ロリポップ-11

彼と彼

 恵里と別れたら七梨に即連絡、というのもずうずうしい気がして、来週くらいにしておこうと思っていたら、週末、真悟に呼び出された。てっきり恵里とのことを訊かれるのかと思ったら、ひとまず適当なファーストフードに入り、何本か煙草をつぶした真悟は、ようやく口を開いた。
「メグちゃんの弟に告られた」
 きんと冷たいバニラシェイクをすすっていた俺は、思わず噴き出しそうになった。頬杖をついて、コーヒーにもポテトにも手をつけていない真悟は、仏頂面でまた煙草に火をつけている。どういう因果かと俺が絶句していると、真悟は俺に一瞥くれて、「チクってないよな」と問うてくる。
「チクって俺に何の得が」
「……悪い。でも、俺がそうだって知ってるのは、お前だけだし」
「何て答えたんだよ」
「ちょっと考えさせろと」
「あ、断らなかったんだな」
「………、断らない時点で、ある程度期待させてしまってるのか?」
「さあ。でもいいんじゃね。渚樹はいい奴だよ」
 真悟は煙草をつぶすと、やっとポテトに手をつける。「男とか……」と真悟はいつになく蒼ざめていて、「それ、ストレートの反応だろ」と俺はハンバーガーの包みを開ける。
「あ、お前のタイプじゃないとか」
「そういうわけでも──、いや、ぶっちゃけ、ちょっと気になってた」
「マジ」
「お前が俺に教えたんだろ、あいつはゲイだって」
「そうだっけ」
「自分の発言くらい憶えとけよ。……どうしよ」
 真悟はいつになく本気で悩んでいるようで、俺も軽はずみなことは言えなくなる。
「迷惑とは感じないのか」
「迷惑っつうか──いまさら、自分をそっちの人間としてあつかえなくなってる。女たらしのホストに慣れた」
「それは、ストレートになったということでは」
「なってねえよ。仮面がはがれなくなったようなもん」
 そんなもんなのか、と俺はハンバーガーにぱくつく。ハンバーグとレタスが口の中で新鮮に絡みあう。
 真悟はまた煙草に火をつけ、うざったそうに前髪をかきあげている。
「でも」と俺は口の中のものを飲みこんだ。
「仮面は、しょせん仮面じゃん。いきなり素顔さらさずに、仮面かぶったまま素直になって、しゃべってみてさ。信頼できてきたら、自然と仮面もはがれていくんじゃないか」
「そう簡単にいくかよ。第一、知られたら幻滅される要素しかないだろ。ホストなんかやってさ。俺なら、そんな男は複雑になる」
「ホストやってることは俺が話しましたが」
「は!?」
 真悟は無頓着にハンバーグを食していく俺を見直し、「お前な、」と言ったきり口をつぐむ。何本目か分からない煙草につぶす真悟に、「まずかったですか」と俺はちょっとかしこまってしまう。真悟は俺を深夜の猫の眼のようにぎろりとしたあと、ため息をつく。
「知られてんのか……」
「学校にチクる奴ではない」
「それは分かってる。俺は──自分が嫌いだからな。好きだなんて言われても、それが信じられないんだ」
「ま、渚樹ならお勧めだ。それは言っておく」
 真悟はポテトを何本かつまんで、頬杖をついた。「そういや」と真悟はいつものクールな目つきに戻って、コーヒーをひと口飲む。
「お前はどうなんだよ」
「俺」
「メグちゃんと別れるとか言い出してただろ」
「ああ、別れたよ」
「……マジであの変人取るのか」
 信じられない様子でつぶやき、真悟はポテトをつまむ。
「七梨ちゃん、かわいいじゃん」
「顔だけかよ」
「いや、まあ……何か、いろんなとこがいちいちかわいい」
「リスカもか」
「リスカは話題に出したことない」
「メグちゃん振ったってことは、もうつきあってんのか」
「まだ」
「でもつきあうんだろ」
「ま、たぶん」
「寝るとき、嫌でも傷見ることになるぜ」
「………、七梨ちゃん、そういう、セックスとか分かってなさそうなんだよなあ」
 そうこぼしながら、俺はハンバーガーにかぶりつく。子供の頃は大嫌いだったのに、いつのまにか食べれるようになったピクルスの味がする。
