TEL【2】
言い知れないもやもやに襲われ、次は未佑希に電話をかけた。かけたあとで気づいた。そういや、こいつもすでにビッチになった奴だった。
『あー、季羽かあ』
あたしはその気の抜けた開口で、「男とはいないな」とつぶやく。
『は?』
「何でもありません」
『聞こえたっつうの! さっきまでお茶してたよ、残念ながら』
「一年前のお前が、今のお前らみたいなの見たら、間違いなく殺していた」
『そういう流れになったんだから、仕方ないだろ』
「流れか」
『悪い意味じゃないからな』
「流されただけか」
『「入学したときから好きなんだけど」って言われたら、あたしだって嬉しいし!』
「相手ストーカーだったのか。とっとと告れよ」
『何の用か知らねえけど、切るぞ』
あたしはクッションを抱きしめ、大きなため息をついた。
「好きな女ができた」
『は?』
「女に惚れちまったんだよ! レズだよ! いいよ、ざまあって笑えよ!」
海のときより長い無言が来たけれど、聞こえたのは笑い声ではなかった。『あー』という不明瞭な声からして、かなり混乱はしている。
『それ、また二次元? 嫁って奴?』
「だったらこんなに悩まない」
『現実の相手?』
「そうだよ」
『ふうん。まあ、進歩なんじゃないの』
「進歩、か?」
『現実だしな』
「ん……」
『相手、訊いていいの?』
「まだ好きって決まってないから言わねえ」
『いや、思いっきり「惚れた」って叫んでただろ』
「あれ以外どう切り出せばよかったんだよ」
『何だよそれ。女、ねえ』
渋くつぶやいた未佑希は、ゆっくり事態を飲みこんできたらしい。何とも言えない沈黙のあと、未佑希は軽く息をついた。
『で、相手も?』
「え」
『相手も女に惚れんの?』
「知るか」
『重要なんだけど』
「……違うと思う」
『じゃあ、とりあえず失恋ではあるな』
「あたしを踏みにじって楽しいか」
『いや、失恋だろ。片想いすんのは勝手だけど、応えてもらうのは考えないほうがいいんじゃね』
何もうこれ意見されたくない。そう思ってふくれっ面になり、適当なことを言って、いい加減に切ってしまった。クッションに顔を伏せってうめく。
違和感にいらっとする。ということは、甘い言葉より、的を射ているということなのかもしれない。失恋。確かに、早瀬さんは応えないだろう。先を言い切るのはよくなくても、少なくとも「好きです」と言えば確実にヒカれる。
でも、あたしは無理に「好きです」を伝えようとは思わない。ただ、関わりのない他人なのがつらい。早瀬さんに流れる時間に、あたしも混ざりたい。それが叶うなら、片想いでぜんぜん構わない。でも、両想いではないなら、近づきたい気持ちは恋とも呼べないの?
