まちばり-13

ひとときの絆でも

 突然ケータイが鳴り出して、はっと目を覚ました。ここどこ、と一瞬思ったものの、俺と愛加の部屋だ。
 そうだ。愛加──。何寝てんだよ、と自分に舌打ちすると、ケータイを引ったくった。
 弓弦だ。
「もしもし」
 ちょっとろれつがまわっていなかったが、さいわい弓弦は気づかなかったか、気づかなかったふりをしてくれた。
『愛加の居場所が分かった』
「え」と俺は目をこすって、あっさりした展開にきょとんとしてしまう。
「そ、そんな簡単に分かったのか」
『出生届が出てたのがラッキーだったな。有馬に聞き憶えがあるっつったけど、やっぱり俺のちょっとした知り合いだ。娘の名前もあざみで、結婚ひかえてる。愛加はたぶんその人の家だ。詳しい説明はあとでするから、今から出れるか』
 時計をちらりとした。午前五時──日向も仕事を休んでいいといってたし、眠ったから頭も疲れも軽くなっている。
「うん。大丈夫」
『じゃあ、今から部屋行く。バイクなんで、すぐだからな。おめかしとかしてんじゃねえぞ』
「……しねえよ」
 弓弦はちょっと笑うと、『じゃ、あとで』と電話を切った。見つかった。たぶん、とは言っていたけど、弓弦の声には確信があった。よかった──。
 よく考えれば、日向は外交官の家とか言っていた。外交官がどんな仕事か知らないが、金持ちっぽい仕事だ。過去の汚点を消すために殺されたとかもありえたんだよな、と今になって気づいて、ぞっとする。弓弦の口調では、愛加は生きているようだ。
 日向に連絡したほうがいいのかな、と思っても、恐らく奴には弓弦が連絡しているだろう。奏音とか心配してるかも、と俺は奏音に連絡を入れることにした。
『弓弦と愛加を助けにいく』
 そんな短いメールを、相変わらず不器用な手つきで送信する。すると、すぐに返信が来た。
『気をつけて。絶対帰ってきてね』
 うん、とか返したら無限になるよな、とぱたんとケータイを閉じる。
 ふうっと息をついて胸騒ぎする心を抑え、今愛加はどうしているかを想う。〈SPRING〉を荒らしたあとにスーツ野郎共が来たとしても、一日も経っていない。しかし、愛加には何日も過ぎている感覚だろう。早く助けてやらないと──
 そのとき、外に爆音が近づいてきた。俺は立ち上がり、急いでスニーカーを突っかけると外に出る。一瞬、外の蒼い冷えこみに身をすくめた。しかし、気にせず廊下の手すりから身を乗りだすと、黒いオートバイが一台停まろうとしていた。またがっているのは黒いオーバーとジーンズの男で、こちらを仰ぐと、黒いヘルメットをはずす。
「もう行けるか」
 艶やかな黒髪をはらったのは、弓弦だった。俺は何度もうなずいてそのまま階段に走りそうになったが、ポケットを探って部屋の鍵はかけておく。バカみたいに手が震えていた。ようやく鍵をかけると、ばたばたと階段をおりて弓弦の元に行く。
「焦りすぎ」
 弓弦は苦笑しながら赤のヘルメットをさしだしてくる。
「愛加、無事なのか。い、生きてるよな」
「あー、それは俺も考えた。でも、大丈夫みたいだぜ」
「じゃあ、何で」
「そこまでは分かってない。まあ安心しろって。切り札はある」
「切り札……」
「とりあえず、後ろ乗れ」
「う、うん」
 俺は慣れない動作でオートバイにまたがり、弓弦は「あいつ以外に抱きつかれるのは癪だけど」と腰に腕をまわすよう言ってくる。オートバイなんて初めてでちょっと怖かったので、素直にそうした。弓弦もヘルメットをかぶると、「じゃあ行くぜ」とオートバイはタイヤを鋭くきしませて発進した。
