中2ヒーロー-1

光は当たらない

 わざわざ小説を書かなくても、すでにほかの才能で花開いているのに、有名人は『小説家デビュー』する。そういう奴が書けば、内容の善し悪しはさておき、そりゃ話題になって売れる。
 けどさ、お前、小説しかない人間のこと考える?
 書くことしかない人間は、無名のゼロ地点からスタートしなきゃいけない。いや、スタートすら公募から勝ち抜かなくては叶わない。
 何で邪魔するんだよ。お前らの『売れる』小説が、「××ができるのに小説まで書けるなんてすごい」って小説が、物書きしかできない物書きを窒息させる。
 ──というのは、俺が小説を書くからそう思うだけで、これは文学に限られた話じゃない。音楽でも、映画でも、絵でも、何でも。あれこれ手出しして、マルチに活動してる奴。
「何でだよ」って思うだろ、世の名もなきクリエイター諸君。俺は思うぞ。性格悪かろうが、そう思うぞ。
 前はここまで露骨にひがんでいなかった。俺の才能にも問題があるのだろうと慎ましく思っていた。冷静さを欠き、複アカよろしく多方面でデビューしたがる著名人にいらつくようになったのは、現在のとあるクラスメイトのせいだ。
 神凪かんなぎ瑠斗ると。病んだゴシックファッション。闇を剥き出しにした小説や歌詞の言葉選び。切ない感覚で耳に引っかかるメロディ。繊細で緻密なタッチのイラスト。などなど。
 挙げたらキリがない多彩な才能で、次々と作品を創り出し、「アーティスト系アイドル」なんて呼ばれている。そんな有名人がクラスにいて、学校でもネットでもテレビでも、神あつかいされているのを見ているうちに、「お前、小説まで書かなくても勝ち組いけただろうがああああああああああ」と頭が沸騰してきた。
 高三になって、一ヵ月が過ぎた学校帰りだった。中学時代からの彼女であるそよ乃  のが、「今日は新刊ラッシュ!」とか言って本屋に寄りたがったので、俺はレジ前の面展を眺めていた。
 その中には、神凪の書き下ろし小説も平積みされていて、舌打ちしてしまう。
 またかよ。ほんとに世の中、瑠斗様様だな。意識過剰なのは分かっている。嫉妬なのも自覚している。だけど、やっぱりムカつく。
 神凪の小説は、心の闇や傷をテーマをしていることが多いらしい。なぜそこが被るし、と思う。俺の趣味の域を出ない小説もそういうのが多い。
 でも、俺はネット公開が限度だった。そして、内容が内容だけに中二病サイトになって、メンヘラ様方が異常発生したので、中学卒業と共にすべて削除した。
 あのサイトの雰囲気、黒歴史といえば黒歴史なのだが。それでも、何かしらの人の目に止まっていたら違ったのかなあなんて、未練がましく考えるときもある。
森羽もりはっ。欲しいの買ってきたよー」
 作家一本で売れて、専業が続いてる人はすごいと思えるんだけどなあ、と並ぶベストセラーを手にしていると、そんなそよ乃の声で顔を上げた。
 蒼みがかった色白、長いみつあみを両肩に垂らし、全体的に軆の線も細い。美少女まではいかなくても、普通にかわいい。
「品切れなかったか」
「全部予約して、取り置きしてもらってた」
「お前、ここの店員と仲いいよな……」
「お世話になってます」
 にっこりしたそよ乃は、華奢な腕に何冊も本が入ったふくろを抱えている。そよ乃は小説から漫画まで読むことが大好きで、しょっちゅうこの本屋に新刊を引き取りにくる。
「そよ乃さあ、いつもそんなに本買って、そろそろ置き場所どうすんの」
「おにいちゃんがひとり暮らし始めたから、その空き部屋をフル活用だよね」
「売らないんだな」
「コレクションだもん」
「っそ。じゃ、帰るか」
「はあい」
 よい子のお返事をして、俺の腕にくっついたそよ乃に、俺は肩をすくめて本屋を出る。
 空では沈んでいく太陽の光で橙々色と桃色が混ざりあっている。風はまだ涼しく、駅前のロータリーは喧騒が行き交っていた。
 俺はそよ乃の抱える戦利品をひょいと奪って抱えると、手をつなぐ。
「森羽」
「んー?」
「神凪くんの本出てたね」
「表紙だけちらっと見たわ」
「クラスの子が読んだらしくて、泣いたとか言ってた」
「読みたいなら読めば」
「神凪くんの文章、合わないんだよね、私。人それぞれですよ」
「ああいう内容は好きなんじゃねえの。何つーか、俺の読むんだし」
「ああいう内容は森羽で読みたいの」
「そうですか」
「最近書いた?」
「適当に」
「読みたいなー」
「今度PDFで送るわ」
「わあいっ。モミジ先生の新作ー」
「昔のハンネで呼ぶのやめなさい」
 そんなことを話しつつ、夕暮れの中、そよ乃を戸建ての家の前まで送った。
「ん」と預かっていた本を返すと、「寄ってかない?」とそよ乃は門扉の前で首をかしげる。「それ読みたいだろ」と今渡したふくろを一瞥すると、「へへ」とそよ乃は悪戯っぽく咲った。
「俺たち、今年受験生だからな。参考書も読めよ」
「分かってまーす。今度、一緒に勉強しよ」
「そだな。じゃあな、また明日」
「うん。ばいばい」
 手を振ったそよ乃は、門扉の中に入り、階段をのぼってドアの前に立つと、振り返ってもう一度手を振った。俺はそれに手を振り返し、そよ乃が「ただいまー」と家の中に入っていくのを見送る。
 それから、その場から歩いて十五分くらいのマンションの並びに入り、その中のひとつの二階にある自分の家に帰りつく。
 共働きの両親はまだ帰っていなくて、俺は制服を私服に着替えると、リビングのソファでコーラを飲んだ。テレビをつけ、スマホもいじる。ニュースで今日の出来事を眺めながら、スマホではSNSを巡回する。
 中学まで俺は「モミジ」という名前でネットを徘徊していた。本名の「森羽」を「森葉」に変換して、紅葉することから取った。今のハンネは「森」といって、ほぼ本名だけど、そもそもその名前で何か発信することがない。
 ぶっちゃけ、モミジ時代のネ友とは関わりたくないので、検索で見つからないようにしている。俺の小説の読者はメンヘラ多くて怖かったからな、とコーラを飲みこみ、炭酸の刺激で喉を潤す。
 そのうちかあさんが帰ってきて、「夕ごはん作ってくれててもよかったのにー」とか言いながら、ばたばたと夕飯の支度を始める。
 いつのまにか、テレビは音楽番組になっていた。『今夜のゲストは神凪瑠斗くんでーす』と明るい声が聞こえて、俺は顰め面を上げる。
 テレビの画面の中に、今日も一緒に授業を受けた神凪が、制服でなくゴシックファッションをまとって映っていた。梳かれた長い黒髪には銀色のメッシュが入っているけど、学校ではメッシュは見当たらないのでエクステだろう。全身がほとんど黒で、たまに鎖骨や手首にシルバーアクセがちらつく。顔立ちは腹が立つほど整っていて、体格は脆そうに細く、男にも女にも人気がある。
 舌打ちしてチャンネルを変えようとリモコンを手にすると、「あ、その子って森羽と同じ高校らしいよお」とかあさんが声をかけてくる。
「知ってる。同じクラスだし」
「そうなの!? サインもらったの?」
「いらねえし」
「この子、音楽だけじゃなくて小説も書いたりするんでしょ。すごいわよねー」
 あー、それ、俺が一番嫌いな評価。
 俺は神凪がしゃべりだす前にチャンネルを変え、すると「あーっ」とかあさんが抗議の声を上げたので、ソファを立ち上がった。「何よ、同級生なら見てあげなさいよ」とかあさんは言ったけれど、「興味ない」と俺はリビングを出て、ばたんと部屋に入った。
