角砂糖、もうひとつ-2

恋をするなんて

『悠海が、例の店長あたりを捕まえてくれるとあたしも安心なんだけどなー』
 オフの日か、オフをひかえた夜は、中学時代からの親友の南乃みなのと平気で何時間もスマホで通話する。
 南乃は去年結婚して、新居で在宅の仕事をしている。私が相変わらず色気のない生活を送っている報告を聞くと、南乃はそんなため息をつく。
「店長って、真垣さん? あの人はレベル高すぎるから」
『安心そうじゃない? いろいろと』
「まあ、真垣さんは浮気はしないだろうなあ」
『社員で収入もあるわけだし。みんな狙ってるなら、とりあえずそこに参加するくらいいいんじゃない?』
「そういう目で見るようになると、めんどくさいでしょ」
『何がめんどくさいの』
「意識しちゃうじゃん」
『すればいいじゃん』
「今までさくっと接してたのに、いきなり会話で噛んだりするんだよ。嫌だよ」
『いらないプライド高いんだから』
「プライドなのかなあ」と私はしゃべって乾いた舌をマグカップのコーヒーで潤す。
『少ーし妥協したら、男なんてたくさんいるでしょ』
「別に妥協したくないわけじゃないよ。ほんとに、男の人っていうのが分からない……」
 私の落ちこむ声に、南乃のため息が耳元に響く。
『あんたねえ、そんなこと言っててもまだかわいいけどさ、三十過ぎて言ってたらこじらせてるからね』
「うー。何かもう、一生ひとりでいいのかな」
『一生ひとりでいいくらい、何か人生かけてるものってあるの?』
「……ないです」
『悠海は誰かと結婚はしておいたほうがいいと思うよ。ひとりじゃ弱いもん』
「う……ん」
 南乃はもちろん、奈木野さんのことを知っている。高校は別だったから直接は知らなくても、私の話で顛末は聞いている。奈木野さんを失って、自失した私を知っているから、南乃も私をひとりにしておけないのだと思う。
『店長、嫌いじゃないでしょ?』
「いや、真垣さんじゃなくてもいいでしょ」
『じゃあ婚活でパーティやらイベントに行きなさい』
「そういう出逢いって信用できるの?」
『信用できる人を見つけるんだよ』
「そういうのって、うーん、微妙」
『あたしは、悠海の結婚式に呼ばれたいの』
「私も、結婚するなら南乃に一番に報告したいけど」
『じゃあ、あたしのために頑張れ』
「何で南乃のためになるの。まあ、うん……いい人いないかなあと思ってるよ」
『悠海ならいるからあきらめんな』と南乃は力強く言ってくれて、「ありがと」と私は小さく咲う。
「南乃は、旦那さんとどう? 子供とかは?」
『まだまだ。もう少しふたりでいる』
「いつかは作る?」
『いつかはねえ。三十までにふたりくらい』
「すごいなあ。子供とか、私はますます想像つかないや」
 そんなことを取り留めなく話して、こくんとコーヒーを飲む。いろいろとお互いのことをしゃべって、ひと区切りつくと、『じゃあ、今度会おうね』と約束して、「都合のいい日探しとく」と私も答える。そう言って結局いつも流れているけれど、そろそろ本当にちゃんとオフをチェックして、南乃には会いたい。
 真垣さんかあ、なんて、あんなに言われたから若干気にしてしまって、翌日来月のシフト希望を渡すときに真垣さんをじっと見つめてしまった。さらさらの髪、なごやかな瞳、肌も綺麗で、肩幅もすらりとしている。この人、高校時代とかはそれこそ王子様だったんじゃないだろうか。
「いつもたくさん出てもらってるから」と真垣さんが顔を上げて、私もはたとする。
「たまには、わがまま言って連休取ったりしてもいいんだよ」
「え、と──いえ、どうせやることないので。職場に来てるほうが楽しいです」
「はは、そう言ってもらえるのはありがたい」
「真垣さんこそ、連休欲しくなったりしないんですか?」
「僕もお店を留守にするほうが落ち着かなくて」
「休み少ないと、彼女さん怒りません?」