「処女なんだろうなあ」
「処女、面倒だろ」
「俺、処女知らないからいいんだよ」
「懐かれたら、ストーカーになりそうだな」
「中学時代の七梨ちゃんは知らないけど、今はわりと普通の子だよ。若干、人との距離つかめてない感じだけど」
「ま、お前がそんなにご執心なら勝手にしろ」
 真悟はいい加減に俺と七梨の話題を終わらせると、空を見やった。
 渚樹が真悟に。そういえば家に行ったとき真悟のこと訊いてきたな、と思い出す。興味があるからだとは思わなかったが──
 上の空の真悟を一目し、甘ったるく女で自分を偽るより、厳しくても素直になってほしいと思った。
 ぐるぐると甘い──何だか、そういうキャンディがあるけれど、本当にそんな感じだ。くらんだ目のようにぐるぐると、現実から逃れて甘い道をふらついている。真悟にホストに、七梨は自傷に、恵里は弟に。俺だって、本当はこんなところで雑談などせず勉強していなくてはならない。でも、逃げている。
「真悟ー」
「ん」
「お前、卒業したらどうすんの」
「……何だよいきなり」
「俺、何にも考えてないからさ」
 俺はバニラシェイクをすすり、ふうっと息をつく。「とりあえず」と真悟はポテトを食べた。
「家を出る」
「和解は」
「しねえよ。したくもない。お前は」
「真悟のヒモになろうかな」
「言ってろ」
 真悟はあっさり投げてコーヒーに口をつけ、俺は大人になっていく自分を歯がゆく感じる。精神構造はまだこんなにガキなのに、大学だの働くだの、考えられない。でも、考えなきゃいけないんだよなあ──
 俺は残りのハンバーガーをがぶりと食いちぎり、現実からまた目をそらした。
 週明けの登校中、マナーモードにしていたケータイがバイブして、取り出すと渚樹からのメールだった。登録されていないメアドだったが、タイトルが『渚樹です』だったので、メアド教えてたっけ、と思いつつ、メールを開く。
『姉ちゃんとのこと聞きました。
 正直、ちょっと残念です。
 今日の放課後、時間あったら相手してくれませんか?』
 そのメールを見つめ、どっちだろうと思った。恵里のことか。真悟のことか。両方か。どっちでも気まずいなと思いつつも、簡単な返事を送信した。
『了解。
 放課後、教室来て。』
 学校に着いても、真悟のすがたはなかった。月曜だし、おそらくサボりだ。今日のところは、渚樹とかちあわないためにもちょうどよかったかもしれない。
 そろそろ七梨に連絡してもいいかなあ、とたぶん向こうからは来ない連絡に思いながら一日過ごした。先公共は、真悟の親友ということで、俺までブラックリストに入れていて、何度か授業中に浮わつきを注意された。お前らみたいな大人がいるから大人になりたくないんだよ、と内心毒づいて、時計を見つめて放課後を待つ。
 ようやく帰りのホームルームが終わって、教室の空気が急にほどけると、ざわめきは廊下へと流れ出しはじめた。俺はまだ席に着いたまま、ケータイをチェックする。
 メールが二通来ていた。一通は真悟で、二日酔いで頭痛いとかいう内容だったので後まわしにする。もう一通は数分前の着信で、渚樹だ。
『今3年の教室の並びにいるんですけど、トモさんって何クラスですか?』
 そういや知らねえだろうな、とおもむろに席を立つ。『今教室出るから、階段のとこにいろ』と返すと、立ち上がってかばんを肩にかけ、同じ制服の群れを縫って階段に向かった。
 クーラーの名残があった教室に較べ、廊下では残暑の熱気が肌に絡みつく。「透望さん」と声がして人だかりを見渡すと、手すりのかたわらにネクタイの色が違うだけで同じ制服の渚樹がいた。「よお」と俺は手を掲げて、そこに歩み寄る。
「悪いな、クラス。メールに書き忘れてた」
「いや、俺も突然すみません」
 俺は廊下にかばんをおろし、下校する生徒の邪魔にならないよう隅に蹴りやる。
