ロリポップ-5

また会えるように

 真悟に会う約束がなくたって、中学時代からこの街にはお世話になっている。
 中学生のとき、クラスメイトと土日によく遊びにきていた。俺の地元は住宅地だから、遊べるところがないのだ。公園でだべっていたって、時間はすぐ過ぎていったけれど。
 七月も末にさしかかっていた。蝉が泣きじゃくる幼い子供のごとくわんわんと鳴いている。外に出ると、貧血体質みたいに熱気にくらくらして、水分が汗としてもぎとられていく。南中の太陽は青空に君臨し、地球を焼きはらおうとしているかのようだ。誰かの汗の臭いが不愉快な電車を降りた俺は、今日は特にあてもなくその街をぶらつくことにした。
 今回も最高だったサイコミミックの新譜は買ってしまったし、本屋で何か新しい漫画でも探そうか。しかし、集める金がない。やはり、短期のバイトでもしたほうがいいのか。どうせ家にもいたくない。着信のないつまらないケータイをいじりながら、俺は結局CDショップに混ざりこんでいた。
 俺は、主に邦楽ロックを好んで聴いている。興味ないジャンルだったら欲しいものも出てこないか、とポップスコーナーや洋楽コーナーを歩き、たまに面展のジャケットに目を惹かれたりする。そして、わりと隅のほうにあるインディーズコーナーにさしかかったとき、はたと足をとめた。
 血糊がびちゃっとついた、白い猫耳帽子をかぶった子がしゃがみこんでいた。赤い十字架が描かれた腕章のついた黒いトップスに、チェーンの連なるボンテージスカートを合わせている。
 もしかして、とそろそろと近づいてみると、やっぱりあの子だった。
 関わらないほうが、と後退ろうとしたとき、視線を感じたのか、彼女がこちらに顔をあげた。俺はどきりと動きを止め、びっくりするくらい黒目がちで大きなその瞳と見つめあった。
 眉を隠す程度の黒い前髪、新鮮ないちごのような唇、柔らかそうな頬はしっとりと白く、顎へと無駄なく線を描がいている。いくつくらいだろうと思ったが、そういえば真悟とクラスメイトだったのだから、タメなのか。ぜんぜん幼く、中学生くらいに見える。
 どうしよう。いや、どうしようというか──何だ。めちゃくちゃかわいいじゃないか。やばい。俺はロリコンじゃないけど、そういう童顔に弱いのだ。彼女が不審そうに眉間に皺を寄せたので、俺は慌てて我に返る。
 俺はその子に歩み寄ると、隣にしゃがみこんだ。一応にっこりとしてみたけど、彼女は無表情のまま、ただ眉間でのみ怪しんでいる。俺はこのあいだのいい匂いを感じながら、彼女が手にしているアルバムに目を落とした。今日は一枚だ。俺も名前だけは知っている、XENONというバンドのアルバムだった。
「XENON、好きなんだ」
 彼女もアルバムに目を落とし、ひとまずこくんと反応をよこしてくれた。俺は彼女の腕を瞥視する。本日も長袖で、あの日を確かめることはできなかった。
 彼女はアルバムを棚に戻す。この真夏に雪白の手をしている。
「買わないの」
「……持ってるから」
 逃げ出す猫が鳴らす鈴の音のような声に、やっべえ、と俺は焦る。これまでの偏見が、心臓に命中した矢に崩れていく。めちゃくちゃタイプだ。
梨羽りわたち、こないだアルバムを出したんだけど」
 彼女は別のXENONのアルバムを引き出し、ため息をつく。
「もう売れちゃったのかな」
「ないの?」
「うん」
「梨羽たちって、XENONのことだよね」
 彼女は俺を一瞥し、またこくんとした。
「在庫ないか、訊いてきてあげようか」
 今度は、彼女は顔もこちらに向けた。俺を見つめる瞳に、感情は読み取れないけれど、まばたきが驚きをしめしている。
「いや、君、店員に声かけるとか苦手かなーと」
 ぎこちなく笑いながら言うと、彼女はうつむき、「うん」と小さく答えた。やった、と俺はつい破顔し、それを慌てて引き締めると、立ち上がる。アルバムのタイトルを教えてもらうと、どこか不安そうな彼女を置いてレジに向かった。
 キャバ嬢のほうが似合いそうな茶髪を巻いた女が、容姿かしらぬ快活さで対応してくれた。俺がアルバムの在庫を尋ねると、何やらコンピュータをいじりにいって、駆け戻ってくる。
「申し訳ありませんが、現在在庫切れてますね」
「あー……そうですか。また入荷しますか」
「インディーズなんで、ちょっと言い切れないです」
「注文とかは」
「あ、それなら大丈夫ですよ」
「じゃ、欲しがってるツレに訊いてきます」
 店員は笑顔でうなずき、俺はインディーズコーナーのか行のところで突っ立っている彼女の元に戻った。在庫がないのと注文の旨を伝えると、彼女は難色をしめす。「欲しいんじゃないの」と首をかしげると、彼女は迷惑なカウンセリングでも受けているみたいに、たどたどしく返答する。
「連絡先とか、……ないから」
「え、ケータイは」
「書きたくない」
「なら、家とか」
「……家は嫌なの」
「………、」
「引き取りに来るのも、その、お店の人と話さなきゃいけないし」
 俺は彼女の腕に視線をすべらせ、毒々しく赤い裂け目を想像した。
 そうだよな、と改めて思い出す。あんまり好みなので忘れていたが、この子は──
「じゃ、俺のケータイ書いていいよ」
「え」
「で、俺が引き取りにも来るから。その代わり──」