「いえいえ、怒ってくれる彼女さんがいませんよ」
 私はまばたきをして、真垣さんはおかしそうに苦笑すると、「募集中です」と悪戯っぽく言った。私は鎌をかけた自分が何だか恥ずかしくなって、頬を染めつつ「失礼します」とその場を離れてロッカーに向かった。
 いない。募集中。そうなのか、と思って、けれどやっぱり、だから立候補しようと考えるには、真垣さんは高嶺の花だなと首を振った。
 それからすぐ連休に入って、家族連れのお客様があふれて、いっそうお店はいそがしくなった。学校が休みだから、さいわい紅磨くんたち学生バイトがかなり入ってくれて、何とか混乱せずに対応することができた。
 とはいえ、二十時になってもすぐには解放されなかったりして、上がるといつも以上にテーブルでぐったりしてしまう。そんな私には紅磨くんが構って、「帰って休んでくださーい」とうながしてくれる。
 連休最終日、私は服を着替えると、明日オフだから洗濯しよ、と制服も持ち帰ることにした。そして、「お待たせ致しました」と待ってくれていた紅磨くんにちょこんと頭を下げ、「お疲れーっす」と紅磨くんは夜番に声をかけて私とお店を出る。
「悠海さんは、明日やっとオフですよね」
 五月に入って、急に夜も蒸し暑くなった。風があるといいんだけどな、とか思いつつ、いつもの道を歩いていると、紅磨くんがそう確認してくる。「連休も今日で終わったしね」と私は咲って、右隣の紅磨くんを見上げる。
「連休中は毎日送ってもらっちゃったね。ありがと」
「悠海さんをひとりで帰すのも、心配なんで」
「紅磨くんは、明日からまた学校と両立か」
「ですね。すぐ体育祭っすよ」
「うわー、私、運動ダメだ」
「悠海さんは、確かに運動神経なさそう」
「失礼だな。当たってるけど」
「俺は何出ようかなー。高校最後なんですよね。そう思うと、何かざわざわする」
「ざわざわ」
「高校最後のことって、一生残りそうで」
「うーん、そうかもねえ──」
 高校最後のこと。私の高校最後は、全部奈木野さんだったな。紅磨くんの言う通り、私の心にはあの人が一生残るのだろうか。
 そう思うと複雑で、何だか曖昧に咲ってしまう。そんな私を見つめた紅磨くんは、脇道に入って暗く静かになったところで、「悠海さん」と不意に立ち止まった。
「うん?」
「悠海さんって、その──彼氏とか、作らないんですか」
「えっ」
 思いがけない話題にきょとんとすると、「というか」と紅磨くんは咳払いをして視線を迷わせる。
「……もしかして、います?」
 私は紅磨くんを見つめて、恋愛相談されるのかな、と内心焦る。私、ろくな恋愛経験がないのに。
「えと、彼氏……は、いないね」
「ほんとに?」
「ほんとに」
「好きな人は?」
 突っこんでくるか。やばい。私、本当に恋愛経験値ないんだけど。
「好きな人は、昔いたけど」
「昔」
「……まだ十代の頃ね」
「じゃ、二十代になってからはいないんですか」
 後頭部に鈍器が来る。いないよ。いませんが何か。
 紅磨くんは私を見つめてくる。変なこと察されてる、と感じ取った私は、開き直って「いなくて悪かったですねー」と言いながら歩き出そうとした。
 すると、紅磨くんに手首を取られて、私はため息をつきながらかえりみる。
「何──」
「俺はっ」
 大きな声にどきっとして紅磨くんを見上げると、紅磨くんは息を飲みこんでから、続く言葉をゆっくり吐き出した。
「悠海さんが、好きですよ」
「……は?」
「俺、悠海さんのことが好きです」
 紅磨くんを見つめた。紅磨くんは頬を染めながら真剣に私を見つめ返してきて、つかんだ手首を引っ張ってくる。すると私はつい前のめって、紅磨くんの胸に倒れこんでしまった。そんな私を、紅磨くんはぎゅっと抱きしめてくる。伝わる筋肉の高い体温と、鼓膜をたたいた速い心音で、私はやっと我に返る。
 え。何。
 これ何?
 私が好き?
 紅磨くんが?