 明かりをつけて、ベッドに寝転がって、試しにトレンドを確認した。くそ、やっぱり「神凪瑠斗」やら「るとくん」やら……みんなしてあいつが大好きかよ、といらいらしてくる。
 スマホを伏せると、つくえに向かって椅子に座り、ヘッドホンをかぶった。俺が聴くのは、いつも洋邦綯い混ぜのパンクやロックで、それをBGMに勉強をしたり小説を書いたりする。こういう気分で書くと、文章も荒れるだけだから、おとなしく勉強する。
 無心に数式を解いていると、とがった感情は衰退していく。
 ひがみなんだろうなあと思う。小説があって、ついでに容姿や音楽や何やらまであるのは、神凪の才能なのだ。
 俺だって、正直考えたことがある。中学時代、書籍化の話をもらう管理人もいて、どうやったら自分も小説を本にできるのか悩んだ。結果、芸能人になればいいんじゃねと思った。
 そして、これこそ黒歴史だが、某所に履歴書を秘かに送った。志望動機に「有名になって本を出したい」とバカ正直に書いて通過するわけがなかった。いや、理由がそれだけではないのは分かっているが。
 あれはアホだったなと、誰にも知られていないことだろうと、記憶から消したい。
 ともあれ、俺だって小説を書く以外の才能が本当は欲しかったのだ。でもそんなもんなかったし、書く小説も秀でているわけでもないし。要するに、俺は大変平凡な奴で、神凪みたいにはなれない。
 それでも、俺は今でも、どこかで自分の小説を人に認めてほしい。自意識過剰な承認欲求がつらい。
 もういいじゃん。ああ俺は普通なんだなって、それでいいじゃん。
 なのに、何で俺はいまだに家族には内緒で小説を書いて、ゆいいつ恋人にだけ読ませて、「どこかに投稿すればいいのに」とか言われて、ちょっとほっとしている。
 シャーペンを持つ手を止め、つくえが面している窓を見た。明かりが白く浮かび、俺の輪郭も映っている。
 醜い、と思った。本当に、醜い。誰にも認められなくて当然だ。俺には認めてもらう魅力がないのだ。書いている小説だって、きっと自分の想像以上にレベルが低い。
 しかし、こういう自己肯定の低さってうぜえ、とも感じて、俺は自分自身をどう感じ取ったらいいのかに混乱する。
 その後、とうさんも帰宅すると、家族三人で夕食を取った。俺に兄弟はいない。揚げたてが香ばしい豚カツにソースをかけ、白飯と一緒に口に押しこむ。
「新しいクラスは慣れたか?」ととうさんに訊かれて、「まあそこそこ」と口の中のものを飲みこんで答える。「就職はまだ先でいいから、進学しろよ」と言われ、ニートになって小説書きたい、とはもちろん言わずにうなずく。
「あんた、何かやりたい仕事ってあるの?」
 かあさんが口を挟み、「まだ分かんないし」と言うと「もう三年生なんだから」と突っこまれてため息が出てしまう。「まあ、まずは勉強したいことを決めて、大学のことを考えなさい」ととうさんが柔らかく言って、「はーい」と俺は豆腐とわかめの味噌汁をすすった。
 夕食のあとに風呂に入ると、大学ねえ、と湯船に寄りかかって考えこんだ。
 やっぱり文学部に進みたいかなあ、とほかほかと立ちのぼる湯気を眺める。俺の小説は独学だし、念のため勉強したら少しマシになるかも。が、マシになったところで、それで食えるようになるとは思えない。
 仕事は仕事でやって、空いた時間に書くほうが建設的か。だとしたら、何の仕事に進むための大学がいいのか。
 そよ乃は編集者になりたいとか話していたっけ。行く先を決められてる奴っていいなあ、と息をつくと、水面に波紋が起きて、俺はぶくぶくと湯に沈んだ。

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