 俺は彼女の身長に背をかがめ、にっとした。
「届いたアルバム渡すとき、飯でもつきあってよ」
 彼女は胡乱そうに俺を眺めた。彼女にすれば、俺は偶然通りかかった見知らぬ野郎だ。馴れ馴れしすぎたかな、と後悔しかけていると、彼女は安全ピンまみれの黒革のウエストバッグから、メタルレッドでストレート型の小さなケータイを取りだす。
「ほんとに、ごはんだけ」
「え、ああ。もちろん」
「……じゃあ、お願いして、いいかな」
 俺はぱっと笑顔になったが、それに臆面した彼女にすぐ表情を正す。それでも、どうしてもいそいそとした動作でケータイを取り出してしまう。赤外線で情報を交換すると、「名前は何ていうの」とアドレス帳をいじりながら問う。
七梨しちり
「七梨ちゃん。いや、名字?」
「名前。数字の七に、梨羽の梨」
「ごめん、俺XENONって詳しくなくて」
「果物の梨」
「あ、“梨”か……俺は透望」
「トモ、くん」
「透明に望むって書くんだ。変な名前だろ」
「……あんまり聞かないね」
 興味なさそうに相槌を打ちながらも、七梨は俺の連絡先を登録してくれたようだ。ラッキー、とにやにやしそうになるのをこらえ、「じゃあ注文してくるよ」と彼女を置いて、再度レジにおもむいた。
 そうして注文を終えると、ひかえを財布にしまいながらインディーズコーナーに戻る。七梨は別のアーティストのCDを手にしていて、俺に気づくと吟味を中断した。
 やや躊躇ったあと、「代金預かってていいかな」と情けなくも言うと、彼女は三千円を俺に渡して「たぶんお釣りは五百円だから」と言った。「了解」と丁重に三人の野口を財布にしまうと、俺と七梨は顔を合わせた。
「えーと──じゃあ、入荷したって来たら、連絡するよ。電話でいい?」
「メールのほうが」
 何で女ってメールなんだろと思いつつ、恵里で慣れているので文句は飲みこむ。「それじゃあ」と締めくくろうとすると、七梨はまたこくんとして、俺と会話していたのを忘れたように棚に向かいはじめた。昼飯誘おうかなとも思ったが、しつこいのもうざいかと我慢して、彼女の香水に引かれながらも俺はその場をあとにした。
 人混みを抜け、適当に涼しいファーストフードにふらっと入ると、ハンバーガーとフライドポテト、コーラの昼食を取った。着いたのはショウウィンドウの席で、見ているだけでうるさいぐらいの人通りに面している。小麦粉の値段があがって、ハンバーガーもひとまわり小さくなった。ナゲットも頼めばよかったかな、と成長期の俺は寂しくなったけれど、金ないかと考え直して、マヨネーズと香ばしいソースの絡みあいをぼんやりと食した。
 たまに髪がピンクとかゴスロリとか奇抜な格好の子が通ると──いや、通らなくても、七梨のことを考えていた。
 そういえば、真悟のことを訊かなかった。クラスメイトだったならと思いかけ、あの子は学校行ってなかったんだっけと思い出す。それでも、真悟はあの麗容で目立っていただろうから、知っているかもしれない。今度話題が切れたら訊いてみよ、と俺は無造作に片手でケータイを取り出す。
 メールが一通来ていて色めいたが、たどりついたのは恵里のフォルダだった。何だよ、とがっくりと息をつき、七梨のフォルダ作っておこうかなあと先走りつつ、そのメールを開く。
『連絡ないけど生きてる?
 あたしはナギとゲームやってた。』
 俺はコーラの刺激で喉を潤しつつ、『ブラコン』とまで打って消し、しばらく躊躇ったあと、違う文章を送信する。
『さっき、むちゃくちゃかわいい子とメアド交換した。』
 ハンバーガーを食べ終わった頃、画面が光った。
『ナンパでもやってんの?』
 ナンパ。言われて初めて、近いかもと悟った。何となく突っこまれたくなくなって、話題を元に戻す。
『ゲームって、仲良しだな。
 メグってやっぱブラコンだろ。』
 塩のきいたフライドポテトを何本か一気につまみ、口に放りこんでいると、返信が来る。
『部屋行っちゃったから、メールしたの。
 やっぱ嫌われたのかな?』
 俺はフライドポテトを飲みこむと、しばし恵里とのやりとりを思い返し、そういえばと思いだす。
『ゲイってこと、拒否ったのか?』
『話題には出してない。』
『受け入れてやれって言ったじゃん。』
 恵里の返事が止まった。堂々巡りで怒ったかなとあんまり深く考えずに、舌に染みこんだ塩気をコーラで飛ばす。少なくなってきたフライドポテトを一本ずつ惜しんで食べていると、ぱっとケータイの画面が明るくなる。
『あたしが嫌いだから、そんなヒカれるような嘘ついたって、ありえない?』
 俺は無表情にその文章を眺め、女の妄想力ってすげえな、と感懐した。
 とはいえ、俺は渚樹の気持ちに詳しいわけじゃないし、まったくありえないとも言えない。しかし、やはり──
『考えすぎだろ』
 句点を打つ気にもならなかった。フライドポテトとコーラを胃におさめても、恵里からの返事はなかった。怒ったな、と舌打ちし、念のためフォローしておく。
『空いてる日あったら教えて。
 ちゃんと話聞いてやるから。』
 心にもないことを書いておくと、すっかり涼んだ俺は立ち上がってケータイをポケットにしまう。そして、軽くなったトレイを片手に、テーブルとさざめきを縫って歩き出した。

第六章へ

error: