角砂糖、もうひとつ-3

何回でも伝えるから

 紅磨くんは去年、夏休みを利用してこのレストランでバイトを始めた。夏休みが終わったら辞めるのかと思っていたけど、九月になってもやってくるので、「続けるの?」と訊くと「ここで働きたいんで」と笑顔で言われた。
 どうせ一ヵ月で辞めてしまう子の中のひとりだと思っていたのを、真垣さんにも「面倒見てあげてね」と言われて、そこからやっと長続きするように様子を見るようになった。紅磨くんも私に懐いてくれて──と思っていたけれど、いつから彼は私のことを好きになったのだろう。
 紅磨くんは職場で私のことが好きだ好きだと言い出すことはなかったものの、帰り道に手をつないだり、オフの日の予定を訊いてきたりするようになった。うまく予定があるような嘘もつけない私は、「買い物かなあ」とか言って、「じゃあ荷物持ちますよ」と紅磨くんはぱっと言葉に飛びついてくる。
 私が首をかしげ、「平日オフだから、学校じゃない?」と問うと、「そうだ……」と紅磨くんは言われて気づいて、落ちこんでしまう。なので私はつい苦笑して、「休日にオフがあったらね」なんて甘やかすことを言ってしまい、すると紅磨くんは私を見てうなずき、「そしたらデートですね」とか笑みを見せる。
 そう言われると私は恥ずかしくなって、「土日にオフなんてなかなか取れないけどねっ」とはぐらかし、けれどもう紅磨くんはご機嫌で、「どこ行こうかなあ」と想いを馳せている。
 そんな紅磨くんのことを、かわいいかなあとは思うものの、好きになっていいものなのかは考える。だって、やっぱり、高校生だし。仲睦まじくなっても、犯罪だし。
 紅磨くんの歳が近かったら、こんなことでは悩まなかったのにな。とはいえ、歳が近かったら、告られる前にガードしていた気がする。紅磨くんが私に告白できたのは、どのみち十七歳だからなのだ。
 一番は、私も十七歳だったらよかった。奈木野さんと泥沼にもなる前で、こころよく紅磨くんの告白を受け入れていた気がする。
 こんなかたちで、若さを羨むとは。もっと若ければ、なんて、何だかんだで思考回路が老けている。まあ夏には二十五歳で、私もいろいろ曲がり角にさしかかるのだ。
 紅磨くんに告白されたことは、南乃には報告して、同時に「どうしたらいいか分かんない!」と相談していた。紅磨くんのことは、弟のような存在として話したことはあった。でも、その子が告ってきたのは南乃も驚いたようで、けれども『いいじゃない、高校生』と軽く応援されてしまった。
「よくないよ高校生!」
『高三なら、少し待てば十八歳じゃない』
「そんな……七歳差だよ?」
『大したことないよ』
「あるよっ。おば……さんだよ?」
『弟くんはそう思ってないからいいじゃない』
「弟って語弊あるから。紅磨くん、ほんとにけっこうかっこいいんだよ? 同級生とか、もっと、……いるよ」
『そこは──悠海と同じなんじゃない?』
「えっ」
『悠海だって、同級生好きになってればいいのに、どうしてもあの人が好きだったじゃない。てか、あれは十歳差だったでしょ』
 ベッドサイドに腰かける私は、レースカーテンの向こうの白い陽光を見つめた。
 今日はオフだ。水曜日だから、もちろん紅磨くんは学校で、会う約束もしていない。
 昨日雨が降ったせいで空気が蒸していて、ドライをかけているので室内は涼しい。
 私と同じ。あの頃の私と、今の紅磨くんは同じ。
 確かに、そうなのかもしれない。年齢差も、想うほうの必死さも、想われるほうのとまどいも。同級生を好きになっておけば楽なのも、それでもどうしても好きなのも。
「……そういえば、あの人とは十歳違ったんだよね」
『七歳差なんて、縮んでるじゃん』
「うん……ああ、でも、何か歳取ると分かるなあ」
『分かる』
