ロリポップ-9

さよならの頃

 翌日、電車を乗り継いで例のCDショップの前に着いたのは、俺が先だった。
 日曜日とあって、人混みはまるで砂糖にたかる蟻だ。話し声や笑い声、どこからかの音楽ににぎわって、残暑の熱気をあおっている。俺はそばにあった自販機でアイスコーヒーを買うと、絞り取られた汗をブラックの苦味でおぎなった。
 時刻はまだ十四時になっていなくて、余裕がある。CD見とこうかなとも思っても、すれちがって七梨を待たせたくもない。
 七梨に会うのは夏休み以来だ。久々だよな、とちょっと緊張しそうになっていると、缶を捨てた十四時五分前くらいに、無表情に人混みを縫ってくる小柄な女の子に気づいた。
 白いペンキと黒いドクロがプリントされた赤い猫耳帽子、ファスナーがあちこちについた黒いカットソー、血飛沫で白の面積がほとんど残っていない一応白のスカート、真っ黒のストッキングとブーツ──
 相変わらず、と思っていると七梨もこちらに気づいて、ちょこんと頭をさげる。何だか俺もつられて頭をさげ、ひとりで笑ってしまった。目の前にやってきた七梨は、笑いを噛む俺に不思議そうにする。
「あ、何でもないから。久しぶりだね」
「久しぶり、かな」
「最後に会ったの、けっこう前じゃん」
「そう、かな」
「もう連絡来ないのかなーと思ってた」
 七梨は俺を見上げたあと、「これ作ってたから」と包帯を巻きまくったデザインの白い布のバッグから、何やら小さい紙ぶくろを取り出した。さしだされて受け取り、中を覗くと、薄いケースにCD‐Rが数枚入っている。一枚取り出すと、プリントしたジャケもちゃんとついている。
「歌詞もプリントしたら、もっと早く渡せたんだけど、私のプリンター、古いから細かいの綺麗にプリントできなくて」
 え、と思ってケースを開くと、何と手書きの歌詞がついていた。「全部ひとりで書いたの」と手に取ってぱらぱらやると、七梨はこくんとする。
「ごめんね、私の字、読みにくくて」
「いや、それはぜんぜん──」
 どうしよう。女の子にプレゼントをもらうのは初めてではないけれど、こんなに手のこんだものをもらうのは初めてだ。やばい。すごい嬉しいかも、とにやけそうになっていると、「透望くんは」は七梨は首をかたむけてくる。
「今日、ほかに用事あるの?」
「いや、別に。七梨ちゃんは何かある?」
「私も別に」
「そっか」と俺はCD‐Rを紙ぶくろにしまい、やや躊躇したあと、「じゃあ、ファミレスでも行こっか」と提案してみる。すると七梨はうなずき、よし、と俺は内心ガッツポーズをする。
 とはいえ、俺と七梨にはそろそろ“次”がなくなってきた。会う理由がないのだ。理由もなく会うほど親しいわけでもない。展開が欲しいなあ、と頭であれこれ付会を練っていると、汗をなだめる涼しいファミレスに着いていた。
 いろんなざわめきはあっても、待ち時間が出るほど混雑していなかった。禁煙席に通され、俺はパスタ、七梨は前回同様ドリアを注文する。今日も七梨は、ドリンクバーで甘すぎそうなミルクティーを作っていた。今日は飲み物は水で済ました俺は、そのミルクティーをストローですする彼女を眺める。
 奇抜すぎる格好で忘れがちだが、やっぱかわいいなあと思う。そんなに目深に帽子をかぶらず、長い睫毛や大きな瞳をあらわにすればいいのに。柔らかそうな頬も、果実のように瑞々しい唇も、きちんと化粧すれば男が放っておかないだろう。
「七梨ちゃん、ってさ」
 七梨は頬杖をつく俺を上目で見たあと、「何?」とストローから口を離した。
「やっぱ、彼氏とかいる?」
 七梨は無言の瞳で俺を見つめ、「いないよ」とまたストローに口をつけた。
「じゃ、できたことある? はは、それはあるか」
「……ないけど」
「え」
「透望くんは?」
