている。
「お昼にしましょうか」
 そのうち、甘いたまねぎと柔らかいたまご、そして香ばしいお肉の匂いがただよってきて、これは親子丼ですな、と思っているとおばあちゃんがそう顔を出した。
 黙々と棚を整備するおじいちゃんは、「癒、先に食ってこい」とキリのいいところまで作業するようだ。「はあい」とへろへろの声で答えて、僕はかき氷手のレバーを離して、放置になっていたスマホを手に取った。
「今日のお昼、親子丼でしょ」
「よく分かったねえ」
 おばあちゃんとそんなことを話しながら、僕は洗面所に立ち寄って手を洗い、窓を見た。
 今日は朝に雨が上がって、日射しもあるので外はきらきらしている。すずめもさえずって、でもむしっとした熱気はどうしようもない。あと数日で七月だ。
 このまましれっと梅雨だけでもフェードアウトしないかな、とか思いつつ、ふかふかのタオルで手を拭くと居間に向かった。
 おばあちゃんは、居間に僕のぶんの親子丼だけ置いていた。おばあちゃんは、おじいちゃんを待つのだそうだ。
 いつもそうしている。亭主より先に食べてはいけない、というモラハラでなく、単におじいちゃんが食べてくれるのを見ながら同じものを食べるのが幸せらしい。
「らぶらぶじゃないですか」と僕がいつだか言うと、「そうだねえ、そうかもねえ」とおばあちゃんは目を細めていた。らぶらぶって分かってない。
「いただきまーす」と僕は箸を取って、ほくほくのたまごとお肉、玉ねぎの染みただしでほぐれたごはんを頬張る。「熱っつ」とか言いながらも、ぱくぱくと勢いよく味わっていると、不意にハーフスウェットのポケットの中で着信音がした。
「ん」と僕は手を止め、おばあちゃんはともかくおじいちゃんの目はないのを確かめると、スマホを取り出して、画面を指紋認証で起こした。
杉立すぎたち飛紀ひのりさんからメッセージが届いています。』
 ごくんと口の中を飲みこんだ僕は、「飛紀じゃん」とつぶやいてトークルームを開く。すると、いきなり顔面が引き攣る、いらだちワードがあった。
『まだニートやってる?』
 くそがああああああ!!!!!! 僕を「ニート」呼ばわりする奴は、男だろうと女だろうと、ドSのバリタチにケツ掘られて逝け。
『飛紀もこんな時間にメッセとかニートじゃん』
『昼休みだ。』
『僕も店番の休憩中だよ』
『今日も家にいるのか?』
『悪かったですねー!
 会社勤めしたことがなくて悪かったですねー!』
『夜も家にいるなら、同僚の出張土産の菓子持っていきたい。
 俺ひとりで饅頭ひと箱とか無理。』
『持ってきなさい』
『今夜行くわ。』
 そこでラリーはぱたっと停止して、お饅頭かあ、と僕はつい笑顔になりながら、スマホをどんぶりの脇に置く。
 いや、もちろん姫亜のことは考えましたよ? 飛紀を慕い申す我が妹のため、逝ってよろしい幼なじみを許しいれましたよ? けして、僕がお饅頭を食べたかったからだけではない。
 僕が親子丼で満腹になっていたところで、おじいちゃんが居間にやってきたので、入れ替わって僕は店番に戻る。
 店内の駄菓子が、一日で一番満ち満ちている。しかし僕の盗み食い、もとい、万引き防止のために減ったら目視で分かる絶妙な具合になっていて、僕は仕方なくお饅頭に期待することにして、かき氷機の練習に励んだ。
 それにしてもこれ、氷を設置したらレバーがもっと重くなるんじゃないだろうか。つらすぎる。
 本日も子供たちに懲りずに姫だ姫だと呼ばれ、「姫じゃないから!」と根気よく言い返していると、「ただいまー」と姫亜が駄菓子屋のドアから帰宅した。「ほら、あっちが姫だよ」と僕が言うと、おいしい棒を買いまくっている子供たちはいっせいに姫亜を見た。