「若い子から告白されても、単純に喜べないし、どうしたもんかって気持ちのほうが強い」
『迷惑ではないんでしょ』
「ほんとに私でいいのかなあ……」
『自信なくしすぎ。悠海が臆病になるのも分かるけど、勇気出すときは出さないと』
「せめて、高校生じゃなかったらな」
『高校生でも同い年でも、関係ないの。自分のこと好きって言ってくれてる男の子の気持ちは、まじめに考えてあげなさい。いつもみたいに逃げちゃダメ』
「うん──」
『いい子なんでしょ』
「うん。それは、ほんとに思う」
『じゃあ、その子が悠海の年齢気にしないみたいに、悠海も歳とか一度忘れて彼のこと考えてみるの』
 歳とか忘れて──かあ。
 電話が終わると、私はベッドに倒れて天井を見つめていた。紅磨くん。いい子。優しい。夜道で守ってくれる。手があったかい。笑顔が無邪気。どうやら一途。小さく唸って腕で目を覆い、好きにならない理由がないじゃない、と悔しくなってしまう。
 それでも、つきあってみてもいいかも、とまでは思い切れないまま、南乃とのそんな電話の翌日には職場に向かった。夕礼のあと、バックでまかないを食べながら休憩を取っていると、「お疲れ様でーす」と紅磨くんが出勤してくる。私のすがたを見つけると、「悠海さん」と嬉しそうに駆け寄ってきて、ますます懐いてくる子犬のように感じてしまう。
 まかないのサンドイッチを飲みこんだ私は、「お疲れ様」とは返したものの、南乃に言われたことがぐるぐる巡って、紅磨くんと視線を合わせているのが気恥ずかしくてうつむいてしまう。すると、紅磨くんはテーブルを挟んで私を覗きこんできて、「どうかしました?」と首をかしげてくる。
「え、べ、別に」
「そうですか? 何かこっち見ないような」
「そ……んなこと、ないよ」
「じゃあ、俺の目見てくださいよ」
 何で、と言ってもキリがなさそうなので、私はゆっくり紅磨くんの瞳を見る。ころころした、人懐っこい瞳。そこに私が映ると、紅磨くんは嬉しそうに咲って、上体を起こす。
「そういえば、悠海さんって映画と音楽、どっちが好きですか」
「えっ……、と、そうだな、映画かな。最近の音楽はあんまりよく知らない」
「じゃあ、行くなら映画ですねー。憶えときます」
 紅磨くんはにっとすると、ロッカーへと歩いていった。行くなら、ってデートか。何だか押されて本当に近々土日にオフを申請させられそうだな、と紙コップの紅茶を飲む。平日は学校のぶん、土日に休みづらいのは紅磨くんのほうだと思うけど。
 真垣さんは、用事があるならうるさく言う人でもないか。しかし、仮に紅磨くんとつきあったら、真垣さんに店内恋愛を知られるのはまずいのかな、と思う。やっぱ紅磨くんとそういう関係になるのは大変だなあ、とまかないを食べ終わった私は、紅茶も飲みほして立ち上がる。
 紙皿と紙コップをゴミ箱に放っていると、「俺も出ます」と制服すがたになった紅磨くんが出てきた。私はうなずいて、鍵を手に取ると紅磨くんと店内に出る。
 紅磨くんは仕事はすっかり独り立ちしているから、店内で私に質問してついてまわることはない。私も注視しておくこともなく、自分の仕事に集中する。
 二時間、店内をいそがしく歩きまわり、二十時にようやく「お疲れ様ですー」とバックに引っ込んでタイムカードを切る。
「綾川さん、お疲れ様」
 例によって疲れてテーブルでぐったりしていると、背後から真垣さんの穏やかな声がかかった。私は慌てて身を起こして「お疲れ様です」と言ったけど、「もう上がったんだから、くつろいでいいんだよ」と真垣さんは笑いながら、制服のエプロンを着る。
 真垣さんはこの店舗でゆいいつの社員だからデスク作業が多いけども、もちろん店内にスタッフとして出ることもある。
「混んでる?」
「相変わらず学生が居座ってます」
