IN BLOSSOM-17

愛のかたち

「季羽、ちょっと出てこい」
 明日から二学期という八月最後の日、あたしは親友共に家に押しかけられて、駅前のカフェに引きずり出された。ゾンビみたいな声をもらしながら、あたしはツインテールもせずに髪を流して、あの日のように絵鞠は隣、未佑希と海は向かいにして、木製のテーブルを囲んだ。
「あんたさ、ちょっと腑抜け過ぎ」
 未佑希の三白眼にじろりとされても、あたしは息をついてテーブルに伏せる──のだけど、「はーい、未佑希先生と海先生のお説教ー」と絵鞠に腕を引っ張られて起こされる。
「そんなに引きずるくらいなら、いっそ『好き』って言ってこいよ」
「明日になってもその具合だったら、早瀬さんが気にして、どのみち気づかれるわよ」
 完全にふてくされてふたりを見たあと、「リア充が」と吐いて頬杖でそっぽを向く。
「あのなあ──」
「そんな簡単な話じゃないんだよ」
 メニューを引ったくって、適当にめくりながら三人の視線を集める。
「うまく言えないけど、そんな簡単なもんじゃないの。つきあってる奴には贅沢に聞こえる? でも、違うんだよ。そんな、腹減ったから食う、眠いから寝る、好きだから伝える、みたいな話じゃないんだ」
「まだ好きなのね」
「うっせえな。そうだよ、まだ好きだよ。早瀬さんが好きだよ。でも、こんなの早瀬さんには迷惑なんだよ。この気持ちがある限り、あたしは早瀬さんに近づく資格がないの」
「矛盾してるな」
「女同士なんだぞ。恋愛としてなんて、何とも思わないか、迷惑なんだよ。私も好きだなって感じるなんてないし、好意寄せられたところで、『え、そんなふうに私を見てるとか……』ってヒくんだよ」
「今更感満載だけど、突っ込まないほうがいい?」
 言いながらも絵鞠はあたしに頭をぺしぺしとしてきて、あたしはメニューを放るとふくれっ面でまたよそを向く。
「ねえ、季羽」
 海にしっかりとした口調で呼ばれても、あたしの視線は適当にほかの席を追っている。
「とりあえず、失恋を受け入れなさい」
「は?」
 思いもよらぬ言葉に、捻じっていた首を戻し、海の怖いくらいの目を訝る。
「何言ってんの。そんなん、とっくに受け入れてるよ。あの日言っ──」
「気持ちに真摯じゃなくなっただけだわ」
「そうだな。はっきり言って、見苦しい」
 ふたりを見たあと、絵鞠を見た。「見てられない」と言われて、やっととまどいが生まれて、切っていない前髪が目にかかる。
「ねえ季羽。早瀬さんは優しくて、しっかりしていて、季羽はそこに惹かれたのよね?」
「………、まあ」
「だったら、そういう人だからこそ、いい加減な友情で季羽を傷つけたくなかった、とは考えられない?」
「え」
「別にこれが真実である必要はないわ。でも、実際あのグループって微妙でしょう」
「し、知ってるの?」
「見てたら気づく。何となくな」
 未佑希がわりとそっけなく言って、そうなのか、とあたしはワンピースの裾を握る。
「そのことで早瀬さんが傷ついているとしたら、なおさらだわ」
「あんたと、うわべの友達になるのは失礼だって早瀬さんは考えたんじゃねえかな」
「そ、そんな……の、都合いいよ」
「そうね、都合がいいわ。だから、そう考えなさい。しっかりした人だから、季羽は早瀬さんを好きになった。じゃあ、メールしないのにメアド交換するなんてしなかったのも、『ああ、しっかりした人だな』って思えば楽にならないかしら」
 あたしは徐々に厳しさを溶かしていく海の目を見つめて、未佑希を見て、絵鞠を見た。
「私たちで相談してね、どうやったら季羽は元気になるかなって考えたの」
 絵鞠はメニューを立て直して、今日はカールしていない髪をはらう。
「どんなかたちでも、綺麗に終わればいいんだよ」
「綺麗……?」
「『綺麗』っていうのは、美しくっていう意味じゃなくてね。何て言うかー。はい、未佑希先生」
「んー、まあ、吐きまくってすっきりするまで、って意味だよ。メアド交換断られた、じゃあ終わりだってあきらめるのも、綺麗。『好き』まで言ってみて、拒否られるまでぼろぼろに傷ついてあきらめるのも、綺麗。大切なのは、自分が納得することなんだ」
「そう、季羽は納得してないのよ」
 納得。納得、は……あたし──
「季羽はね、早瀬さんを知らない。ほとんど知らない。知らないほうが幸せなのかもしれない。『好き』って言わないのもありだと私は思うよ。だから、あえて踏みこまないのも、季羽の気持ちによっては、そう、綺麗に終わるってこと」
