交わる熱
真悟とつるみ、夏休みで本当に勉強を休んでいると、たぶんご立腹の恵里からやっとメールが来た。
『天海智生の新作、見たいんだけど。』
二十三時、真悟の合コンのような同伴につきあわされ、俺はクーラー全開のカラオケの一室にいた。金髪の女の子が、アイドルの曲を振りつけも完璧に覚えて歌っている。
俺はさっきから、セミロングに赤いメッシュを入れた女に口説かれている。里実と名乗る彼女は、暗目にも綺麗に焼けていて、黄色のキャミソールとアイスブルーのミニスカートでぎりぎりまで肌をさらしている。
でも、俺はこういう化粧のぶあつい積極的な女は好みじゃない。やっぱ多少病んでても七梨みたいのだよな、と何気なくケータイを見たらメールが来ていて、例によって恵里フォルダに連れていかれた。
「てんかい……何だ? 俳優か?」
「何ーっ。ねえ、あたしの話、聞いてる?」
「これ、何て読むか分かる?」
「えー」とか言いながら里実は俺のケータイを覗きこみ、ついでに、二の腕に張りのある胸とけばい感じの香水を押しつける。
「あー、アマガイトモキだよー」
「アマガイ……誰それ。アイドル?」
「うっそー。天海監督知らない人っているんだー」
「……監督」
「『水空』とかすごい有名だよー」
監督で映画選ぶなんて恵里らしいな、とか思っていると、突然拍手と悲鳴があがった。曲が終わったらしい。真悟の弟分たちが、金髪を褒めたたえている。ここじゃメールも打てねえ、と俺が部屋を出ようとすると、里実が俺からケータイを取り上げた。
「彼女ー?」
「そゆことなんで、返してもらえます?」
「今日からあたしが彼女。はい、おしまい」
里実はケータイの電源を切った。俺は舌打ちし、「真悟!」と声を荒げた。両腕に女をはべらして、どっちが客なのか分からない真悟は、俺に一瞥くれる。
「帰らないと。終電出ちまう」
「ここ、朝までやってるから」
すげない返事で、真悟はオレンジ色のカクテルに口をつける。
「俺はお前んとこのホストじゃねえんだよ。そこまで接客なんかやってられっか」
「じゃ、里実ちゃんよろしく」
「こいつがうぜえんだよ」
「レディに向かって『うぜえ』はないぜ、透望くん」
「俺にメグいるの、知ってるだろ」
「それなのに、小百合とか由香子と寝たのも知ってる」
俺はうんざりして、この男はホモだと叫びたくなった。何とかそれをこらえると、里実の手首を乱暴につかんで、今度は弟分が歌い出している部屋を出た。
急にあたりが静まり返る。白と黒が基調の蒸し暑い廊下で、俺は無表情に里実を壁に押しつけ、手首をねじりあげた。部屋では飲み物や食べ物が散乱していたせいで気づかなかったが、里実の香水はかなりきつい。
「痛いよー」
「ケータイ返せ」
「もー。怒りっぽいなー」
俺は里実の手からケータイをもぎとり、そのままスライドさせて電源を入れた。里実はふくれっ面をしていたが、負けない仏頂面で完全無視し、恵里の番号を呼び出す。「ねえー」と腕に絡みつきそうになった体温を振りはらって、待ちうたに聞き入っていると、「もういい!」とかいって里実は部屋に戻っていった。
そのとき、ちょうど待ちうたが途切れる。
『もしもし?』
鼓膜に流れこんできた恵里の声に、何となくほっとする。何だかんだ言っても、今の俺はこの声で落ち着くのだ。
「あ、メール見たんだけど」
『メールで答えられないの?』
「……怒ってる?」
『別に』
「悪かったよ。映画だろ? おごるからさ」
しばらく沈黙があって、『渚樹が』と恵里は小さくこぼす。
「ああ、渚樹のことも聞くよ。明日──」
『渚樹が、今日、「俺のこと嫌いになった?」って』
「………」
『ほんとに、そんなの……』
恵里の声が震えた。涙の音まで聞こえた気がした。俺は、半袖の腕にひやりと冷たい壁にもたれる。
『抱かれたい』
「えっ」
『今なら終電、間に合うでしょ。透望に抱かれたいよ』
「いや、今、俺、家じゃなくて──まあ、行けるけど。いいのか。親父さん、とか」
『おとうさんは、透望とのこと許してるじゃない』
「つっても、こんな夜中に」
『あたし、外で待ってるから。そのまま、すぐあたしの部屋行こう』
「……分かった。今から行く。あんま思いつめんなよ」
『ん。ありがと』
その言葉に瞳をなごませて通話を切ると、顔出したらまた引っ張りこまれそうだな、とこのままばっくれることにした。電車に乗ってから、真悟にメールでも入れておこう。今日の同伴でのお小遣いは、前払いでもらった。よし、とケータイをポケットに押しこむと、無意識に駆け出す。
