Koromo Tsukinoha Novels
クラス委員は、本来推薦で決まる。けれど、クラス替えされたばかりの春、まだよく知らない人も混ざっているクラスメイトに投票して、男子の結果は偶然にも同数票が三人出た。
その中のひとりが僕で、それはおとなしくて押しつけやすいことからの推薦だったのだと思うけど、もうひとりは顔立ちがよくて有名な男子、もうひとりは明るくておもしろいのが人気の男子だった。
そんなふたりが「できねえよ」とか「やだなあ」とか言えば、再投票したところで、みんな僕に入れて彼らを助けるに決まっている。二度手間をかけて、新学期早々クラスメイトに迷惑をかけたくなかったし、一応公平にジャンケンしたように見せかけて、僕は一瞬の後出しでわざと負けて、前期のクラス委員を引き受けた。
ひとり票を伸ばして、先に女子委員として決まっていた崎田さんだけ、どうやら男子のそんな八百長ジャンケンに気づいていたらしい。サボれる仕事は、「日月くんがやっといてねー」と軽い口調で任せて何にも手伝ってくれない。先生が「クラス委員の日月は少し残りなさい」とか口実を作れて、放課後に残るためにあんがい助かったりもしているのだけど。
それでも、クラス全員のワークを教科担当の先生に届けたり、プリントを集めて誰が未提出か確認したり、ひとりでやっていて疲れることもある。ほんとは崎田さんが半分は手伝うはずなのになあ、と思っても、崎田さんは気にする様子もなく、友達としゃべって笑っている。
慌ただしかった四月が終わり、すぐに薄紅の花びらは消えて、緑が鮮やかな葉桜になった。風がさわやかに抜けるようになり、初夏の日射しにみんなの制服も夏服になる。
その日は進路調査の紙を集め、昼休みにやっと集まった全員ぶんを、職員室の先生に持っていった。「ありがとう」と先生はふたりきりのときとはぜんぜん違い、事務的に受け取る。
ちょっと寂しいなと思いつつ身を返そうとすると、「日月」と呼ばれて、素早く黄色の付箋を手の甲にくっつけられた。「戻りなさい」と先生はこちらも見ずに、預かった進路調査に目を通していたけど、メモには『四階のいつもの教室に』とあった。僕はぱっと笑顔になりそうになったのをこらえ、「失礼します」と頭を下げると職員室を出た。
教室からお弁当を取ってくると、空き教室が並ぶ、静まり返った四階に向かった。昔は教室が足りなくて一クラスに四十人いたりしたそうだけど、今は三十人でもこうして教室が余る。四階は、理科室とか音楽室とか以外はすべて空き教室だ。ひと気がなくて、廊下も窓も小綺麗なままの印象がある。
昼休みとかに先生と会うのに使うのは、中央階段からすぐ右手の空き教室だ。鍵は持っていないので、廊下で待つ。
窓を開けると、ここからはグラウンドが望めて、風が緩く前髪を舞い上げた。白い雲が流れる青空を見上げ、風あっても暑いな、と思っていると、階段をのぼってくる足音が聞こえて振り返った。
「優織」
僕を見つけて、そう言ったのは先生で、僕は窓を閉めて階段に駆け寄った。先生は階段をのぼりきると、見上げてきた僕の頭を撫でる。
「ごめん、急に呼び出して」
「ううん。どうせ、誰とも約束してなかったから」
僕の言葉に、先生は心配そうに首をかしげる。
「何か、優織と仲がいい生徒って聞かないよな」
「別にイジメられてはないから、大丈夫だよ」
「でも、相変わらず委員の仕事もひとりでやってるだろ。崎田には注意しなきゃいけないな」
言いながら、先生は手の中にあった鍵でドアを開け、ホコリと熱が少しこもった教室に入る。僕は廊下に誰もいないのを確認して続き、後ろ手にドアを閉める。
教室はつくえも椅子もなくがらんと広く、カーテンもないので白い陽射しが空中に映っている。教壇の段差に並んで腰を下ろし、とりあえず、僕はお弁当を開いて食べる。
おかあさんは朝に三人ぶんのお弁当を用意するから、昨夜の残りや冷凍食品があっても、家族に文句を言う人はいない。先生の昼食は、いつも朝にコンビニで買ってくるというパンとかおにぎりで、今日もすでに仕事をしながら食べてしまったようで、何も持っていない。
「今日は、放課後には会議があるから」
僕は先生を見て、残念だけど、素直にうなずく。
「日は長くなってきたけど、気をつけて帰って」
ミートボールを食べた僕は、「ほんとは」と咲う。
「先生に車に送ってもらうんじゃなくて、歩いて帰るのが普通なんだよ」
「でも、優織はかわいいから」
かわいい──のかなあ、と確かに細い自分の腕を見下ろして息をついてしまうと、先生はくすりとして僕の頭を抱き寄せる。
「俺は、優織がかわいいところも好きだよ」
「……ほんと?」
「うん。今もけっこう、我慢してる」
先生の指先が僕の額をさすって、たくましい腕から僕は先生を見上げる。眼鏡の奥の瞳と瞳が重なり、僕は半分くらい残っているお弁当を床に置いて、先生のワイシャツをつかんで胸に顔を埋めた。
先生の匂いが心地いい。先生も、僕の生地が薄くなった夏服の背中を撫でてくれる。