 姫亜は臆したように動きを止める。子供たちは顔を合わせると、「えー……」と一番困る微妙な反応をした。
 もちろん切れるのは姫亜であって、「姫とか呼ばれても、その人は男なんだからねっ」とお客様である子供たちに本気で咬みつき、ぎりっと僕を睨みつけて家に入ろうとした。
「待って、姫亜。僕、今日は姫亜のために頑張ったんだ」
「代わりに夕飯作るぐらいやってくれたの?」
「いや、ええと……そこまでじゃないけど、何と、今夜は飛紀がうちに来まーす」
 姫亜は再び、動きを止めた。本当にコミカルな妹だ。
「飛紀さん……?」とゆっくり姫亜は反芻し、僕は急いでスマホの画面を起こして、昼間のやりとりを見せた。姫亜はそれを覗きこんで、飛紀襲来を確認すると、ぐっと僕の肩に手を置き、「いいね」と言わんばかりに親指を突き上げて「グッド」を表した。
「ほんと、飛紀さんって、おにいちゃんにこういう塩対応するとこがいいよね」
「そこに惚れたの?」
「もちろんかっこいいんだけど! って、かっこいいとか言っちゃった、やだ恥ずかしい」
「飛紀がかっこいい……」
「かっこいいでしょ!?」
「あ、はい。そんな気もする」
「盗らないでよ?」
「いきなりドスきいた顔するのやめて」
「おにいちゃんには伊鞠さんがいるんじゃないの?」
「いや、普通に飛紀はないんで。大丈夫です」
「よしっ、飛紀さん来るならご馳走作ろっ。服も選ばなきゃ。わあい、会えるの久しぶりだっ」
 あっという間に浮かれモードになり、姫亜は制服のスカートをひらりとさせて家の中に行ってしまった。
「姫、大丈夫?」と会計の前にいる三人組の子供たちに問われ、「僕は姫ではないけどね」と執拗に否定して僕は腕組みをする。
「うちの町娘には、やはり幸せになってほしいのですよ」
「町娘」
「確かにそんな感じー」
「でも嵐属性入ってね?」
「姫にカミナリ落としてたもんな……」
「てか、ヒノリってあれだろー。姫の婚約者」
「梶先生が言ってたな!」
「昔から姫と一緒だったんだよなあ」
「梶先生、マジで僕のことネタにしすぎなんだけど……違います! 僕の好きな人は伊鞠だし、飛紀なんて考えたこともないよ」
「イモリ?」
「いや、それ言うならヤモリだろ」
「イモリでもヤモリでもない! いいから、棒買って帰りなさい。てか、何でこんなに棒買うの?」
「来週、遠足だからなー」
「今のうちにうまい味は買っとくの!」
「ふうん。ま、気をつけて行っておいで。はい、お釣り」
 みっつの手のひらにお釣りをそれぞれ渡すと、「またな、姫!」と三人組は元気よく去っていき、「だから姫、」と言っているそばから、今度は「姫って男子と長く話しすぎ!」と今度は女の子たちが会計に並ぶ。
「姫じゃないもん」と僕は両手で顔をおおっているのに、「あ、あたしたちだって姫と話したいの!」と彼女たちの慌てたフォローはフォローになっていない。僕は息をついて、「遠足なんだね」と仕方なく彼女たちにも、そのあとに来た子たちにも話題を振って、もう水商売と変わんないよと思った。
 ぼーんぼーんと古時計が七回鳴って、閉店時刻になった。家の中からは、何だかスパイシーな夕食の匂いがただよってきている。「姫んちの夕飯、何?」とか訊いてくる子に「はいはい、閉店ですよ」とさっさとお菓子を決めさせると、会計をして、特別に店先まで見送ってあげた。
 夕焼けが終わりかける茜色の中、「またねーっ、姫っ」と元気良く手を振るその子に、「姫じゃない……」と今日もやっぱり百回くらい言ったそれを言い納めていると、突然、ぽすっと頭に何か乗せられた。
「んっ?」
「相変わらずチビだなー」
「……ニートとかさあ。チビとかさあ。わざと言ってんの?」