 天鈴町は、ほぼ環状になっている。中心部の夢銀地区に近づくほど危険で、南に陽桜通り、北に彩雪通りを通している。こんな時間帯に街をうろつくのは、朝帰りの死にかけた奴らばかりだ。外からの人間もうろつきはじめる繁華街に出ると、ちらちらまともな人間も見かけるようになる。ちなみに天鈴町はうまい具合に電車が通っていなくて、駅なんかはない。ただ、街を出てすぐに大きな駅があるのは聞いたことがある。
 俺は爆音で突っ切っていく景色を見やった。天鈴町以前の記憶がない俺は、左右を早送りのように裂いていく街並みに妙な不安を抱いた。
 一応、俺もこちら側で生まれたのだけど、本当に憶えていない。この吐き気や耳鳴りは、酔ったものではないだろう。弓弦の腰にまわす手をぎゅっと握る。
 愛加もそうだ。生まれてそのまま捨てられた。なのに、突然外に連れ出されて、それだけでもつらかっただろう。その上、母親だなんて──
 目をぎゅっとつむって弓弦の硬い背中に額をあてて、どのぐらい走っただろう。ヘルメットをしていても聞こえていた雑音がなくなったと思ったら、高速を走っていた。
 出発のときには蒼白だった空は、ゆっくりと太陽がのぼりはじめ、桃色や橙色が広がり、やがて青空が開かれている。
 オートバイは軆が剥き出しなので寒いが、それより心臓が吐き出すもやもやした不安に捕らわれている。聞こえるか分からなかったが、いつ到着するのか、風に奪われないよう大声で訊いてみたら、「次のインターで降りる」というやっぱり大声の返事が返ってきた。
 次。いよいよ着くのか。どんなところだろう。ここから見る限り、けっこう自然があり、山も緑色におおわれている。こんなとこではないよな、と思っていたら、弓弦はオートバイを端に寄せて高速を降りていった。
「何か、すごい田舎なんだけど」
 立ち寄ったガソリンスタンドでつぶやくと、弓弦は「別荘みたいだからな」と答えてオートバイを満タンにしている。別荘。なるほど、と思っていると、「腹減ったな」と弓弦はマシンガンのような給油にさしこんでいたものを引き抜く。
「今は愛加が先だ」
「コンビニぐらい寄らせてくれよ」
「……ん、まあ。それなら」
「希織は腹減ってないのか」
「むしろ吐きそう」
 弓弦は肩をすくめると、ヘルメットをかぶった。俺もそうして、ふたりともオートバイにまたがる。途中、コンビニで弓弦はサンドイッチとコーヒーで腹を満たした。一応俺のぶんも買ってきてくれたが、やはり食欲がなかった。
「何か、悪いな。いろいろ」
 地面にしゃがみこみ、オートバイにもたれてサンドイッチを食べる弓弦に言う。
「いろいろ」
「お前、ほんとはこんな遠出してるほどヒマじゃないんだろ」
「まあな。でも、これも仕事だし。俺がつらいのはあいつと離れることだ」
「恋人?」
「ああ」
 俺はせめてと思って缶コーヒーを一瞥したが、やっぱり手が出ない。
「男なんだよな。まだ信じられない」
「俺は正確にはバイだからな」
「そうなのか」
「でも、あいつに出逢ってからはもう男だけだなあ。女とか分かんね。というか、あいつ以外みんな違うんだ」
「……いいな。俺も愛加が支えだけどさ。一時的なものだと思うんだ」
「一時的」
「愛加はきっと、いつか自立できる。俺なんかいなくてもな」
「………、」
「愛加がいなくなったら、俺、どうなるんだろ」
 弓弦はサンドイッチの最後を口に放り、「そのときには」とゴミをまとめた。
「お前にも誰かいるさ」
 俺は弓弦を見上げた。弓弦はにっとすると、ゴミを捨てにいった。
 俺に、誰かが現れる。そうなのだろうか。考えたこともなかった。愛加がいなくなっても、俺は新しい誰かときちんと歩んでいくのだろうか。
 それから、オートバイをさらに飛ばして、俺たちは物々しいぐらいの豪邸が並ぶ家並みに出た。太陽は南中に近く、弓弦は初めて地図を取り出し、「ここまっすぐだな」とつぶやくとオートバイで一気に坂道をのぼった。
