揺籃に花-4

心に刺さる棘

「ブログ──」
 五百円を受け取って、ブックレットに銀のマジックでサインを入れる雷樹さんに、俺は何となく口を開く。
「ん、ブログ?」
「けっこう、さかのぼって読んだんですけど」
「マジですか。ありがとうございます」
「重なるところがありました」
「重なるっつうと──あ、来た」
 かえりみると、透由さんがLUCID INTERVALの残りのふたりを連れてきていた。やや童顔に見えるのが保摘さん、切れ長の目が印象的なのが真砂さん、だったと思う。三人もスタンドの中に入って、雷樹さんがサインを入れたブックレットにサインを入れていく。
「重なるって、好きなバンドとかですか?」
「え、あ……いや、家庭……というか」
「ああ。そういう人もいますね。ブログのコメント止まりが多いですけど」
「美羽の家はそうとう狂ってるよー」
 キキがけらけらと笑って、「そうなんですか」と雷樹さんも少し笑う。
「もう家出とかしちゃってんですか」
「いや、基本昼間は引きこもって、夜にこの街うろうろしてます」
「そっかー。家出したら気楽ですよ」
「おいくつですか?」
 ブックレットを保摘さんに渡した透由さんが訊いてくる。
「十七です」
「この街なら食っていける、よな?」
 透由さんがキキを見て、「俺はね」とキキは笑みを噛む。男娼という仕事は明かしていないのだろうか。
「家出とかは透由たちの感覚だと思うけど」
 長い睫毛を伏せて、無表情にサインを書きながら保摘さんがつぶやく。
「そっかなー。まあ、家出しても何とかなるもんですよ」
「そうですかね」
「そうそう」
「つらかったら逃げりゃいいんですよ」
「彼にも事情あるだろうし、あんまり吹っかけるなよ」
 真砂さんが苦笑混じりにふたりを抑え、保摘さんから受け取ったブックレットにサインを入れる。そしてCDをたたむと、「どうぞ」と俺に渡してくれた。「どうも」と受け取っていると、「キキ」と声がしてそちらを見る。
「ミツ兄」とキキが笑顔になって、結良ちゃんを引きずって駆け寄ったのは、LUCID INTERVALよりまた少し年上に見える四人組の中のひとりで、髪がオレンジで黒いピアスをしている。「『ミツ兄』」と言葉を繰り返すと、「ファントムリムのミツギさんは、お袋さんが元娼婦なんですよ」と雷樹さんが言う。
「だから、きーくんみたいな知り合いも多いわけです」
「……あ、キキの仕事知ってんですね」
「一応。きーくん、普通にしゃべってきたよな」
「ああ。『俺、男に売りやってんですよねー』って」
「偏見ないですか?」
「別にないですねー」
「この街では普通ですし」
「じゃあ、俺、キキの客ですよ」
 雷樹さんと透由さんは、俺を見てしばたいた。保摘さんと真砂さんは、その後ろのパイプ椅子に腰かけて何か話している。雷樹さんと透由さんは、ちょっと噴き出したあと、「美羽くんなら買わなくても苦労しないんじゃないの」と雷樹さんが覗きこんでくる。
「ホモは若けりゃ何とかなるってのは都市伝説ですよ」
「んー、そうなんですかねー」
「あ、あと敬語やめていいですよ」
「はは、そう? ごめん、けっこう頑張って敬語使ってた」
「俺も敬語やめていい?」
「はい。もちろん」
「ありがとー。あー、やっぱ敬語疲れるっ」
「雷樹さんと透由さんは敬語ってイメージじゃないですけど」
「そうなんだけどなー、やっぱライヴハウスのオーナーとか対バン相手とか、こういう物販のときな。敬語スキルないと無理」
「そんなもんですか」
「メジャーじゃなきゃ好き勝手やれるってわけじゃないな。やっぱ客相手なんだよなー」
 言いながら雷樹さんはいったんミネラルウォーターを飲み、透由さんが引き続ける。
「人に聴いてほしいけどさ。聴いてもらうためにあれこれやるうちに、ステージそのものにうんざりしてくるよ」
「うんざり、ですか」
「言葉悪いけど。ほんと、ただ音楽だけをやってたいんだ。聴いてもらう以上に、四人で好きな演奏やってたい。もうこれでライヴ活動辞めようかって話すときもある」
「スタジオ借りれば、好き勝手に音楽はやれるわけだしな。でもやっぱ、好きなバンドとかが共感する歌詞書いたり、耳に残るメロディ作ったりしてると、『あー、俺たちもそういうことしたいな』とか思っちまう」
「俺はまだ、キキにちょっと聴かせてもらっただけですけど。何か、好きでしたよ。今話せてるのも嬉しい」
「そっか。ありがと。そういう人がいてくれると、頑張れるよ」
 雷樹さんが意外と柔らかににこっとしたとき、ふっと照明が落ちた。いつの間にかステージに立っているバンドがいて、いきなりエレキギターが空気を引っ張る。
「ごめん、俺ら二番手だから準備」と透由さんが言って、雷樹さんは保摘さんと真砂さんに割って入って準備をうながす。四人は立ち去ってしまい、ノンケと普通に話したの久々かもしれない、と思いながら俺はCDをショルダーバッグにしまった。
 まだフロアは前方にいる人も少なく、壁際で何か飲んでいる人が多い。俺もドリンク何か頼もう、とカウンターに行き、迷ってからスクリュードライバーをもらった。そしてスツールに腰かけ、オレンジジュースに酒の味が混じったそれを飲む。
 カウンターは少し明るいから、その照明でフライヤーを眺めた。四組のバンドが出演するみたいだ。トリは例のファントムリムらしい。
 キキは結良ちゃんを背負ったまま、もう誰ともしゃべらずライヴを見ている。結良ちゃんのあつかいが人形みたいだな、とぼんやり思って、一組目の演奏を聴くというか肌に感じながら、ため息がもれる。
 そんなつもりはないと思いつつ、キキに多少惹かれているところがあったのだろうか。まあ、気に入ったから、金を用いてでもつながりを持ったわけだけれども。恋愛感情はないと思っていた。
 でも、キキがやっぱりストレートで、彼女がいて、あんなふうに仲良くしているところを見ると、ほんの少しだけつらい。キキが手に入らないことはよく分かっていた。でもそれが、キキがあの女の子のものだからと思うと、けっこうぐさっとくる。
 キキが男娼なのは平気だ。ストレートなのも構わない。けれど、誰かのものなのは、俺の心臓を生殺しにする。金はらってやらせてもらっている俺が、持つはずのない感情だ。割り切れてなかったなあ、と痛感して、オレンジ色の水面がため息でさわやかな香りに揺れる。
 一組目の演奏が終了すると、ステージに雷樹さんたちが入ってくる。何やらコードをつないだり、マイクの位置を調整したりしている。俺はぐだぐだ思うのはあとにして、ここはLUCID INTERVALのライヴに集中することにする。

