手紙
放課後、神凪と最寄りの駅ナカのカフェに立ち寄った。浪内さんとも話したあのカフェだ。
俺はアイスカフェラテ、神凪はホットココアを手にしてテーブルにつく。「それ暑くね?」と訊くと、「喉冷やせないので」と返され、そういやこいつ歌も歌うなあと思う。店内の客が神凪をちらちらと気にしていて、だけど学校じゃなければこのへんでしか神凪と過ごせないので、気にしないでおく。
「城峰さんは先に帰ったんですか」
「ああ。お前と話したほうがいいって勧めたのはそよ乃だから、あいつのこと逆怨みとかすんなよ」
「……いいなあ、城峰さんは」
「妬みもするなよ」
「モミジさんの新作……」
まだ言うか。俺はふうっとわざとらしく息を吐くと、「あのさ、神凪」とさっさと話題に入る。
「はい」
「とりあえず、お前ちょっと落ち着け」
「落ち着く……?」
「自分でも言うのも何だけど、俺に会えて舞い上がってんだよな。それは分かる。けど、冷静になれよ。お前はさ、その、俺よりずっとすごいんだし」
「僕なんか、」
「あれだけ何でも創作してて、『僕なんか』じゃねえよ。実際、今この店の中もみんなお前が神凪瑠斗って気づいてそわそわしてるぞ」
「……はあ」
「その反応な。分かるだろ」
「何がですか」
「お前が周りにどんなに注目されても気にしないみたいに、俺だってお前に騒がれても褒められても、別にテンション上がんねえんだよ」
神凪はまばたきをしたあと、「僕はほんとに、モミジさんに会えて嬉しいのに」と何だか急に泣きそうな声になる。
「それも伝わってないんですか」
「伝わってる。異常なくらい伝わってる。だから、これ以上伝えてこなくていいって話」
「抑えられないんです。ほんとに、ずうっとモミジさんに憧れてて」
「分かったから。あと、お前は……俺とは立場が違うんだよ」
「立場」
「お前の中では俺はすごいのかもしれなくても、はたから見たら俺は一般人なの。でも、お前は有名人。ファンもたくさんいる。お前が好きだって奴は、ほんとにたくさんいるんだよ」
「そんなの……僕はモミジさんを見つけるためにやってただけだから。モミジさんの新作も読ませてもらえないなら、今までのこと全部無駄だった……」
「あのなあ──」
「モミジさんの小説が、ほんとに僕を救ってくれたんです。親に愛してもらえなくても、どこかに僕を愛してくれる人はいるんだって、そういうの、全部モミジさんの小説から教わったんです。家にこもるのやめようと思ったのも、詩や曲を書いてバンド組んだのも、全部モミジさんのおかげなんです。モミジさんが世界のどこかにいるなら、外に出て、死ぬまでに会わなきゃって思えたんです」
俺は、またため息をついてカフェラテを飲む。
だからって、俺は神凪の友達にならなくてはならないのか? 俺より才能にあふれて、こちらとしてはただ嫉妬を覚える奴と?
親しくなれなくていいではないか。本も歌も成功したんだから、欲張るなよ。俺は凡人だから卑屈になるんだよ。
しかしこれをぶちまけたらさすがに醜い。ぐっと飲みこみ、「じゃあ」とグラスの氷をからんとストローでかきまぜる。
「もういいじゃん」
「え」
「会えたんだからいいだろ。握手でもしたら離れてくれるのか? それなら握手するよ」
「……それ、は」
「俺に憧れるのは勝手だけど、俺に踏みこむのはやめろよ」
「城峰さんは?」
「は?」
「城峰さんは踏みこんでないんですか? もともとはただの読者ですよね」
「そよ乃は特別って言ったろうが」
「僕は特別になれないんですか?」
「何でそんな思い上がれるか分かんないんだけど」
「だって、僕のほうがモミジさんに近いじゃないですかっ。僕は小説読むだけじゃなくて書くし、モミジさんの小説に曲つけられるし、絵も描ける。一緒に作れるのは僕のほうですよ」
俺はこまねいて、「俺は」と背凭れに寄りかかる。
「他人と作品作ろうとか思わないし、孤立状態になって書くから協力もしない。だから、お前がいろいろできても関係ない」
「モミジさんに近づきたいんです」
「俺じゃなくても、お前にはほかにたくさんいるから、その中から探せ」
「モミジさんがいいです。僕の特別はモミジさんだから」
「俺はお前が思うほど、お前のこと好きでも何でもない」
神凪は目をぱっくり開いて、椅子に体重を預けた。言い過ぎたか、と思ったものの、このくらい言わないと分かってもらえそうにない。
好きでも何でもない。何とも思ってない、とは言えない。めちゃくちゃに妬んではいる。だから、好きじゃないという言い方しかできない。
「神凪」
神凪が弱々しく俺を見る。俺はカフェラテで喉を潤してから、静かに言った。
「お前は俺に憧れなくても、じゅうぶんやれる。だからもう、俺の小説のことは忘れろ」
「僕、は……」
「俺にすがる必要はないんだよ」
神凪は俺を見つめてくる。俺はカフェラテを一気に飲むと、席を立った。神凪は俺を引き止めない。首を垂らして、まだ茫然としている。
ちょっと可哀想かなあと思ったものの、たぶん、少し気を緩めたらまたすごい勢いで踏みこんでくる。ごめん、と心の内で謝ると、俺はカフェをあとにした。
その夜、めずらしくそよ乃から通話着信がついていて、俺は通話で折り返した。『神凪くんどうだった?』と訊いてきたそよ乃に、そのことかと思ってカフェでの出来事をそのまま語ると、彼女は何やら黙りこんだ。
「どうした?」と訊くと、『それ見てた人っているの?』とそよ乃は問い返してくる。