 オートバイが停まった家は、白を基調にした、アパートひとつぶんくらいありそうな大きな屋敷だった。陽当たりもよく、無数の窓が光を照らしている。入口は言うまでもなく門に守られ、庭の様子は分からない。
 弓弦はヘルメットをはずし、前髪をかきあげると「ここだな」と“有馬”という表札を顎でしめした。俺は思わずごくんと生唾を飲みこみ、愛加の血筋ってどんだけなんだよ、と畏縮しそうになる。
 弓弦は遠慮なくドアフォンを鳴らし、すると、ドアフォンの上部にあったモニターに、コスプレのメイドを地味にした感じの女が映った。「こんにちは」と弓弦が屈託なく言うと、『どちら様ですか』と紋切型の返答が来る。
「心当たり、ありますよね」
 弓弦は笑顔を崩さない。女はとまどったように視線をそらし、『少々お待ちください』とぶつっとモニターを切った。
 俺は弓弦と顔を合わせる。
「このままシカトとか──」
 ないかな、という前に、モニターの画面がまた映った。さっきのメイドじゃない。肩まで髪を巻いて、アイラインできつくなっている目、口紅が毒々しいけばい女だった。
 でも、俺は直観的に分かった。その顔から、化粧を落とせば──
『どちら様──』
「そんなの分かってますよね」
『………、』
「ちょっとあなたと話があるんですけど」
『………、何の話よ』
「それも分かってますよね」
 女は顰め面でしばらく動かなかった。が、ため息をついて何やら操作をすると、素気なく言った。
『入りなさい』
 歯軋りのような音を立てて門が左右に開く。俺と弓弦は目を交わし、その敷地内に踏みこんだ。
 若々しい芝生、大理石の飛び石、鮮やかな青いプール──ストリートキッズだった俺には、考えられない贅沢が凝らしてある庭だった。「こんなの何軒も建てて何が楽しいんだか」と弓弦はあきれた息をつき、飛び石をたどって門から離れすぎの玄関に行き着く。
 玄関は白い扉が金色に縁取られ、上品なんだか下品なんだかよく分からなかった。かちり、と音がしてドアがこちらに押し開けられる。弓弦は素早くドアの隙間に足をさしこみ、もう閉じれないようにする。「そんなことしなくても」とさっきのモニターの女の顔と同じく、デジャヴを感じる声がする。
「ちゃんと入れてあげるわよ」
 ドアが大きく開かれ、そこには濃紺のワンピースにスパンコールをちらつかせる小柄な女がいた。こいつが、と思うと前に出そうになったが、弓弦に止められる。
「弓弦、」
「話が先だ。──おとなしく話を聞いてくれるなら、乱暴なことはしません」
「その男──」
「彼は、彼女の本当の保護者です」
「まだ子供じゃない」
「そうですね。兄妹のように育った、と言ったら分かりますか?」
 女は一瞬眉を寄せ、突然ドアを閉めようとした。もちろん弓弦がドアを抑え、「何のつもりよ」と女は怒りなのか恐怖なのか声を震わせる。
「ここにいますよね?」
「何の話か分かんないわ、さっさと──」
 愛加は間近だというのに、こんなところでぐずぐずしていたくない。ダメだこいつ、と女を見切ると、俺は大声で叫んでいた。
「愛加!」
 女がはっと俺を見る。屋敷の中から何やら物音がした。その声が「ダメです」「繭様」という声だと聞こえるようになってくると、女は地面を蹴りつけて「あの子は!」と俺を睨みつけた。
「私が生んでやったのよ。だから、私のものなの!」
「ざけんなよ、あんな街に捨てたくせに」
「あんな街? 元彼が捨てちゃったんだから分かんないわ」
「てめえ、」
「私のせいじゃないんだから、私にそんな目をしないでちょうだい。文句ならその元彼に──」
「おにいちゃん!」
 女の垂れ流しを、あの愛らしい声がさえぎった。俺は無意識に女を押しのけ、エントランスに踏みこむ。

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