もやもやがいっそう黒くなる中、最後に電話をしたのは絵鞠だった。絵鞠は好きな男子の話も聞かないし、しづ様のことをけっこう理解しているぶん、三次元の同性なんて拒否反応が一番あるかもしれない。言いにくいなあ、とコールにビビっていると、ふと途切れて『もしもーし』と絵鞠の声が聞こえた。
「季羽ですけど」
『おー、季羽か。どしたのー?』
「………、あのさ、」
「あ、ハンズフリーにしていい? 今ペディキュアしてた』
「いい……いや、良くない!」
『む、そなの? 人に聞かれたくない話?』
「んー、まあ」
『じゃ、ちょい待ち。十分後にこっちからかける』
言い残した絵鞠はあっさり電話を切って、あたしはベッドをごろんごろんしながら「うー」とうなって十分間耐えた。スマホが『クリスタルメイズ』のOPを流すと、すぐに『電話に出る』をタップする。
『お、ごめんね。トップ仕上げたかった』
「あー、あたしも昔はペディキュアとかやってたなー」
『いいよねー。高校卒業したら、手もネイルアートしたい』
「ネイルアートかあ。あ、いや。こんな話じゃなくてさ」
『あ、そうだね。何、どうかしたの』
「海とね、未佑希には話したの」
『ほう』
「そしたら、芳しくない答えが返ってきた」
『ほほう』
「絵鞠は、一番あたしに幻滅するかもしれない」
絵鞠は言葉を止めたけど、「まあ」と変わりないのんきな口調で言った。
『何か期待して季羽の友達やってんじゃないから、安心しなー』
「お前いい奴だな」
『えへへー』
「何か……ね。もうほんと、すみませんって感じなんだけど」
『うん』
「実は」
『はい』
「三次元で、好きな人ができましたっ」
『おー、よかったねえ』
相槌があまりにもナチュラルなので、あたしは少し躊躇ったあと、大事なことはもう一度言った。
「三次元で、好きな人ができましたっ」
『ふんふん』
「聞いてるよな?」
『聞いてるよー。好きな人かあ。いいなあ、私、まだ一番下の弟が一番かわいいブラコンだよ』
「しづ様がいるのに」
『しづ様はしづ様じゃん。二次元に好きな人いても、三次元は三次元じゃないかな』
「ん……でも、その、何つーか、相手がさ。海と未佑希はあんま理解しなかったというか。いや、あいつらのが正しいんだろうけど」
『私も理解しなかったらごめんねー』
「………、じゃあ、その、言うぞ」
『どぞー』
「あたし、その、好きな人って言うのがさ。つか、好きっていうか、まだ気になるってくらいなんだけど」
『うんうん』
「相手、女の子、でさ」
『ほう。クラスの子?』
「………」
『違うか。あ、学年は?』
「………」
『お、他校ですか』
「………」
『電波悪いな。季羽ーっ』
「な、泣かすなバカあっ」
『うおっ。何、電波……え、何で泣くのさ』
「う……だって、海はただの憧れって言うし、未佑希は失恋確定させるし」
『あははー、そりゃきついねえ。明日、私がチョップしとくよ』
「絵鞠は、そういうの思わないの」
『ん、別に私はいいと思うよ。好きな人ができるって、それだけでいいことじゃん』
「いい、のかな」
『うん。私はうらやましいな。好きな人かー』
好きな、人。やっぱり、そうなのだろうか。いや、もうさんざん親友共とのこの電話で、ある意味、認めているけれど。
『ちょっとびっくりだけどね、季羽がビアンさん』
「ビアン、なのか?」
『さあ。あ、しづ様好きだから、バイなのか? 学校でとっととそういうのも教えてほしいよね』
そんな絵鞠との電話が終わると、胸を冒していた黒のもやもやは、さいわい泡が落ちるように溶けはじめていた。でも、分かってくれた絵鞠との電話でも、ひとつだけこびりついて離れないものが喉につっかえた。
ビアン。バイ。どちらも、それだけだとしっくり来ない。自分は、いわゆるストレートだと思ってきた。男を好きにもなった。実は違うのだろうか。
女の子なら、あいつに感じた“虫酸”が走らないわけではない。海の言っていた、欲しいという感覚はやっぱり分からない。だから好きになったところで、初恋で失敗したように、未佑希の指摘通りあたしは失恋する。何だろう。絵鞠の言ったように、学校もテレビも漫画も教えない何かが、初めてあたしにしっくり来るのだろうか。
恋は、しているのだと思う。好きだと思う。こんなにもあふれそうで、もう否定なんてできない。
早瀬さん。思い出しただけで、心がはちきれそうになる。あの凛としたすがたが脳裏によぎると、痛いほど切なくて、いてもたってもいられなくなる。
好き。早瀬さんが好き。
でも、それなのにあたしは、キスやセックスはしたくない、絶対にしたくない、と思うのだ。
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