 僕がきっと振り返ると、やはりそこには、スーツすがたの飛紀がいた。
 ワックスで上げた前髪、きりっとした眉とさっぱりした瞳、やや面長だけど鼻梁や顎の削りは悪くない。唇が薄くて皮肉っぽい口許をしていて、しっかりした肩幅や脚の長さは確かにかっこいいのかもしれないけど。
「ん」と飛紀は僕の頭に乗せたらしい箱をさしだしてきて、それは待望のお饅頭のようだったので、僕は表情を明るくさせて素直に受け取る。
「こしあん? こしあんかな?」
「開けた奴は黄身あんとか言ってた」
「ということはこしあんですな」
 ほくほくと箱を胸に抱く僕に、「わざとというか」と飛紀は肩をすくめる。
「俺は事実を言ってるつもりなんだが」
「あ?」
「チビは仕方ねえけど、そろそろ働こうぜ」
「何で、お饅頭で機嫌直ったのに蒸し返すの?」
「水商売、楽しげだったじゃん」
「男の娘はもうしないのっ。てか、僕、マジで店番頑張ってるんだよ?」
「じいちゃんの仕事手伝ってるだけだろ」
「今年はかき氷作りますー! 右腕がすごいことになりそうですー!」
「そうなのか? 昔、ばあちゃんが作ってたな。懐かしい」
 そんなことを言いつつ、飛紀は「お邪魔しまーす」と駄菓子屋に入っていく。
 ほんとに大変なんだからな、と僕は頬をふくらませたあと、飛紀なら店内にいてもいいか、とお饅頭は会計台に置いておき、ささっと閉店作業をした。
 お店を閉め終えたときには、水色と白のストライプのワンピースを着た姫亜が飛紀を出迎えていた。何だかんだ言いつつ、化粧のテクは僕が仕込んだ通りだし、そのワンピースも僕のおさがりだから、姫亜は元・男の娘の兄のセンスは信じているらしい。
「姫亜ちゃん、こんばんは」
 飛紀も姫亜のことはかわいがっているので、瞳をきらきらさせる妹分ににっこりと挨拶する。
「今日も夕飯、姫亜ちゃんが作ってたの? いい匂いする」
「はいっ。ナスとトマトのキーマカレーですよ。飛紀さんのぶんもありますっ」
「マジで。いいの?」
「もちろん! 足りなかったら、おにいちゃんがダイエットで食べないとかやってくれると思いますし」
「え、僕もカレー食べる……」
「荷物、ここにおろしてくれていいですよ。あ、お饅頭もありがとうございます」
「姫亜ちゃんも食べてね。おいしいみたいだから」
「同僚さんの出張のおみやげでしたっけ。どこに行ってらしたんですか?」
「どこだったかな。北のほうだった気がするけど」
 ふたりがそんな会話をしていると、「ただいまー」の玄関のほうでおかあさんの声がした。
「あ、おばさんにも挨拶しようかな」と飛紀がそちらを気にすると、「どうぞ、あがってください」と姫亜は飛紀を家に通し、すっとお饅頭の箱を取り上げてから、僕のことは取り残して行ってしまった。
 僕は明かりを落として薄暗い店内に立ち尽くすと、「あつかいの差!!」と叫んだ。誰も突っ込みすら入れてくれない。
「ううー」と泣きそうになって、会計台のペンギンのそばに同じく置き去りにされたスマホを取り、伊鞠に『お疲れ様、夜に通話したい』とメッセを送った。意外とすぐに既読がつき、『何かあったの?』と来る。
 伊鞠は僕を気にかけてくれる。それが嬉しくて、『声聴きたいから!』と返信した。すると『分かった。遅くなったらごめんなさい。』と返ってきて、遅くなるって残業してるのかな、とも思ったのでそれ以上のメッセはやめておいた。
 それでも僕はすっかり元気になり、今日の売り上げが入った小さな金庫を抱えると、「えへへ」と頬を緩ませて居間に向かった。

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