  ぶん殴られるんだ
 「痛いよ」って泣いても
 「うるさい」って
  首を絞められるんだよ

  見開いた目に映るのは殺意
  絶望するしかないだろ?
  俺を犯していくのは狂気
  絶望するしかないだろ?

 まずMCなしに一曲あって、それがあのキキに聴かせてもらった曲だった。タイトルは“いらない子供”というらしかった。
 この人ら隠さねえよな、と思う。虐待されていたら恥ずかしいとかは思わないが、ただ、妙な偏見はつきまといそうだ。可哀想だと言われたり。悲劇の主人公かと言われたり。過去をダシに使っている感じはしないけれど、文句をつける奴はつけてくるだろう。そういうの平気なのかな、と思ったあと、ステージにうんざりするという透由さんの言葉が思い返る。
「今夜はファントムリムの結成十年イベントっつうことで。おめでとうございます。十年ですか。メジャー行った対バン相手ってどんなのがいますかってゲスなこと訊いたら、サイコミミックとかRAG BABYとか言われましたよ。マジかよって」
 雷樹さんのMCに笑い声が上がる中で、「マジでー?」という声がして「僕らよりすごい人たちいるから」とさっきのオレンジの髪色の人が笑いを抑えながら言う。
「そのすごい人たちは、たぶんそれは俺らも好きなバンドですね。よし、じゃあ、とっとと二曲目と三曲目と行きますか。──聴いてください、“解毒”」
 また雷樹さんたちと話したかったけれど、ライヴ後は挨拶や立ち話がいそがしそうだった。またライヴ来ればいいか、と食いつきにいくまではしなかった。
 そのうち、どんどん客がフロアに流れこんでいって、トリでメインらしいファントムリムの出演の頃には、無数の人の頭で店内が暑いくらいになっていた。ファントムリムもけっこう好きな感じだったからCDが欲しかったけど、メインだけあって売り切れてしまっていた。
 二十二時半頃にその夜が終わると、照明がぱっと明るくなって、思っていたよりもっと混雑しているのを知る。キキのすがたも見つけられないまま、クラブを出た俺はいつものバーで時間をつぶした。
 眠いな、とまた思いはじめ、終電も終わってたぶん家族は寝静まった午前一時に帰途に着く。コンビニに立ち寄ると、真っ暗なことを確認してから家に踏みこんだ。
 素早く二階の自室に入ると、姉のひとり言がずるずると続いていた。言葉までは聞き取れなくても、まあたぶん、死にたいとかもう嫌だとか言っているのだと思う。うるさ、と俺はヘッドホンをして、PCにCDを滑りこませてLUCID INTERVALをゆっくり聴きはじめる。
 CDを全曲リピートで聴きながら、LUCID INTERVALのブログを覗いてみる。“残像”の更新はまだない。雷樹さんのMCを思い返し、あのときの「好きなバンド」ってどれだろうと“幻聴”の記事をじっくり読んでみた。
 いろんなミュージシャンや楽曲が挙がっていたけど、そういえば“うわごと”にも出てきていたし、それは恐らくXENONというバンドのようだった。『今のロック界で影響を受けてないバンドはいないと思う。』と書かれている。
 どんなバンドなんだろ、と思って検索してみたら、画像も背景もない、文字だけの簡素なトップページに告知しか載っていないサイトがヒットした。このサイトなら見たことがある気がする。たぶんキキのおすすめ経由で見たのだろう。そして、それ以外のヒットはすべてファンサイトで、若干気違いじみているようなものもあった。
 それを見ているうちに、LUCID INTERVALのブログが更新されていた。画像では確かに実際見てきたライヴの光景が映っている。『ファントムリムの四人、これからも頑張ってください。』と敬語で締めくくられていて、こういうときにタメ口使うわけにもいかないな、とそこにひとりで納得する。
 また行こうと思って、ブログ更新も見届けて、いよいよ眠気が増してきた。たぶん聴きながら寝れる。ヘッドホンをはずしたら姉の声にいらついてくるだろう。こういう雑音を断ち切りたいときのために、ポータブルCDプレイヤーがある。
 それと一緒にベッドに入ると、暗い天井を見つめていて、またキキのこと買えるかなあ、ともやもやを思い出した。俺はそれを振り切るようにうつぶせになると、ぎゅっと目をつむった。

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