最終電車にすべりこみ、ケータイで天海智生の新作とやらを調べて、あらすじやキャストを流し読みしていると、恵里の最寄り駅に着いた。返信が来たら面倒だなと思って、結局真悟には連絡しなかった。
虫の鳴く夜道をつかつかと歩いていく。こんな夜中になっても、空気は蒸している。綺麗な月夜をひたすら歩いていると、淡いクリーム色のパジャマすがたの恵里が、門も出て道路で俺を待っていた。
何か言う前に、恵里は駆け寄ってきて俺に抱きついてきた。肌と肌で体温が伝う。こんなに情動的な恵里はめずらしく、抱きしめ返しもせず、とまどっていると、彼女は俺の汗の染みたTシャツに息をつく。
「この香水、嫌い」
「……なすりつけられたんだから、しょうがないだろ」
「寝たの」
「寝てねえよ」
「………、おとうさんたちは眠った。家、入ろ」
俺は明かりの落ちた恵里の家にお邪魔した。夜のこの家に踏みこむのは、初めてだ。夜の学校のように、静かで明るくないだけで、日頃慣れていた感覚が薄れる。脱いだスニーカーは、念のため靴箱の下に隠しておいた。
他人の家なのに何となく無臭の気がするのは、俺がここを訪れるとき、恵里は料理を用意していることが多いためだろう。クーラーが切られて間もないのか、廊下でもすうっと汗が引いていく。
二階の恵里の暗く涼しい部屋にたどりつくと、自然とついたため息で、思いのほか緊張していた自分に気づいた。
恵里は明かりをつけず、俺の手を引いてベッドに導いた。闇とおろした髪で、恵里の表情は窺えない。恵里は俺をベッドに押し倒すと、自分はベッドサイドに腰をおろした。
やるんじゃないのかよ、と女の機微を読めないまま、ただ恵里の白く温かな手をつかむと、強く握り返された。
「ほんとに?」
「え」
「ほんとに、考えすぎなの?」
俺はちょっと考え、恵里を怒らせたらしい句点のないメールを思い出す。
「俺はそう思うけど」
「じゃあ、渚樹はほんとに同性が好きなんだ」
俺は天井に視線を泳がし、「まあ、そうなるな」と返した。
「いまどき、めずらしくないだろ」
「………、あたしは──」
恵里は言いかけて口をつぐみ、首を垂れた。何なんだよ、と舌打ちを殺し、俺は音を立てないよう丁重に起きあがると、手はつなぐまま恵里の背中を抱く。シャンプーとボディーソープの匂いがした。
「そんなに、渚樹がゲイってことが気持ち悪いのか?」
「気持ち悪いんじゃない」
「受け入れられないんだろ」
「気持ち悪いとかじゃないの」
「じゃあ何だよ」
「怒らないでよ」
「別に怒ってないけどさ。渚樹が男とつきあおうが、メグには関係ないだろ」
恵里の息遣いがわずかにひずみ、彼女は唇を噛んでそれをこらえた。俺はつなぐ両手を彼女の膝に置き、身をかがめて恵里のこめかみにこめかみをあてる。恵里は振り向き、泣きそうな瞳を暗闇に浮かべる。
「ずっと、一緒に育ってきたの」
さっきの電話のときの、震える声だ。
「あたしが渚樹を守ってきたの。渚樹が一番なの。あの子に嫌われたくない」
「ゲイならメグが嫌いってことはないだろ」
「渚樹がもう子供じゃないのは分かってる。あたしには大切な子なの。だけど、あの子にはあたしはそうじゃないってことでしょ。線を引きたいから、ゲイだなんて」
「渚樹がゲイじゃなかったらよかったのか?」
恵里は黙りこみ、うつむいた。俺は大息すると、「大丈夫だよ」とささやく。
「お前が思ってるより、渚樹はメグのこと好きだよ」
恵里は答えなかった。正直、俺も言い切っていいのか分からなかった。が、こうでも言わないとしめしがつきそうにない。
恵里は濡れた睫毛を何度かしばたかせて乾かすと、不意に「キスして」と言った。俺はやっと難解な数式が解けたみたいにほっとする。それなら、俺にもできる。恵里の軆を向かいあわせると口づけ、そのままベッドに横たわらせて、彼女をまたいだ。
暗闇の中で、お互いの軆を体温を頼りにたどる。後ろから抱いたときに思った通り、ノーブラだ。恵里のパーカーみたいなパジャマを脱がせると、もう素肌は熱を帯びていた。
俺もTシャツを脱ぐと、皮膚をこすれさせながら、シャンプーが強く香る恵里の首筋に舌を這わせる。恵里はあんまり積極的じゃない。マグロではないけど、感じるほうにいそがしいみたいだ。俺の背中に腕を伸ばし、唇を噛んで声を抑えている。「みんな寝てんだろ」とくすくすとささやくと、「変な声で起きてくるかもしれないでしょ」とほてった声で俺を睨んでくる。
「俺は変な声聞きたいなー」
「バカ──」
右の乳首をきつく吸うと、恵里はびくんと反応して澄ました声を出せなくなる。
俺のなめらかな腰のくびれを確かめ、スウェットの中に手をさしこんだ。恵里の脚のあいだは、ショーツ越しにも熱く湿っていた。