「え、えーと──」
「彼氏いないなら、俺じゃダメですか」
「いや、……え、待って、」
「この夜道以外でも、悠海さんのこと守りたい。一緒にいたいんです」
「わ……私、歳が。そう、歳がね」
 私は力をこめて、でも丁重に紅磨くんの胸を押し返して、腕の中から抜け出した。正直、私の心臓までどきどきしていて、頬もほてっている。
「私、二十四歳だよ?」
「そうですね」
「紅磨くん、高三ってことは……十七?」
「はい」
「さすがに、えと、きつくない?」
「何がですか」
「十七の男の子に、二十四の女はおばさんでしょ」
「そんなふうに思ったことないです。むしろ、悠海さん好きになって、同級生の女がうるさくなりました」
「私……は、」
「つか、悠海さんにとって、高校生とかガキだと思いますけど。それでも、俺のこと考えてほしいんです」
 高校生。そう、高校生なのだ。それはないだろう。二十四歳の女にとって、高校生の少年は射程外だ。紅磨くんはかっこいい男の子だと思う。けれど、恋愛対象にしたら犯罪でしょう。
 というか、ほんとに男の子って何考えてるの! 何で今日いきなりここで告白? 何か切っかけあった? ぜんぜん分からない。
「あの、気持ちは嬉しいけど──」
「嬉しそうに見えない」
「うっ……、だ、だって、何で私?」
「夜道送らせるとか、俺のこと頼ってくれて、ガキあつかいしないから」
「こ、紅磨くんなら、もっとかわいい子いると思うよ」
「悠海さんがいいんです」
「私、は──」
「俺のこと、まずは考えてくれるだけでもいいから」
 無意識に顔を伏せていた私は、もう一度紅磨くんを見上げる。紅磨くんの瞳はまじめで、揶揄っている様子はない。
 考える、と言われても。それは、紅磨くんのことは嫌いじゃないし、その恋心が迷惑ということはない。手放しに喜べなくても、仲がいいと思っている男の子の好意は嬉しいと思う。
 しかし、どうしても七歳年下というセーブがかかる。歳が近かったら、もしかして、今すごく感動していたかもしれないのだけど──
「悠海さん」
「は、はい」
「俺、そんな簡単にあきらめないんで」
「え、あ……はあ」
「悠海さんのこと好きでいて、デートとか誘うのはOKですか」
「デート、……ですか」
 何だか私まで敬語になってきている。さっきまでの気兼ねない弟に接するような感覚が飛んでしまった。
「俺、もっと悠海さんのそばにいたいです。それで、俺のことも知ってほしいし。だから」
 紅磨くんのことを知る。私はいつも、そういう努力をしない。私を好きかもしれない人は避けてしまう。
 でも、紅磨くんにそうするには、私の中で紅磨くんには重みがある。恋愛感情ではなくても、いつもこうして夜道を送ってくれて、優しい存在だと思っている。
 しかし、紅磨くんを知って、仮にその気持ちが恋愛になって、果たしていいものなのかどうか──
「俺のこと、嫌いになりました?」
 私の手首をつかむ手の力が緩み、紅磨くんが語調を落とす。私はとりあえず、それには首を横に振った。そして「でも」と言葉をつなぐ。
「期待されても、ほんとに分からないよ? それでもいいなら、私が好き……という気持ちは、紅磨くんのものだとは思う」
 上からかなあと案じてまた顔を伏せて言うと、「じゃあ、」と紅磨くんは私の手をつかんだ。つないで初めて、男の子の大きな手だと気づいた。
「悠海さんが振り向いてくれるまで、俺、すっげえ頑張っちゃいますよ?」
「……ん、まあ」
「俺のこと、絶対好きになってもらいますから」
「そ、そう……ですか。じゃあ、ええと、頑張れ」
 自分の言葉のチョイスの下手さに情けなくなっていると、「やったっ」と紅磨くんはぱっと笑顔になってガッツポーズした。
「よかったあ、バカにされて振られたらどうしようと思った」
「そんなことは、しないけど」
「ですよね。へへ、だから好きになったんです」
 ナチュラルに「好き」って言うな。バカ。こっちまで、鼓動の駆け足が止まらなくなる。
「じゃあ、部屋まで送ります」と手をつなぐまま紅磨くんが歩き出して、手を離してとか言うのも感じ悪いのかなと何も言えず、私は隣を歩く。ちらりと紅磨くんを上目で見上げると、やっぱり高校生だなあと思う無邪気な笑顔があって、なのに何だかすごくどきどきしてしまう。
 ああ、ありえない真垣さんをのんきに意識してみている場合ではなくなってしまった。男の子に告白された。七歳年下は不意打ちだった。
 同い年だったら、告白の前に距離を取っていたかもしれない。まさか、高校生の男の子が二十四歳の自分に告白してくるとは思わないでしょ?
 これから紅磨くんにちゃんと咲えるかな、なんて心配もよぎりつつ、手から伝わる熱にどうしても私の胸は高鳴ってしまっていた。

第三章へ

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