「言い方。じゃあ、少し手伝ってくるよ。そろそろ木ノ村きのむらくんも上がりだし」
 木ノ村くん、とは紅磨くんの名字だ。
「木ノ村くん、ちゃんと帰り道にボディガードやってくれてる?」
「あ、はい。おかげさまで安心です」
「よかった。僕も綾川さんの徒歩心配だったから」
「十五分くらいですけど」
「それでも、危ないからね。木ノ村くんがここに入ってくれて、ほんとによかったよ」
 真垣さんは柔らかく微笑すると、「じゃあ、気をつけて帰ってね」とバックを出ていった。真垣さんにも信頼されてるんだなあ、と紅磨くんを想う。
 どんどん私にはもったいない人に感じられてくる、と頬杖をついていると、「お疲れ様でーす」と紅磨くんの挨拶が聞こえて私は振り返った。
「お疲れ様」
「お疲れっす。また伸びてる」
「足が痛くて。毎日マッサージしてるんだけど」
「おんぶして帰りましょうか」
「冗談」
 紅磨くんはからからと笑って、腰のエプロンの紐をほどく。
 そして私の隣に腰かけると、「へへ」と何やら咲う。「何?」と訊くと、「これから悠海さんを送るまで、一緒にいられるんですよね」と嬉しそうに返ってくる。
 ほんとに、その無垢な笑顔はずるい。私は照れて正視できなくなって、「えっと」と話を逸らす。
「紅磨くんも、あんまり遅くはなれないでしょ」
「終電までに帰れば、文句言われないです」
「終電って。私、早く着替え──」
 そう言って立ち上がろうとすると、ふっと手の甲に熱が触れて、手を握られたのが分かった。
 ふわっと全身の体温が上がる。
「悠海さん」
「あの、お店では──」
「もし俺を避けるなら」
 どきん、と心臓が揺れる。
「嫌いって言われない限り、意識してもらえてるってポジティヴに取りますよ」
 私は紅磨くんを振り返った。真剣な瞳が瞳に触れて、私は視線を足元に落とす。
 嫌い、なんて。そんなことは思っていないし、そんなふうに思われたくもないけど。
 だからって、紅磨くんの想いを真正面から受け入れる勇気は簡単に出ない。
「意識……は」
 紅磨くんの手のひらの温度が手に染みこんでくる。
「それは、……して、ます」
「ほんとですか?」
「ほんとに。ただ、自信がなくて」
「自信」
「私、ほんとに……そんな、いい女でもないのに」
「俺には最高の人です」
「私はっ……嫌いって言われなくても、嫌われたかなってネガティヴに取ってばかりだと思うの」
「………、」
「つきあっても、そんなのばっかだと思うよ」
「つきあってくれるんですか?」
「……分かんないけど。仮に」
「じゃあ、悠海さんがそんなふうに不安になったら、俺は何回でも『好きです』って言います」
「……きっと重いよ、そんなの」
「そんなことないです。俺は、何かもう、いつも悠海さんのこと『好き』って言ってたいですし」
 私は紅磨くんを見た。紅磨くんは立ち上がると、私の手を握りなおして「悠海さんが好きです」と改めて言った。
 言葉だけなのに頬がほてって、視界が潤む。私も、って言っちゃえばいいの? そう言っても、何も問題はないの? それなら、私──
「悠海さん」
 紅磨くんは口調をやわらげて、もう一方の手で私の頭を撫でた。
「俺、絶対に悠海さんに好きになってもらいますから。自信持てるくらい、好きにさせてみせます。だから、悠海さんは俺のことを見ててください」
「紅磨くん──」
「頑張るのは俺です。悠海さんは何もしなくていいから、焦ったりしなくていいんです」
 髪を梳く紅磨くんの指先が優しい。私はうつむき、「煮え切らなくてごめんね」とつぶやいた。紅磨くんは首を横に振って、「笑い飛ばされなかっただけで、俺は嬉しいんです」と言ってくれた。

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