 そうあたしを見つめる絵鞠に、未佑希が真剣な瞳で引き継ぐ。
「さんざんぶつかって、嫌悪されるまでアタックして、手詰まりになるまでやるのも綺麗に終わるってことだな」
「いつかは想い出になるのよ。だとしたら、振り返ったとき幸せになれるようにしておくのは季羽の権利だわ。だから、都合よく考えて、季羽が好きになった早瀬さんを信じなさい」
 早瀬さんを信じる。都合よく考える。しっかりした人だから、軽い友情に傷つく人だから、いい加減なつきあいは嫌だったから。だから、早瀬さんはあたしとメアド交換しなかった。
 そう考えたら、確かに、何か、納得できる。少なくとも、あたしの心に被害妄想の傷はつかない。ただ、早瀬さんを改めて尊敬して、信じることすらできる。心穏やかに“失恋”することができる──。
「そっ……か」
 あたしがそうつぶやくと、三人はちょっと息をつめる。あたしは、親友共に顔を上げて、あの日以来、本当に久々に笑った。
「だったら、さすが、あたしが惚れた女だな」
 その言葉に、絵鞠も未佑希も海も、一気に噴き出した。ついで、周りが振り返るくらい笑い出した。つられてあたしも笑って、そっか、と急に重力がなくなったような心で思った。
 早瀬さんだからこそ、軽はずみなことはしなかった。見てて好きになっちゃうくらい相手を思いやる人だから、適当な約束をして傷つけなかった。
 うん、きっとそうだ。早瀬さんがあたしが思った通りの人なら、あの日、早瀬さんは何ひとつぶれていなかった。
 あの日以来、うまく息ができなくかった。心臓に傷がついて、夏休み、傷口にガーゼを当てて、何度も取り替えていた。無垢なガーゼが赤く染まって、心臓が血を流しているから、落ち着くための深呼吸もできなかった。
 なのに、急激につっかえていた胸が通った。楽にこの恋を眠らせることができる気がした。どう転んでも、早瀬さんを信じられる気がしてきた。
 そう、それならいい。あたしが好きになった早瀬さんを信じるままでいられるなら、じゅうぶんだ。
 あがいた。やることはやった。頑張った。早瀬さんが「いい加減にして」って思う──かどうかは分からないけれど、そう思っておいたほうが楽か。もしそう思われるなら、あたしはおとなしく、早瀬さんに従う。
 失恋じゃない。失恋でさえ、ない。あたしは振ってもらうことすらできなかった。忘れるくらいしか、早瀬さんにしてあげられない。早瀬さんがそれを望むなら、喜んでこの想いを殺そう。
 嫌いになるわけじゃない。早瀬さんを尊重したい。
 早瀬さんは、二次元住人のようなものだった。手の届かない人。しづ様と同じ。住む世界が違う人。
 ふと、あの“ノンセク”という言葉を知ったときの、コメントできなかったブログがよみがえる。本当に、あたしは根っからのノンセクだ。手が届かないから、あたしは早瀬さんを好きになったのだ。
 やっとメニューを解禁する親友共を見て、今はこいつらを大切にしようと思った。こいつらを大切にしたい。今、何が幸せって、それなのかもしれない。
 そして、家に帰ったらおかあさんに突っかかって、しづ様のグッズを取り返そう。あたしには、しづ様もまた、大切な存在だ。ぼっちで、非リアで、ぼろぼろだったあたしを、ケータイの待ち受けにいるだけで支えてくれた。しづ様のおかげで高校に受かった。そして、この親友共にもめぐり会えた。
 しづ様に出逢っていなかったら、あたしは今頃、引きこもりにでもなっていたかもしれない。画像がお守りだった。心細くなったらケータイを取りだして見つめた。二次元なんて、本気で関係ない。二次元と三次元という距離なんか問題にならないレベルで、しづ様が好き。どんなに傷つくとしても、あたしはしづ様がいるなら頑張れる。次の恋まで生きていける。
 そう、あたしにはちゃんと還るべき大切な存在がある。早瀬さんはそうはならなかったけど、仕方ない。ただ、あの柔らかな笑顔が絶えないことだけ、遠くから祈ろう。
 また恋はしたい。でも、ひとまずあたしは、あの心の旦那様の元に帰ろう。
 そう、あたしの好きな人は、この世にいない。絶対話せない。絶対触れられない。絶対届くことはない。あたしの好きな人は、まだ隣にはいないだけなのだ。

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