「そりゃ、ほかの客とかはいたけど。あ、でも取り巻きはいなかった。置いてこいって言っといたし」
『そう……』
「何で? 何かあった?」
『今日、私、帰り道ひとりだったでしょ。知らない人に追いかけられたの』
「はっ? 痴漢?」
『同じ制服の女の子だった。路地に引っ張りこまれそうになったけど、振りはらえて何にもなかったよ。ただ、「瑠斗くんに近づくな」って言ってたの』
「神凪……?」
『神凪くん、森羽に関してはネジ外れてるから。そのせいで、ちょっとおかしい人が出てきてるっぽい』
「そよ乃は、ほんとに怪我なかったのか?」
『私は大丈夫。ただ、森羽も気をつけて。それは言っておきたくて』
「まあ、俺はもう神凪突き放したし」
『それを悪く受け取る人もいるんだよ』
「………、とりあえず、明日からまたちゃんと行き帰りは送り迎えするわ。心配だし」
『うん。ありがと』
「何かあれば、すぐ話して」
『分かった』
通話を切ると、俺はしばし考えこみ、「あーっ」と声を上げてベッドに倒れこんだ。
やっと神凪が片づいた、かもしれないのに。今度は奴の周りかよ。ほっといてくれよお、とシーツの上で寝返りを打って、そのまましばらくぐったりしていた。
翌朝、いつも通り由哉と無駄話をしていると、神凪が登校してきた。「瑠斗くん、おはよーっ」と取り巻きが駆け寄って、「ん、おはよ」と神凪は取り巻きにはにっこりして、でも俺のほうに突進してくることはしなかった。「何かあったのか」と由哉が耳打ちしてきて、「まあな」とだけ言っておく。
「こっちからあの中には近寄りがたいなあ」
神凪を見やって、由哉は肩をすくめる。俺は取り巻きを眺め、そうか、と思った。俺はクラスメイトで見慣れた連中だが、そよ乃は別のクラスだからあの取り巻きのメンツも知らないのか。
ということは、まさかそよ乃を襲ったのはあの取り巻きのひとりか。犯人はっきりしないと怖いよなあ、と思ったものの、結局手掛かりがないので、どうしようもなかった。
そのまま夏休みに突入し、だが俺は、案の定補習で毎日学校に通っていた。志望を文系にしてしまったので、同級生に「小説家になるのかー?」とか揶揄われてたまにいらっとする。神凪のせいで、俺が小説を書く、というか書いていたことは、有名になってしまった。
恥ずかしいから早く卒業したい、と思いつつ勉強に励み、たまの休みは、そよ乃の家か俺の家でクーラーをかけてふたりで過ごす。毎日太陽がぎらぎらと猛暑を降りそそぎ、どんなに涼しい格好をしていてもすぐ軆が汗でべたべたになった。
夏休みなので、神凪は仕事をセーブせずにどんどんこなしているみたいだった。テレビでよく見かけるし、ネットの情報によると、新曲を出したり新作を書いたりいろいろやっているらしい。
やっぱ普通に遠い奴だよなあ、なんて思う。ただ、不思議と以前ほど嫉妬を感じない。俺に会うために、俺に見合うために、全部やっていたということは本当だろう。
俺はそれを拒絶した。だから、前と違って神凪の活躍が虚しく見えてしまう。あいつ、どんな気持ちで咲ってんのかな。俺に届かないのに他人が求めるから作って、つらくならないのかな。
そんなことをふと思ったりする。それでも神凪にメールを送る甘さは出せなかったから、ただ、初めて神凪が書いた本を補習の帰りに一冊買ってみた。
家に帰ってそれを読んでみると、予想以上に下手くそな小説だったから苦笑いしてしまった。だけど、下手くそだけど、主人公がヒロインに出逢って救われたことはよく伝わってきた。こういう小説が人に認められるんだなあと思った。読んでいて、心が主人公に同化するというか。
そうしていると、夏休みはあっという間に終わって二学期が始まった。俺はちょっと迷ったものの、やっぱり自分には文章しかないものだから、読んだ神凪の小説の感想を書いた手紙を持ってきた。何かあいつ、自分の小説読んでくれるかとか前にも言ってたし。じゅうぶん距離はできたから、本が俺に届いたことくらい知らせておくかと思った。
そよ乃と別れて教室に行くと、神凪はすでに登校していて取り巻きと話していた。俺はやや躊躇ったものの、まあいいか、とそこに歩み寄って「神凪」と声をかけた。
神凪は俺を見て、表情に驚きを走らせた。俺は無表情のまま、「ん」と手紙を差し出した。「え、」とぽかんとした神凪に、「お前の小説読んだから、感想書いてきた」と俺は言う。神凪は睫毛を震わせ、俺を見て、封筒を見て、急いで手紙を受け取った。
「モミジ、さん──」
「ほかの奴に読ませるなよ」
俺はそう言って、自分の席へとすたすたと離れていった。神凪は手の中の手紙をじっと見つめていて、「瑠斗くん、泣かないでよお」と取り巻きに心配されている。
泣くのかよ、と相変わらずの重さというか深さにため息をついていると、「ラブレター?」と由哉が揶揄ってきた。「バカ」と俺は由哉を小突き、席に着いた。
その日は始業式だけで、さっさと帰ろうと昼前に教室を出ようとき、「モミジさん」と声がかかった。振り返ると神凪がいて、「何?」と訊くと、「手紙」と神凪は心から嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。僕、これからも頑張れます」
「……そっか」
俺も少しだけ咲って、そのあとは神凪は追いかけてこなかった。靴箱で合流したそよ乃は、「神凪くんも成長したねえ」と帰り道で言って、「やっと会話が通じたわ」と俺は背伸びした。
【第十章へ】