いつでもどこでも
それから、神凪はそよ乃に言い寄るのをぱったりやめて、俺のあとをついてまわるようになった。せめて「モミジさん」呼びはやめてくれと頼んでも、「モミジさんって名前好きなので」とか言われる。弁当を食う昼休みとかに、当時公開していた小説について延々と語られ、由哉が俺の作品に詳しくなっていく始末だった。
そうこうしているうちに期末考査が始まり、疲れている俺はぼろぼろの集中力で挑まなくてはならなかった。
全教科終わった日、夏休みは確実に補習だなと覚悟して、久々にひと晩で一気に短編を書いた。気づくと午前四時で、二時間後には学校の準備を始めていなくてはならない。短く熟睡し、午前六時十五分にベッドを這い出ると、制服に着替えたり朝飯を食ったりした。書いた小説はクラウドに保存し、スマホからも読めるのをチェックすると、梅雨明けを待つ晴天の下に出た。
「森羽、おはよー……」
蝉が鳴いている中、今日もそよ乃は眠たそうに家を出てきて、「また何か読んでたのか」と俺はそよ乃と手をつなぐ。
「んー、試験も終わったし、気になってた漫画を最新刊まで読んでた」
「電子?」
「うん。紙はどうしようかなー。十巻以上出てるからなー」
「あのさ、そよ乃」
「ん?」
「俺、久々に小説書き終わったんだけど」
「え、スランプ終わった?」
「長編は止まってるけど、短編書いた。読む?」
「読む。夜、PCに送って」
「クラウドに保存してきたから、俺のスマホで読めるよ」
「えー、じゃあ昼休みとかに読ませてよ」
「一緒に弁当食う?」
「うんうん。わー、森羽の新作久しぶりだ」
「ちなみに、俺の怨念がこもっております」
「………、神凪くん?」
「だって、ネタにするしかないだろ」
「ネタにするから、物書きってポジティヴだよねえ」
そんなことを話しつつ、夏の蒸し暑い満員電車で学校に向かい、廊下でそよ乃と別れると自分の教室に向かった。
神凪のすがたはまだなく、ほっとしつつ自分の席に荷物をおろす。
神凪の取り巻きが集まり、雑誌を囲んで騒いでいる。あの取り巻きも、よく神凪の温度差にあきれないよなあ、とか思っていると、「森羽」と由哉が声をかけてきた。
「ん? はよ」
「はよ。瑠斗くん、お前のことしゃべったみたいだけどいいのか?」
「は? しゃべった?」
「やっぱ知らないか。昨日出た雑誌」
ばさっとつくえに広げられた雑誌では、相変わらず神凪が物憂げキャラでグラビアになっている。
「これのインタビューで、憧れてた作家に会えたとか──」
「は!? 俺そういうのなしって口止めしたよな!?」
「舞い上がってるからねえ」
「ふざけんなよ。あいつ、黒歴史という言葉を分かってんのか」
「俺も正直、お前の書いた小説に興味が」
「ほらもう、そういう輩が出てくるじゃん。恥ずかしくて閉鎖したのにっ」
「書いたのに読まれたくないの?」
「読まれるほどのものではないと悟ったから閉じたんだろうが」
「でも、瑠斗くんあんなに推してるしなー」
「あー、もう。そのインタビュー、俺のハンネとかまで言ってないだろうな」
「それはさすがに」
「でも、学校で神凪が俺を追いまわしてるの見かけた奴とか、一発だよな。うわー、何で俺がこんな」
ずきずきしてくる頭を抱えると、「モミジさん、おはようございますっ」と神凪が教室に入るなり俺の元に駆け寄ってきた。俺は神凪をじろりとして、「これ!」と雑誌をはたいた。「あ、見てくれたんですか」と照れる神凪に、「俺のことはしゃべるなとあれだけ言っただろうがっ」と俺はインタビューを指さす。
「いや、だって……何かすごく嬉しそうだねって言われて、ばれちゃって」
「ばれちゃって、じゃねえよ。さっき食ったアイスがうまかったとか何とでも言えよ」
「それに、みんながモミジさんの良さを知ったら、モミジさんもサイト復活するかもって」
「しねえっつってんだろ。あきらめろ」
「えー……」
「いや、こっちが『えー』だわ」
俺が息をついていると、「瑠斗くん、雑誌見たー」「かっこいー」と取り巻きがわらわらとやってくる。
「モミジさーんっ」とか言いながらも、連れていかれる神凪を無視し、俺は椅子を座りなおした。「神凪瑠斗にあそこまで言えるのお前だけだわ」と由哉は感心して腕を組んだ。
何だかんだで、神凪への勝手な意識過剰は薄れつつある。いろいろ才能発揮しやがって。その中で小説も書きやがって。俺は認められなかったのに──
そんなふうに思っていたのに、よりによって神凪本人には小説を認められて、そのせいで追いかけまわされて。あんなに人に認めてほしかったのに、もうあんなサイトただの黒歴史だ。
あのサイトさえなければ、神凪にこんなに粘着されることもなかった。今は人に認められるより、神凪から逃れたいほうが強い。
昼休み、俺はチャイムと同時に、弁当とスマホを持って教室を出た。「モミジさんっ」という声は無視する。そよ乃の教室に行くと、ここだと神凪が来かねないので、そよ乃をさらって一階に降りて中庭に出た。
