まちばり
「あ、希織。おはよう」
予約に合わせて二十一時前に〈SPRING〉に出勤すると、奏音がPCの前から俺に気づいて手を振ってきた。「はよー」と返しながら歩みよってPCの画面を覗くと、やっぱり猟奇的犯罪のサイトだった。
「またこんなもん見てんの」
「いいじゃん。俺、学校が好きだったら、犯罪心理学学びたかったなー」
「今からでも間に合うだろ」
「学校が嫌だね」
俺は肩をすくめ、隣に腰をおろす。奏音は頬杖をついてサイトをめぐり、俺は天井を仰いで息をつく。
待機室には、暖房がかかっている。あと数日で十二月で、すっかり寒くなった。今年は初めてクリスマスというものを祝ってみようかと愛加に提案したら、かなり喜ばれた。何プレゼントしようかな、とまんざらでもなく思いつつ、持参してきたペットボトルのお茶をひと口飲む。
愛加が実の母親に拉致されて、一ヶ月が過ぎようとしていた。愛加はしばらくひとりになるのを不安がって、日向の厚意でこの待機室で俺があがるのを待っていた。しかし、それを知った弓弦の話を聞いて、愛加はまたあの部屋で俺を待つようになっている。
「あのとき、実は結局切り札使わなかったんだ」
俺と愛加は、弓弦行きつけの喫茶店〈POOL〉に連れていかれ、紅茶とココアをおごられながらそう説かれた。
「え、あのあざみってのが援交してたことだろ」
「いや、あれは決定打に欠けるだろ」
「そ、そうかな。でも、電話つながるとか──」
「あー、あれははったり」
俺と愛加は顔を合わせた。そして俺がジト目を返すと、弓弦は噴き出して「有馬のおっさんの秘密を握ってるんだ」とコーヒーをすすった。
「秘密って」
「俺が周旋屋なのは知ってるだろ」
「うん」
「そっちでつながってるんだ、実は。〈SPRING〉にもいるだろ、日本人じゃない男娼」
「え、ああ。何人かいるな」
「で、有馬のおっさんの職業は外交官」
「……うん」
「分かるだろ」
俺はぜんぜん分からなくて仏頂面になる。それに弓弦は失笑すると、「つまり」とカップを置いた。
「あのおっさんは、海外からの密入国の手配を仕切ってるんだ」
「はあ!?」
突然でかくなった話題に声をあげると、「こら」と弓弦にメニューで頭をはたかれる。「ごめん」と俺は頭をさすり、愛加はきょとんとしている。
「だから、ほんとはあの場で、サツに垂れこみされたくなかったら愛加返せ、って言いたかったんだけどな。有馬のおっさんが予想以上に保身取ってくれたんで、切り札は残しておいた」
「保身……」
「娘とかメイドに、そんな仕切りやってるなんて知られたくなかったんだろ。そしたら自然と、逮捕されることにもなるからな」
「それ、俺は聞いてよかったのか?」
「お前は何かあったときの武器として知っとけ」
「……逮捕されて、おっさんが弓弦のことしゃべったら」
「俺が逮捕されたときには、助けてくれる人がこの街にはあふれてますから」
確かに、とあのケータイの着信数を思い出して、うなずけてしまった。そんなわけで、弓弦とおっさんにそのつながりがある限り、手出しされることはないだろうと、愛加は先週くらいからひとりで部屋にいられるようになった。
俺はというと、この〈SPRING〉に来ているとおり、男娼を続けている。顧客も増えてきて、もう男同士だからどうという感覚もなくなった。
一度、愛加を失いかけて気づいた。愛加が巣立つまで、俺には仕事が必要だと。
「なーに、奏音またこんなサイト見てるのー」
はたと振りかえると、相変わらず器用に長い前髪をセットした日向で、にこにこと笑っていた。
「たまにはエッチなサイトとかさー」
「俺、そっち方面、スイッチないんで」
「ま、エッチなサイトは危ないのもあるからねー。でも、そういうサイトも危ないのあるよねー。都市伝説で聞いたことない?」
「都市伝説」と俺がつぶやくと、「サイトを進むほど、どんどん猟奇性が激しくなってきてね」と日向はにやりとする。
「一番奥の一番過激なページにアクセスすると、犯罪者予備軍として警察に捕まっちゃうんだよー」
「マジで」
「さあねー」
「俺はグロ画像あさってるわけじゃないんで大丈夫ですよ」
「どうだかねー」
日向が飄々と笑んだところで、「日向さん」と呼ぶ声がして日向はそちらに行ってしまう。「グロ画像は普通に怖いからね、俺」と奏音はまじめな顔で俺に言い、「はいはい」と俺は苦笑いする。
奏音とも仲良くやっていて、このあいだ、初めてバンドのライヴに行ったりした。モッシュがすごくて、俺は奏音とはぐれないので必死だった。それから、男娼っぽい服を見立ててもらったりもした。「そろそろ皆伝だなあ」と奏音は言うけれど、まだまだ俺は奏音ほどの実力はないと思っている。
日向も、愛加をここに誘ってくれたとおり、あれで気遣ってくれている。出逢いは最悪だったけど、今では知り合えてよかったと思えている。相変わらずあのへらへらした笑顔を読めるようになったわけではないけれど、まあ、悪い奴ではないのだろう。それは、奏音を初め、〈SPRING〉の男娼たちが日向に懐いているのでも窺える。
「マナちゃんは元気」
愛加は数週間ここにいたわけで、親しくなった何人かは愛加を“マナちゃん”と呼ぶようになっている。奏音もそのひとりだ。
「うん。最近料理がんばってる」
「いいなー、手料理」
「いつか食べにこいよ」
「いいの? 本気で行くよ」
「愛加も奏音に懐いてたしな」
「懐く、ねえ」
「何」
「いーえ」
俺は奏音を見つめて首をかしげたものの、奏音はそれ以上言及せず、またPCに熱中しはじめた。俺は時計を見上げ、そろそろ予約の時間だな、とお茶を飲む。それを持って給湯室にいくと、常備してある油性ペンで“キオリ”と書いて冷蔵庫にいれた。そして待機室に戻ると、「あ、希織」とカウンターへのドアからボーイが顔を出している。
「ごめん、お茶冷蔵庫に持っていってた。来た?」
「うん。早く」
「いってらっしゃーい」
サイトを見ながら奏音は手を振り、同じ言葉を何人かの男娼もくれる。そいつらに笑みを作ると、俺は男娼の顔を作って待機室をあとにする。
生まれたときから、俺にはやすらぎなんてなかった。毎日が命がけで、危うくて、犯罪まみれで。
でも、もう今の俺はそうじゃない。奏音がいる。日向がいる。弓弦がいる。誰よりも、愛加がいる。
愛加はいつか、大人になって俺を離れるだろう。俺は一時的なまちばりだ。でも、それでも最後まで、愛加が幸せになるまで、見守ってあげようと思う。
そして、あわよくば俺に新しい支えとなる人が現れますように──そう願いながら、今は愛加のため、未来は自分のため、俺は生きていこうと思う。
FIN