中2ヒーロー-4

彼女の反応

 一日じゅう、ただよう煙のように上の空で、放課後になる頃には意識が灰になっていた。
「早く靴箱行ってそよ乃ちゃんと話したほうがいいんじゃね」と憐れむ由哉に言われ、俺は亡霊のように立ち上がると「帰る」と恐ろしく低い声でぼそっと残し、ゆらゆらと教室を出た。由哉が追いかけてきて、「忘れんな」と俺の背中にリュックをかぶせる。
 三階から一階に階段を降り、「あ、」と由哉が俺の足取りを止めた。俺は視線の焦点を合わせ、同じく「あ、」と声をもらした。いつもの靴箱の前に、そよ乃と共に神凪がいる。
「あいつ、……くっそ、ここは割りこむべきか」
「様子見だろ。そよ乃ちゃんの反応が分かるぞ」
 俺は階段から降りてくる生徒をよけながら、腕組みをした。由哉は俺の隣で、「神凪に彼女気に入られるなんて、祟られてるよなあ」とつぶやく。
「マジで神凪は悪霊だわ」
 そう毒づくと、由哉は肩をすくめる。
「瑠斗様に勝てるかねえ」
「由哉まで言うかよ」
「あの神凪瑠斗だぞ?」
「んなの分かってるわ。でも──」
 神凪を眺めて話を聞いていたそよ乃は、たまに相槌も打っていた様子だけど、立ち止まっている俺に気づくと、神凪に何か言ってこちらに駆け寄ってきた。神凪はそれを引き止めようとしたようだが、その前に「森羽っ」とそよ乃は俺の名前を呼んで、目の前で立ち止まる。
「お……おう」
 なぜかぎこちなく言うと、「おう」とそよ乃は俺を見つめる。
「え……と、いいのか、神凪と話してたんだろ」
「うるさいからいいよ。帰ろ」
「うるさい……」
「彼氏いるって言ってるのにさ、『つきあってほしい』って言える神経が分かんない。私に浮気をしろと」
「それは──」
 別れろってことだと思うよ、と言いたかったが黙っておいた。神凪はどうやら、俺の存在を視野にも入れていない。
「そよ乃ちゃん、神凪とはつきあわないの?」
 由哉がさらっと爆弾を投下して、どきどきしながらそよ乃を見ると、そよ乃は不思議そうにまばたきした。
「はあ……? 何で?」
「うーん、そう言われると俺も分かんないけどね」
「私には森羽がいるもん。神凪くんなんて選ばないよ」
 俺は顔を伏せた。よし。よしよしよしっ。次第にこみあげる笑いのボリュームを上げ、「ざまーみろっ」と俺は今の会話が聞こえる距離にいた神凪を指さした。
「何でも思い通りにいくと思うなよっ。みんなお前に惹かれるってわけじゃないんだ、はははっ」
 周りの生徒が訝し気に振り返る中で大笑いしていると、神凪はむすっとした表情を見せてから、くるりときびすを返して靴箱のほうに行ってしまった。「品がないなあ」とそよ乃は俺の口を手で塞ぎ、「すごい敵愾心感じた……」と由哉もつぶやく。
 朝から燃え尽きていた俺は、すっかり元気を取り戻して「そよ乃が安定しててよかった」とそよ乃の手を取った。「いまさら森羽以外なんてないでしょ」とそよ乃は手を握り返して、「今日はそよ乃の家寄ってこうかなあ」とか言いながら、俺は彼女と共に歩き出した。
 しかし、よほどそよ乃が気に入った──というより、俺をたたきつぶしたくなったのか、神凪はそれで引き下がらなかった。
 登下校、休み時間、とにかく授業中以外の学校にいる時間、奴はそよ乃に逐一会いにいくようになった。そよ乃ってそういうべたつきに切れそうだな、と長年の彼氏としては思っていたが、果たしてそよ乃は、つきまとう神凪に鬱陶しそうな顔を見せていた。
 しかし、俺を呼んだらまた面倒臭いと思うのか、助けてくれとはそよ乃は言ってこない。俺がそよ乃の隣にいても、「城峰さん」「城峰さん」と神凪はたかってくる。そういうときは俺はそよ乃の手を握ったり肩を抱いたりしてガードして、「邪魔だから去れ」とばかりにいちゃつく。