白い日射の中で、少しでも涼しいひさしの影に腰を下ろすと、「ん」と俺はスマホをそよ乃に貸した。「わあい」とそよ乃は表示されたクラウド上の小説を読みはじめ、俺は開いた弁当を食べはじめる。
そよ乃に読んでもらうのは好きなんだけどなあ、と思う。貶すことがないという理由ではなくて。褒めるという話なら、神凪のほうがべったり褒めてくる。そよ乃は淡々と読み、感想も客観的に述べてくる。主観を混ぜたことは言わない。
神凪はめちゃくちゃ主観入れて語ってくるよなあ、と思っていると、そよ乃は含み咲いながら画面をスクロールしていく。
「ストーカーの話だね」
「今、それしか書けねえよ」
「怖いというよりいらっとする」
「うん」
「よく書けてるよ」
そよ乃がスワイプするのを見ながら、もぐもぐと弁当を食っていたときだった。
「モミジさんっ」と神凪の声がして、渡り廊下から奴がこちらに駆け寄ってくるのを見つけた。もう発見かよ、とうんざりしていると、「よかった」と神凪は俺のかたわらにしゃがみこむ。
「見つからないかと思いました」
「見つからないと思ってました」
「だって、メールしても、モミジさんぜんぜん返事してくれないですしっ。やっぱり、直接感想伝えたほうがいいかなって」
「感想はじゅうぶん聞いた」
「まだ感想言ってない作品ありますよ。全部読んでましたし」
一気に語り尽くせない数の小説をさらしとくんじゃなかった、と悔やんでいると、神凪は口を挟まないそよ乃を見た。そよ乃は小説に入りこんでいて、「それ、モミジさんのスマホ」と神凪は目敏いことを言う。
「あー、まあちょっと貸してんだよ」
「城峰さん、何読んでるの」
「森羽の新作」
「え……えっ? モミジさんの新作!?」
「おい、そよ乃──」
「モミジさん、今でも書いてるんですか? 書くのやめたわけじゃないんですか?」
「あー、まあ、いろいろと」
「読みたい! 読ませてくださいっ」
「ダメ。絶対ダメ。そよ乃だけ」
「何でですかっ。僕もモミジさんの小説好きなのに」
「もうそよ乃にしか読ませないって決めてんの。こいつだけ特別なの」
そう言って、そよ乃と神凪のあいだに入ると、神凪はみるみるふくれっ面になった。グラビアでは絶対やらない顔だ。
「何でですかあ。城峰さんだけとかずるい。僕だって、モミジさんの小説、まだ読みたいのに」
そう言った神凪は、ぱっとそよ乃の手の中の俺のスマホに手を伸ばした。そよ乃はひょいとそれをよけて、神凪を見もせずにスワイプを続ける。神凪はうめいてそよ乃からスマホを奪おうとして、そよ乃はそれを軽くかわしながら小説を読む。
「城峰さん!」と神凪が声を上げると、そよ乃はやっと神凪を見てから、俺にスマホを返した。
「だって神凪くんは、森羽のこと分かってないもん」
「僕はモミジさんのことよく知ってるよっ」
「知ってるけど、分かってないよね。自分のことばっかりだもんね」
神凪はじりじりとそよ乃を見つめ、そよ乃は肩をすくめて弁当箱を開いた。神凪はそよ乃を指さして俺を見た。
「モミジさん!」
「はい」
「城峰さんとは別れたほうがいいですよっ」
「何で論点が逆流してんの」
「城峰さんって、けっこう性格悪いです」
「そよ乃はかわいいよ」
「モミジさんの前だけですよ」
「俺の前にいないときは、だらだら本読んでばっかりだって知ってる」
「同じモミジさんのファンなら、新作読みたい気持ち分かるはずなのにっ」
「そよ乃は、俺との約束を守ってくれてるだけだよ。お前は俺との約束破りまくってるから分かんねえんだろ」
「僕は、」
「だから、そよ乃には新作読ませるし、お前には読ませないんだよ」
神凪はむすっとした顔のまま立ち上がった。そして、いつのまにか溜まってこちらを窺っていた取り巻きに混ざって行ってしまった。
初めて撃退できたかも、と思っていると、「大丈夫?」とそよ乃は箸先でハンバーグをひと口大に割る。
「え」
「神凪くんって確かにうざいけど、敵にまわしても面倒そう」
「敵にまわったかな」
「一度、きちんと話し合いしてみたら? 神凪くん、ほんとに森羽が好きなだけなんだろうしさ」
話し合い。神凪と。一方的に語られるだけだと思うんだけどなあ、と憂鬱になっていると、「無理は言わないけどね」とそよ乃はハンバーグを口に放る。
俺も黙々と弁当を食べて、結局、仕方ねえなあ、と心を決めるとスマホを取り出した。受信ボックスに溜まっている神凪のメールを呼び出し、返信をタップする。
『今日の放課後、話せるなら話したい。
俺はそよ乃も由哉も連れていかないから、神凪も取り巻き置いてこい。
サシなら話聞くよ。』
送信して、一分くらいで返事が来た。メールを開くと、『僕を嫌いにならないでください。』とあった。返事になってねえよ、と眉を寄せ、『話したいのかしなくていいのかどっちだよ』と確認すると、『話したいです。』と来た。
俺はその画面をそよ乃を見せて、「じゃあ、今日は先に帰ってる?」と訊いてくる。「気をつけろよ」と俺が言うとそよ乃はうなずき、「森羽も頑張れ」と俺の肩をたたいた。
【第九章へ】