「お、俺? 俺は、まあ──いるよ」
 脳内でフラグが折れる音が聞こえた。何正直に言ってんだ、とうなだれかける俺とは反対に、「そうなんだ」と七梨は気にもならないようにミルクティーを飲む。
「じゃあ、こうやって私と会うのはよくないんじゃない?」
「ま、まあ──そうなんだけど。はは」
「彼女さん、大事にしてあげなよ」
 この子、思いっきり俺に興味ないな。苦笑いと共にうつむき、ため息なんかついてしまう。
「彼女は、さ」
 これで七梨の気を引こうというわけではないけれど、俺は無意識にもらしていた。
「ほかに本命がいるんだ」
「えっ」
「誰かまでは分からないけど、何かそんな感じ。だから、俺もけっこう平気でほかの女の子と遊んだりするし」
「……そうなんだ」
「でも、七梨ちゃんは違う」
「え」
「そんな、遊んでるつもりはない。ほんとに、会いたいから会ってる。それは、分かってて」
 まじめな目でそう言う俺を、七梨はじっと見つめてくる。大きな丸い瞳に俺がいる。いっとき、その瞳は静止していたけれど、次第にとまどいに揺れてくる。俺はその瞳を捕らえるまま続けた。
「俺たちってさ、もう、次ないよね」
「……『次』?」
「CD買ったし、お礼してもらったし。でも、それでも、七梨ちゃんにこれからも会いたいって言ったら、迷惑?」
 真剣に七梨を見つめると、彼女は視線を消え入らせてうつむいた。前髪と睫毛に隠れて、瞳を窺うこともできなくなる。
 そこで、俺の注文したパスタがやってきた。ウェイトレスが去っても、周りから遊離したような沈黙が流れる。それがじゅうぶんな答えだと思った。
 俺は息をつくと、「ごめん」と手を伸ばして七梨の頭を撫でた。
「分かってるよ、俺の一方的な気持ちだって」
「あ……」
「ごめんね。これ食べたら、もう──」
「わ、私は」
 手を引いてフォークを取ろうとしていた俺は、七梨を見る。七梨はうつむいたままだったが、孵化しようとする小鳥のように、肩を震わせている。
「そういうのは、よく、分からないし」
「……うん」
「ほかに、つきあってる人がいるなら、応える勇気がないし」
「………、」
「透望くんの気持ちは嬉しいけど、彼女がいるなら、私──」
 俺は七梨を見つめ、「じゃあ」と彼女を覗きこんだ。その瞳はゆらゆらと濡れている。
「別れたら、つきあってくれる?」
 七梨は俺を見たものの、唇を噛んで何も言わない。言い方が軽率か、と俺も思ったので言葉を継ぎ足す。
「彼女ときちんと終わらせたら、考えてくれる?」
 俺のゆっくりした口調に、七梨はようやく顔をあげ、視線を左右に彷徨わせたあと、小さくこくんとした。
 それに俺が思わずぱっと笑顔を開いたとき、ドリアもやってくる。「とりあえず食べよっか」と言うと七梨はうなずき、ぎこちなくスプーンを手に取り、ドリアをかきまぜはじめる。そして、なごやかな匂いを立てるドリアをすくう七梨を盗み見ながら、決めた、と俺は恵里との別れを決断した。
『落ち着いて話したいことがあるから、空いてる放課後教えて。』
 七梨に会った日曜日の夜、帰宅すると恵里にそんなメールを送った。五分待って返事がなかったので、ヒマつぶしにシャワーを浴びたり夕食をとったりする。そして、クーラーで冷えた部屋に再び戻ると、つくえに放った携帯が光を点燈させていた。
『改まって何?
 木曜なら何の約束も入ってないよ。』
 改まって──るかなあ、とさっきのメールを読み返したあと、『じゃあ、木曜日の放課後、メグの教室行く。』と送信する。するとすぐに『了解。』と味気ない返事が来る。その淡白さに、すでに察してるかも、と女の鋭さに妙にどぎまぎしたが、それ以上俺からはメールしなかった。

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