名前を呼ばれて、もう一度顔を上げると、口元に口づけられて「ケチャップの味だ」と先生は笑って、軆を離した。
「もうちょっと」
「ダメ。作ってもらった弁当は、ちゃんと食べなさい」
先生にくっついていたい僕は、眉を寄せたものの、しぶしぶ膝にお弁当を戻してそれを胃に収める。早く食べてしまうほうじゃないから、空になった弁当箱を包んできゅっと縛ったときには、昼休みは残り十分くらいになっていた。
「ごちそうさま」と言って先生を見上げ直すと、「うん」と先生は微笑んで僕を引き寄せ、キスをして舌を味わってくれる。
「……優織、俺を跨げる?」
キスをしながら先生がささやいて、僕はこくんとして、先生の膝を跨いで腰を下ろした。こうすると、先生のものと僕のものが布越しに当たる。熱っぽく硬い。
僕は先生の肩にしがみついて、それをこすりあわせた。じわりと快感が突き抜けて、息がちょっとうわずる。先生も僕を抱きしめて、腰を動かしてくれる。
お互いの息遣いが、耳元を煽る。芯を持ったように硬直して、血管の脈が強く打つたび、軆が引き攣る。頭の中に波が駆けのぼってくる。先生のことを呼ぶと、「いきそう?」と訊かれてうなずいた。
先生は僕のファスナーを下ろして、直接刺激を与えてきた。僕は声をもらして、せりあげる感覚がそこに集中して、ますます硬くなるのを感じる。
「いっていいよ」
「……せんせい、は?」
「俺はいいから」
「やだ。先生も」
「ふたりともいってる時間はないよ」
「いや。先生も出して」
僕のわがままに先生は息をつき、「少しだけな」と自分のものを取り出して、僕のものと重ねた。僕も先生も先端は湿っていて、そのぬめりでお互いをお互いですべらせる。
僕は力が抜けそうなのをこらえて、先生の首に抱きつき、腰を揺すった。気持ちよくて、どんどん過敏になって絶頂がちらつく。先生の荒っぽい息遣いもどきどきした。
緩く絡みついていた糸が、不意にぎゅっと締めてきたように、快感が我慢を上まわって、「いっちゃう」と細く無意識の言葉がもれた。先生が僕を手に包んで、触れられたせいで一気に僕は達してしまった。先生の手の中に吐き出して、虚ろに声がこぼれる。
先生は手の中を舐めて、何とかそれで片づけた。でも、先生がいっていない。僕は床に降りて膝をついて、先生を口に含んだ。「しなくても、」と先生は言いかけたけど、僕に筋を舌でたどられて、息を殺した。
先生ほど僕は上手じゃないけど、いつも上手な先生にしてもらっているから、男はどこがいいのかは知っている。飲みこむほど深く先生をくわえて、喉で先端を締めつける。たまに咳きこんでしまっても、それを繰り返して先生を硬く張りつめさせていると、不意にどくんと大きな脈が走った。
そして、先生が僕の口の中に出してくれる。こぼさないように気をつけてすすって、僕が顔を上げたときにチャイムが鳴った。「あ、」と甘えたくせに僕がちょっと焦ると、「予鈴だから、あと五分あるよ」と先生は苦笑して、僕の口元をぬぐった。
僕は先生を見つめて、放課後は一緒に過ごせないのが、急にすごく寂しくなった。放課後がないということは、これで先生との時間は今日は終わりだ。だったら、まだ抱きあっていたかったけど、僕にも先生にも五時間目がある。
何だかばたばたと教室を出ると、「じゃあ」と先生は急いで一階の職員室に行ってしまった。僕も本鈴一分前に教室に着いて、五時間目の教科書を取り出して、授業には間に合った。
けれど、結局、五時間目も六時間目も受けなかったのと同じで、上の空だった。帰りのホームルームでは、先生はいたって担任教師の顔だし、僕は何だか落ちこんでとぼとぼと下校の道に着いた。
学校沿いやマンションの前の公園近くに出ると、昼間は人目も車道もあるから大丈夫だけど、公園に出るまでの住宅地内の道が痴漢のうわさとかもあって少し危ない。先生もこの通路を心配してくれているのだろう。
その道を歩きつつ、今日は先生との時間がせわしなかったなと伏し目になった。もっと話もしたかった。触れてもらえなかったら、それはそれできっと不安になるのだけど。僕は先生とたっぷりと時間を過ごすことがないから、どうしてもあとで「もっと話しておけば」と思ったり、あるいは「もっと触れてもらっておけば」と思ったりする。
先生もそういう後悔を感じたりするのかなあ、と息をついて、ぼんやり視線を前方に放ったときだった。
突然、目の前に人影がよぎった。ついで目が合った。
え、と混乱に襲われ、次の瞬間、鈍い銀色が走った。けど、パニックのあまり、めまいでよろめいてしまった。
銀色がナイフだと分かった。舌打ちが聞こえた。駆け足が遠ざかっていき、コンクリートの壁にもたれる僕は、息を飲みながら振り返った。
背中は、すぐ路地のひとつに入ってしまった。
誰もいない、静かな道が残る。
な……に。今の──
違、う。違う、と思う。
けど、あの目。見たことがある。いや、見たことがある程度じゃない。
いつも僕が見つめて、同時に、愛おしくそそいでもらっている瞳──
……え?
【第四章へ続く】