俺は一度起きあがり、下半身の衣服を取りはらう。硬く勃起していて、休まった俺の愛撫に息を吐く恵里は、それに手を添える。俺も恵里も口は使わない。何となく。
性器をいじられる快感に手元を狂わせそうになりながら、恵里の下肢も剥き出しにさせた。ふくらんだ核を中指でさすると、恵里はわずかに声をもらす。すぐにこっちを睨めつけ、俺は低く笑いながら、膣に探りを入れた。恵里は目をつぶって、俺の性器に反撃するのも忘れて手で口を抑えている。
AVみたいなわざとらしい声なら起きてくるだろうが、恵里はそれほどじゃない。今日は感じやすくはあるようだけれど、それにも劣らない恥じらいで自分を抑制している。まあそれがそそるんだけど、などと思いながら、指を二本三本と増やしてそこを柔らかくすると、今日はあったゴムをつけて恵里に挿入した。
ぬるりと熱い快感が性器を包みこむ。俺も声出しちゃまずいんだろうな、と唇を噛んで動く。あんなことを言っても、やっぱりここに、恵里の親が踏みこんできたらやばい。奥を突くたび根元をぎゅっと刺激され、息遣いがどうしても荒くなる。恵里もシーツをつかんで、かすかに喘いでいる。
こんな暗闇の中なのに、頭の中が白昼夢のように白く溶ける。俺は身をかがめ、汗ばんだ恵里のうなじを甘咬みして、声を殺しながら動いた。揺すぶられる恵里も俺にしがみついて、自分の指を咬んでいる。白熱が一気に絶頂まで高まると、先に恵里が達して、もぎとるように俺の性器を締めつけた。それで俺も限界に来て、熱っぽく息切れしながら射精した。
俺は恵里から自身を抜き取ると、体温で生温くなった皺が寄るシーツに仰向けになった。疾走したあとのような呼吸をこらえ、空に目を泳がす。
汗ばむ軆に、シャワー浴びたい、と思っても、眠っているとはいえ恵里の両親がいるので勇気が出ない。いったあとの虚脱感が抜けると、俺は起きあがって白濁の処理をし、ボクサーパンツとジーンズを穿いて、ベッドサイドに腰かけた。
「透望」
「ん」
答えながら、ケータイを開く。
着信三件。メール一件。
「あたし、鬱陶しくてごめんね」
「生理じゃなかったんだな」
「……バカ」
俺は少し笑って、メールをひらいた。真悟だ。今が零時半前で、着信は零時だ。
『来ないと思うけど、移動先の電番。』
そのひと言のあと、店の名前と電話番号が記されていた。無論、行く気はない。
それでも、恵里の許可をもらって、直接真悟のケータイに電話を入れる。真悟は二コールで出た。
『今どこだよ』
「メグと保健体育」
服を拾っていた恵里は、俺の背中をまくらではたいた。俺が笑ってその細腕をつかんでいると、真悟のわざとらしいため息が聞こえる。電話の向こうでは、笑い声が弾けている。
『里実ちゃん、めちゃくちゃ機嫌悪かったぜ。酒飲ませて落ち着かせたけど』
「真悟こそ、この店どこだよ」
『美紅の店。ほら、巻き髪で睫毛長い子いただろ』
「……あー、あのつけ睫毛」
真悟が失笑したのが聞こえた。『何ー』という甘ったれた声がし、真悟はそちらをなだめると俺との会話に戻る。
「メグちゃんとこってことは、来ないな」
「電車ないし」
『タクシーあるだろ』
「ふざけんな」
『しみったれてんな。とりあえず、消えるときはひと言、言え』
「引き止めただろ」
『たぶん』
俺は舌打ちし、「メグが二回戦をせがんでいるので」と適当を言って電話を切った。もちろん、そんなことを言えば、今度は恵里に睨まれる。恵里は、いつのまにかパジャマまで着終わっている。
「二回戦って何?」
「帰らないとなー」
「泊まってけば」
「どのタイミングで家出るんだよ。親父さんはともかく、おばさんはいるだろ」
「まあね」
「いいよ、歩いて帰る。鍵もスイッチでかけとくから」
俺は立ち上がると、クーラーで乾いたひんやりしたTシャツを頭からかぶった。恵里は俺の動作を視線で追い、息をつくとベッドに横たわる。
「そういや、映画いつ行く?」
「え、あー……おごってくれるんだっけ」
「そういうとこは憶えてるんだな」
「今週は友達と買い物だから、来週くらい」
「分かった。連絡入れるよ」
Tシャツの裾を引っぱって整えると、ケータイをジーンズのポケットにしまう。
「透望」
「ん」
「ありがとね」
恵里を見た。恵里はこちらに背を向け、ブランケットを腰まで引きあげていた。俺はまたちょっと笑って、女の気分ってほんと分かんね、と思いつつ「どういたしまして」と残して部屋を出た。
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