「つーか、よく俺のメアド知ってたな」
「ねえちゃんに教えてもらって。変えてるかとも思いましたけど」
「女と終わるたびメアド変えてたら面倒だろ。迷惑メールの量が迷惑になってきたら変える」
「ねえちゃんのメアドとかも登録したままですか」
「あー、そういえばさすがにそれは消さないとな。消しとくよ」
 俺がそう言うと、渚樹はちょっと複雑そうにうつむく。
「……ほんとに別れたんですね」
「ん、ああ。兄貴になれなくて悪かった」
「そこまでは考えてなかったですけど──」
「俺が悪いんだよ。メグは悪くない」
「ねえちゃんも同じこと言ってました。自分が悪くて、透望さんは悪くないって」
「………、より戻してほしいって話なら、さすがに無理だな。俺、ほかに好きな子ができちゃってさ」
 渚樹は俺を見上げ、「そうなんですか」とため息混じりに手すりにもたれる。
「ねえちゃんが重くなったのかと思いました」
「えっ」
 ぎくっと渚樹を見てしまったものの、渚樹はうなだれていて俺の視線には気づかない。
「ねえちゃんも、ほかに本気で好きな男がいるんですよ。今だから、言えますけど。でも、その男は絶対にねえちゃんに応えない。だから、ねえちゃんはほかの男に依存するようなつきあいをして──重い、って思われるんですよね」
 俺は渚樹の横顔を見つめた。もしかして、渚樹は、その男を知っているのだろうか。その男は、まさに自分だと。
 渚樹は顔をあげ、恵里とよく似た性質の目を向けてくる。
「透望さんは、ねえちゃんを重いって感じませんでしたか」
「別に──。いや、まあ、多少な」
「透望さんならって期待してたんですけど」
「……ごめん」
「あ、責めるんじゃなくて。何か、透望さんにはねえちゃんも柔らかかったから」
「んー、どうだろうな。俺たち、お互い本気じゃないって察しながらつきあってたんだよな。どうせいつか別れるだろって。それがむしろメグには楽だったのかも」
「そうですか……」
 渚樹はまた足元に視界を落とし、何にも言わなくなる。
 渚樹は渚樹で、恵里を大切に想っているのだ。何でメグだけ近親姦に走るかな、と思っても、そこは恵里たちの家庭内のことなので、俺には分からない。
「まあ」と俺は渚樹のこめかみを小突いた。
「恵里のことがなくなったって、俺はお前を弟みたく思ってるぜ」
「ほんとですか」
「ああ。また気軽にメールしてこいよ。同じ学校だし、すぐ会える」
 そう笑みを向けると、目が合った渚樹も笑んでうなずいた。俺は渚樹の頭をくしゃっとしてやったあと、一瞬考えてから、「あのさ」と表情をまじめなものに切りかえる。
「こういうのって、俺から言うのも失礼かもしれないけど」
「え、はい」
「真悟も、よろしくな」
「え……えっ!?」
「聞いた。きっと渚樹は、あいつの本当の気持ちをすくいとってやれる」
「ほ、本当の気持ちって──」
「それはあいつに訊け。とにかく、俺は応援してるよ。素直に行動してる渚樹のこと、俺も見習わないと」
 そう言って、まだ混乱している渚樹の肩をぽんとたたくと、俺はかばんを手に取った。
「と、透望さん、その、俺、」
「じゃあな。俺もそろそろ、例の新しい女の子に告らないと」
 しどろもどろになっている渚樹に失笑をこらえ、そう残すと、俺は放課後にはしゃぐ同級生たちの中に混じっていった。
 そうだ。考えていても始まらない。七梨にちゃんと気持ちを伝えよう。
 恵里のそれにはなれなかったけど、七梨の力にはなりたい。真夏に見た駅のホームでの鮮血のイメージがよぎる。あんな依存は断ち切ってやらないといけない。甘いめまいから目覚めさせ、現実で俺を見てほしい。
 学校を出た俺はケータイを取り出すと、駅まで歩きながら、七梨にあてるメールの文面を考えはじめた。

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