 そうすると、神凪は歯軋りするものの去っていって、やれやれ、と俺たちはそろそろあいつの勘違いをどうにかせねばと相談を始めた。
 俺としては、まとわりつく神凪以上に、そよ乃が神凪の取り巻きに反感を買っているのが心配だった。取り巻きとしては、神凪とそよ乃がつきあうことは論外でも、そよ乃が神凪をあしらっているのも癇に障るらしい。女ってどうしてほしいのか分からん。そよ乃はその嫉妬については飄々としているものの、無理してないかなあ、と俺は心配してしまう。
 それ以外の周りの奴らも、そよ乃が神凪でなく俺とつきあっていることが理解できない様子だった。なぜあの神凪を振って、特に取り柄もない俺なのか。「考えたほうがいいよー」とか「あとで後悔するよ」とか友達にも言われるらしく、「あの子たちと友達でいいのかな」とそよ乃はそっちについて悩む。
 とにかく、そよ乃は俺に関してはぶれないのだ。俺のことが好きだし、俺としかつきあう気もない。何だかんだでそれはじゅうぶん伝わってきた。ただ、周りがそれを理解せずにうるさくて、俺とそよ乃は若干学校に行くのがうざったくなっていった。
 学校では、ただのストーカーなのではと思いはじめるような神凪だったが、学校の外では相変わらずアーティスト系アイドルだ。今度はファッションブックも兼ねた写真集を出したようだった。いつもの本屋でそよ乃は新刊を引き取り、そのあいだ面展を見ていた俺は、その中にその写真集を見つけた。
 黒髪に銀のメッシュを入れて、だぶついた黒いセーターを萌え袖にして、赤と黒の切り替えパンツを合わせて街角に立っている。表情は愁いを含み、プライベートでは彼氏持ちの女の子をしつこく追いまわしている欠片もない。
 その写真集の巻末には、書き下ろし短編小説が収録されているらしく、舌打ちしてしまった。
「森羽ー」と本をお買い上げしてほくほくとやってきたそよ乃に、「かっこいい?」と神凪の写真を指さして訊いてみた。そよ乃は写真集に目を落とし、「かっこつけてるね」と言った。
 そうこうしているうちに、中間考査が終わって六月に入った。
 天気が灰色に崩れて、蒸した雨の匂いが立ちこめる。その日も天気が悪くて、昼間でぐずついていた雲が帰る間際の六時間目になって雨を降らしはじめた。
 神凪はめずらしく仕事を優先して欠席していて、今日はゆっくりそよ乃と帰れるなとか思っていた。
 放課後になって、靴箱でそよ乃と合流すると、傘をさして空の下に出る。同じ制服の下校の流れの中、空気が生温かい。雨粒が傘の上の跳ねる音が響くけど、会話を邪魔するほどでもない。
 今日は平和だったとか話しながら最寄り駅まで歩き、軒先でおろした傘の水気を切っていたときだった。
「あの、すみません」
 見知らぬ男が、突然そよ乃に話しかけてきた。そよ乃は俺を見て、俺が「何ですか」と男に問い返す。
 男は二十代前半くらいで、髪を明るい茶色に染めて、柔らかい雰囲気をしていた。
 男は俺を見、「そよ乃ちゃんの彼氏ですか?」と長い睫毛でまばたきする。俺はそよ乃と顔を見合わせ、「何でそよ乃の名前──」と言いかけた。
「いや、僕は怪しい者じゃなくて」
 むしろ怪しいと思ったが、「瑠斗がご迷惑をかけてるみたいで」と男が思いがけない言葉を続ける。
 そよ乃が眉を寄せ、「神凪くんのおにいさんとか」と問う。男は首を横に振ってから、言葉をつないだ。
「僕は瑠斗のマネージャーです。ちょっとおふたりと話がしたいんですが、お時間よろしいですか?」

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